120 / 131
恋の祟り
しおりを挟む
「話の続きだ。十年前、現世に思いがあって、いつまでも成仏できないでいた俺の霊魂は、〝マナの回付〟という、かつて未開社会のアニミズム的な儀式によって、俺の妹であるレナの体に憑依した。それがほぼ完全な形として、今なお宿主に憑いている事に、上月加世は、やけに安心していた。これから始まる〝キメラの宝木〟、その極秘計画にとって、大いなる希望となる、などとして、さらには、聖なる狂気の資質があった俺は、そのまま彼女らと同種の扱いを受ける事となり、世にも奇妙な神秘的な儀式、〝キメラの宝木〟の始まりの瞬間に立ち会う事となった」
わたくしは、りおの透視画に目を落としたまま、いつまでも顔が上げられない。
「説明、してくれないのか? 君がなぜ、今のような姿になったのか」
敷島は顔をそむけ、無音のため息を落とす。
「すまない、宗村。君にはどこかでしっかり、改めて説明をするつもりでいた。説明、それは十年前突然君から婚約者を奪ってしまった、最悪の結末。それはやはり、どこかで君が納得のいくまで、じっくりと話す必要があるとして、しかしながらこの件に関して、上月加世には何一つ罪がないという事だけは言っておきたい。君は、彼女の事を怨まないで欲しい。すべてはこの俺の、現世に思いを残して、聖なる狂気を引き起こしてしまった事に責任がある。一時的にでもいい、どんな形でもいいから、現世に残って始末をつけたい、そう口にして俺は、血まみれの体で這いながら、上月加世にすがった。彼女は、死んで行く俺の手をにぎって、何も語らず、ただ何かを考えていた。次に俺が目を覚ました時には、自分の遺体にすがって、涙を流していた。両手を広げて見ると、白い、若い女の手、それはすなわち、俺の霊魂が妹の体に憑依した後の事だった」
わたくしは、震える手でもって、煙草に火をつけた。煙を吐くばかりで、味なんてよく分からなかった。
「すまない宗村、時間に限りがある。悪いが話に戻らせてもらう。
上月加世の神秘的な儀式〝キメラの宝木〟が行われたのが、一年半前、その日には重要な意味があった。宗村、一年半前と聞いて、何か思い当たるふしはないか?」
「一年半前」
その言葉は、くり返し使われる合言葉のように、すでに耳なじんでいた。
「斎が死んだ頃だろう」
「そうだ。神秘的な儀式、その真の目的とは、上月加世の超能力によって、斎の魂を救う事にあった」
夜風が吹いて、敷島の髪が広がった。
「超能力で、斎の魂を?」
「ああそうだ。上月加世は、全身全霊、神のちからと言っても過言ではない、神通力によって、斎の魂を救う必要があった。斎は、斎だけは、絶対に失ってはならない。当時の晦冥会において、斎には揺るぎない人望があり、熱狂的なファンがあった。彼女の比類なき信仰心、難行、荒行に立ち向かう勇姿、信者たちの中心に身を置く慈愛の心。そのタレント性のある横顔は、たびたび晦冥会のパンフレットにも登場した。晦冥会の統主、不破昂佑と上月加世、それから氷室理事長、不知火忍、その他バイフーら、元紀瑛総連の老師たち、それら多くの幹部たちから、斎は、晦冥会のエクレクトスとして、輝かしい存在として認められていた」
風が止まって、髪が肩に落ちる敷島。
「ところが、当時の斎は、あらゆる不幸に見舞われて、すっかり気鬱になっていた。義理の兄、巽との平和的な政略結婚、その話を破談にさせて、そうなるや否や、そこからの一方的で理不尽な報復、迫害。斎は、周囲から守られながら、被災地から逃れる難民のごとく、一時的にF支部精舎の地下にある祈祷場に身を隠した。さらに、追い打ちをかけるような訃報、それは、当時斎が片思いしていた相手の、突然の死の知らせ」
