9 / 131
美咲の涙
しおりを挟む
わたくしたちは、十二時を回った所で、部屋の電気を消した。
ベッドの上、すぐ隣から、美咲の寝息が聞こえている。わたくしはそれを耳に、しばらくはうす暗い部屋の中で目を開けていた。敷島の最後の言葉、これは平凡な男女の心中ではない、趣旨の異なった目的と手段の一部に過ぎない、という不可解な発言が、頭に残って眠れない、といのもあるが、実際には、若い女性と同じベッドで寝ているから眠れない というのが本当の所だった。
ゆっくりと横を向いて、彼女の寝顔を確かめる。まあよく眠っている。無防備な寝顔をこちらに向けて、すーすーいって眠っている。掛け布団のすき間から、細い指を出して、ときおりその指先がピクリと動く。
いったい全体敷島は何を考えているのだろうか。こんな美女をわたくしの恋人役としてペンションに泊まらせるなんて、大の大人として常識が欠如しているのではないだろうか。わたくしも正真正銘の男であり、もしも血迷って間違いでも起こしたら。そうしたら敷島は、この社員の両親にどう説明するつもりなのだろうか。あいつはその重大さをちゃんと認識しているのだろうか。
「…………………」
もしかして、と、わたくしは、一方である考えの浮かぶのを意識した。
もしかして敷島はわたくしの心の中を読もうとしているのではないか? この女性は、おとり捜査の要領でわたくしの心を誘惑し、そのおとりに乗って来るか来ないか、あいつは遠くからわたくしの事を観察しているのではないか? 敷島は、自分の妹と婚約まで交わしたわたくしの、もはや呪縛と化した一途な愛が、今でもわたくしの四肢をしっかりと束縛しているのか、このように暗にチェックしているのではないか?
「まさかな」
行き過ぎた考えを、苦々しく思い、わたくしは寝返りを打つ。
「宗村さん?」
「ん」
目の前に大きな目が開いていた。
「眠れないんですか?」
「あ、いや、別に眠れないわけでもないんだけど」
お互いの吐息を感じる距離。
「わたし、睡眠薬を持っています」
睡眠薬? 慌てて手を振った。
「ちょっと考え事をしていただけだから」
「天道葵の事ですか?」
その名前を聞いて、急に現実へ引き戻された。ゆっくりと天井を見上げて、頭の後ろで手を組む わたくし。
「それとも、敷島さんの事ですか?」
少し起き上がって、美咲はこちらを見詰めている。
「君は、どう考えているんだ?」
「何が ですか?」
なんとも無邪気な返事だった。
「あいつは何で君にこんな事をさせるんだって、そう思わないか?」
「こんな事?」
「こんな事だ」
身体を動かすと、彼女のぬくもりが布団の中から伝わって来る。
「いくら業務命令だって、見ず知らずの男と一緒のベッドに寝るだなんて、常識的に考えておかしいと思わないか?」
大きな瞳が、ゆっくりとまばたきをした。
「仕事ですから」
「仕事! そうか、そうだよな、月給のためにこうしておじさんの横で寝ているんだな。そうか、うん、金か、金のためか。馬鹿らしい、もう寝よ」
美咲から顔を背け大きく寝返りを打つわたくし。外では相変わらず吹雪の音が聞こえている。
しばらく沈黙が続き、わたくしの眠りも本腰になろうかという所で、宗村さん、という微かな声が聞こえた。夢か現か、わたくしはぼんやりとした頭で目をひらいた。
「宗村さん、一つ 聞いてもいいですか?」
「?」
再び美咲と向き合うわたくし。彼女は薄闇でも分かるくらいハッキリと目を開けていた。
「わたしのこと、覚えていないんですか?」
「?」
思わず頭を持ち上げた。わたしを、覚えていないのかだって? この時わたくしは 目の前の女性と、記憶の中の女性とを 高速で照合して回った。だが、こんな美女と一致する顔など、わたくしの記憶にはなかった。
「わたしのこと、すっかり忘れてしまったんですね?」
彼女の目は潤み、大粒の涙があふれる。
「バカ」
くるりと背中を見せ、掛け布団をかけ直し、それっきり。美咲はすやすやと寝息を立てていた。
「え」
ベッドの上、すぐ隣から、美咲の寝息が聞こえている。わたくしはそれを耳に、しばらくはうす暗い部屋の中で目を開けていた。敷島の最後の言葉、これは平凡な男女の心中ではない、趣旨の異なった目的と手段の一部に過ぎない、という不可解な発言が、頭に残って眠れない、といのもあるが、実際には、若い女性と同じベッドで寝ているから眠れない というのが本当の所だった。
ゆっくりと横を向いて、彼女の寝顔を確かめる。まあよく眠っている。無防備な寝顔をこちらに向けて、すーすーいって眠っている。掛け布団のすき間から、細い指を出して、ときおりその指先がピクリと動く。
いったい全体敷島は何を考えているのだろうか。こんな美女をわたくしの恋人役としてペンションに泊まらせるなんて、大の大人として常識が欠如しているのではないだろうか。わたくしも正真正銘の男であり、もしも血迷って間違いでも起こしたら。そうしたら敷島は、この社員の両親にどう説明するつもりなのだろうか。あいつはその重大さをちゃんと認識しているのだろうか。
「…………………」
もしかして、と、わたくしは、一方である考えの浮かぶのを意識した。
もしかして敷島はわたくしの心の中を読もうとしているのではないか? この女性は、おとり捜査の要領でわたくしの心を誘惑し、そのおとりに乗って来るか来ないか、あいつは遠くからわたくしの事を観察しているのではないか? 敷島は、自分の妹と婚約まで交わしたわたくしの、もはや呪縛と化した一途な愛が、今でもわたくしの四肢をしっかりと束縛しているのか、このように暗にチェックしているのではないか?
「まさかな」
行き過ぎた考えを、苦々しく思い、わたくしは寝返りを打つ。
「宗村さん?」
「ん」
目の前に大きな目が開いていた。
「眠れないんですか?」
「あ、いや、別に眠れないわけでもないんだけど」
お互いの吐息を感じる距離。
「わたし、睡眠薬を持っています」
睡眠薬? 慌てて手を振った。
「ちょっと考え事をしていただけだから」
「天道葵の事ですか?」
その名前を聞いて、急に現実へ引き戻された。ゆっくりと天井を見上げて、頭の後ろで手を組む わたくし。
「それとも、敷島さんの事ですか?」
少し起き上がって、美咲はこちらを見詰めている。
「君は、どう考えているんだ?」
「何が ですか?」
なんとも無邪気な返事だった。
「あいつは何で君にこんな事をさせるんだって、そう思わないか?」
「こんな事?」
「こんな事だ」
身体を動かすと、彼女のぬくもりが布団の中から伝わって来る。
「いくら業務命令だって、見ず知らずの男と一緒のベッドに寝るだなんて、常識的に考えておかしいと思わないか?」
大きな瞳が、ゆっくりとまばたきをした。
「仕事ですから」
「仕事! そうか、そうだよな、月給のためにこうしておじさんの横で寝ているんだな。そうか、うん、金か、金のためか。馬鹿らしい、もう寝よ」
美咲から顔を背け大きく寝返りを打つわたくし。外では相変わらず吹雪の音が聞こえている。
しばらく沈黙が続き、わたくしの眠りも本腰になろうかという所で、宗村さん、という微かな声が聞こえた。夢か現か、わたくしはぼんやりとした頭で目をひらいた。
「宗村さん、一つ 聞いてもいいですか?」
「?」
再び美咲と向き合うわたくし。彼女は薄闇でも分かるくらいハッキリと目を開けていた。
「わたしのこと、覚えていないんですか?」
「?」
思わず頭を持ち上げた。わたしを、覚えていないのかだって? この時わたくしは 目の前の女性と、記憶の中の女性とを 高速で照合して回った。だが、こんな美女と一致する顔など、わたくしの記憶にはなかった。
「わたしのこと、すっかり忘れてしまったんですね?」
彼女の目は潤み、大粒の涙があふれる。
「バカ」
くるりと背中を見せ、掛け布団をかけ直し、それっきり。美咲はすやすやと寝息を立てていた。
「え」
0
お気に入りに追加
4
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる