歌え!シエラ・クロウ

くぼう無学

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二人の約束

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 月の晩、教会の裏から、何やら話し声が聞こえて来る。
「マクラーレンさんは、今からでも馬車を出せるって言っている。ねえ、どうする?」
 手にしたランプを上げて、シエラの顔を照らすソフィ。
「いらないわ。いらないの。わたしに馬車なんて必要ない。だって、バーゲンダーツにはもう戻らないって、わたし決めたの。どうしたってわたし、聖歌隊に入れるまでは、ここから離れない」
 深いため息が聞こえる。
「でも、シエラ」
「そりゃ今の所、形勢は良かないわ。歌のレッスンを受けていない事が、これほど致命的だったなんて、わたしちっとも知らなかったもの。正攻法ではダメって事ね。さーて どうしたものか、何かもっと良い手を考えなくちゃ」
 シエラは腕を組んで、斜め上を見た。
「良い手って。ねえシエラ、聞いて。あなたはここをあきらめなければならないわ。冷たいようだけど、ヒルトン先生の言っている事は本当よ。レッスンの経験がないあなたが、無理矢理うちの聖歌隊に入っても、わたしたちの歌のレベルについて来られない。どんなに頑張っても、結局はみんなの足を引っ張るだけ。毎日悲しい思いをして、やっぱりここを立ち去る事になる。そんな子は今までにたくさん見て来た。だから ね、もうここはあきらめて、お家に帰ろ? このお金は、ヒルトン先生から預かって来たの。あなたは家に帰るお金も盗まれてしまったでしょう?」
 そっと相手にお金を握らせるソフィ。
「ダメ、これは受け取れない、これを受け取ってしまったら、わたしここをあきらめた事になってしまう」
 旅費を突き返して、勢いよく顔を上げるシエラ、そこに神々しい程に美しいソフィの顔を見て、
「ああ、あなたはやっぱり美しい。月下に舞い降りた女神のようだわ。きっと歌も上手なのね。それもうんと上手なのよ。さっきの先生の態度を見れば分かるもの。とても先生から大事にされている。だから、きっと、わたしのように歌の下手な人の気持ちなんて分からないでしょうね」
『ソフィには分からないのよ!』
 ソフィの胸に再びあの少女が浮かぶ。
『ソフィはね、歌が下手な人の気持ちなんて、分からないのよ! どんなに真剣に歌っても、誰も見向きもしない、そんな気持ち、あなたには分からないでしょう!』
 目をつむって、首を横に振るソフィ。
『ほらみなさい。ソフィはあたしの事、親友だって言うけど、あなたは親友の苦しみが一つも分からないのよ! もういいわ。さよなら』
 喉から黒い水が押し上がって来るような、そんな恐ろしい気配を感じて、ソフィ、慌てて自分の首をつかむ。
「どうしたの?」
 不思議そうにソフィの顔をのぞき込むシエラ。
「なんでもない、少し、息が苦しいだけ」
「?」
 そのままシエラは星空を見上げて、
「……ソフィ。あの、あのねえ、やっぱり、お願いできないかしら? わたし、今の所は、とりあえず、一旦、どうしようもなく、ここから引き上げるのだけれども、またすぐに戻って来て、聖歌隊に入隊できるよう、わたしがんばるわ。なんとしてでも、わたしはここへ入りたいの。その間、うん、その間わたしと親友になって欲しいの。
 だってわたしあなたの事がとっても好きになってしまったんだもの。ピンと来たんだわ。あなたはわたしの話をよく聞いてくれるし、親切だし、何より運命的な出会いを感じるの! あらまた運命という言葉を使ってしまったわ。わたしいつも運命って言葉を使うからみんなからかわれるのに。でも、本当よ! これは本当の運命だわ。だってわたし、いつかあなたと同じ舞台に立って同じ歌を歌っているような気がするの。笑顔を向けあって、広い会場に向かって、強いライトを浴びて。そんな明るい未来を感じるの。だから、ねえだからわたしと親友になると、首を縦に振って、お願い」
 祈るように両手を組み合わせ、一歩前に出るシエラ、その目の前には、血の気の失せた冷たい表情が。
「親友なんて、そんな言葉を使うのはもうやめて。わたしはたくさんなの、もうたくさん。わたしは誰とも親友にならない」
 組み合わせた手がゆっくりと離れる。
「わたしは呪われている。つま先から髪の毛の先まですべて呪われている。知らないでしょう、この歌声が、この恐ろしいほど美しい歌声が、どれだけ周りの人を不幸にするのか。みんなは知っている。さっきのリューイッヒもね。シエラはチャスタリカ湖の伝説の空想話をしたわね。行き違いから恋人を裏切ってしまった罪、それを償う乙女の話。ちょうどそれはわたしの事だわ。罪深き歌姫。毎日毎日この教会で呪われた歌を歌うの。永遠にね」
 ソフィの目には 今、教会を立ち去って行く一人の少女が見えていた。
「だから、もうわたしには構わないで」
 月が隠れて、辺りが急に暗くなった。
「そう。分かったわ。あなたは過去に親友と何かあったようね。深い悲しみ、それも相当ひどい思いをした。だから、それに懲りて、わたしとは親友になりたくない。
 でも聞いて ソフィ、あなたにどんな悲しい過去があろうとも、わたしはあなたと親友になる事をあきらめない。だって、悲しい過去は、過去だもの。それはもう過ぎ去ってしまった事。これから先わたしたちに訪れるものは、みんな未来なの。神様って、わたしたちに、いつも未来を用意して下さるの。だからわたしたちは、きっと悲しい過去を乗り越えられる」
 ソフィはランプの明かりから遠ざかって、
「いいえ、過去は、ずっとわたしの中にある」
「違うわ。それは過去ではない。それは過去の嫌な思いをくり返し思い出しているだけ。本当は毎日、新しい出来事が起きている。新しい人と会っている。ほら、わたしとも出会った。そうすると、悪い事は、だんだん思い出さなくなる。新しい出来事が暗い過去の記憶を埋めてくれるの。そりゃ、わたしにだって悲しい過去の一つや二つ、あるわ。目も当てられない大失敗もある。大好きだった人が突然死んでしまった事もある。でもね、わたしはいつも、こう思うようにしているの。
 どんなに悲しい出来事が起きても、それはいつも不幸中の幸いだって。だって、わたしはこの通り生きているわけでしょう? ボロボロになったって、もうダメだ立ち直れないと泣いたって、ただ、生きてさえいれば、それだけでなんとかなる、それは幸いだわ。わたしがこうして生きている限りは、いつだって不幸中の幸いなの」
「生きていても、わたしは死んでいるも同然」
 シエラは自分の顔の前に強い拳を作って見せて、
「ねえソフィ、じゃあ こうしない? もしもわたしが奇跡的にも、世界でも名高いメイトリアール教会の聖歌隊に入れたのなら、その時はソフィ、わたしと親友になってよ。わたしは絶対にあきらめない、どんなに過酷な試練が待っていようとも、くじけやしない!」
 草原から届く風によって、ソフィの前髪がふわりと揺れた。しばらくして、彼女はふっと表情を崩して、
「本当、しつこい。あなたには負けた。本当に、負けたわ。いいわ、シエラ。あなたはどうやら物事を簡単に考えるタイプの子のようね。あなたは絶対にここへは入れない。一度もレッスンを受けた経験のないあなたは、どんなにがんばっても、ここへは入れない。
 でも もし、あなたが言う通り、奇跡的にも我が栄光の聖歌隊に入れたというのなら、その時はわたし、喜んであなたと親友になるわ。これでどう? これはお互い、根くらべというところね」
 こうして二人は誰も知らない月の下で約束を交わした。そしてシエラは月明かりの草原へ、ソフィは教会の方へ、お互い背中を向け合った。
「従順に、平静に、己の十字架を担う」
 無人の聖堂に立って、ソフィは胸に十字を切った。
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