敷島は横顔のまま、わたくしの方へ目を動かした。
「片思いの、相手?」
「ああ。当時斎には、密かに恋心を抱いていた、片思いの相手がいた」
「意外だな」とわたくし、煙草の先端を赤くして、
「比類なき信仰心、荒行に立ち向かう勇姿、信者たちの中心に身を置く慈愛の心、こう聞いただけでも、カリスマ的な存在で、神々しくて、それこそ、若者によくあるような恋話なんて、なんだかイメージに合わない」
「だろうな。だからこそ、この恋のエピソードは、ごく一部の限られた人間しか知らない。斎の聖なる偶像、そこに大きな傷をつけるネガティブな側面を持っているから」
わたくしの背後、食堂の窓明かりが、半分に落ちた。
「一年半前の斎は、誰かに恋をしていたのか」
「そうだ」
敷島は、それが誰なのか、少しも答えない。
「晦冥会の、人間か?」
「それならまだ良かった」
「? 晦冥会の人間じゃない、それじゃあ、一般人? 芸能人? 誰なんだ、斎の片思いの相手とは」
下を向いた敷島、ブーツのかかとで氷を砕きながら、
「斎が当時、一途な恋心を抱いていた相手とは、N県警のM警察署に勤務していた、刑事」
「刑事?」
わたくしは、あからさまに顔を曇らせた。
「当時、晦冥会の闇を暴こうと、躍起になってこの地を飛び回っていた刑事」
「まさか」
「その、まさかだ。斎が恋をした相手、それは、太古秀勝。彼は偶然か必然か、今から二年前に斎と密会をくり返していた。東海支部精舎近くの、河口湖大橋で、二人が一緒にいる所を度々目撃されている」
わたくしは、短くなった煙草を見つめて、
「そんな、だって、そんな馬鹿な。二年前と言えば、彼は椎名美咲と付き合っていた頃じゃないか?」
「そうだ」
「そうだって。じゃあ、太古って男は、美咲と斎、二人に二股をかけていたって、そういう事か?」
敷島は、防寒着のチャックを顎まで上げて、
「その点に関しては、明言ができない。実際、太古秀勝の胸の中に聞いてみなければ、真相は分からない。だから俺は、あえて、斎の片思いの相手という言葉を使った。当時の太古は、晦冥会の秘密の祠を探し出す事に、血眼になっていた。M高原の山中に分け入って、無鉄砲に登山をくり返した所で、本気になって晦冥会が隠した祠など、見つかる可能性はゼロに等しかった。途方に暮れた太古、藁にも縋る思いの、太古。しかしそこで、予期せぬ相手と出会う事となった。それは晦冥会の統主、不破昂佑の長女である、斎だ。悪魔のいたずらとも言えよう、この数奇な運命、太古は、晦冥会の秘密の祠の在りかを聞き出す最大のチャンスと考えた」
「斎を、利用した?」
〝その痛み、覚えておくこと。それだけ太古秀勝に似ているんだから、その分、埋め合わせてもらう。あたしはね、あのクソ男に、腸わたが煮えくりかえる思いなんだ〟
ペッと唾を吐きかけるように、食堂から出て行った宮國瑞希。彼女がイラついた理由、それは乙女の恋心を利用した、太古秀勝の卑劣な行為にあったのか。
煙草を吸おうとして、しかしいつか火は消えていた。
「言葉は悪いが、そうなるだろう。統主の養子として迎えられ、幼い頃から修行に明け暮れていた斎、しかし彼女はいつしか十九歳、娘盛りと言ってもおかしくはない年頃になっていた。いくら斎に比類なき信仰心があろうとも、異性を好きにならないという保障はどこにもなかった。聞けば、双子の妹である米元あずさ、彼女も太古秀勝に恋をしていたというのだから、一卵性双生児、彼女らは好きになる相手も同じだったという事か。とにかく斎は、初恋の相手、太古秀勝との密会をくり返し、相手の質問に対して、質問されるがまま、晦冥会の祠の在りかを口外してしまった」
米元あずさは昨夜、わたくしと初対面であったにもかかわらず、わたくしが太古秀勝に似ているという理由だけで、こちらの気を引こうと、今回の犯人の名を教えようとした。さらにはその感情はエスカレートして、自ら晦冥会の統主の孫だという事も明かしてしまった。これと同じ行為が、二年前の姉にも行われていた、という事か。わたくしはしんみりと雪の地面を見つめて、後を継いだ。
「斎から聞き出した情報、晦冥会の秘密の祠の在りか、その位置情報を基に、太古は美咲を連れてスキー場のコース外へ滑り出して、まさかの雪崩に遭ってしまった。そして命からがら雪の惨状から這い出すと、彼は、救助を呼んで来ると言葉を残して、下山するかのように見せかけて、実は晦冥会の偽りの祠を発見、その中に入って開かない扉と格闘、あげくに多量の放射線を浴びて、帰らぬ人となった」
〝男はスノーボードのウェアを着て、壁際に座った姿勢から、がくりと首を垂れて死んでいた〟
岸本が祠の点検中に発見した遺体が、これだった。
左の手首を見せて、敷島、腕時計の針の位置を確認してから、
「ここで問題となるのが、斎は、晦冥会の真の祠の存在までは知らされていなかった、という点だ。彼女は片思いの相手、太古秀勝に、晦冥会のやばい秘密を解き明かすには、不正確な情報を与えてしまった」
「そうか。それで太古は、開くはずのない偽りの扉、その正解のないダイヤルを回し続けて、息絶えたという事か」
どどどっと屋根から雪が落ちて、あたりに雪煙が漂った。その雪の激しさが、当時の雪崩の惨状を彷彿とさせた。
「晦冥会を資金源とする大学医学部付属病院、そこの法医学者の手によって、太古秀勝の遺体の解剖が執行された。その解剖結果から、太古秀勝は、耐容線量を遥かに超えた、全身に様々な被爆の症状が見られた他に、雪崩による脳の挫傷が見られたという。雪崩の被害から無茶をせず、すみやかに下山の道を選んでいれば、命だけは助かったものを。とにかく春の祠の点検に訪れた岸本の、異常事態の通報によって、太古の遺体は晦冥会総本部の地下室に運び込まれた。巽はこの情報を聞きつけ、あえて斎に密書を書いた。片思いの相手の遺体を斎に見せるために」
「なんと、むごい」
「当時の斎は、とても心細い思いだっただろう。恋する男と最後に会ったのが、いつなのか、思い出せないくらいに、長らく連絡が途絶えて、久しく、あれから数か月、片思いの相手は会いに来てくれない。まさに斎の心は張り裂けそうになっていた矢先、やっと会えたと思ったら、彼は、あまりにも変わり果てた姿となって、納体袋から死に顔を出している。斎はその場にへたり込み、悲しみを通り越して、涙さえ出ない、そんな行くところまで行った、極限の放心状態から、いつまでも立ち上がれなくなった。自分が、問われるままに、不用意に打ち明けてしまった秘密の祠、その位置情報を基に、太古は、単独で祠の中へ侵入、その結果が、このような姿となってしまった、そういった経緯も、巽の密書に記されてあった。斎はその事実を悟って、完全に正気を失ってしまった」
あまりの斎の不憫さに、敷島はしばらく口を閉ざした。
「そこへ来ての、斎暗殺計画、か」
「そうだ。当時、斎暗殺計画のその存在は、当然氷室の耳にも届いていた。彼は、その最悪のシナリオに備えて、本物の毒薬ではなく、斎の体重などから計算された、一時的に仮死状態になる〝偽りの毒薬〟を医師に調合させ、その薬包紙を斎の手に忍ばせた。もしもの時には、これを服毒する事で、呼吸や心拍が停止し、意識もなく、死んだように見せかけて、難が去ったその後、待機させていた医療スタッフたちにより、適切な処置により蘇生する、こう斎に進言した。これが成功する事で、世間的には斎は亡くなったと見せかけて、ウソの情報を流布し、一時的にでも、巽の魔の手から斎を守る」
また、一ひらの雪が、ひらひらと星空から舞い降りて来た。それを手のひらに受けて、
「だが、実際は」
「ああ。巽も言っていたが、斎は、〝偽りの毒薬〟には一切手を付けず、滝行の水しぶきが舞う中、ただ、江口が差し出した薬包紙をひらいて、服毒した。自ら取った軽はずみの行動が、恋する男に死のきっかけを与えてしまった。その罪の意識もあって、斎は、いつしか死を決意していた。その信念は、思いのほか固く、晦冥会で絶対的な存在だった父、不破昂佑でさえ、その決意を変える事ができなかった、と伝えられている。初恋の相手を失った、苦しみ。義兄から、執拗に命を狙われる、無情さ。これらを受けて斎は、潔く瞳を閉じて、一心に、天に祈りを捧げた」
死にゆく少女の話をしていて、しんみりとした空気になった。
「そうか。氷室でも、統主でも、世界中の誰がなんと言おうと、斎の自ら命を絶つ決心を踏み止まらせる事ができなかったのか。そうか」
スッと鼻を啜って、星空に顔を上げる、敷島。
「いいや。ところが一人だけ、たった一人だけ、斎の死の決意を鈍らせた男がいた」
「?」
思わずわたくしは顔を上げて、
「本当か。誰だ、そんなすごい事をやってのけたのは」
満天の星に流れ星ひとつ、それを目で追いながら、敷島は言った。
「君だよ、宗村君」
わたくしは、りおの透視画に目を落としたまま、いつまでも顔が上げられない。
「説明、してくれないのか? 君がなぜ、今のような姿になったのか」
敷島は顔をそむけ、無音のため息を落とす。
「すまない、宗村。君にはどこかでしっかり、改めて説明をするつもりでいた。説明、それは十年前突然君から婚約者を奪ってしまった、最悪の結末。それはやはり、どこかで君が納得のいくまで、じっくりと話す必要があるとして、しかしながらこの件に関して、上月加世には何一つ罪がないという事だけは言っておきたい。君は、彼女の事を怨まないで欲しい。すべてはこの俺の、現世に思いを残して、聖なる狂気を引き起こしてしまった事に責任がある。一時的にでもいい、どんな形でもいいから、現世に残って始末をつけたい、そう口にして俺は、血まみれの体で這いながら、上月加世にすがった。彼女は、死んで行く俺の手をにぎって、何も語らず、ただ何かを考えていた。次に俺が目を覚ました時には、自分の遺体にすがって、涙を流していた。両手を広げて見ると、白い、若い女の手、それはすなわち、俺の霊魂が妹の体に憑依した後の事だった」
わたくしは、震える手でもって、煙草に火をつけた。煙を吐くばかりで、味なんてよく分からなかった。
「すまない宗村、時間に限りがある。悪いが話に戻らせてもらう。
上月加世の神秘的な儀式〝キメラの宝木〟が行われたのが、一年半前、その日には重要な意味があった。宗村、一年半前と聞いて、何か思い当たるふしはないか?」
「一年半前」
その言葉は、くり返し使われる合言葉のように、すでに耳なじんでいた。
「斎が死んだ頃だろう」
「そうだ。神秘的な儀式、その真の目的とは、上月加世の超能力によって、斎の魂を救う事にあった」
夜風が吹いて、敷島の髪が広がった。
「超能力で、斎の魂を?」
「ああそうだ。上月加世は、全身全霊、神のちからと言っても過言ではない、神通力によって、斎の魂を救う必要があった。斎は、斎だけは、絶対に失ってはならない。当時の晦冥会において、斎には揺るぎない人望があり、熱狂的なファンがあった。彼女の比類なき信仰心、難行、荒行に立ち向かう勇姿、信者たちの中心に身を置く慈愛の心。そのタレント性のある横顔は、たびたび晦冥会のパンフレットにも登場した。晦冥会の統主、不破昂佑と上月加世、それから氷室理事長、不知火忍、その他バイフーら、元紀瑛総連の老師たち、それら多くの幹部たちから、斎は、晦冥会のエクレクトスとして、輝かしい存在として認められていた」
