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第三十三話 近衛機士団長の娘の憂鬱

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「負けてしまった。男なんかに……。今まで誰にも負けなかったのに……。私は弱い。弱すぎる」


 エル・オージェンタムは屋敷に帰り、自室に入ると、身体を覆い隠している甲冑を脱ぐ。


 それまで気丈に振舞って我慢していた涙が頬を伝って流れ落ちた。


 涙がこぼれて止まらない理由は、今日人生で初めての敗北を味わったからだ。敗北を味あわされたのが、毛嫌いしている男性。しかも年下だ。


 幼い時から抜群の反射神経と動体視力で相手の攻撃を完全に封じ込み、隙を見出して勝ってきた無敗の記録が、あの生意気な年下の男によって砕かれた。


「ちくしょうーーーー! なんで、なんで、なんで負けたのー! くぅううう! くやしいよぉおおっ!」


 エルはふかふかのベッドに飛び込み、枕を敗北を味あわせた相手に見立てて殴りつけた。そんな彼女の様子を心配そうに見つめる者がいた。彼女と契約した精霊のパンチョである。


「エル、お前が負けたのは仕方ないやん。あいつが一枚上手だったんだよ」


 ハムスターの姿をした精霊は、エルを慰めるように頭を撫でる。


「だって、だって、あいつずるいんだよー! 下からばっかり狙ってきたの! 私の胸が大きくて下の視界が悪いのを知ってて狙ったんだ! きっとそうだ! 男って最悪!」

「それは前からワイも言ってたやん。下からの攻撃に反応が遅いって」

「だって見えないんだもん! しょうがないじゃん! パンチョのバカー!」


 ベッドで叫ぶエルには、機士学校での口数少なめの凛々しい姿はなく、子供っぽさが滲みだしていた。精霊のパンチョに対しては、彼女が唯一心を許しているため、両親にも滅多に見せない姿を晒している。


 彼女がなぜ精霊にしか心を許せないかと言えば、幼少より大きく育った胸に集まる他人の視線が怖くなり、人と喋るのがあまり得意ではないからだ。胸のことが原因で両親とも砕けた会話はできず、軍隊のようなかしこまった会話が繰り返されていた。


 機士学校でも胸に集まる異性からの好奇の視線や同性からの妬みもあり、人とはあまり群れず、甲冑姿をして口数も少なく過ごしており、友達と呼べる存在はほとんどいない。


 そんなコミュ障のエルでも、実力主義の機士学校では成績優秀ということで首席機士という最上位の席が与えられていた。でも、それも今日の決闘で負けたことで失うことになる。


