プルートーの胤裔

くぼう無学

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特別なカード

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「俺たちが犯人?」
 わたくしは思わず組んだ腕をほどいた。ハンドルに両手を乗せた美咲は、わたくしの視線に気が付いて、ちらりとこちらに目を向けた。
「冗談、だよね? 高田さんが俺たちをそんな、犯人だなんて。だって、何で俺たちが天道や江口を殺す必要があるんだ? 俺なんて、十年振りに岸本から連絡があって、奴のペンションのバイトの女が、カップルで不審な自殺をしたから、その事について色々と相談に乗っていただけで、三人とは何の面識もない。君にしたって、敷島から業務命令を受けて、この地に探偵として派遣されただけのこと。彼らとは一切面識はないはずだ」
 わたくしは、自らが殺人犯と疑われる状況に、全くと言っていいほど抵抗力がなく、その激しい動揺の状態から、中なか平穏な自分を取り戻す事ができなかった。
「宗村さん、今一度、今度は高田さんの視点に立って、今回の事件を思い返してみて下さい。岸本さんの依頼とは言え、宗村さんは、天道葵の死についてあれこれ調べていた、その翌日には、同じように天道について調べていた江口が、何をする暇もなく自殺した。しかも、江口の自殺した時刻、自殺した現場のすぐ近く、ほぼ真下と言っていい程の近距離に、わたしたちはスノーボードをしていた」
「その時君は、スノーボーダーと衝突事故に遭った」
「つまりわたしたちは、江口の死を他殺と考えた時に、彼を殺す事に至っては、何事にもタイミングが良過ぎるんです」
 夜闇の底から地吹雪が発生して、フロントガラスを真っ白に染めた。美咲は暗い車内に手を伸ばして、ワイパーの速度を速めた。
「まさか、高田さんは、俺たちを晦冥会の暗殺者『バイフー』だと思っているのか?」
 わたくしは素っ頓狂な声を出した。
「そうに違いありません。俺たち、というよりかは、このわたしを『バイフー』と思っているのだと思います」
 わたくしは、このあまりに馬鹿げた話の展開に、つい笑い出してしまいそうになったが、美咲の大真面目な表情を見て、笑うに笑えない曖昧な空気に終わった。
「宗村さんから聞いた兄の話から総合すると、晦冥会の信者であっても、幹部を含む上層部の人間であっても、バイフーという暗殺者の存在は、どこの誰とも見分けがつかないそうですから、高田さんにとっては、岸本さんの古い友人である宗村さんと、その恋人であるわたしが、実は恐ろしいバイフーだったとしても、何ら不思議はない話だと思います。
 つまり、わたしがバイフーとして高田さんに疑われている以上は、わたしたちの高田さんとの面会は、今後一切拒否をされます。それこそ、本物のバイフーが逮捕されるその日が来るまでは」
 わたくしは美咲の左肩に手を置いた。
「ちょっと待ってくれ。じゃあ、高田さんの身の安全を守っている石動刑事は、一体どうなるんだ? 高田さんが俺たちをバイフーと恐れて保身に走ったという事を、積極的に手助けしているのが石動刑事であれば、彼だって、俺たちを今回の犯人として疑いを持っていても不思議はないじゃないか」
 今度の美咲は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「疑うも何も、石動刑事は、初めからわたしたちを一級の容疑者として取り扱っています」
『こういうのは皆さんに聞いているんですよ。別にあなた方を疑っているわけではなくて、江口サダユキの変死に事件性がないかどうかを判断する材料を集めているんです』
 江口の変死について事情聴取が行われた際、石動はそう我々に説明していたはずだ。
「まさか。だって、石動刑事の事情聴取の時には、そんな様子は一つも」
「そんな様子は見せるわけないじゃないですか。相手は警視庁捜査一課の警部補ですよ? 一級の容疑者に対して、今回あなた方を最も疑っていますよ、だなんて言うわけないです」
「だって、君は石動刑事の実の妹なのだし、石動刑事と付き合いの深い敷島の部下でもある。それを犯人と疑うだなんて」
「容疑者の中に捜査担当者の身内がいたからって、そんなの警察の業務には全く関係ありませんよ。事件の真相やそれに繋がる手掛かりなんて、意外と捜査する人の身近にあったりするものです」
 実の兄から今回の容疑者として扱われ、現在も晦冥会の暗殺者と疑われ続けているこの異様な状況にあって、彼女はこれ程までに平静でいられるものだろうか。
「しかし、じゃあなんで石動刑事は、今回の事件の一級の容疑者に、江口の死体を見せてくれるんだ?」
 わたくしは美咲の肩を揺すった。
「そうですね。もしかしたら兄は、自分の目で確かめたいのかも知れません。わたしたちの江口の死体を見た時の反応を」
 石動刑事は、わたくしを今回の事件の一級の容疑者と疑いながら、わたくしを被害者の入院する病室に連れ出して、晦冥会の元幹部を襲う不審な自殺の事例を、証拠写真を交えて話したと言うのだろうか? そうすると石動刑事は、わたくしが晦冥会の暗殺事件を聞いて、どのような反応を見せるのか、どのような虚偽の事実を述べるのか、そこを同席した羽賀刑事と二人で見極める事が、あの病室での彼の本当の目的だったとでも言うのだろうか?
 その一方で、ふとわたくしの頭に或る疑念の過ぎったのを意識した。