風が止まって、髪が肩に落ちる敷島。
「ところが、当時の斎は、あらゆる不幸に見舞われて、すっかり気鬱になっていた。義理の兄、巽との平和的な政略結婚、その話を破談にさせて、そうなるや否や、そこからの一方的で理不尽な報復、迫害。斎は、周囲から守られながら、被災地から逃れる難民のごとく、一時的にF支部精舎の地下にある祈祷場に身を隠した。さらに、追い打ちをかけるような訃報、それは、当時斎が片思いしていた相手の、突然の死の知らせ」
敷島は横顔のまま、わたくしの方へ目を動かした。
「片思いの、相手?」
「ああ。当時斎には、密かに恋心を抱いていた、片思いの相手がいた」
「意外だな」とわたくし、煙草の先端を赤くして、
「比類なき信仰心、荒行に立ち向かう勇姿、信者たちの中心に身を置く慈愛の心、こう聞いただけでも、カリスマ的な存在で、神々しくて、それこそ、若者によくあるような恋話なんて、なんだかイメージに合わない」
「だろうな。だからこそ、この恋のエピソードは、ごく一部の限られた人間しか知らない。斎の聖なる偶像、そこに大きな傷をつけるネガティブな側面を持っているから」
わたくしの背後、食堂の窓明かりが、半分に落ちた。
「一年半前の斎は、誰かに恋をしていたのか」
「そうだ」
敷島は、それが誰なのか、少しも答えない。
「晦冥会の、人間か?」
「それならまだ良かった」
「? 晦冥会の人間じゃない、それじゃあ、一般人? 芸能人? 誰なんだ、斎の片思いの相手とは」
下を向いた敷島、ブーツのかかとで氷を砕きながら、
「斎が当時、一途な恋心を抱いていた相手とは、N県警のM警察署に勤務していた、刑事」
「刑事?」
わたくしは、あからさまに顔を曇らせた。
「当時、晦冥会の闇を暴こうと、躍起になってこの地を飛び回っていた刑事」
「まさか」
「その、まさかだ。斎が恋をした相手、それは、太古秀勝。彼は偶然か必然か、今から二年前に斎と密会をくり返していた。東海支部精舎近くの、河口湖大橋で、二人が一緒にいる所を度々目撃されている」
わたくしは、短くなった煙草を見つめて、
「そんな、だって、そんな馬鹿な。二年前と言えば、彼は椎名美咲と付き合っていた頃じゃないか?」
「そうだ」
「そうだって。じゃあ、太古って男は、美咲と斎、二人に二股をかけていたって、そういう事か?」
敷島は、防寒着のチャックを顎まで上げて、
「その点に関しては、明言ができない。実際、太古秀勝の胸の中に聞いてみなければ、真相は分からない。だから俺は、あえて、斎の片思いの相手という言葉を使った。当時の太古は、晦冥会の秘密の祠を探し出す事に、血眼になっていた。M高原の山中に分け入って、無鉄砲に登山をくり返した所で、本気になって晦冥会が隠した祠など、見つかる可能性はゼロに等しかった。途方に暮れた太古、藁にも縋る思いの、太古。しかしそこで、予期せぬ相手と出会う事となった。それは晦冥会の統主、不破昂佑の長女である、斎だ。悪魔のいたずらとも言えよう、この数奇な運命、太古は、晦冥会の秘密の祠の在りかを聞き出す最大のチャンスと考えた」
「斎を、利用した?」
〝その痛み、覚えておくこと。それだけ太古秀勝に似ているんだから、その分、埋め合わせてもらう。あたしはね、あのクソ男に、腸わたが煮えくりかえる思いなんだ〟
ペッと唾を吐きかけるように、食堂から出て行った宮國瑞希。彼女がイラついた理由、それは乙女の恋心を利用した、太古秀勝の卑劣な行為にあったのか。
