プルートーの胤裔

くぼう無学

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神秘的な儀式

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 羽賀の声を聞きつけて、厨房からひょいと顔を出す岸本。
「久慈様なら、外出中ですが」
 隣にいるりおの姿に、おやという顔を作って、そのまま厨房から出て来る。
「外出中? こんな夜間に、しかも娘をひとり放っておいて? 久慈さんはどこへ出かけていますか?」
 久慈の常識の無さに、あ然として、あからさまな嫌悪を見せる羽賀。
「さあ。夕食はキャンセルされて、もしかしたら門限を過ぎてしまうかも知れない、その時は玄関に鍵をかけていいとおっしゃっていましたが。あの、何かあったんですか?」
 溜息一つ、羽賀はりおの頭を見下ろして、
「つい先頃、消灯後の駅のホーム内で、中学生らしい少女が一人でいる所を発見されました。すぐさま駅員が少女を保護、事務室のストーブで暖を取らせて、そのまま署へ通報、近くを移動していた私に連絡が入って、M駅に立ち寄った所、保護された少女というのが、このペンションに宿泊中である久慈理穂さんだという事が判明しました」
 コック帽を取って、坊主頭をひと撫で。
「理穂ちゃんがM駅に? えっ⁉ あんな遠い所まで」
 運休中の駅にひそんで、禍々しい影から身を隠していたりお、それが、いとも簡単に駅員に発見されたという。透視能力者としては、あるまじき失態。
「久慈さんとは連絡がつきますか?」
「ああ、はい。ただいま」
 コックコートを脱ぎながら、大股でフロントへ向かう岸本。
 ひざを折って、小さくなった羽賀、りおと目線を合わせて、何やらやさしい言葉をかけている。わたくしは矢も楯もたまらず、離席して、
「りお!」
 羽賀はびっくりして、背後を仰いだ。
「宗村さん、ご無事で」
「ああ、その節はどうも。お互い、とんでもない目に遭いました」
 頭を掻いて、羽賀に苦笑を見せてから、同じように腰を屈め、りおと視線を合わせた。
「りお、良かった、お互い生きて会えたな。さっきは君の助けもあって、俺たちは九死に一生を得た。禍々しい影も、祠の奥へ消えたようで、それっきり姿を見せない。これでひと安心と言った所だ」
 そう言って、相手の肩に手を置くと、りおは面食らって、羽賀の体を盾にさっと逃げる。わたくしは、逃げた猫でも探すように、
「今回は君に助けられた。晦冥会の秘密の祠へ入れたのも、美咲の命を救えたのも、祠の奥に巽を閉じ込める事が出来たのも、すべては君のお蔭だ。早くお礼を言いたかった」
 それでもりおは、嫌がって、羽賀を盾に身を隠す。その様子の異常さに、わたくしはボリボリと頭を掻いて、
「どうしたりお、俺だよ、俺。おじさんだ」
 わたくしたちの珍妙なやりとりに、羽賀はまごついて、
「宗村さん、この子と面識があるんですか?」
「面識だって? そんなのあるも何も、今回はりおにたいへん世話になったんだ。どう説明したらいいか、うまく言葉に出来ないけど、とにかくりおがいなかったら俺は、ここにこうして生きてはいない。りお、なあ、どうしちゃったんだ? これも何かの演技か?」
 相手があまりに知らんふりをするもので、わたくしはほとほと困り果ててしまった。羽賀が耳もとで、
「宗村さん、この子は神経精神疾患があります。過剰なストレスを与えないで下さい」
「えーっと、いや、りおはしごく正常な子です。話だってまともに」
 いつの間にか美咲が背後にいて、
「宗村さん、さっきから〝りおりお〟って、一体誰の事ですか?」
 改めてこう質問されて、わたくしはすっかり参ってしまった。
「この子の事に決まっているじゃないか。りおは、久慈さんの娘で、本人みずからそう名乗ったんだから」
 美咲と羽賀、示し合わせたかのように視線を合わせ、それから美咲、気持ちが悪いくらいやさしい話し方で、
「宗村さん? この子の名前は久慈理穂です。り、ほ。りおではありません」
 わたくしは、ぎゅっと目を閉じて、りおとのやり取りを必死に思い出そうとする。
 コクーンスカートをつかんで、張り詰めた表情のりお。
〝わたしは久慈りおです。おじさん、少しお話いいですか?〟
 精神感応が始まって、辺りは静寂に包まれた。
〝そうです、わたしです、久慈、りおです〟
 勢いよく顔を上げて、再び自信をもって、
「間違いない、だって、この子が自分で自分の事をりおって名乗ったんだ」
 泣きべそをかいて駄々をこねる園児に、腰に手を当てて見守る保育士、といったふうに、羽賀と美咲は顔を見合わせる。
 そこへのしのしと岸本が現れた。
「刑事さん、久慈様と連絡がつきました。もう少ししたら戻るそうです。ご迷惑を掛けて申し訳ないとの事でした」
 羽賀は立ち上がって、軽く頭を下げた。
「そうですか。とりあえず、ひと安心です。でも、中学生とはいえ、このような娘さんをペンションに置き去りにするなんて、もしもの事があったら、どうするつもりなのでしょうか」
〝父なら、倉石さんの所です。旧い友人の所へ行くと言って、決まって彼女の所に行きます。母が病床にいる時でさえ、そうでした〟
 父、久慈篤は、例のごとく倉石留美と会っていると、りおは軽蔑していた。
「りお」
「理穂です」
 わたくしの言葉をさえぎる美咲。
 このような不毛なやり取りに、見かねた様子の敷島は、
「宗村、ちょっと、いいか?」
 わたくしは立ち上がって、歩いて来た敷島に道を開ける。
「君はこの、久慈理穂の事を〝りお〟と言っている。その名前、この子が名乗ったのか?」
 渡りに船、といった感じで、
「そうだ。理穂じゃない、りおだ。この子はちゃんとそう言った。それに、こんな無口じゃない、他人行儀でもない。どうしちゃったんだろう、まるで別人だ」
 片手で相手を制し、そのままワンピースの裾を折って、屈み、敷島は笑顔を見せる。
「久慈さん、あなたの名前は久慈りおかな?」
 ぶるぶると顔をふって、りおは左右に髪の毛を揺らす。次に敷島は、
「では君は、久慈、理穂かな?」
 大きく縦に首をふる。
「なっ!」
 相手に裏切られた思い、そのまま撃沈する思いで、わたくしは言葉を失った。りおがウソをついた?
 すっと立ち上がって、勝ち誇った横顔を見せる、敷島。
「そういう事だ、宗村。君は、この子と誰かをカン違いしているようだ」
 カン違いだって? そんなはずはない。わたくしは硬く目をつむって、大きく首をひねった。見間違うわけがない。この子は、どう見ても久慈りおだ。クラスメートを呪い殺した、透視能力者で、遠隔の地から精神感応を使って、不知火に起死回生の言葉を与えた。
「敷島、これは一体、どういう事だ? 俺には全く理解ができない。この子はりおだ、間違いない。そもそも君だってふしぎに思っただろう。不知火が巽に殺されかけて、そこで俺が発した言葉、〝相手が目を閉じた時、世界は反対になる〟これは、精神感応という特殊な能力を使って、この子が俺に届けてくれた価値ある言葉だ。俺がそう思って言ったわけではない。その証拠に俺は、世界が反対になるという意味が未だに分かっていない。だから、それを伝えてくれたこの子は、どう考えてもりおなのだ」
 その場にいなかった美咲は、話の要領を得ず、わたくしと敷島を交互に見る。
 少し間を置いて、敷島、わたくしの肩に手を置いて、とり静めるように、
「宗村、俺は君に、この子と誰かをカン違いをしている、と言ったのだ。俺は別に、君の言う〝りお〟という存在を否定していない」
「?」
 そこで敷島は、くるりと背中を見せて、食堂のガラス戸へ向かって歩き出した。
「宗村、外の空気でも吸って、少し頭を冷やせ」
「は?」
 後ろ手に戸を閉めて、敷島は、本当に玄関の方へと消えてしまった。
「ちょ、ちょっと」
 急な展開にわたくしは、美咲と羽賀を振り返って、二人の反応を見た。彼女らもぽかんとして、首を傾げている。敷島の行った方向を指差して、それとなく目で合図して、わたくしも食堂を後にした。その際、もう一度りおを振り返って、彼女の様子を確かめた。そこには、けさ談話室で見た時のような、チックの症状が発症していた。
「うー、さっぶ!」
 ペンションから少し顔を出しただけで、そこはまるで、食肉を保存する冷凍倉庫のような、氷点下の世界だった。〝雪の後でお天気になる前の晩は、特別冷えます〟これは、雪国という小説の中で話されたセリフの一つだが、まさしく今はその状態にあった。
 敷島は、玄関から少し離れた所、バリバリに凍ったアイスバーンの上に立って、冬の夜空を見上げている。
「着ろ」
 ひと言あって、ごわごわした防寒着を投げて来る。あわててそれを受け取ったわたくし、言われるまでも無く、冷凍食品会社が使用するような、シンサレートの中綿を使った防寒着に袖を通す。さすがに寒気は治まる。
「頭を冷やせって、どういう意味だ」
 同じように、極寒地仕様の防寒具を着用した敷島、爪先立ちして、満天の星を見上げた。
「見ろ、宗村。連日吹き荒れた吹雪が去って、すっかり満天の星だ」
 はぐらかされた思いで、わたくしは、玄関ポーチから雪の上におりて、しぶしぶ夜空に目を上げた。
「この星空が、どうした。確かにきれいではあるけれど、君はそんなものを見せたくて、わざわざ俺を外へ連れ出したのか?」
 たくさんの星たちに、明るく照らされて見える敷島、ふとこちらに笑みを見せ、
「そうだ。宝石をちりばめたような、今宵の星空。これから真実を知る君に、この星空を見せたかった」
「真実?」
 ガリ、ガリ、と、融けた雪が氷になった、その上を歩いて、敷島は夜空を指さす。
「あのどれか一つの輝きは、上月加世のものかもしれない」
「?」
 冬の大三角形、その頂点の『ベテルギウス』が、赤く瞬いて見える。
「りおがいなくなって、理穂が帰って来た。この事実が、上月加世の死を象徴している」
「なに」
 星空から顔を下ろした敷島、その美しい横顔が、神秘的で、雪国の夜景に溶け込んで見える。
「この件について、君にどう説明したら良いのか、俺には分からない。どう説明すれば、うまく君に理解してもらえるのか、それすらも分からない。だが、理穂が帰って来てしまった以上、君にすべてを打ち明けなければならない」
 ポケットに両手を入れ、遊ぶように背伸びをくり返す敷島。
「とにかくりおについて教えてくれ」
 わたくしは、防寒着の中に手を入れて、まさぐって、煙草とマッチを探り当てる。
「どうして彼女は、りおではなく、理穂という別人になって帰って来たのか。その理由、君は知っているのか?」
 一台の車が、ガリガリと氷を踏んで、目の前の道を通過して行った。
「理由、そうだな、久慈理穂が警察に保護されて、ここへ戻って来た時、そして君がりおと言って彼女に詰め寄っている姿を見た時、俺の中にわだかまっていた或る疑惑が、刹那に確信へと変わった。一年半前、極秘で行われた神秘的な儀式、その真の目的が、今ようやく理解する事ができた」
「神秘的な儀式?」
 煙草をくわえて、マッチの火をつける。頭薬の燃焼に手元を明らめ、見えない煙に目が沁みる。
「りお、か」
 敷島は顔をうつむけ、思い出し笑いでもするように、
「確かに彼女はそう名乗ったのか。だとすると、いかにも斎らしい発想だ」
 げほげほと煙草でむせた。りおがりおと名乗ったのが、斎らしい発想? どういう意味だ。
「宗村、晦冥会の祠の中で、斎という娘の話を聞いただろう」
「聞いた。まったく不幸な少女がいたものだ。義理の兄に因縁をつけられて、無理やり服毒に追い込まれた、晦冥会統主の後継者の一人」
 敷島は話を継いで、
「斎のその人柄は、誰に対しても平等、人のために努力を惜しまず、向上心が人一倍つよく、人との約束は必ず守ろうとする、こう言った正しい姿が、信者からもたいへん敬われて、自然に斎派という派閥が生まれた。それは、猜疑心の塊だった、不知火忍でさえも、太鼓判を捺すほどのエクレクトスだった」
「それが、どうかしたのか? それが、りおと何か関係があるのか?」
 こちらを一目見て、敷島、意味深な表情を見せて、
「そんな不破斎の〝斎〟という名は、実は彼女の本名ではない」
「?」
「不破〝斎〟も、〝巽〟も、彼らの本名ではない。洗礼名、ホーリーネームとでも言うだろうか、とにかく、斎という名前は、宗教上の名前であり、本名ではない」
 わたくしの眉の位置が下がる。
「彼女の本名は、〝りお〟と言う。不破昂佑の長女、米元春香の双子の娘として生を受け、心理を貫く子に育って欲しいという母親の願いによって、彼女はりお(理央)と名付けられた。そして妹は〝あずさ〟と」
「!」
「出産の予後悪くして、突然他界した母、春香の不在によって、りおとあずさの双子の姉妹は、宿泊業の人手不足に悩み苦しむ父の、大きな負担となっていた。それを見かねた祖母、白鳥明日香は、不破昂佑と上月加世の子供のできない事情を知り、りおだけでも、晦冥会統主の養女として迎えてはどうか、こう進言していた。これは実は、元紀瑛総連の人たちの願いでもあった。老師たちの口添えもあって、その話が現実のものになると、さっそくりおに、洗礼名である〝斎〟という名が与えられた」
 晴れた冬の空から、ひとひらの雪が舞って来る。
「一年半前に毒殺された不破斎、その本名は〝りお〟と言い、そして、突然俺の前に現れて、透視能力でみんなを救った少女も、〝りお〟と名乗った」
 敷島の話をまとめて、それで、手にした煙草を見つめた。
「ペンションに宿泊中の久慈篤、その娘である理穂の事を、りおりおと言って俺に話してくる君を見て、俺の中に或る疑惑が浮上した。その疑惑とは、今夜、久慈理穂の体に〝斎〟が出現しているのではないかと」
「斎が、理穂の体に? はあ?」
 自分でもびっくりするほど、うわずって、その声が駐車場の方まで響いた。
「だって斎は、一年半前に死亡しているのだろう?」
「そうだ」
「そうだって、じゃあ、斎の幽霊が理穂の体に憑依でもしたと言うのか?」
 敷島は鼻で笑って、
「そうではない。俺はそんな非科学的な話をしているのではない」
 とそこで敷島、さみしそうに夜空を見上げて、
「ああ、非科学的なんて、どうしてこの場にそぐわない言葉だろう。そもそも俺は、科学では証明されない存在であるというのに。
 とにかく今夜、理穂の体に斎が出現したのは、一年半前の神秘的な儀式の賜物だった」
 わたくしは、くしゃくしゃと乱暴に頭を掻いた。
「なんだよ、もう、訳が分からないよ。ちゃんと俺の頭でも理解できるよう、はっきり物を言ってくれ」
 敷島は、一歩わたくしに近づいて、
「そう努めている。感情的にならないで、落ち着いて話を聞いてくれ。いいな?
 一年半前に行われた、神秘的な儀式、その中心人物は、君もよく知る上月加世だ。今回晦冥会の中で勃発した、団体全体を揺るがす一大事、その全ては彼女の手中にあったのだ。思い思いのシナリオ書いた氷室も、巽も、所詮は彼女の手のひらの上で、やり合っていたにすぎない。彼らは、上月加世のことを霊能者くらいにしか思っていない。とんでもない、彼女は、人知の及ばぬ恐ろしい力で、晦冥会の運命を大きく左右させ、そのうえ、国民の生命にまで大きな影響を与えた」
 あごから首まで血でぬらして、腹部を押さえ、祠の奥へと向かっていく上月加世。すぐにその悲しい姿が浮かんだ。
「君は、りおの透視能力や、不知火の銃弾をよける姿を目の当たりにして、今でも信じられない思いだろうが、上月加世は、その生みの親といった、歴史に名を刻む超能力者だ」
 意外に思った。
「りおや不知火よりも? もっとすごいのか?」
「ああ、すごい。ものすごい。上月加世は、不知火の実の母でもあるし、久慈理穂の大伯母にもあたる。彼女の末裔は、何かしらの能力を隠している」
「上月加世の末裔、それじゃあ、連れ子だった巽も」
 敷島の表情がうすれた。
「いや、彼は別だ。へんな言い方だが、彼はとてもノーマルな人間だった。皮肉な話じゃないか。上月加世のふしぎな血を分け与えられていながら、彼にはその能力が起こらなかった。ミトコンドリアというDNAが、女系にのみ遺伝されて行くしくみが関係しているのかも知れない」
 巽は、母の力が自分にだけ遺伝されていない事に、本当は気がついていたのではないか? だから彼は、ふしぎな能力がなくても得られる、現実世界の〝権力〟に魅了されて行ったのではないか?
「そのような、世にも恐ろしい上月加世から、突然俺は呼び出しを受けた。一年半前のことだ。当時彼女は、S市F支部精舎にある、秘密の祈祷場にこもって、或る儀式を計画していた、その儀式に俺も立ち会う事となった。F支部精舎にある本堂の、隠し通路から階段を下りて、地底深くにある神社のような、神聖な祈祷場で、上月加世、久慈理穂、不破斎が鼎立していた」
 話の途中でわたくしは、一つの疑問が生まれて、そこから一歩も先へ進めない。
「ちょっと待ってくれ。いいか、待ってくれ。おかしい。どう考えてもおかしい。君は、晦冥会の信者ではない。そうだろう? それなのにどうして、上月加世から直接連絡を受けて、晦冥会の精舎、それも秘密の祈祷場に招かれたのだ? 彼女、曲がりなりにも晦冥会の統主、不破昂佑の奥さんであり、教祖様といった高い身分なんだろう?」
 ああ、と敷島、ポケットからリップクリームを取り出して、ゆっくりとスティックを回す。
「君にも話したと思うが、俺は晦冥会から宮國瑞希を引き抜いた。いわゆるエグゼクティブサーチだ。この行為、実はたいへんリスクが高くて、なぜならその交渉の相手というのが、当時すでに晦冥会を牛耳っていた巽だ。危険な取引を結ばされるのはある程度覚悟していた。幹部クラスである瑞希が、安全に、円満に、晦冥会から脱会して、STGに入社する。これを成功させる条件として、巽は、自分の相談役としてこの俺を指名して来た」
〝なぜならそのヘッドハンティングは、取引だったからな。取引、奴の引き渡しを条件に、敷島レナは、この巽様と手を組む約束をしたのだ〟
 巽が祠に登場した時、確かにそのような事を言っていた。
「奴は、荒唐無稽な思想〝究極の合理性〟のもと、粗忽者とも言える野蛮な資金集めをくり返した。しかし、ある面においては、実に慎重な一面を垣間見せた。それは、自分の不足している知識を他者に補わせる、という賢さだ。重要な局面にあって、判断に迫られる時、奴は、不用意に動かない。それはもう徹底していて、ひどい屈辱を味わったり、相手から挑発された時でも、奴は怒りに任せて報復に出そうなものだが、そう動く前に、必ず俺にいっぽん電話を入れる。そして、いま自分にある選択肢の中で、どれが最も効率が良いのか、真摯に訊ねて来る。そこには恥もプライドもない。〝究極の合理性〟と自らの思想を掲げているだけの事はある。特に、不知火の暴走により九竜会が壊滅、この問題によって晦冥会の汚名を雪いでいる時、巽からの相談が最も多かった。そしてその関係上、俺は、昼も夜もお構いなしに奴の部屋に呼び出された。相談に乗って、やれやれといった顔で部屋から出て来ると、ただならぬ雰囲気の上月加世は、廊下の隅から手招きをして、無人の本堂に俺を招じ入れた。そして、頭のてっぺんから爪先まで、まるで医師が患者を診察するかのように、診てから、あの日から何ら変わる事のない、憑依の状態を見て、やけに安心していた」
「あの日?」
 わたくしは、ふれてはいけない言葉にふれられた時のように、ぴくりと反応して、
「おい、上月加世は、知っていたのか? レナの体に君の魂が憑依している、その事実について」
 言葉を噤む、敷島。リップクリームの蓋を閉めて、ポケットに仕舞う。
「おい」
 静かに、険悪に、相手をにらむわたくし。
「宗村」
「なんだ」
 ガリ、ガリ、と敷島、凍った雪を踏んで歩いて来る。
「りおが透視したという、十年前の通夜の光景、それを写し取った透視画、今、手許にあるか」
「?」
 くわえ煙草をして、胸に手を当て、腰に手を当て、防寒着の中に手を忍ばせて、服の中を色々にまさぐるわたくし。そうした中で、りおの描いたスケッチはお尻のポケットにあった。ゆっくりと目を上げながら、四つ折りの画用紙を開いて、
「これが、どうかしたか」
「ちょっと、見せてくれないか」
 敷島は、わたくしから受け取った透視画に、一瞥を加え、すぐさま返却した。
「宗村、君は、この透視画を見て何かに気がつかないか?」
「うん?」
 玄関ポーチの最も明るい場所を探して、わたくし、敷島の通夜の様子を描いた、りおの透視画に目を落とす。顔に白い打ち覆いを被せた遺体と、その遺体にすがり泣く若い女性。何か気がつかないかと言われて、いくらその絵を見た所で、人の死を悼む悲しい光景、としかわたくしの目に映らなかった。
「気がつくって、なんだ、別に何も気がつくことはないが」
 敷島は、夜空に顔を上げて、黒目だけこちらへ向けて、
「俺の遺体、泣いているレナ、それを見守る君の肩、それから、その部屋にもう一人、誰かが描かれていないか?」
「なんだって?」
 もう一度、りおの透視画に目を落とす。それから、全身に鳥肌が立った。今の今まで、どうしてこんな物を見落としていたのか。
「何だこれ、そんなはずは」
 素描の右下、畳の上に、白足袋を履いた女性の足が、はっきりと描かれている。
「そうか。十年も昔の話だから、君は、忘れてしまったのか。あの夜に起きた、神秘的な儀式を」
 敷島はそのまま、星たちに向かって目を閉じた。
「馬鹿な事を! 忘れただと? そんなはずはない。俺はあの夜の事は決して忘れない。レナは突然兄を亡くして、死ぬほど泣いた。その悲痛な背中に対して、俺は全くの無力で、ただ、こぶしを握って見守る事しかできなかった」
 何度も画用紙を叩いて、わたくしは抗議した。
「わかった。もういい。今さら君の記憶を疑うつもりはない。君は、君の記憶において、間違った事は言っていないのだろう。しかし現実は、りおの透視した通り、その透視画に描かれた通り、俺の通夜の席には、俺とレナと君の他に、もう一人の女性がいたのだ」
 サーッと、顔から血の気の引くのを感じた。間違いであってほしい、そう願いながら、頭に浮かんだ一つの名前を口にした。
「上月加世」
 敷島は、夜空に向かって、星たちに語りかけるように、
「その通り。上月加世は、十年も前から、俺たちにとって深い因縁があった。二十六歳という若さでこの世を去る事になった、この俺の霊魂は、現世に思いを残して、死んでも死にきれない、いつまでも成仏しないで、挙句の果てには、俺の妹で、君の婚約者であるレナの体に憑依した。そして、奇蹟ともいえようこの聖なる狂気は、現在に至るまで継続しているわけだが、それを神秘的な儀式によって、見事に成功させたのが、当時月宗冥正会の教祖だった、上月加世というわけだ」
 わたくしは、あまりの衝撃的な事実を知って、そのまま気を失いそうになった。
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