 機士学校で最強の機士候補生が首席機士として扱われる。ルシェ・ドワイドに負けたことで、エルは最強の座から引きずり降ろされてしまった。


「明日から、あいつの朝の鍛錬に付き合わされるんやろ?」

「うん、私は敗者だから言うことを聞かないといけない……嫌だけど、やるしかないの。機士は嘘を吐いたらダメだし」

「ガキとはいえ、相手はオスやからなぁ。ワイとは違って、朝の鍛錬中にいやらしいこと要求されるんちゃうかー」


 パンチョの言葉に、ベッドに横たわるエルがビクリと身体を震わせる。


「嘘だよね?」

「いや、分からんでー。オスやしな。朝は特にムラ――ふぐぅ」


 肩を竦めるようなしぐさをしていたパンチョが、エルの両手に掴まった。


「嘘だよね? さすがにそんなことしないよね? まだ12歳だよ!」

「エル、あいつに服を脱げって言われたらお前の性格上、逆らえないやろ?」


 パンチョの言葉で、エルはルシェにそう言われる場面を想像してしまった。すぐにエルの顔が恥ずかしさで真っ赤に染まる。


「ムリ、ムリ、ムリ、ムリぃ! 絶対に断る!」

「本当にできるのか? 『機士は嘘を吐かないって嘘か』と、あのオスに責められるぞ」

「くぅ! ム、ムリだもん! 男の前で裸になんてならないからっ! ヤダ、ヤダ、ヤーダ!」


 パンチョを手に掴んだまま、エルはベッドの上でジタバタと暴れる。その姿はさっきよりもより一層子供っぽさ丸出しだった。


 掴まっていたパンチョがエルの手から脱し、ぐったりと倒れ込むと、わざとらしく大げさに手を振った。


「まぁ、今のは冗談やけどな。ガキだったし、契約した人型の精霊にご執心みたいだからな」

「あの人型の精霊王様だよね。入学式の会場でチラリと見たけど可愛い子だった」

「そうや。ワイと同じく物質界に実体化できる精霊王や」

「でも、パンチョと違って、あの子はなんかこうひれ伏したくなるみたいな感じがしてた」

「エルはワイを愛玩動物として扱いすぎや。敬え、敬え」

「ごめん、ごめんてー。いい子、いい子。パンチョ様」


 ベッドに倒れ込んでいるパンチョの頭をエルは優しく撫でていく。


「そういうのが、愛玩動物扱いなんや。まぁ、気持ちええからいいが。話を戻すが、あのガキの様子からして、契約した精霊にしか興味ないとちゃうんか。身体は大人、心は子供のエルには手を出す気はないやろ」

「本当だよね?」

「ああ、ワイの勘は当たるんや。ただし、外れてえっちなことされても責任は取らんからな」

「もぅ、パンチョのイジワルー! きらい、きらい、きらい!」


 エルはパンチョの言葉にホッと安堵の息を漏らしながら、自分と契約した精霊の頭をツンツンと突く。ルシェ・ドワイドに決闘の敗北を理由にして、そういったことを求められたら嫌だと思っても断われる自信が自分になかったからだ。それだけエルにとって決闘での敗北における処遇は重大な契約になっている。


「突くな。突くな。にしても、あのガキは強い。エルの弱点を即座に見つけて執拗に攻めてたからな。いい機士になる。いや、なってるのかもしれんな。あの戦いの中でも全く動きに無駄が見られんかった。ベテランの機士でもあれだけ無駄を省けるやつはおらんぞ」

「たしかに操縦に関しては、機士学校で習うことはないくらいの腕をしてた」

「実家ですでに実戦を済ませてるらしいしな。あの動きなら、従霊機でも妖霊機ファントムを倒してても不思議じゃない」

「パンチョは、私が負けるべくして負けたと思う?」

「まぁ、現状の腕は互角かエルがやや上やと思うが――あのガキはバケモンやろ。数年後、卒業して正式な機士として自分専用の機体を持てば圧倒的な力を示す可能性は秘めてる」

「機士王になるってソラ様の前で宣言してたけど」

「なるかもしれへんな。あの腕なら、王国最強の機士になってもおかしくない」

「ってことは、私はずっとあのルシェ・ドワイドに勝てないってこと?」

「いやいや、だからこそ鍛錬に付き合ってあいつの癖を探るんや。癖さえ見切れば、エルの動体視力と反射神経で勝機は見出せるはずや!」


 パンチョの言葉にエルが鼻息荒く頷く。鍛錬でルシェ・ドワイドの癖を盗み、もう一度決闘にて彼に奪われた尊厳を取り戻す目算が立ったことで前向きな気持ちになれたようだった。


「パンチョのおかげで、明日からの鍛錬もちゃんと取り組めそう。ありがとね」

「いいってことよ。ワイはお前の契約精霊だしな。ただ、あのガキに『ええな』とか『キュン』としたらワイに言うんやで、ちゃんと段取りはしたる」

「ない、ない、男なんて興味ないし! 私はあいつを倒して首席機士を取り返したいだけだからっ!」

「はいはい、そういうことにしといたるわ。卒業までにあのガキから首席機士の座を取り返すとするか」

「頑張るぞー!」


 部屋に入ってきた当初の落ち込みようからすると、エルの表情は随分とマシなものになった。その後、明日の早起きのため夕食と準備を済ませ、早々にベッドに入るとそのまま眠った。
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