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ヴァルガンプ
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パミネの宮殿は、観光地としての時間をむかえ、多くの人でごった返していた。彼らは館内の様子を撮影したり、ムーサの彫像と同じポーズをとったり、いかにも楽しそうに宮殿をねり歩いた。一般公開されている観光のルートは、あらかじめロープで仕切られ、観光客は、その順路に従って宮殿を見て回るのだが、もしもそのロープを越えて、宮殿の内部へと足をふみ入れれば、そこには黄金装飾の部屋がいくつもあった。これらは、パミネのパルシアの出場者のみ、入室を許された、控えの間となっていた。
シエラは今、パミネのパルシアの出場者として、控えの間から出て来て、宮殿最奥の大広間に顔を出していた。美しいフレスコ画の描かれた、ドーム状の天井を見上げ、物珍しそうに歩くシエラ、その目の前に、突然、パミネのパルシアとなった歌姫たち、その石像が、ずらりと壁一面に現れた。
「パミネの、パルシア」
時が止まったかのような、静謐な世界、そこに歌姫たちは、何十体と祀られていた。みな一様に、大きな翼がはえて、ニケの彫像みたいになっていた。
シエラは息を飲んで、今にも歌い出しそうな石像の、その一体一体の様子を見て回った。恐らくはもう、この世に生きていない人たち。けれどもこうして、宮殿の最奥でずっと歌っている、伝説となった人たち。シエラはこれらを見て、良いな、と思った。自分もこんな美しい石像にしてもらいたいな、と思った。
ちょうどその時、同じように石像を見て歩く、一人の少女に出会った。むらさき色の目をした、ルビー・エンジェルだ。
ルビーは、この時間まだ誰も広間にいないと思っていたので、少し驚いた様子で、足を止めた。
「こんにちは。わたしはシエラ、シエラ・クロウ。あなたもこの美しい歌姫たちを見に来たの?」
積極的に、彼女の元へと近づいて行くシエラ。まばたきをくり返して、控え目にうなずくルビー。この二人の態度は、対照的だった。
「素敵よね。ホント素敵。この人たちは、二百年以上前にパミネのパルシアになったの。だから、もう亡くなっているのだけど、でもこうやって、美しい石像となって、いまもパミネの宮殿で歌っている」
シエラはルビーと肩を並べた。
「わたしもいつか、こんな美しい石像を造ってもらいたいなー。そうすれば、永遠に歌を歌い続けられる気がするもの。そして何百年も後で、今のわたしのように、また誰かにそう思わせる事ができるの。わたしが今度、未来の歌姫を導くの」
シエラはうっとりとして、両手を組み合わせた。
「あなた、パミネのパルシアに出るの?」
ルビーは少し驚いた様子でたずねた。
「そうなの。わたし、パミネのパルシアに出るの。出なければならないの。本当は、こんな大きな歌の祭典になんか、出場するのさえ恥ずかしいくらいなのに」
ルビーは首をかしげた。
「恥ずかしい?」
「ええ、とっても恥ずかしいわ。だってわたし、ストルナードの歌のコンクールで、予選落ちしたの。ね、恥ずかしいでしょう?」
「まあ!」
ルビーは両手で口をおおった。そして恐る恐る、
「あなた、師はどなた?」
「師?」
「先生」
「ああ、ガードナー先生よ。ジャネット・ガードナー先生」
ルビーはあごに指を当てて、
「ああ、ローズマリーの前の先生」
「そう」
ルビーはだんだん、シエラの存在がふしぎに思えてきた。
「私はルビー・エンジェル。ロタオールのウッド先生の教え子よ。シエラ・クロウっていったわよね? ちょっとあなたの事について、二三聞かせてくれない?」
近くの台座を見つけて、そこへ腰かけて、二人、落ち着いて話を始めた。
「じゃああなた、パミネのパルシアに出場して、名を上げて、それでメイトリアール教会の聖歌隊に入れてもらおうと、そういう魂胆なのね?」
「まあ、ありていに言えばそうよ」
ルビーは天井の眼窓を見上げて、
「なんだか苦労をしているのね。聖歌隊に入るのって、そんなに大変なんだ」
「わたしの場合、大変みたい」
二人は顔を見合わせて、クスッと笑った。
「そういえば、メイトリアール教会って、ソフィ・シンクレリアのいる教会ね」
「ソフィを知っているの?」
シエラはうれしそうな顔をした。