煙草を吸おうとして、しかしいつか火は消えていた。
「言葉は悪いが、そうなるだろう。統主の養子として迎えられ、幼い頃から修行に明け暮れていた斎、しかし彼女はいつしか十九歳、娘盛りと言ってもおかしくはない年頃になっていた。いくら斎に比類なき信仰心があろうとも、異性を好きにならないという保障はどこにもなかった。聞けば、双子の妹である米元あずさ、彼女も太古秀勝に恋をしていたというのだから、一卵性双生児、彼女らは好きになる相手も同じだったという事か。とにかく斎は、初恋の相手、太古秀勝との密会をくり返し、相手の質問に対して、質問されるがまま、晦冥会の祠の在りかを口外してしまった」
米元あずさは昨夜、わたくしと初対面であったにもかかわらず、わたくしが太古秀勝に似ているという理由だけで、こちらの気を引こうと、今回の犯人の名を教えようとした。さらにはその感情はエスカレートして、自ら晦冥会の統主の孫だという事も明かしてしまった。これと同じ行為が、二年前の姉にも行われていた、という事か。わたくしはしんみりと雪の地面を見つめて、後を継いだ。
「斎から聞き出した情報、晦冥会の秘密の祠の在りか、その位置情報を基に、太古は美咲を連れてスキー場のコース外へ滑り出して、まさかの雪崩に遭ってしまった。そして命からがら雪の惨状から這い出すと、彼は、救助を呼んで来ると言葉を残して、下山するかのように見せかけて、実は晦冥会の偽りの祠を発見、その中に入って開かない扉と格闘、あげくに多量の放射線を浴びて、帰らぬ人となった」
〝男はスノーボードのウェアを着て、壁際に座った姿勢から、がくりと首を垂れて死んでいた〟
岸本が祠の点検中に発見した遺体が、これだった。
左の手首を見せて、敷島、腕時計の針の位置を確認してから、
「ここで問題となるのが、斎は、晦冥会の真の祠の存在までは知らされていなかった、という点だ。彼女は片思いの相手、太古秀勝に、晦冥会のやばい秘密を解き明かすには、不正確な情報を与えてしまった」
「そうか。それで太古は、開くはずのない偽りの扉、その正解のないダイヤルを回し続けて、息絶えたという事か」
どどどっと屋根から雪が落ちて、あたりに雪煙が漂った。その雪の激しさが、当時の雪崩の惨状を彷彿とさせた。
「晦冥会を資金源とする大学医学部付属病院、そこの法医学者の手によって、太古秀勝の遺体の解剖が執行された。その解剖結果から、太古秀勝は、耐容線量を遥かに超えた、全身に様々な被爆の症状が見られた他に、雪崩による脳の挫傷が見られたという。雪崩の被害から無茶をせず、すみやかに下山の道を選んでいれば、命だけは助かったものを。とにかく春の祠の点検に訪れた岸本の、異常事態の通報によって、太古の遺体は晦冥会総本部の地下室に運び込まれた。巽はこの情報を聞きつけ、あえて斎に密書を書いた。片思いの相手の遺体を斎に見せるために」
「なんと、むごい」
「当時の斎は、とても心細い思いだっただろう。恋する男と最後に会ったのが、いつなのか、思い出せないくらいに、長らく連絡が途絶えて、久しく、あれから数か月、片思いの相手は会いに来てくれない。まさに斎の心は張り裂けそうになっていた矢先、やっと会えたと思ったら、彼は、あまりにも変わり果てた姿となって、納体袋から死に顔を出している。斎はその場にへたり込み、悲しみを通り越して、涙さえ出ない、そんな行くところまで行った、極限の放心状態から、いつまでも立ち上がれなくなった。自分が、問われるままに、不用意に打ち明けてしまった秘密の祠、その位置情報を基に、太古は、単独で祠の中へ侵入、その結果が、このような姿となってしまった、そういった経緯も、巽の密書に記されてあった。斎はその事実を悟って、完全に正気を失ってしまった」
あまりの斎の不憫さに、敷島はしばらく口を閉ざした。
「そこへ来ての、斎暗殺計画、か」
「そうだ。当時、斎暗殺計画のその存在は、当然氷室の耳にも届いていた。彼は、その最悪のシナリオに備えて、本物の毒薬ではなく、斎の体重などから計算された、一時的に仮死状態になる〝偽りの毒薬〟を医師に調合させ、その薬包紙を斎の手に忍ばせた。もしもの時には、これを服毒する事で、呼吸や心拍が停止し、意識もなく、死んだように見せかけて、難が去ったその後、待機させていた医療スタッフたちにより、適切な処置により蘇生する、こう斎に進言した。これが成功する事で、世間的には斎は亡くなったと見せかけて、ウソの情報を流布し、一時的にでも、巽の魔の手から斎を守る」
また、一ひらの雪が、ひらひらと星空から舞い降りて来た。それを手のひらに受けて、
「だが、実際は」
「ああ。巽も言っていたが、斎は、〝偽りの毒薬〟には一切手を付けず、滝行の水しぶきが舞う中、ただ、江口が差し出した薬包紙をひらいて、服毒した。自ら取った軽はずみの行動が、恋する男に死のきっかけを与えてしまった。その罪の意識もあって、斎は、いつしか死を決意していた。その信念は、思いのほか固く、晦冥会で絶対的な存在だった父、不破昂佑でさえ、その決意を変える事ができなかった、と伝えられている。初恋の相手を失った、苦しみ。義兄から、執拗に命を狙われる、無情さ。これらを受けて斎は、潔く瞳を閉じて、一心に、天に祈りを捧げた」
死にゆく少女の話をしていて、しんみりとした空気になった。
「そうか。氷室でも、統主でも、世界中の誰がなんと言おうと、斎の自ら命を絶つ決心を踏み止まらせる事ができなかったのか。そうか」
スッと鼻を啜って、星空に顔を上げる、敷島。
「いいや。ところが一人だけ、たった一人だけ、斎の死の決意を鈍らせた男がいた」
「?」
思わずわたくしは顔を上げて、
「本当か。誰だ、そんなすごい事をやってのけたのは」
満天の星に流れ星ひとつ、それを目で追いながら、敷島は言った。
「君だよ、宗村君」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
密室島の輪舞曲
葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。
洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
虚像のゆりかご
新菜いに
ミステリー
フリーターの青年・八尾《やお》が気が付いた時、足元には死体が転がっていた。
見知らぬ場所、誰かも分からない死体――混乱しながらもどういう経緯でこうなったのか記憶を呼び起こそうとするが、気絶させられていたのか全く何も思い出せない。
しかも自分の手には大量の血を拭き取ったような跡があり、はたから見たら八尾自身が人を殺したのかと思われる状況。
誰かが自分を殺人犯に仕立て上げようとしている――そう気付いた時、怪しげな女が姿を現した。
意味の分からないことばかり自分に言ってくる女。
徐々に明らかになる死体の素性。
案の定八尾の元にやってきた警察。
無実の罪を着せられないためには、自分で真犯人を見つけるしかない。
八尾は行動を起こすことを決意するが、また新たな死体が見つかり……
※動物が殺される描写があります。苦手な方はご注意ください。
※登場する施設の中には架空のものもあります。
※この作品はカクヨムでも掲載しています。
©2022 新菜いに
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる