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許されるウソと、許されないウソ

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 白花大輪の洋らんの花が、噴水のようなアーチを描いて咲いている。天海の楽屋から持って来たその祝い花が、校長室の中でひときわ目を引いた。もっとよく観ようと 花の正面へ回ると、花容の向こうに深々と頭を下げるカチューシャの姿が。
「すいません校長先生、青山さんの悪口を言ったのは このあたしです」
 後ろのソファーでは、厳しい表情に腕を組む江口の姿も。
 天海は頬杖をついたまま、軽いため息をついて見せる。
「やっぱりねー。勘違ってだけで青山さんがあんなに激高するのはおかしいと思ったわー」
 カチューシャは今にも泣き出しそうな顔をして、
「すいません、すいません。そうしろって、あたしたち命令されて、それで仕方なく」
 天海は手のひらに笑顔を乗せる。
「あなたたちは、誰かに命令をされて、青山さんの悪口を言ったの?」
 天海のデスクに両手をついて、少し興奮した様子のカチューシャ、
「そうです、そうなんです! 何でもいいから、とにかく青山マリンの悪口を言えって、悪いウワサを広めろって」
 ゆっくりと腕を組んで、天海は鋭い視線を上げる。
「タダで?」
「え」
 その時江口の目がひらく。
「なんの報酬もなく、あなたたちはその誰かから命令を受けたの?」
 報酬という言葉を聞いた途端、カチューシャの目が一気に泳ぐ。
「そ、それはー」
 天海はイスを回転させ、大きく足を組んで見せて、
「あなたたちは、誰かから大金を握らされたのではないの?」
 恐れおののいたカチューシャが一歩後ろへ下がる。
「ど、どうしてそれを」
「図星ね。どうやら今回も同じ手口のようね。お金が絡むと色々と厄介よー?」
 頭の中で色々と計算して、それからカチューシャは上目遣いを見せる。
「あ、あのー、あれはもう二年も前の話で」
「二年だろうが五年だろうが、罪の重さは変わらないわ」
 崖っぷちに立たされたカチューシャ、これ以上言い返す余地がないといった様子。
「覚悟、できてる?」
 引き出しから退学届を取り出して、それをカチューシャの前に置く天海。
「!」
 たまらず江口が立ち上がる。
「校長先生! それはあんまりです! この子は悪いヤツらにおどされて無理やり青山の悪口を言わされたのですよ? 強要罪ですよ、強要罪」
 天海はいつになく冷たい口調で、
「金銭の授受があったわ」
 頭を掻きむしりながら、言葉を選び言葉を選び、江口、
「えーとー、それはー、その背景にはー、断るという選択が与えられない状況のもと、強引にお金をにぎらされて、脅迫されながら彼女はー、そのー。
 おい、その時の金はまだ手付かずで残っているんだろうな?」
 だんだんあさっての方向を向いて行くカチューシャ、
「それがー、もうだいぶ前の事なのでー、全部使っちゃいました」
「なにー⁉」
 人差し指を二重あごに当てて、かわいいポーズを見せるカチューシャ、
「だってー、小さい頃から憧れていたバッグがあってー、普通にバイトしたって買えない超高級バッグだったからー、つい」
 ドバドバと涙を流しながら江口は頭を抱える。
「お前ってやつはー、どれだけ先生を困らせれば気が済むんだー! それじゃー金で人をいじめたようなものだろー! こ、校長先生、この子はまだ若い、二年も前の話になると、彼女はまだ高校一年です。これは若気の至りです。これからしっかりと改心をして、まっとうな社会人になってくれるに違いないです! だからどうか、この子にもう一度チャンスを与えて下さい。くれぐれも退学だけは、退学だけはご勘弁を」
 教え子の頭を押さえ、一緒になって頭を下げる江口、その様子を満足気に眺めた後、天海は洋らんの花にそっと顔を近づける。
「合格よ 江口先生。その姿勢、いつまでも忘れないでね。どんな事があっても、たとえその子がウソをついていたとしても、教え子の事は最後まで守ってあげてね。私がそうしてもらったように」
「え」
 天海は退学届をつまみ上げ、それをびりびりと二つに破いて、
「退学なんて冗談よ。青山さんが苦しんだ一年半を思えば、少しくらい懲らしめておこうと思って ひと芝居打ったの。どんな理由があったにせよ、いじめだけは絶対にダーメ。
 ま、その代わりと言ってはなんだけど、あなたにいじめを命令した人の名前、私に教えてくれない?」
 カチューシャはホッと安堵の胸を撫でおろして、それから真面目な顔をして天海に一歩近づく。
 江口は腕を組んで、大きく首を傾げる。
「聞かない名だなぁ。校長先生は、その名前にお心当たりでも?」
 天海は大きく足を組み替えて、不敵な笑みを浮かべる。
「やっと、その名前が出て来たわね、富沢晃くん」


 エレベーターの扉が開くと、中から車椅子に乗った里子が顔を出す。足の上に大きなコットンバッグを乗せ、マスクにメガネにニット帽と、その変装ぶりに、はじめ金田はそれが里子だとは気が付かなかった。
「おまたせ」
「おー里子か。その格好 誰だか分からなかったぞ」
 金田は里子の背中へ回り、手押しハンドルを握って車椅子を押し出す。
「ありがとう」
 そのまま空を飛ぶようなスピードで金田はロビーを疾走する。
「ちょ、ちょっとあぶない、そんなに押さないで」
「あー、ごめんごめん、つい気が早まって。これから倉木アイスのコンサートが始まると思うと 居ても立っても居られなくて」
 総合病会の待合ロビーは 面会の時間も終わったとあって ほとんどの照明が落とされていた。近くの売店コーナーも 誘導灯の明かりによってみどり色に染まっている。
「いやー、今日は俺、興奮して何も手に付かなかった。部屋でずっと倉木アイスのライブ映像を観ていた」
「あたしもー。朝からずっとドキドキしっぱなしだった。いつも動画ばかり観ていたから 本物の倉木アイスをこの目で見られるなんて 想像しただけで興奮する」
 正面玄関の自動ドアが開くと、少し離れた所で車のヘッドライトが点灯し、その明かりがゆっくりと二人の前まで移動して来る。
「駅まではタクシーを使おうと思って、そこからはごめん、電車だ」
 運転手が車から降りて来て、車椅子用のスロープを用意する。
「ごめんね金田くん、色々と気を使ってもらって」
「いいって 気にするなって。同じ倉木アイスファンのよしみだ」
 先に金田が車に乗って、受け取った車椅子の方向を変えたりする中で、そのあまりの里子の身の軽さに 金田は自分の手を見て驚いた。


 遠くの高層ビルは遅く、手前の住宅は速く、それぞれのスピードで車窓に夜景が流れていた。
 電車の乗降口付近に車椅子スペースがあって、そこで金田と里子は窓に向かって談笑している。
「ふーん、それでそのマリンって子は ついにいじめっ子に仕返しが出来たの」
 里子は入院着から私服へ着替え、今では暖かい冬の格好をしていた。
「いやー、ホントすごかった。机は蹴っ飛ばすは、でかい声で怒鳴り散らすは、どっちがいじめっ子か分からなかった。ありゃー やられた方も黙っちゃいねーだろうなーって、思っていたんだけど、おかしいんだよなー、あれから何の音沙汰もない。絶対あとで教員室に呼ばれると思ってたんだけど」
 そう言って後ろ頭を掻いて見せる金田、その胸元にリングチャーム付きのネックレスが揺れる。
「いじめている方って、いつも優位に立っているから、案外打たれ弱かったりするのよね。いじめられっ子の方が断然強かったりする」
 金田は腕を組んで白い歯を見せながら、
「まあな、俺も中学の時のいじめで大分タフに育ったし。厳しい環境にいた方が人は強くなる。テレビなんかでよく聞くけど、有名人も結構いじめを受けていたりするみたいだし」
 里子が手袋の手のひらをぴたりと合わせて、
「いいな、そのマリンって子、金田くんに守ってもらえて」
「なに言ってんだよ。守るも何も、勝手に人をボディーガード代わりに使いやがって、勝手に人の名前を使ってケンカを吹っかけやがって、あれ以来俺の印象ガタ落ち。もうサイアク」
 そう言って金田が笑って見せると、里子も肩を揺らして笑った。そこで車内アナウンスが流れて、二人の会話が少し途切れる。車内を見渡すと、口数も少なく多くの乗客が吊り革につかまっていた。
 その時突然里子が胸の辺りを押さえる。
「っ痛ー……」
 窓に映った苦悶の表情に、金田はあわてて中腰になる。
「おいどうした、大丈夫か」
 両手でしっかりと胸を押さえ、里子は深い呼吸を見せる。
「大丈夫、日に何回かこうなるの。少しこうしていればじきに良くなる」
 立ち膝の姿勢になって、金田が不穏な表情を浮かべる。
「本当に大丈夫かよ。なんか里子って 最初に会った時より病気が悪くなっているような気がする。来年には退院って話だけど、大丈夫?」
「大丈夫よ。これは薬物治療の副作用。着実に回復に向かっているって、先生も言っていたし」
 車内の明かりの影響もあってか、里子の顔色が非常に悪く見えた。ゆっくりと、ゆっくりと、里子は深呼吸をくり返す。
「こんな状態でよく外出許可が下りたな」
 そこで里子が突然金田の手をつかんで、それを自分の胸の前まで引き寄せて、
「ねえ金田くん、あたしと、付き合って」
「は?」
 金田は握られた手とその言葉に目を見張る。
「あたし、金田くんのこと、好きなの」
 苦しそうに呼吸を整えながら、里子はかすかに顔を赤らめる。
「は?」
 思いもよらないといった顔をして、金田は里子と見つめ合う。
「ダメ?」と里子は力ない笑顔を見せる。
 金田はやっと笑う事が出来た感じで、
「急になに? 本気で言ってる?」
 素直にこくりと頷く里子。
 金田は一回周囲を見渡して、何か言葉が浮かぶのを待つような間を空けてから、
「ごめん 俺、里子のことそんなふうに見ていなかった。
 全く見てなかった、というわけでもないけど。
 そういう意味で今日誘ったつもりはなかった。
 でも うん、ありがとう、うれしい気持ちもある」
 里子は従順な顔をして相手の答えを待った。
「あー、じゃあさ、こうしよ。俺、いきなりの事で頭が混乱しているから、少し待って欲しい。そうだな、里子がしっかりと病気を治して、来年退院ができたら、その時は俺、しっかりと返事をする。前向きな返事を、な。約束する。これでどうだ?」
 満足そうに笑って、里子はうんと元気に頷く。
 そこで電車は目的のホームに入って、立ったり座ったりあちこちで乗客の入れ替えが始まる。
「よーし、到着だ」
 金田は里子の背後に立って、車椅子の方向を変えると、元気よく声を張り上げる。
「すいませーん、車椅子が降りまーす! 道を開けてくださーい!」


 ガラガラと、ナースカートの音がして、看護師が病室に入って来る。
「八木さーん、八木里子さーん、点滴見ますねー、カーテン開けますよー」
 歩きながらカーテンを開けて行って、そのままニトリル手袋を用意する看護師。
「八木さん、気分はどうですか? 変わりありませんか? ごめんなさいね、少しだけ起きましょうねー」
 そう言って看護師が布団をめくると、中から丸めた毛布が出て来た。
「? 八木さん? あれ どこ行っちゃったのかな。すいませーん、誰か八木里子さんを知りませんかー?」
 顔パックをした中年の女性が イヤホンを外しながら顔を出す。
「うるさいねー、どうしたんだい」
「わ、ビックリした、松原さん? ですよね。すいません、お隣の八木さん、今どちらにいるかご存知ないですか?」
 残された点滴など見て回る看護師。
「里子ちゃんかい? あの子なら夕食の後ずっと寝ているんじゃない? 物音一つしなかったし」
 看護師がベッドを指差して、
「それがいないんですよー、ほら、毛布がこんなに」
「あーっ!」と顔パックを手で押さえながら、
「ちょっと待ってこれ、久しぶりに見た、変わり身の術じゃない」
「変わり身の術?」
 看護師の頭の上にハテナマークが浮かぶ。
「鈍いねあんた、あの子、病院から抜け出したんだよ」
「抜け出したって、えーっ⁉」
 初めて経験する無断離院に、カートもほったらかしで走って行く看護師。
「先輩、先輩ーっ! 患者さんが、患者さんがいなくなりました!」
 やれやれとまたイヤホンを装着し、自分のベッドへと戻ろうとする松原、そこでベッドの下に落ちている一枚の写真に気が付く。
「?」
 その写真を拾い上げ、それを眺めている内に、パックの口もとがゆるんで行く。
「へえー、あんなおとなしそうな顔をして、やるコト大胆だねー」
 その写真には、爽やかに笑う金田の横顔が写っていた。
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