《美咲は、晦冥会の暗殺者『バイフー』ではないと、本当に断言できるのか?》
 わたくしは美咲の肩から手を離した。彼女はわたくしの思考の世界で、バイフーとして盲点の存在となってはいないだろうか? 美咲は間違いなく美人だ。そして、今回の事件についてありとあらゆる情報をその手中に入れている。彼女は敷島探偵グループの社員ではあるが、その実晦冥会の幹部という、彼らのスパイのような存在ではないだろうか? そればかりか、謎の暗殺者『バイフー』として、今回天道、木原、江口の三名を暗殺して、尚も次のターゲットの暗殺を目論んでいる、という事は絶対にないと言い切れるだろうか? 
 美咲は暗い車内に手を伸ばして、FMラジオのスイッチを押した。
 敷島は、わたくしは既にバイフーに接触していると、電話口にそう明言をした。その発言も実に怪しい。
『今もし君がこの場で犯人の名前を聞く事があれば、それはきっと君のこれからの行動や態度が、百八十度変わってしまう事に繋がるだろう』
 この敷島の発言の後半部分に出てくる、『犯人』という言葉を、『美咲』と置き換えてもう一度思い出してみれば、妙にしっくりと来ないだろうか?
『もしかしたら、君の強い正義感から、何とか美咲を捕まえようとするかも知れない。もしくは反対に、自分の身の安全を考え過ぎて、美咲の存在を意識し過ぎて、彼女とおかしな距離をとるかもしれない。いずれにせよ、それらの君の反応が最も危険なのだ。木原たちにしても、今回の江口にしても、つまり彼らは美咲の存在を知っていて、彼女に接近し過ぎた結果、あっさりと殺されている』
 美咲は今から四週間前の十二月十三日には、既にこの地を訪れていて、天道と木原をその手にかけていた?
 美咲の容疑者としての疑惑の次には、もう一つの疑念が即座に湧いて来た。それは、なぜ敷島は一向にこの地に到着しないのかというものだ。なぜ彼は電話でしかわたくしに指令を出さないのだろうか? なぜ彼はこれ程までに本件を気に掛け、わたくしの行動によっては人命に関わると脅しておきながら、自らの重い腰を動かそうとはしないのだろうか? もしかしたら敷島は、既に美咲をバイフーと目星をつけていて、遠隔の地から彼女の行動を監視しているのではないだろうか? SТGの裏切り者をこの地で泳がせ、わたくしを利用して常に彼女の行動を監視する為に。
「宗村さん、どうかしました?」
 わたくしは美咲の視線に気が付いた。車はいつか旧N市の市街地を走っていた。
「いや、何でもない。ちょっと考え事を」
 彼女なら江口の行動を常に把握できただろうし、わたくしの外出中に、彼の携帯電話を捜査後の江口の部屋にこっそり置く事も可能だ。
 しかし、わたくしはここまで考えを進めておきながら、美咲の容疑者として不成立に足らしめる大いなる欠点を意識した。それは、彼女は江口の死亡した時、他でもないこのわたくしと行動を共にしていた、という事実だ。リフト券購入やトイレに立った片時を考慮しても、あの災害に近い猛吹雪の頭上、緊急停止しているリフトにいる江口を殺害する事など、美咲には絶対に実行不可能な事は、わたくしが一番よく知っているはずだ。
「着きましたよ」
「あ、ああ」
 車はゆっくりとM警察署の敷地内に入った。庁舎の三階までほぼ全ての窓の明かりが点いていた。
「宗村さん」
「ん」
 わたくしは上の空の返事をした。
「宗村さんはさっきからずっとわたしの事を犯人だと疑っていますね?」
「ギク」
 美咲は目を閉じてシートベルトを外した。
「宗村さんは何かがあるとすぐに顔や態度に表れます。あずさに好き勝手に弄ばれた時もそうでした。そんなバレバレな態度を本物のバイフーの前で取っていたら、宗村さん、本当に彼女に殺されてしまいますよ?」
「……………」
「宗村さんがわたしを疑うのは全然構いません。わたしだって業務上あなたのことを疑ってみなければならないのですから。だけど、もう一度よく考えてみて下さい。宗村さんは、他にもっと大切な事を忘れています」
「大切な事?」
 わたくしもシートベルトを外した。
「そうです、これです」
 そう言って美咲は、黒いクレジットカードのようなものを一枚、人差し指と中指の間に挟んで、わたくしの顔の前に突き出した。わたくしは寄り目になって、そのカードを色々に覗き込んだ。警察の証拠物件でも扱うように、カードは透明なビニール袋に収められていた。
「見覚え、ありませんか?」
 美咲は小首を傾げた。
「それ、何だったっけ?」
 大きな溜め息が聞こえた。
「昼間、ゲレンデでの衝突事故で、相手のスノーボーダーの女が落としていったものです。宗村さんがわたしの為に、一生懸命拾ってくれたじゃないですか」
 わたくしは膝を叩いた。
「おお、衝突の衝撃で雪の上に散らばった、あれか」
「そうです。これが何の役割を持つカードなのか、宗村さん、分かりますか?」
 ビニール袋を手のひらに受け取って、わたくしはカードの表面に目を凝らした。会社名などの文字は、どこにも書かれていなかった。
「さあ、如何にも怪しいってカードだね。闇カジノの会員証とか?」
 美咲はわたくしの手からビニール袋を引き抜いて、素早く懐に仕舞った。
「外れです。でもまあ当たらずといえども遠からずと言った所でしょうか。
 これは、晦冥会のシンボルの入った会員証です。しかも、幹部以上の人間のみが所持する事のできる、晦冥会でも特別なカードです」
「なんだって?」
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