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くぼう無学

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リリイの闘争

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「それにしても参ったわソフィ、こう冷えるんじゃあ、部屋にじっとしているのも苦痛だわ。どこかに暖を取れる部屋はないかしら」
 リューイッヒは毛糸の帽子にウールのコートを着て、ソフィの部屋で両腕を擦った。
「食堂は?」
 ソフィは開いた本から顔を上げて、白い息を吐いた。彼女も厚手のコートを着ていた。
「ついさっき、最後の火が消えたわ。みんなぶるぶると震えながら、自分たちの部屋へ帰って行ったわ。布団の中にいた方が大分増しみたい。ああ、とうとう教会の暖炉という暖炉から、火の気が失せてしまったわ」
 リューイッヒは、備え付けの薪ストーブに手を置いて、その冷たさを確かめた。
「じゃあ、パラメの話はウソではなかったようね」
 パタリと本を閉じて、ソフィはランプの火を小さくした。
「パラメ? また何か言って来たの? 何々一体どんな話?」
 ソフィは頬杖を突いて、手短に事情を伝えた。
「まったく懲りない奴ね。この間ヒルトン先生にお灸をすえられたばかりだというのに。ソフィ、あんなのの話に耳を貸しちゃダメよ」
 リューイッヒは木の机に手を突いて、ソフィの鼻先に人差し指を近づけた。ソフィはその指を見て、寄り目になった。
「でも、大切な薪が底をついて、みんなが困っているのには違いないわね」
「明後日になれば、マクラーレンおじさんが戻って来るそうだから、まあそれまでの辛抱といった所ね」
 カーテンに隙間を作って、ソフィは雪の様子を確かめた。
「ここから墓地の小屋って、どのくらいだったかしら?」
 リューイッヒは目を大きくして、ソフィの顔を覗き込んだ。
「まさかソフィ! あなた今から墓地の小屋へ行こうって、そう思ってない? ダメダメダメよ、絶対にダメ。草原を歩いたって結構な距離なのよ、それをこんな大雪の中、お願いだから馬鹿な考えはやめてちょうだい。そもそもあなたの細い体でどれだけの薪が運べると言うの?」
「そうね」
 しかしソフィは窓辺から離れなかった。
「結局、マクラーレンさんの大きな橇が無かったら、薪なんて運んで来られないのよ。さあさあ、こんな寒い夜は布団にくるまって寝るのが一番、おやすみソフィ」
 リューイッヒはしゃべるだけしゃべると、あくびを噛んで出て行った。
 それとちょうど同じ頃、この大雪の中を歩く、一人の少女があった。
 それは、厚い敷布のオーバーに、鼻まで襟巻きをした、リリイ・ハーモンドの姿だった。
「やっと体が温まってきたわ。始めはこの寒さに慣れないんで、何度も引き返そうと思ったけれど、今では歩き通しで、体に汗が出てきたわ」
 膝まで雪の中へ埋めながら、リリイは小一時間も雪原を歩いた。すると雪明りの前方に、小さな小屋が見えて来た。
「雪で墓地は見えないけれど、きっとあれね、とうとう見つけたわ」
 小屋の中は、鍬や杭や大きな車輪などが無造作に置かれていた。その一番奥に、うず高く積まれた薪の山があった。
「さあここからが問題ね。本当はこの薪をたくさん運んで行きたいものだけど、こんな小さなあたしが一回に運べるとしたら、せいぜい」
 リリイは試しに二束の薪を持って、大きな息を吐いた。
「やっぱり一束が限度。一回に一束、往復2時間、朝まで掛かってたったの四束の薪しか運べないわ。四束じゃあ、ねえ」
 リリイは薪の上に腰かけて、疲れた両足を伸ばした。
「ソフィ様を助けたい一心で、一も二もなく飛び出して来てしまったけど、あたしもう少し考えてから来れば良かったわ」
 背中にある薪の山を見上げて、リリイはすっかり途方に暮れてしまった。
 その内に、馬の嘶きが聞こえて来た。
「あら? こんな何もない所で馬が鳴いているわ。あたしの耳は寒さでおかしくなってしまったのかしら」
 リリイは小屋から顔を出して、夜の色と雪原の境目に目を凝らした。すると、馬橇が一台、こちらへ走って来るのが見えた。
「まあ! マクラーレンさんかしら!」
 馬は白い息を撒き散らせて、リリイの鼻先を通過してから、高く前足を上げた。その馬橇に乗っていた男は、リリイの姿に気が付くと、意外な顔をした。
「誰だい君は? こんな大雪の夜に、しかもこんな人里離れた墓地の小屋に」
 男は毛皮のフードを上げながら、手綱を持って橇から降りて来た。その顔を見たリリイは、彼がルドヴィック・スピードだと気が付いた。
「あ、あの」
 リリイは胸の前で両手を握って、斜め下を見た。
「あれ? 君は確か、メイトリアール教会の子じゃないか? もしかして君は、教会からここまで歩いて来たのかい?」
 ルドヴィックは驚いて、毛皮のフードを脱いだ。
「はい。あの、薪が、その」
 リリイの顔は雪が解けるほど赤くなった。
「薪? まさか君も薪を取りに来たのかい? 一人で?」
 若い男に顔を覗かれて、リリイは逃げるように視線を逸らした。しかし、これは何かの助けに違いないと、えい、と彼に向って顔を上げた。
「あの! 実は!」
 降り頻る雪の向こうで、一匹の狐が立ち止まった。三角の耳を立てて、しばらくはこちらを見ていた。
ルドヴィックはリリイの話を聞いて、深々と腕を組んだ。
「なるほど、そういう事だったのか。確かにあのパラメと言うリーダーは、嫌な目つきをしていると思っていた。ソフィは今や世界的な歌姫になってしまって、こういったやっかみが出て来てもおかしくはないと思っていた所だ。何もかもが完璧に見えてしまうけど、ソフィだってそんな事をされて平気でいるはずはない。
 よし、分かった! 君、名前はなんと言ったね? リリイ・ハーモンド? ではリリイ、これから僕は君に協力をしよう。そしてソフィを助けてあげよう。ちょうど僕の店の薪が底をついて、あちこち薪を集めて回っていたのが良かったようだ」
 リリイは何もかもがホッとした気持ちになって、後はルドヴィックに一切を任せる事とした。
 それと同じ空の下、メイトリアール教会の寮の玄関先で、厚手のコートを着込んだソフィが雪を見上げていた。
 その顔つきは真剣だった。
「例えみんなの分の薪を運んで来られなくたって、食堂の分くらいなら、なんとか運べるかもしれないわ。いいえ、これはパラメに言われたからやるのではない、これは自分の意志で行くの。わたしはこれから人にものを教える立場になるのだから、みんなが困っている時に何もしないなんて、そんな事はできないわ」
 襟巻きを深くして、えいやと雪の中へ飛び込むと、背中で玄関のドアが閉まった。
「?」
 不思議に思って振り返ると、どこからかパラメたちの笑い声が聞こえた。ソフィは再び玄関へ戻って、がちゃがちゃとドアノブを回したが、内側から鍵が掛かっていて、ドアは開かなかった。
「そらソフィ先生、早く薪を取って来て下さいな。早くしないとあたしたち、本当に凍え死んでしまうわ。それともまさか、ここまで来てやっぱりお止めになるだなんて事はないでしょうね」
 二階の窓からパラメのにやり顔が出した。
「こんな夜更けに不用心だから、一応鍵は掛けておくわ。薪が届いたら、開錠するように言ってあるから、ソフィ先生、安心して薪を取りに行って下さいな」
 さすがのソフィも、パラメのこの仕打ちには恐れ入った。すぐに他に入口はないか、彼女は教会を一周してみた。しかし全ての入口には施錠がされていた。
「まさかこんな手の込んだ嫌がらせをするとは。薪を取りに行く話が、今や教会から閉め出されてしまったわ。このままではわたし、朝には雪の中で凍えて死んでしまうわ」
 二階の窓からパラメたちの立ち去る背中が見えた。しばらくソフィは呆気にとられていたが、体に凍えを感じ始め、それを温めようととにかく雪の中を歩き始めた。先生方の消灯の見回りを待つ手もあったが、それはパラメたちの悪事に屈するように思われた。
 ソフィが雪の道なき道を歩いていると、その行く手から馬橇が一台、こちらへ滑って来るのが見えた。
「?」
 薄目で雪の向こうへ目を凝らすと、あっという間に馬橇がソフィの所まで滑って来た。手綱が大きく引かれ、馬は荒い息を聞かせた。
「やあソフィ! こんな大雪の夜にお散歩かい? この先へ歩いて行っても、墓地の小屋があるだけだよ。君に頼まれた薪ならほら、ここにたくさん持って来たよ」
 馬を操る席で、ルドヴィックは白い歯を見せた。
「ルドヴィック? あなたどうしてここへ? それに頼まれた薪って、一体どういう事?」
 寮の玄関からドアの開く音が聞こえた。そして元気良く雪を蹴って走って来るリューイッヒの声が響いて来た。
「まあルドヴィック! あなたの声が聞こえたもんで、あたし一も二もなく飛んで来たわ! 一体全体、こんな夜遅くにどうしたの⁉」
 寮の窓にちらほらと明かりが灯った。
「やあリューイッヒ、見てご覧よこの薪の山、これは全てソフィがみんなのためにと運んで来た薪さ!」
 ルドヴィックは演劇の一幕にあるように、両手で口の回りを囲って、教会の方向へ叫んだ。
 間もなくランプを下げた人影が、玄関から外へと出て来た。
「まあまあ一体何の騒ぎかしら、もうみんな就寝の時間ですよ。おや? ソフィ、あなたそんな格好をしてどこへ行こうというの?」
 ついには消灯の見回りの途中で騒ぎを聞きつけたヒルトン先生まで登場した。リューイッヒは息を弾ませて、先生の腕を馬橇まで引っ張って行った。
「ヒルトン先生、まあヒルトン先生聞いて下さいな! ソフィがみんなのためにって、こんなに薪を運んで来てくれたんですって! あんな遠い墓地の小屋からですよ? これでみんな、暖かい夜を過ごせるわね! ねえヒルトン先生、ソフィって、素敵な先生になれるのに違いないわね!」
 先生は眼鏡を外して、背丈よりも高い薪の山を見た。
「こんなにたくさん、これをみんなソフィが?」
「あの、これは」
 口ごもるソフィは、ルドヴィックのウインクに会った。
「さあみんな、今夜は大判振る舞いだ。とっとと薪を持って行ってくれ、お金なんか取らないから、その分この心優しいソフィ・シンクレリアに感謝するように!」
 歓声を上げた少女たちが、寮の玄関から走って来て、ルドヴィックから薪を受け取った。
 その薪のすぐ後ろに、リリイは縮こまって身を隠した。
「これで良し。これであたし、ちょっとはソフィ様のお役に立てたわ。何でもあたし、考えなしに夜の雪の中へ飛び出しちゃったけど、これでもう安心だわ。パラメたちもきっと、ソフィ様がこんなに薪を運んで来て下さったと聞いたら、すっかり腰を抜かすでしょうね」
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