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犯人を知っています
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初老の刑事が白手袋を嵌めながら食堂に入って来た。岸本から携帯電話を受け取ると、眼鏡を下にずらしてタッチスクリーンを横から覗き込んだ。
「宿泊名簿にある江口さんの番号へかけたら、この携帯電話に着信がありました。これは江口さんの携帯電話と見て間違いないです」
聞いてもいない岸本の言葉に、刑事は白手袋を上げて答えた。少し遅れて石動刑事も食堂に入って来た。わたくしと目が合うと、気さくに片手を上げた。
「宿泊客は全員揃っていますか?」
初老の刑事は丸めた背中で質問した。
「はい。皆さん戻られています。ディナーも済んで、今はお部屋で思い思いに寛がれている頃かと思います」
岸本は刑事の手元を覗き込むように答えた。
「そうですか。これから皆さんに少し確認を取らせてもらいますよ。この携帯電話に見覚えがないかどうか。石動警部補、よろしいですか?」
石動は笑顔で答えた。
「あの、刑事さん。この携帯電話は、警察の方が江口さんの部屋を調べた時には、ベッドの下に落ちていなかったと、そう考えてよろしいんですか?」
初老の刑事は、片目を薄目にして岸本を振り返った。
「当然です。我々がこんなものを見落とすはずがない。もしかしたら、誰かがこいつを江口の部屋に置いた可能性がある」
岸本は眉を寄せた。
「と言いますと?」
我々の背後で石動が口を開いた。
「どこかで誰かがこの携帯電話を拾って、中身を見た結果江口サダユキの物だと分かった上で、親切心から彼の部屋に置いた可能性がある、そう言っているんですよ」
思わずわたくしはあずさを見た。スリッパをやや内股にして、涼しい顔で話を聞いていた。彼女の言った通りの事を、今から警察は確認を取ろうとしている。
「まずはあなた方ですが、この携帯電話に見覚えはないですか? これを江口の部屋に置いたという事はないですか?」
わたくしと岸本は同時に首を横に振った。初老の刑事は、一人一人の顔を確認するように目を配った。
「そちらのお嬢さんは?」
あずさはわたくしの顔を見上げて、首を横に振った。
「では、部屋にいる久慈さんと羽田さん、それから椎名さんに同様の確認を取らせてもらいますよ」
初老の刑事は石動を促して食堂を後にした。その背中を見送りながら、わたくしは煙草をくわえた。
「岸本、やっぱり誰かが江口の部屋に携帯電話を置いたようだ。刑事が言うように、どこかの親切な奴が落し物を届けるようにやったのかな」
岸本は坊主頭を一撫でして天井を見上げた。
「親切心ねえ。だがそれは、捜査員が江口さんの部屋から立ち去ってから、俺が部屋を覗くまでの三時間の間に、彼の部屋に侵入した事になる。それって不気味じゃないか? そんな怪しい行動をとらなくても、携帯電話を拾ったんだから、落し物として警察に届ければいいじゃないか」
「確かに」
わたくしは腕を組んで煙草に火を着けた。
「今からでも遅くはない、お客さんの誰かが、わたしがやりましたと、警察に名乗り出てくれればいいが」
ガラス戸越しに見える廊下を、濡れ髪を揺らしたアパレルカップルが歩いて行った。わたくしは彼らを追うように体を横へ動かすと、階段の途中で女性が立ち止まった。
「しかし、江口の携帯電話は、一体誰がどうやって手に入れたんだろうか? たまたま彼の自殺現場に居合わせて、遺体のポケットから携帯電話を抜き取るなんて、実際あり得る事だろうか? それよりも、携帯電話を抜き取った誰かが、江口の自殺を幇助したと考えるべきではないか?」
岸本は溜め息を吐いて太い腕を組んだ。
「もうよそう宗村。そんな刑事ドラマのような話をいくら繰り返したも、何の解決にもならないだろう。江口さんは自殺をしたのだ。警察がそう発表したのだから、間違いがないだろう」
わたくしは岸本の仏頂面を眺めて、しばらくは煙草を吸っていた。すると左手の袖が下へ引っ張られた。見るとあずさの大きな瞳が待っていた。
「江口サダユキはスキー場で自殺をしたんですよね?」
「うん? ああ、そうだ」
また袖が引っ張られた。
「でも、宗村さんはそうは思っていないんですね?」
煙草の灰の落ちそうなのに気づいた岸本から、ガラスの灰皿を受け取って灰を落とした。
「当然じゃないか。君はこんな不可解な自殺を信じられるのか? 首吊り自殺をするんだったら普通、人目の付かない自室とかトイレとかでやらないか? 自殺志願者が最も恐れている事の一つに、中途半端に救出されて重度の後遺症が残る事にある。それなのにあんな目立った、しかも数十分後には必ず見つかるリフトの上を死に場所に選ぶなんて、誰が納得できるんだ? 遺書だって出てきていないらしいし、今朝の様子では、自殺するような精神的異常な素振りもなかった。夕食に紅ズワイガニの甲羅焼きまで、無理な注文をしてきたたって言うのに」
あずさはじいっとわたくしの顔を見ていた。
「宗村、バイトの子に変な事を言うな」
岸本は食堂の時計を振り返った。時刻は午後八時半を回っていた。
「じゃあ、江口サダユキは誰かに殺されたんですか?」
「こらこら米元クンまで」
わたくしは肩を上下させて見せた。
「まあ、そうストレートに質問されると、はいそうですとは答えられないけどね。それこそ証拠なんて何もないんだからさ」
あずさは再びぐいっと袖を下に引っ張った。今度のは強い力で引っ張って、近付いたわたくしの耳に小声でこう囁いた。
「あの、江口サダユキが殺されたんでしたら、あたし犯人を知っています」
「宿泊名簿にある江口さんの番号へかけたら、この携帯電話に着信がありました。これは江口さんの携帯電話と見て間違いないです」
聞いてもいない岸本の言葉に、刑事は白手袋を上げて答えた。少し遅れて石動刑事も食堂に入って来た。わたくしと目が合うと、気さくに片手を上げた。
「宿泊客は全員揃っていますか?」
初老の刑事は丸めた背中で質問した。
「はい。皆さん戻られています。ディナーも済んで、今はお部屋で思い思いに寛がれている頃かと思います」
岸本は刑事の手元を覗き込むように答えた。
「そうですか。これから皆さんに少し確認を取らせてもらいますよ。この携帯電話に見覚えがないかどうか。石動警部補、よろしいですか?」
石動は笑顔で答えた。
「あの、刑事さん。この携帯電話は、警察の方が江口さんの部屋を調べた時には、ベッドの下に落ちていなかったと、そう考えてよろしいんですか?」
初老の刑事は、片目を薄目にして岸本を振り返った。
「当然です。我々がこんなものを見落とすはずがない。もしかしたら、誰かがこいつを江口の部屋に置いた可能性がある」
岸本は眉を寄せた。
「と言いますと?」
我々の背後で石動が口を開いた。
「どこかで誰かがこの携帯電話を拾って、中身を見た結果江口サダユキの物だと分かった上で、親切心から彼の部屋に置いた可能性がある、そう言っているんですよ」
思わずわたくしはあずさを見た。スリッパをやや内股にして、涼しい顔で話を聞いていた。彼女の言った通りの事を、今から警察は確認を取ろうとしている。
「まずはあなた方ですが、この携帯電話に見覚えはないですか? これを江口の部屋に置いたという事はないですか?」
わたくしと岸本は同時に首を横に振った。初老の刑事は、一人一人の顔を確認するように目を配った。
「そちらのお嬢さんは?」
あずさはわたくしの顔を見上げて、首を横に振った。
「では、部屋にいる久慈さんと羽田さん、それから椎名さんに同様の確認を取らせてもらいますよ」
初老の刑事は石動を促して食堂を後にした。その背中を見送りながら、わたくしは煙草をくわえた。
「岸本、やっぱり誰かが江口の部屋に携帯電話を置いたようだ。刑事が言うように、どこかの親切な奴が落し物を届けるようにやったのかな」
岸本は坊主頭を一撫でして天井を見上げた。
「親切心ねえ。だがそれは、捜査員が江口さんの部屋から立ち去ってから、俺が部屋を覗くまでの三時間の間に、彼の部屋に侵入した事になる。それって不気味じゃないか? そんな怪しい行動をとらなくても、携帯電話を拾ったんだから、落し物として警察に届ければいいじゃないか」
「確かに」
わたくしは腕を組んで煙草に火を着けた。
「今からでも遅くはない、お客さんの誰かが、わたしがやりましたと、警察に名乗り出てくれればいいが」
ガラス戸越しに見える廊下を、濡れ髪を揺らしたアパレルカップルが歩いて行った。わたくしは彼らを追うように体を横へ動かすと、階段の途中で女性が立ち止まった。
「しかし、江口の携帯電話は、一体誰がどうやって手に入れたんだろうか? たまたま彼の自殺現場に居合わせて、遺体のポケットから携帯電話を抜き取るなんて、実際あり得る事だろうか? それよりも、携帯電話を抜き取った誰かが、江口の自殺を幇助したと考えるべきではないか?」
岸本は溜め息を吐いて太い腕を組んだ。
「もうよそう宗村。そんな刑事ドラマのような話をいくら繰り返したも、何の解決にもならないだろう。江口さんは自殺をしたのだ。警察がそう発表したのだから、間違いがないだろう」
わたくしは岸本の仏頂面を眺めて、しばらくは煙草を吸っていた。すると左手の袖が下へ引っ張られた。見るとあずさの大きな瞳が待っていた。
「江口サダユキはスキー場で自殺をしたんですよね?」
「うん? ああ、そうだ」
また袖が引っ張られた。
「でも、宗村さんはそうは思っていないんですね?」
煙草の灰の落ちそうなのに気づいた岸本から、ガラスの灰皿を受け取って灰を落とした。
「当然じゃないか。君はこんな不可解な自殺を信じられるのか? 首吊り自殺をするんだったら普通、人目の付かない自室とかトイレとかでやらないか? 自殺志願者が最も恐れている事の一つに、中途半端に救出されて重度の後遺症が残る事にある。それなのにあんな目立った、しかも数十分後には必ず見つかるリフトの上を死に場所に選ぶなんて、誰が納得できるんだ? 遺書だって出てきていないらしいし、今朝の様子では、自殺するような精神的異常な素振りもなかった。夕食に紅ズワイガニの甲羅焼きまで、無理な注文をしてきたたって言うのに」
あずさはじいっとわたくしの顔を見ていた。
「宗村、バイトの子に変な事を言うな」
岸本は食堂の時計を振り返った。時刻は午後八時半を回っていた。
「じゃあ、江口サダユキは誰かに殺されたんですか?」
「こらこら米元クンまで」
わたくしは肩を上下させて見せた。
「まあ、そうストレートに質問されると、はいそうですとは答えられないけどね。それこそ証拠なんて何もないんだからさ」
あずさは再びぐいっと袖を下に引っ張った。今度のは強い力で引っ張って、近付いたわたくしの耳に小声でこう囁いた。
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©2022 新菜いに
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