15 / 131
悲劇の証
しおりを挟む
リフトに乗る時にお尻を下ろすタイミングを誤って膝の裏を強打した。わたくしは手すりを掴んでしばらく下を向いていた。痛みは中々引かなかった。
「転んでリフトを止めちゃうよりましです」
美咲はゴーグルに白い歯を見せた。低空から上空へとリフトが高度を上げる浮遊感を味わった後、二人でセーフティーバーとフードを下げた。リフト上は驚くほど静かで、ときおり握索機が索輪を乗り越えるゴロンゴロンという音がするくらいだった。
「あの………さあ」
「?」
レインボーミラーのゴーグルが振り返った。
「一つ、聞いても良い?」
「何をですか?」
美咲は無邪気に足をぶらつかせた。
「二年前の事故って、何?」
このとき強烈な吹雪の一団がゲレンデを通過して、ワイヤーロープと座席を交互に揺らした。視界がゼロになった。電動機が自動停止しリフトの運転が止まった。
「後ろで聞き耳を立てていてすまなかったけど、君は二前にここで事故に遭ったって言っていたよね?」
彼女の目の動きを見ようとしたが、ゴーグルのミラーが強すぎて分からなかった。
「それから君は彼らの前から姿を消して、二年間音信不通になった。君が頭を下げていたのはその事についてだよね?」
美咲は少し背中を曲げた姿勢から身じろぎ一つしなくなった。
「あ、いや、やっぱり聞いちゃ……まずかったかな」
レインボーミラーにペイント系総柄デザインのウェアが映っていた。その見えない向こうからわたくしを見ているに違いなかった。
視界が戻ってゲレンデが足もとに現れると、始点駅の電動機は再び運転を開始した。
「宗村さん」
「なに?」
彼女はゴーグルを外して首から垂らした。その目には強い動揺が見て取れた。
「わたし、探偵失格です。相手の質問に対してこんなに動揺を見せたら、後を何を言っても無駄です。あーあ、また敷島さんに叱られちゃいます」
グローブの手を組み合わせて、その上に顎を乗せた。
「これでもわたし、敷島探偵グループの社員なんです。今回のケースについてもちゃんとシュミレーションが出来ていました。貝沼さん達にもです。偽りの回答は幾らでも用意してあったんです」
指を折って回答を数えて見せた。
「でも、宗村さんに事故について質問されて、頭の中がふっ飛んじゃいました。宗村さんにウソをつく事に対して三秒以内に明白な理由を見つけられなかったんです」
ぎこちない笑みを見せた後、美咲はうるうると目に涙を滲ませた。その涙の意味がわたくしには全く理解ができなかった。
「ですからわたし、宗村さんに見え透いた嘘を言うのはやめにします。敷島さんだって宗村さんにSТGの情報を全て開示して良いと言われたのですから、わたしも宗村さんを信頼して、真実を全て話そうと思います」
鼻を啜って顔を上げる美咲に対して、わたくしは彼女を見守る他なかった。
「先程の宗村さんの質問に対してのわたしの答えは、イエスです。二年前、わたしはこのスキー場、正確には立ち入り禁止区域で雪崩の被害に遭いました。スラブ化した雪が一〇〇メートル下流へ崩れ落ちたのです。ちょうどあの山の向こう側です」
美咲は二時の方角を指差した。そこには山稜にリフトの支柱が並んでいて、更にその向こうに樹林のない白い部分がかろうじて見えた。
「雪崩直後のわたしは、デブリの雪の中に半分埋まった状態で一生懸命息をしていました。骨盤骨折をしていましたから、全身に力が入らない状態でした。
行動を共にしていた男性は何とか自力でデブリから脱出して、十メートルほど離れて被災しているわたしのウェアの一部を見つけると、左手だけで雪を掘ってわたしを助け出しました」
支柱のスピーカーに近づくと、ドップラーシフトした音楽の中に包まれた。
「その男性はわたしを安全な場所へ移動させてから、山岳救助隊に救援要請する為に自力での下山を決めました。わたしはゲレンデに引き返すか、このまま残るよう男性のウェアを必死で掴みましたが、彼はここの地形に自信があって、下山の判断を頑なに変えませんでした。わたしは彼の背中を見送って、そのまま日没を迎えました。幸い身体の痛みはなく、半身麻酔を打たれたように全身がじーんと痺れていました。
JANの雪崩『確実』の情報により、貝沼さんや羽深さんらパトロール隊がひさし状の雪を予め崩して巡回している最中に、わたしは運良く発見されました。電波で自分の位置を相手に知らせるビーコンを所持せず、雪崩被害から偶然救助されたのは本当に奇跡に近い事でした」
美咲は瞬きも忘れて何もない宙を見つめていた。
「わたしと行動を共にした男性は、二年前のあのとき下山したのを最期に今も行方不明のままです。この事故に対して取調をした署は、市町村に彼の死亡を報告し認定死亡が認められて、早一年が経過しました」
美咲は左手のグローブを外して、薬指の指輪をわたくしに見せた。
「その男性とは、わたしの婚約者でした」
「転んでリフトを止めちゃうよりましです」
美咲はゴーグルに白い歯を見せた。低空から上空へとリフトが高度を上げる浮遊感を味わった後、二人でセーフティーバーとフードを下げた。リフト上は驚くほど静かで、ときおり握索機が索輪を乗り越えるゴロンゴロンという音がするくらいだった。
「あの………さあ」
「?」
レインボーミラーのゴーグルが振り返った。
「一つ、聞いても良い?」
「何をですか?」
美咲は無邪気に足をぶらつかせた。
「二年前の事故って、何?」
このとき強烈な吹雪の一団がゲレンデを通過して、ワイヤーロープと座席を交互に揺らした。視界がゼロになった。電動機が自動停止しリフトの運転が止まった。
「後ろで聞き耳を立てていてすまなかったけど、君は二前にここで事故に遭ったって言っていたよね?」
彼女の目の動きを見ようとしたが、ゴーグルのミラーが強すぎて分からなかった。
「それから君は彼らの前から姿を消して、二年間音信不通になった。君が頭を下げていたのはその事についてだよね?」
美咲は少し背中を曲げた姿勢から身じろぎ一つしなくなった。
「あ、いや、やっぱり聞いちゃ……まずかったかな」
レインボーミラーにペイント系総柄デザインのウェアが映っていた。その見えない向こうからわたくしを見ているに違いなかった。
視界が戻ってゲレンデが足もとに現れると、始点駅の電動機は再び運転を開始した。
「宗村さん」
「なに?」
彼女はゴーグルを外して首から垂らした。その目には強い動揺が見て取れた。
「わたし、探偵失格です。相手の質問に対してこんなに動揺を見せたら、後を何を言っても無駄です。あーあ、また敷島さんに叱られちゃいます」
グローブの手を組み合わせて、その上に顎を乗せた。
「これでもわたし、敷島探偵グループの社員なんです。今回のケースについてもちゃんとシュミレーションが出来ていました。貝沼さん達にもです。偽りの回答は幾らでも用意してあったんです」
指を折って回答を数えて見せた。
「でも、宗村さんに事故について質問されて、頭の中がふっ飛んじゃいました。宗村さんにウソをつく事に対して三秒以内に明白な理由を見つけられなかったんです」
ぎこちない笑みを見せた後、美咲はうるうると目に涙を滲ませた。その涙の意味がわたくしには全く理解ができなかった。
「ですからわたし、宗村さんに見え透いた嘘を言うのはやめにします。敷島さんだって宗村さんにSТGの情報を全て開示して良いと言われたのですから、わたしも宗村さんを信頼して、真実を全て話そうと思います」
鼻を啜って顔を上げる美咲に対して、わたくしは彼女を見守る他なかった。
「先程の宗村さんの質問に対してのわたしの答えは、イエスです。二年前、わたしはこのスキー場、正確には立ち入り禁止区域で雪崩の被害に遭いました。スラブ化した雪が一〇〇メートル下流へ崩れ落ちたのです。ちょうどあの山の向こう側です」
美咲は二時の方角を指差した。そこには山稜にリフトの支柱が並んでいて、更にその向こうに樹林のない白い部分がかろうじて見えた。
「雪崩直後のわたしは、デブリの雪の中に半分埋まった状態で一生懸命息をしていました。骨盤骨折をしていましたから、全身に力が入らない状態でした。
行動を共にしていた男性は何とか自力でデブリから脱出して、十メートルほど離れて被災しているわたしのウェアの一部を見つけると、左手だけで雪を掘ってわたしを助け出しました」
支柱のスピーカーに近づくと、ドップラーシフトした音楽の中に包まれた。
「その男性はわたしを安全な場所へ移動させてから、山岳救助隊に救援要請する為に自力での下山を決めました。わたしはゲレンデに引き返すか、このまま残るよう男性のウェアを必死で掴みましたが、彼はここの地形に自信があって、下山の判断を頑なに変えませんでした。わたしは彼の背中を見送って、そのまま日没を迎えました。幸い身体の痛みはなく、半身麻酔を打たれたように全身がじーんと痺れていました。
JANの雪崩『確実』の情報により、貝沼さんや羽深さんらパトロール隊がひさし状の雪を予め崩して巡回している最中に、わたしは運良く発見されました。電波で自分の位置を相手に知らせるビーコンを所持せず、雪崩被害から偶然救助されたのは本当に奇跡に近い事でした」
美咲は瞬きも忘れて何もない宙を見つめていた。
「わたしと行動を共にした男性は、二年前のあのとき下山したのを最期に今も行方不明のままです。この事故に対して取調をした署は、市町村に彼の死亡を報告し認定死亡が認められて、早一年が経過しました」
美咲は左手のグローブを外して、薬指の指輪をわたくしに見せた。
「その男性とは、わたしの婚約者でした」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
密室島の輪舞曲
葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。
洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
虚像のゆりかご
新菜いに
ミステリー
フリーターの青年・八尾《やお》が気が付いた時、足元には死体が転がっていた。
見知らぬ場所、誰かも分からない死体――混乱しながらもどういう経緯でこうなったのか記憶を呼び起こそうとするが、気絶させられていたのか全く何も思い出せない。
しかも自分の手には大量の血を拭き取ったような跡があり、はたから見たら八尾自身が人を殺したのかと思われる状況。
誰かが自分を殺人犯に仕立て上げようとしている――そう気付いた時、怪しげな女が姿を現した。
意味の分からないことばかり自分に言ってくる女。
徐々に明らかになる死体の素性。
案の定八尾の元にやってきた警察。
無実の罪を着せられないためには、自分で真犯人を見つけるしかない。
八尾は行動を起こすことを決意するが、また新たな死体が見つかり……
※動物が殺される描写があります。苦手な方はご注意ください。
※登場する施設の中には架空のものもあります。
※この作品はカクヨムでも掲載しています。
©2022 新菜いに
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる