プルートーの胤裔

くぼう無学

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恋の祟り

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「話の続きだ。十年前、現世に思いがあって、いつまでも成仏できないでいた俺の霊魂は、〝マナの回付〟という、かつて未開社会のアニミズム的な儀式によって、俺の妹であるレナの体に憑依した。それがほぼ完全な形として、今なお宿主に憑いている事に、上月加世は、やけに安心していた。これから始まる〝キメラの宝木〟、その極秘計画にとって、大いなる希望となる、などとして、さらには、聖なる狂気の資質があった俺は、そのまま彼女らと同種の扱いを受ける事となり、世にも奇妙な神秘的な儀式、〝キメラの宝木〟の始まりの瞬間に立ち会う事となった」
 わたくしは、りおの透視画に目を落としたまま、いつまでも顔が上げられない。
「説明、してくれないのか? 君がなぜ、今のような姿になったのか」
 敷島は顔をそむけ、無音のため息を落とす。
「すまない、宗村。君にはどこかでしっかり、改めて説明をするつもりでいた。説明、それは十年前突然君から婚約者を奪ってしまった、最悪の結末。それはやはり、どこかで君が納得のいくまで、じっくりと話す必要があるとして、しかしながらこの件に関して、上月加世には何一つ罪がないという事だけは言っておきたい。君は、彼女の事を怨まないで欲しい。すべてはこの俺の、現世に思いを残して、聖なる狂気を引き起こしてしまった事に責任がある。一時的にでもいい、どんな形でもいいから、現世に残って始末をつけたい、そう口にして俺は、血まみれの体で這いながら、上月加世にすがった。彼女は、死んで行く俺の手をにぎって、何も語らず、ただ何かを考えていた。次に俺が目を覚ました時には、自分の遺体にすがって、涙を流していた。両手を広げて見ると、白い、若い女の手、それはすなわち、俺の霊魂が妹の体に憑依した後の事だった」
 わたくしは、震える手でもって、煙草に火をつけた。煙を吐くばかりで、味なんてよく分からなかった。
「すまない宗村、時間に限りがある。悪いが話に戻らせてもらう。
 上月加世の神秘的な儀式〝キメラの宝木〟が行われたのが、一年半前、その日には重要な意味があった。宗村、一年半前と聞いて、何か思い当たるふしはないか?」
「一年半前」
 その言葉は、くり返し使われる合言葉のように、すでに耳なじんでいた。
「斎が死んだ頃だろう」
「そうだ。神秘的な儀式、その真の目的とは、上月加世の超能力によって、斎の魂を救う事にあった」
 夜風が吹いて、敷島の髪が広がった。
「超能力で、斎の魂を?」
「ああそうだ。上月加世は、全身全霊、神のちからと言っても過言ではない、神通力によって、斎の魂を救う必要があった。斎は、斎だけは、絶対に失ってはならない。当時の晦冥会において、斎には揺るぎない人望があり、熱狂的なファンがあった。彼女の比類なき信仰心、難行、荒行に立ち向かう勇姿、信者たちの中心に身を置く慈愛の心。そのタレント性のある横顔は、たびたび晦冥会のパンフレットにも登場した。晦冥会の統主、不破昂佑と上月加世、それから氷室理事長、不知火忍、その他バイフーら、元紀瑛総連の老師たち、それら多くの幹部たちから、斎は、晦冥会のエクレクトスとして、輝かしい存在として認められていた」
 風が止まって、髪が肩に落ちる敷島。
「ところが、当時の斎は、あらゆる不幸に見舞われて、すっかり気鬱になっていた。義理の兄、巽との平和的な政略結婚、その話を破談にさせて、そうなるや否や、そこからの一方的で理不尽な報復、迫害。斎は、周囲から守られながら、被災地から逃れる難民のごとく、一時的にF支部精舎の地下にある祈祷場に身を隠した。さらに、追い打ちをかけるような訃報、それは、当時斎が片思いしていた相手の、突然の死の知らせ」
 敷島は横顔のまま、わたくしの方へ目を動かした。
「片思いの、相手?」
「ああ。当時斎には、密かに恋心を抱いていた、片思いの相手がいた」
「意外だな」とわたくし、煙草の先端を赤くして、
「比類なき信仰心、荒行に立ち向かう勇姿、信者たちの中心に身を置く慈愛の心、こう聞いただけでも、カリスマ的な存在で、神々しくて、それこそ、若者によくあるような恋話なんて、なんだかイメージに合わない」
「だろうな。だからこそ、この恋のエピソードは、ごく一部の限られた人間しか知らない。斎の聖なる偶像、そこに大きな傷をつけるネガティブな側面を持っているから」
 わたくしの背後、食堂の窓明かりが、半分に落ちた。
「一年半前の斎は、誰かに恋をしていたのか」
「そうだ」
 敷島は、それが誰なのか、少しも答えない。
「晦冥会の、人間か?」
「それならまだ良かった」
「? 晦冥会の人間じゃない、それじゃあ、一般人? 芸能人? 誰なんだ、斎の片思いの相手とは」
 下を向いた敷島、ブーツのかかとで氷を砕きながら、
「斎が当時、一途な恋心を抱いていた相手とは、N県警のM警察署に勤務していた、刑事」
「刑事?」
 わたくしは、あからさまに顔を曇らせた。
「当時、晦冥会の闇を暴こうと、躍起になってこの地を飛び回っていた刑事」
「まさか」
「その、まさかだ。斎が恋をした相手、それは、太古秀勝。彼は偶然か必然か、今から二年前に斎と密会をくり返していた。東海支部精舎近くの、河口湖大橋で、二人が一緒にいる所を度々目撃されている」
 わたくしは、短くなった煙草を見つめて、
「そんな、だって、そんな馬鹿な。二年前と言えば、彼は椎名美咲と付き合っていた頃じゃないか?」
「そうだ」
「そうだって。じゃあ、太古って男は、美咲と斎、二人に二股をかけていたって、そういう事か?」
 敷島は、防寒着のチャックを顎まで上げて、
「その点に関しては、明言ができない。実際、太古秀勝の胸の中に聞いてみなければ、真相は分からない。だから俺は、あえて、斎の片思いの相手という言葉を使った。当時の太古は、晦冥会の秘密の祠を探し出す事に、血眼になっていた。M高原の山中に分け入って、無鉄砲に登山をくり返した所で、本気になって晦冥会が隠した祠など、見つかる可能性はゼロに等しかった。途方に暮れた太古、藁にも縋る思いの、太古。しかしそこで、予期せぬ相手と出会う事となった。それは晦冥会の統主、不破昂佑の長女である、斎だ。悪魔のいたずらとも言えよう、この数奇な運命、太古は、晦冥会の秘密の祠の在りかを聞き出す最大のチャンスと考えた」
「斎を、利用した?」
〝その痛み、覚えておくこと。それだけ太古秀勝に似ているんだから、その分、埋め合わせてもらう。あたしはね、あのクソ男に、腸わたが煮えくりかえる思いなんだ〟
 ペッと唾を吐きかけるように、食堂から出て行った宮國瑞希。彼女がイラついた理由、それは乙女の恋心を利用した、太古秀勝の卑劣な行為にあったのか。
 煙草を吸おうとして、しかしいつか火は消えていた。
「言葉は悪いが、そうなるだろう。統主の養子として迎えられ、幼い頃から修行に明け暮れていた斎、しかし彼女はいつしか十九歳、娘盛りと言ってもおかしくはない年頃になっていた。いくら斎に比類なき信仰心があろうとも、異性を好きにならないという保障はどこにもなかった。聞けば、双子の妹である米元あずさ、彼女も太古秀勝に恋をしていたというのだから、一卵性双生児、彼女らは好きになる相手も同じだったという事か。とにかく斎は、初恋の相手、太古秀勝との密会をくり返し、相手の質問に対して、質問されるがまま、晦冥会の祠の在りかを口外してしまった」
 米元あずさは昨夜、わたくしと初対面であったにもかかわらず、わたくしが太古秀勝に似ているという理由だけで、こちらの気を引こうと、今回の犯人の名を教えようとした。さらにはその感情はエスカレートして、自ら晦冥会の統主の孫だという事も明かしてしまった。これと同じ行為が、二年前の姉にも行われていた、という事か。わたくしはしんみりと雪の地面を見つめて、後を継いだ。
「斎から聞き出した情報、晦冥会の秘密の祠の在りか、その位置情報を基に、太古は美咲を連れてスキー場のコース外へ滑り出して、まさかの雪崩に遭ってしまった。そして命からがら雪の惨状から這い出すと、彼は、救助を呼んで来ると言葉を残して、下山するかのように見せかけて、実は晦冥会の偽りの祠を発見、その中に入って開かない扉と格闘、あげくに多量の放射線を浴びて、帰らぬ人となった」
〝男はスノーボードのウェアを着て、壁際に座った姿勢から、がくりと首を垂れて死んでいた〟
 岸本が祠の点検中に発見した遺体が、これだった。
 左の手首を見せて、敷島、腕時計の針の位置を確認してから、
「ここで問題となるのが、斎は、晦冥会の真の祠の存在までは知らされていなかった、という点だ。彼女は片思いの相手、太古秀勝に、晦冥会のやばい秘密を解き明かすには、不正確な情報を与えてしまった」
「そうか。それで太古は、開くはずのない偽りの扉、その正解のないダイヤルを回し続けて、息絶えたという事か」
 どどどっと屋根から雪が落ちて、あたりに雪煙が漂った。その雪の激しさが、当時の雪崩の惨状を彷彿とさせた。
「晦冥会を資金源とする大学医学部付属病院、そこの法医学者の手によって、太古秀勝の遺体の解剖が執行された。その解剖結果から、太古秀勝は、耐容線量を遥かに超えた、全身に様々な被爆の症状が見られた他に、雪崩による脳の挫傷が見られたという。雪崩の被害から無茶をせず、すみやかに下山の道を選んでいれば、命だけは助かったものを。とにかく春の祠の点検に訪れた岸本の、異常事態の通報によって、太古の遺体は晦冥会総本部の地下室に運び込まれた。巽はこの情報を聞きつけ、あえて斎に密書を書いた。片思いの相手の遺体を斎に見せるために」
「なんと、むごい」
「当時の斎は、とても心細い思いだっただろう。恋する男と最後に会ったのが、いつなのか、思い出せないくらいに、長らく連絡が途絶えて、久しく、あれから数か月、片思いの相手は会いに来てくれない。まさに斎の心は張り裂けそうになっていた矢先、やっと会えたと思ったら、彼は、あまりにも変わり果てた姿となって、納体袋から死に顔を出している。斎はその場にへたり込み、悲しみを通り越して、涙さえ出ない、そんな行くところまで行った、極限の放心状態から、いつまでも立ち上がれなくなった。自分が、問われるままに、不用意に打ち明けてしまった秘密の祠、その位置情報を基に、太古は、単独で祠の中へ侵入、その結果が、このような姿となってしまった、そういった経緯も、巽の密書に記されてあった。斎はその事実を悟って、完全に正気を失ってしまった」
 あまりの斎の不憫さに、敷島はしばらく口を閉ざした。
「そこへ来ての、斎暗殺計画、か」
「そうだ。当時、斎暗殺計画のその存在は、当然氷室の耳にも届いていた。彼は、その最悪のシナリオに備えて、本物の毒薬ではなく、斎の体重などから計算された、一時的に仮死状態になる〝偽りの毒薬〟を医師に調合させ、その薬包紙を斎の手に忍ばせた。もしもの時には、これを服毒する事で、呼吸や心拍が停止し、意識もなく、死んだように見せかけて、難が去ったその後、待機させていた医療スタッフたちにより、適切な処置により蘇生する、こう斎に進言した。これが成功する事で、世間的には斎は亡くなったと見せかけて、ウソの情報を流布し、一時的にでも、巽の魔の手から斎を守る」
 また、一ひらの雪が、ひらひらと星空から舞い降りて来た。それを手のひらに受けて、
「だが、実際は」
「ああ。巽も言っていたが、斎は、〝偽りの毒薬〟には一切手を付けず、滝行の水しぶきが舞う中、ただ、江口が差し出した薬包紙をひらいて、服毒した。自ら取った軽はずみの行動が、恋する男に死のきっかけを与えてしまった。その罪の意識もあって、斎は、いつしか死を決意していた。その信念は、思いのほか固く、晦冥会で絶対的な存在だった父、不破昂佑でさえ、その決意を変える事ができなかった、と伝えられている。初恋の相手を失った、苦しみ。義兄から、執拗に命を狙われる、無情さ。これらを受けて斎は、潔く瞳を閉じて、一心に、天に祈りを捧げた」
 死にゆく少女の話をしていて、しんみりとした空気になった。
「そうか。氷室でも、統主でも、世界中の誰がなんと言おうと、斎の自ら命を絶つ決心を踏み止まらせる事ができなかったのか。そうか」
 スッと鼻を啜って、星空に顔を上げる、敷島。
「いいや。ところが一人だけ、たった一人だけ、斎の死の決意を鈍らせた男がいた」
「?」
 思わずわたくしは顔を上げて、
「本当か。誰だ、そんなすごい事をやってのけたのは」
 満天の星に流れ星ひとつ、それを目で追いながら、敷島は言った。
「君だよ、宗村君」
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