プルートーの胤裔

くぼう無学

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フェース・オフ

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「敷島?」
 わたくしは、思いがけなく、思って、声のした方をふり返った。
 敷島は、体を斜めにして、気密扉の二枚をよけて、中へ入って来た。モンクレールのダウンに、エルメスのロングブーツと、その、華やかな出で立ちは、どこの女優が入って来たのかと見間違えるほどだった。
「宗村、どうやら、間に合ったようだな。御苦労だった」
 レナの姿を見るのは、実にこれが十年ぶりの事だった。少しも変わらないと思った。ヨーロッパのビスク・ドールのような、精密に整えられた顔立ち。上品で、知的なその美しい顔は、十年経った今でも、少しも変わる所がない。
〝遅れるなら遅れるって、電話してよ〟
 後ろ手に組んで、夜の波止場を歩く後ろ姿。
〝いっつもそう、賢治は女を待たせるのがお好きなようで〟
 スキップをするように歩いて、くるりと身をひるがえすレナ。今回ばかりは、やり返された形となった。
「やっと、やっとか。もう待ちくたびれたぞ。探偵のいろはも知らない俺に、こんな大役を押し付けやがって」
 ひどい安心感から、情けないくらい、声がうわずった。人を殺して何とも思わない、不知火忍との死闘の心理戦。恐怖の連続で体が動かない時間。それが、敷島の顔を見たとたん、ああもう全てが終わったのだと、そこで初めて、ゴリゴリに凝り固まった体に気づいたようなものだった。
「色々とやっておくべき事があって、遅くなってしまった。すまなかった」
 敷島は、わたくしに、というよりかは、美咲に話があるらしく、わたくしの鼻先を通り過ぎて、美咲の顔に手を触れた。顔をのぞき込まれた美咲は、さも申し訳なさそうに、まつ毛を下げた。
「殴られたのか?」
 口許に指をやり、血の跡をなぞった。
「平気です、このくらい」
 そのまま頬を下へさげ、美咲をあかんべえにして、瞳孔の奥を覗き込む。右手で髪の毛をスゥーと梳いて、手のひらを見る。首筋に手を触れて、喉の形を確かめる。敷島のそれらは、医師の問診のようにも見えた。
「君はここへ来て、そう長くはないようだ」
 何と言っていいものか、美咲は戸惑って、瞬きを繰り返した。
 次に敷島は、大きく立ち上がって、表情を尖らせた。
「美咲、聞いてくれ。君が取った行動が、君が捨て鉢になって、火の中に飛び込んで行った行動が、どれだけ周囲の人間や、組織全体を危険にさらしたのか、そこをよく考えてくれ。もはや君一人の問題ではない、STG全体の問題なのだ。蟻の一穴天下の破れ、一人の身勝手な行動が原因で、大事に至る事がある。もう少し、大人になって行動をしてくれ。いいな? それと、もう二度と、俺に心配をさせるな」
 胸骨の辺りを、こつんと拳で突いた。
「申し訳ありません、もう二度と、このような事は致しません」
 綺麗な二重まぶたから、大粒の涙が落ちた。相手の後悔の念を見届けて、ふるえた肩に手を置くと、敷島は、無言で頷いた。そして、いよいよ、意を決したようにコートを大きく翻した。
「天道葵。いや、晦冥会の伝説のバイフー、不知火忍。待たせたな」
 不知火は、ベレッタを左肩に担ぐように上げて、
「ふん、ホント、ずいぶん待たせられた。もっと早い段階で顔を見せるかと思ったけど、予想以上に用心深かった。さすがは敷島レナといったところ」
 祠の領分を二分して、敷島レナと不知火忍、燃え盛る炎を背にするように、両者は激しく睨み合った。これから世紀の一戦が始まる、そういった緊張感がひしひしと伝わって来た。今までどれだけの人間を殺して来たか分からない、冷血な暗殺者に対して、敷島は、みじんもゆるがず、それどころか、不気味な余裕さえ窺わせて、えらそうに腕を組んだ。
「不知火、本題に入る前に、一つ教えてくれ。どうして君は、これだけの見事な犯行を繰り返しながら、時を急いだのだ。四週間前に起きた天道葵の心中自殺、リフト上での江口の首吊り自殺、それらは皆、筋書き通りに遂行された、完璧なまでの暗殺計画だった。少なくとも、犯罪の訴追、もしくは処罰準備のための捜査活動の手から、君は完全に、射程範囲外に立っていたのだ。犯罪者からしてみたら、このような理想的な展開は、まずないだろう。犯行を犯しながら、その容疑者として自分は浮上しない。このまま姿を消せば、捜査本部は、夜の航海において、本船から切り離された小船のように、もろく漂流して難破船となる事は間違いない。そんな理想的な戦況において、君は、どうしてこうも危険な駆け引きに出たのだ。STGへの執拗なハッキング行為に始まって、人目の多いインターネットカフェでの放火、所持品を含む隠し部屋の焼き払い、美咲を拉致した大胆なやり口、君はあまりに表舞台に姿を現し過ぎた。それらに、計画性や犯行の一貫性がみじんも感じられない。そもそも俺が、ここまで一人で来るはずがない事くらい、君は分かっていたはずだ」
 遠くから、けたたましい靴の音が迫って来た。
「それでも君は、スナイパーが狙撃銃を捨てて茂みから飛び出すような、一か八か、射幸的な行動に出た。そうまでして、どうして、そうまでして俺との接触を急いだのだ」
 突然、三人の私服コート姿の男女が、拳銃を構えて突入して来た。彼らは他でもない、石動、加藤、羽賀の警視庁の刑事たちだ。
「不知火忍、銃を捨てろ、貴様は完全に包囲されている!」
 野太い声を出して、石動が深く銃を構えた。
「ついに貴様を追い詰めたぞ。先程入った情報によると、木原と一緒に焼死した、天道葵と思われていた遺体と、宮國瑞希の毛根鞘のDNA型鑑定が完全に一致した。貴様は一か月前、当時行方不明人の調査中だった、敷島探偵グループの社員、宮國瑞希を拉致し、監禁して、彼女の体を利用する目的で、殺害した。そして、住み込みでバイトをしていた自分の部屋を掃除して、宮國の頭髪を部屋にばら撒いた。心中事件後の遺体のDNA型鑑定を逆手にとって、貴様はそうした、違うか!」
 羽賀が、同じく銃を構えながら、
「さらに、宮國瑞希さんが所持していた貴重品の中から、歯科医院の診察券を盗み、わざわざ県外の歯科医院へ忍び込んで、歯科診断結果を入手。その後に、今度は天道葵名義でこの土地の歯科医院に通院し、この時天道葵と宮國さんの生前歯科データをすり替えた。その証拠に、宮國さんが以前受診した歯科医の受付カウンターから、彼女のカルテ記録やレントゲン写真が紛失している事が判明している」
〝警察の事情聴取の際に聞いたのだが、葵の遺体はすぐに検死に回されたそうだ。歯科診断結果、服装、身体的特徴、遺留品、彼女の部屋の髪の毛と遺体のDNA鑑定などから、天道葵と断定している〟
 いったい、どういう事だ? 不知火は、他県の歯科医院から、拉致した宮國瑞希の歯科診断結果を盗み出した。そして、自分は、この地にある歯科医に通院した。この時、自分の歯科診断結果と、盗んだ宮國のカルテ記録やレントゲン写真を、こっそりすり替えた(むろん、名前や住所は改ざんしてあるだろうが)。その結果、心中事件の調査のため、刑事たちがこの歯科医に立ち寄った際、天道葵のものと認識して手に入れた生前歯科データは、実は、まったくの別人、宮國瑞希のものだった。つまり、心中自殺で亡くなった遺体の歯牙鑑定は、まったく別人のデータが使用され、死後歯科データのスクリーニングによって、事実とは異なった遺体の個人識別が成された。
 加藤は、リコイルに備え、前傾姿勢をとった。
「心中事件の騒ぎがあった当日、貴様は宮國に睡眠薬を飲ませて、昏睡状態にした上で、用意してあった車に彼女の体を移動させた。そして、その車に乗って、次なる被害者、木原正樹を誘い出し、例の心中事件があった、廃業中の商店の庭先に車を停車させ、木原にも睡眠薬を飲ませた。昏睡状態の二人の体を座席に横たえ、用意していた灯油をぶちまけて、火を放った。あたかも、カップルが心中自殺を図ったかのように」
 なるほど、とわたくしはひざを叩いた。不知火忍は、偶然か必然か、一か月前に拉致をしていた宮國瑞希を利用して、幻の心中自殺を演出して見せた。所轄の刑事たちは、不知火の仕掛けたDNA鑑定のトラップ、生前歯科データのすり替えや、天道葵の部屋にあった毛根鞘のDNA型鑑定などから、まんまと天道葵こと不知火が死亡したと、誤った捜査報告書が作成された。
 加藤は、勢いそのままに、詰問を続けた。
「天道葵という架空の女をこの世から抹殺して、晴れて自由の身となった貴様は、次の標的である江口サダユキまで、自殺に見せかけて殺害した」
 待て、待ってくれ。未だ解決していない、不可解な点もある。
〝そうなんです。消防の仲間内では、あの女だけは何とか助かるぞって、自分たちのがんばりが報われると思っていた所を、翌朝の新聞には『車内から男女の遺体が見つかった』だなんて〟
 ペンション宿泊客の大島典子の話だ。カップルによる心中自殺と見せかけて、焼死した宮國瑞希。その消火活動に当たっていた消防団員の数人は、心中を図った女の方は、息があった。どんな形にせよ、命だけは助かると思った。それなのに、翌日の新聞には〝男女の遺体〟と掲載された。これは、矛盾だ。説明がつかない。いったい、どういうわけだ?
 刑事たちの激しい尋問に対して、不知火は、異様なくらい涼しい顔を見せた。
「刑事さん。黙って聞いていれば、好きな事ばかりを言って。江口は首吊り自殺をしたって、テレビで報道されている。それがどうして、私のせいだって言い切れるわけ?」
 三つの銃口に向かって、不知火は悪びれるふうもない。
「江口は、一人でリフトに乗ったのでしょう、一人でリフトに乗って、ゲレンデの上を移動している間に、手すりにロープを括って、自ら首を吊って死んだ。テレビの報道番組でも、捜査本部の会見でも、そう報道されていた。それをどうして、私が彼を殺しただなんて、でたらめを言うわけ?」
 加藤は、話が思わぬ方向へ展開して、うろたえ、横目を使った。
「石動さん?」
 後を任された石動は、黙ったまま、羽賀に顔を見られていた。
 敷島はそのやり取りを見て、目を閉じて、顔を横に振った。
「これだけの時間がありながら、君らはいったい、何を捜査していたのだ。ちゃんと現場へ足を運んだのか。もういい。美咲、俺の宿題は終わっているか? 終わっている所まででいい、江口殺害の真相をここで報告しなさい」
 美咲は顔を上げて、神妙に頷いた。
「江口の変死事件について、昨夜の臨時記者会見の場で、捜査本部は、江口サダユキは一人でスキー場のペアリフトに乗り、リフト上でロープを使用して首吊り自殺を図った、と発表しました。それは、リフトスタッフが江口を目撃した証言によるものであり、加えて、死亡推定時刻や遺体の状態から、捜査本部が総合的に判断したものです。これは別段、おかしな発表ではありません。自殺に使用された合繊ロープが、一本だけ見つかっているのであれば。
 今回、江口の変死に使用されたロープは、実は二本ありました。一見ムダに思われたもう一本のロープは、しかし、江口が一人でリフトに乗ったのではなく、もう一人、誰かとリフトに乗った事を暗に証明しているのです」
 不知火の涼しい表情に、ほんのわずかだが、ひずみのようなものが見えた。
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