「知っているもなにも、みんな知っているわ。彼女はいま、世界トップの歌姫よ」
まるで自分が褒められているみたいに、シエラは心底満足して、
「やっぱりソフィが一番なのね。わたしなんだかそうじゃないかなって思っていたんだ。だって、あのローズマリーを負かすくらいだから。
あなたは? ルビーは世界何位?」
目を細めて、まっすぐ前を向くルビー。
「そんなストレートに聞かないで。わたしは今とても伸び悩んでいる所なのだから。わたしはね、そうね、ローズマリーのライバルかな、彼女と勝ったり負けたりって所ね」
「え! ローズマリーのライバル⁉ あなた、すごい歌手なのね」
ルビーは頬杖を突いた。
「そうでもないわ。そうでもない。だってね、すごい歌手というのは、キャンベル・リアのような子を言うのよ。あんなのが出て来ちゃったら、あたしもローズマリーも、今年のパミネは無理に決まっている」
あー、と観念したような声を出すルビー。
「キャンベル・リア? 誰それ、そんなにすごいの? どんな人?」
ハッとして、相手の口を手で覆うルビー、急いで周囲を見回した。
「シッ、大きな声で言っちゃダメ、聞かれたら大変」
「?」
これ以上ないくらい小さな声で、
「キャンベル・リアって、とっても恐ろしい子なの。本当に恐ろしい。みんな、彼女におびえて、誰も近づかないの。わたしの先生、ウッド先生も、彼女を見つけるといの一番に身を隠すわ」
「なにが怖いの? 顔が怖いの?」
相手に負けないくらいの小さな声で、シエラ。
「顔? 顔は、そうね、顔も怖いわ。美人なのだろうけど、毒々しいお化粧をして、不健康な顔をしているの。そしていつも薄ら笑っていて、何を考えているのか分からないの。聞く所によると、親しい人が亡くなっても、平気で笑っているっていうし、ウワサではね、彼女の悪口を言った少女が、突然不自然な死に方をしたとか、彼女と話をしていたら、急に発狂して、『殺してやる』って言われたとか、とにかくキャンベル・リアは、危険人物。絶対に近づかない方がいいわ」
シエラは大きく唾をのみ込んだ。
ルビーは気を変えるように、話題を変えて、
「ところでシエラ、あなたは今日なにを歌うの? 歌に自信がないんだったら、無難なテーネ・テーネでも歌うの?」
ルビーはひざを伸ばして、軽い背伸びを見せた。シエラも同じようにリラックスして、
「ヴァルガンプよ」
ルビーの動きが一瞬止まった。そしてまた、気軽な調子で、
「よく聞こえなかったわ。あなた、なにを歌うって?」
「だからヴァルガンプ」
二人は顔を見合わせた。
「それ、何の冗談? わたしをからかっているの?」
「からかう? どうして」
目をぱちくりさせて、シエラ、近づいて来るルビーに寄り目になる。
「あなたヴァルガンプって、何だか知っているの?」
ルビーの目が怖かった。
「ええ知っているわ。とても気持ちの悪い歌。なんど歌っても、あの歌だけはわたし好きになれない」
じーっとシエラの目を見て、ルビー。
「なんど歌っても? 歌った? アレを?」
「ええ」
ルビーの様子がおかしいので、シエラはだんだん不安になって来た。
「あの、わたし、なにか変なこと言った?」
ルビーはシエラの方を向いて、いい? と人差し指を立てた。
「あのね、シエラ。一つ確認されてくれない? あなたヴァルガンプって、知っている?」
「もちろん知っているわ。だって、わたしの今回の課題曲だもの」
ルビーは眉間にシワを寄せて、
「ヴァルガンプって、この世で誰も歌えないの。それをあなた、知っている?」
「は? なにそれ、それどういう意味? 誰も歌えないって、そんな曲がこの世にあるの?」
ルビーは「はあ」とため息を落として、
「あるの。ヴァルガンプって、それはパミネのパルシアになった歌姫だって、どんなすごい歌手だって、歌えない曲。歌うのが不可能とされている曲。今ではもう、誰もチャレンジをしなくなったわ。身を滅ぼすだけなの。すぐにのどをつぶすわ。だからシエラ、あなたが言うヴァルガンプって、きっと違う曲だと思う」
「違わないわ、わたし歌ったもの。歌って、先生がビックリなすって、そしてもう一回歌えって言うから、わたしもう一回歌ったわ」
「ウソよ!」
突然怒り出すルビー。その大きな声は、フレスコ画の天井に響いて、しばらく余韻を残した。かと思うと今度は、急に悲しい顔を見せて、
「ああ、悪い夢でも見ているようだわ。わたし、こんな不幸な少女に出会ってしまうなんて。シエラ、分かるわ、あなた先生からイジメを受けているのね? そうなのね。ヴァルガンプなんて、誰も歌えないのに、無理やり課題曲にされて、苦しめられて、そのまま本番では、やっぱり歌えないから、会場からは笑いものにされて」
「歌ったわ」
「あなたきっと、先生に嫌われているのよ。でなかったら、どうしてそんな仕打ちをなさるのかしら。そんなの、レッスンとは言えない。ひどすぎるもの。わたしだったら、先生にお別れを告げに行くわ。だって、教え子の未来をつぶすようなこと、先生として絶対にしてはならないし、事もあろうに、パミネのパルシアで、笑いものにさせるなんて」
「笑いもの? ちょっとあなた何を言っているの? わたしは歌が下手なもんで、笑われるかもしれないけど、ヴァルガンプが歌えなくて、笑われるのではないわ」
相手の肩に手を置いて、ルビー、哀れみの表情を浮かべて、
「もういい、シエラ、悪い事は言わない、あなた先生をかえなさい。ガードナー先生は、ローズマリーを育てたすごい先生でもあるけど、ロタオールで問題を起こしたっていう、悪いうわさもあるわ」
シエラの眉の位置が下がった。
「ガードナー先生は、悪い先生じゃない。真剣にわたしに歌を教えてくれる、良い先生。わたしがメイトリアール教会に入れなくなった時だって、先生見捨てはしなかった。わたしは先生を信じている」
目を細めて、ルビー、ゆっくりと顔をそらして、
「そう。なら、いいわ。あなたがそこまで先生を慕っているのなら、わたしは何も言わない。でも、ヴァルガンプは無理。あんな呪われた歌なんて、わたしたちは歌うものではない。もしもこれを歌える少女がこの世にいるとすれば、そうね、ひょっとしたらキャンベル・リアくらいかしら」
それを聞いてシエラ、あ、という顔を見せて、パミネのパルシアのパンフレットをひらいた。その様子を見たルビーも、あ、という顔を見せて、一緒にパンフレットを見た。
「大変!」
ルビーは悲鳴のような声を上げた。
「これは一大事! あなた(キャンベル・リアと)同じ曲を歌おうとしている! あーなんて事、やめなさい、絶対にやめなさい、これではあなた彼女と張り合う事になるわ! 今すぐ先生の所へ行って、曲を変えてもらいなさい! さもなければ、あなた、彼女に目をつけられるわ。彼女と張り合ってはならないの。張り合ったら、終わりよ! とにかくヴァルガンプなんて、絶対にダメーッ!」
両肩をつかまれ、激しく揺さぶられ、そのあまりの気迫に、シエラ、これはややこしいことになったと思った。
シエラは今、パミネのパルシアの出場者として、控えの間から出て来て、宮殿最奥の大広間に顔を出していた。美しいフレスコ画の描かれた、ドーム状の天井を見上げ、物珍しそうに歩くシエラ、その目の前に、突然、パミネのパルシアとなった歌姫たち、その石像が、ずらりと壁一面に現れた。
「パミネの、パルシア」
時が止まったかのような、静謐な世界、そこに歌姫たちは、何十体と祀られていた。みな一様に、大きな翼がはえて、ニケの彫像みたいになっていた。
シエラは息を飲んで、今にも歌い出しそうな石像の、その一体一体の様子を見て回った。恐らくはもう、この世に生きていない人たち。けれどもこうして、宮殿の最奥でずっと歌っている、伝説となった人たち。シエラはこれらを見て、良いな、と思った。自分もこんな美しい石像にしてもらいたいな、と思った。
ちょうどその時、同じように石像を見て歩く、一人の少女に出会った。むらさき色の目をした、ルビー・エンジェルだ。
ルビーは、この時間まだ誰も広間にいないと思っていたので、少し驚いた様子で、足を止めた。
「こんにちは。わたしはシエラ、シエラ・クロウ。あなたもこの美しい歌姫たちを見に来たの?」
積極的に、彼女の元へと近づいて行くシエラ。まばたきをくり返して、控え目にうなずくルビー。この二人の態度は、対照的だった。
「素敵よね。ホント素敵。この人たちは、二百年以上前にパミネのパルシアになったの。だから、もう亡くなっているのだけど、でもこうやって、美しい石像となって、いまもパミネの宮殿で歌っている」
シエラはルビーと肩を並べた。
「わたしもいつか、こんな美しい石像を造ってもらいたいなー。そうすれば、永遠に歌を歌い続けられる気がするもの。そして何百年も後で、今のわたしのように、また誰かにそう思わせる事ができるの。わたしが今度、未来の歌姫を導くの」
シエラはうっとりとして、両手を組み合わせた。
「あなた、パミネのパルシアに出るの?」
ルビーは少し驚いた様子でたずねた。
「そうなの。わたし、パミネのパルシアに出るの。出なければならないの。本当は、こんな大きな歌の祭典になんか、出場するのさえ恥ずかしいくらいなのに」
ルビーは首をかしげた。
「恥ずかしい?」
「ええ、とっても恥ずかしいわ。だってわたし、ストルナードの歌のコンクールで、予選落ちしたの。ね、恥ずかしいでしょう?」
「まあ!」
ルビーは両手で口をおおった。そして恐る恐る、
「あなた、師はどなた?」
「師?」
「先生」
「ああ、ガードナー先生よ。ジャネット・ガードナー先生」
ルビーはあごに指を当てて、
「ああ、ローズマリーの前の先生」
「そう」
ルビーはだんだん、シエラの存在がふしぎに思えてきた。
「私はルビー・エンジェル。ロタオールのウッド先生の教え子よ。シエラ・クロウっていったわよね? ちょっとあなたの事について、二三聞かせてくれない?」
近くの台座を見つけて、そこへ腰かけて、二人、落ち着いて話を始めた。
「じゃああなた、パミネのパルシアに出場して、名を上げて、それでメイトリアール教会の聖歌隊に入れてもらおうと、そういう魂胆なのね?」
「まあ、ありていに言えばそうよ」
ルビーは天井の眼窓を見上げて、
「なんだか苦労をしているのね。聖歌隊に入るのって、そんなに大変なんだ」
「わたしの場合、大変みたい」
二人は顔を見合わせて、クスッと笑った。
「そういえば、メイトリアール教会って、ソフィ・シンクレリアのいる教会ね」
「ソフィを知っているの?」
シエラはうれしそうな顔をした。
「知っているもなにも、みんな知っているわ。彼女はいま、世界トップの歌姫よ」
まるで自分が褒められているみたいに、シエラは心底満足して、
「やっぱりソフィが一番なのね。わたしなんだかそうじゃないかなって思っていたんだ。だって、あのローズマリーを負かすくらいだから。
あなたは? ルビーは世界何位?」
目を細めて、まっすぐ前を向くルビー。
「そんなストレートに聞かないで。わたしは今とても伸び悩んでいる所なのだから。わたしはね、そうね、ローズマリーのライバルかな、彼女と勝ったり負けたりって所ね」
「え! ローズマリーのライバル⁉ あなた、すごい歌手なのね」
ルビーは頬杖を突いた。
「そうでもないわ。そうでもない。だってね、すごい歌手というのは、キャンベル・リアのような子を言うのよ。あんなのが出て来ちゃったら、あたしもローズマリーも、今年のパミネは無理に決まっている」
あー、と観念したような声を出すルビー。
「キャンベル・リア? 誰それ、そんなにすごいの? どんな人?」
ハッとして、相手の口を手で覆うルビー、急いで周囲を見回した。
「シッ、大きな声で言っちゃダメ、聞かれたら大変」
「?」
これ以上ないくらい小さな声で、
「キャンベル・リアって、とっても恐ろしい子なの。本当に恐ろしい。みんな、彼女におびえて、誰も近づかないの。わたしの先生、ウッド先生も、彼女を見つけるといの一番に身を隠すわ」
「なにが怖いの? 顔が怖いの?」
相手に負けないくらいの小さな声で、シエラ。
「顔? 顔は、そうね、顔も怖いわ。美人なのだろうけど、毒々しいお化粧をして、不健康な顔をしているの。そしていつも薄ら笑っていて、何を考えているのか分からないの。聞く所によると、親しい人が亡くなっても、平気で笑っているっていうし、ウワサではね、彼女の悪口を言った少女が、突然不自然な死に方をしたとか、彼女と話をしていたら、急に発狂して、『殺してやる』って言われたとか、とにかくキャンベル・リアは、危険人物。絶対に近づかない方がいいわ」
シエラは大きく唾をのみ込んだ。
ルビーは気を変えるように、話題を変えて、
「ところでシエラ、あなたは今日なにを歌うの? 歌に自信がないんだったら、無難なテーネ・テーネでも歌うの?」
ルビーはひざを伸ばして、軽い背伸びを見せた。シエラも同じようにリラックスして、
「ヴァルガンプよ」
ルビーの動きが一瞬止まった。そしてまた、気軽な調子で、
「よく聞こえなかったわ。あなた、なにを歌うって?」
「だからヴァルガンプ」
二人は顔を見合わせた。
「それ、何の冗談? わたしをからかっているの?」
「からかう? どうして」
目をぱちくりさせて、シエラ、近づいて来るルビーに寄り目になる。
「あなたヴァルガンプって、何だか知っているの?」
ルビーの目が怖かった。
「ええ知っているわ。とても気持ちの悪い歌。なんど歌っても、あの歌だけはわたし好きになれない」
じーっとシエラの目を見て、ルビー。
「なんど歌っても? 歌った? アレを?」
「ええ」
ルビーの様子がおかしいので、シエラはだんだん不安になって来た。
「あの、わたし、なにか変なこと言った?」
ルビーはシエラの方を向いて、いい? と人差し指を立てた。
「あのね、シエラ。一つ確認されてくれない? あなたヴァルガンプって、知っている?」
「もちろん知っているわ。だって、わたしの今回の課題曲だもの」
ルビーは眉間にシワを寄せて、
「ヴァルガンプって、この世で誰も歌えないの。それをあなた、知っている?」
「は? なにそれ、それどういう意味? 誰も歌えないって、そんな曲がこの世にあるの?」
ルビーは「はあ」とため息を落として、
「あるの。ヴァルガンプって、それはパミネのパルシアになった歌姫だって、どんなすごい歌手だって、歌えない曲。歌うのが不可能とされている曲。今ではもう、誰もチャレンジをしなくなったわ。身を滅ぼすだけなの。すぐにのどをつぶすわ。だからシエラ、あなたが言うヴァルガンプって、きっと違う曲だと思う」
「違わないわ、わたし歌ったもの。歌って、先生がビックリなすって、そしてもう一回歌えって言うから、わたしもう一回歌ったわ」
「ウソよ!」
突然怒り出すルビー。その大きな声は、フレスコ画の天井に響いて、しばらく余韻を残した。かと思うと今度は、急に悲しい顔を見せて、
「ああ、悪い夢でも見ているようだわ。わたし、こんな不幸な少女に出会ってしまうなんて。シエラ、分かるわ、あなた先生からイジメを受けているのね? そうなのね。ヴァルガンプなんて、誰も歌えないのに、無理やり課題曲にされて、苦しめられて、そのまま本番では、やっぱり歌えないから、会場からは笑いものにされて」
「歌ったわ」
「あなたきっと、先生に嫌われているのよ。でなかったら、どうしてそんな仕打ちをなさるのかしら。そんなの、レッスンとは言えない。ひどすぎるもの。わたしだったら、先生にお別れを告げに行くわ。だって、教え子の未来をつぶすようなこと、先生として絶対にしてはならないし、事もあろうに、パミネのパルシアで、笑いものにさせるなんて」
「笑いもの? ちょっとあなた何を言っているの? わたしは歌が下手なもんで、笑われるかもしれないけど、ヴァルガンプが歌えなくて、笑われるのではないわ」
相手の肩に手を置いて、ルビー、哀れみの表情を浮かべて、
「もういい、シエラ、悪い事は言わない、あなた先生をかえなさい。ガードナー先生は、ローズマリーを育てたすごい先生でもあるけど、ロタオールで問題を起こしたっていう、悪いうわさもあるわ」
シエラの眉の位置が下がった。
「ガードナー先生は、悪い先生じゃない。真剣にわたしに歌を教えてくれる、良い先生。わたしがメイトリアール教会に入れなくなった時だって、先生見捨てはしなかった。わたしは先生を信じている」
目を細めて、ルビー、ゆっくりと顔をそらして、
「そう。なら、いいわ。あなたがそこまで先生を慕っているのなら、わたしは何も言わない。でも、ヴァルガンプは無理。あんな呪われた歌なんて、わたしたちは歌うものではない。もしもこれを歌える少女がこの世にいるとすれば、そうね、ひょっとしたらキャンベル・リアくらいかしら」
それを聞いてシエラ、あ、という顔を見せて、パミネのパルシアのパンフレットをひらいた。その様子を見たルビーも、あ、という顔を見せて、一緒にパンフレットを見た。
「大変!」
ルビーは悲鳴のような声を上げた。
「これは一大事! あなた(キャンベル・リアと)同じ曲を歌おうとしている! あーなんて事、やめなさい、絶対にやめなさい、これではあなた彼女と張り合う事になるわ! 今すぐ先生の所へ行って、曲を変えてもらいなさい! さもなければ、あなた、彼女に目をつけられるわ。彼女と張り合ってはならないの。張り合ったら、終わりよ! とにかくヴァルガンプなんて、絶対にダメーッ!」
両肩をつかまれ、激しく揺さぶられ、そのあまりの気迫に、シエラ、これはややこしいことになったと思った。
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