4 / 10
三日目
しおりを挟む「一人にしないでええええええええええ!」
凄まじい勢いで、三センチの妻が泣き叫んでいた。
暴れすぎて、ティッシュペーパーのドレスが破れかぶれになってしまっている。三センチかつここに俺しかいないからいいものの、まるでAVに出てきそうな装いだ。
だけど、どんなにゴネられても、ダメなことだってある。
「しょーがねーだろ。俺、仕事なんだから」
「そりゃあ、お仕事も大事だけど……でも、わたし昨日……」
どうやら、蚊との大乱闘の恐怖が拭えないらしい。夏の残りの蚊取り線香を焚いていこうか打診したが、「信用できない!」とすでに拒否されてしまっている。
どんなにジタバタ訴えられても、出社時間は待ってくれない。
働かなければ生きていけない――それは、妻という存在を養う以上、避けては通れないことだ。まぁ、今後ずっと三センチだったら、扶養にさほど金が掛かるとも思えんが。
そんな俺の心境を全く考えていないだろう妻が、涙ながらに訴えてくる。
「ゴ……ゴッキーとか出てきたらどーするのよ⁉」
「ゴキブリをそんな愛称で呼べるなら友達になれるさ。頑張れ!」
「ばかあああああああああああああああああああ!」
俺のサムズアップを無視して、妻は走り出した。テーブルからピョンっと飛び降りて、玄関の方へと駆けていく――て、ちょっと待てよ。おまえそんな高い所から飛び降りて大丈夫なのかよ⁉ 三センチからしたら、こんなテーブルでも清水の舞台より高いんじゃないか――などと、俺が驚いている間に、妻の「えーんっ!」と泣き叫ぶ声が遠ざかっていく。
我に返った俺は、慌てて玄関へと向かった。
だけど、どんなに目を凝らしても、三センチの妻の姿はない。
「まじかよ……」
それでも、耳を凝らすと玄関の向こうから、妻の鳴き声がかすかに聴こえる。
もちろん、玄関のドアは閉じている。三センチの体格でどうやっても重くて開かないだろうし、そもそもドアが開閉した音すらしていない。
「おかしいのなんて、いまさらだろ」
不可思議なことを言いだしたら、妻が三センチに縮んだことからして異常なのだ。
だから俺は自分の耳を信じて、ドアを開けた。すると、アパートの廊下でしょぼくれた顔をしている三センチの妻が、ジッと俺を見上げていた。
「おい……」
俺が声を掛けようとすると、くるっと踵を返して再び「えーんっ!」と走っていく妻。
「ちょ、おまえ――」
「家出してやるうううううううううう!」
もう完全に俺にはわかっていた。
もてあそばれている。いつもそうだ。自分の思い通りにならないと、すぐに不貞腐れた挙げ句、最終的に俺が一番困る方法でからかってくるのだ。
それが、今回は『家出』らしい。
「てか、一人で家にいれないやつが外に出るんじゃねええええええ!」
根本的な指摘を叫びながら、俺は妻の後を追う。
速い。三センチのくせに、なぜだか異様に速い。
そういやあいつ、身体弱いくせに、いつもリレーの選手やってたって言ってたか……そんなことを思い出しながらも、俺は後を追うしかない。
途中でチラホラ振り返っては、ちゃんと俺が付いてきていることを確認している妻。
別にほっといても、そのうちシレっと帰ってくるような気もするが……曲がりなりにも三センチ。途中で排水口に落ちたりされたら、笑い事じゃすまない。
付かず、離れず。
三センチはあまりに小さい。せめて親指くらい……いや、五センチでいいから……などと願っても、妻が風に飛ばされそうなほど小さいことには変わりない。
俺がただ三センチの妻だけを見つめて懸命に走っていると――ふと、妻が足を止めた。
そこは、家からひと駅分くらい離れた総合病院だった。あまり大病したことがなかった俺にとっては、無縁の場所。患者や従業員が出入りしている門の前で、妻がジッと病院を見上げている。
「おい、踏まれる――」
腰の悪そうなお婆さんに踏まれる直前で、俺はなんとか妻を拾い上げた。軽くお婆さんにぶつかってしまうも、会釈で何とか誤魔化しつつ、俺はそそくさと端に移動する。
俺が手の中の妻に、説教しようとした時だった。ズボンのポケットが震えだす。「やばい」と気が付き時計を見ると、とうに出社時間をすぎてしまっていた。
俺は恐る恐る、携帯に出る。相手は部長だった。
『お、電話には出れたか! 大丈夫か? 体調不良か⁉』
俺の職務態度が良好というのもあるだろうが、一番に体調の心配をしてくる部長。その偽りのない声音に申し訳無さが当然浮かんでくるものの、
「すみません……今、起きました……」
無論、俺はきちんと目覚まし通りに起きている。しかし、まさか身長三センチの妻が「家出する!」と外に飛び出したので、後を追っていました――なんて、報告できるわけがない。
『そうか……』
電話の向こうから落ちた声がする。俺の評価が……と、そんなことを心配していると、部長は言った。
『おまえ、今日は休め』
「し、しかし有給の残りも――」
『適当に直行直帰ってことにしておくから、心配するな。ゆっくり休め、いいな? 本当に限界来たら、誰にでもいいから相談するんだぞ?』
部長のあまりの優しさに「部長、しかし俺――」と口を挟もうとするものの、
『命令だ。わかったな?』
きっぱりとそう言われては、俺も「はい。ありがとうございます」と電話を切ることしか出来なかった。
そっと携帯を下ろす俺に対して、
「やったあ! 今日はお休みだね!」
手の中の妻が、両手をあげて喜んでいる。そんな無邪気な妻に、俺はよけいに項垂れるしかなかった。
「帰ろ帰ろ! 帰ったらいっぱいチューしよう!」
「……しねーよ」
妻をまわりから見えないように両手で包むように隠しつつ、俺はトボトボと踵を返す。
すると、妻が俺の指の隙間から、ジッと病院の方を見つめていた。
「どうしたんだ?」
「ううん、別に。それよりも、あのね――」
小さいのにキンキンとうるさい三センチの妻は、あれだけ走ったにも関わらず、今日もとても元気だ。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
谷中・幽霊料理人―お江戸の料理、作ります!
相沢泉見@8月時代小説刊行
キャラ文芸
女子大生の咲(さき)は東京・谷中で一人暮らしを始める。ところが、叔父に紹介されて住み始めたアパートには、幽霊が! 彼の名前は惣佑(そうすけ)。江戸時代末期に谷中で店を持っていた料理人で、志半ばで命を落としてしまったという。
実体がなくなってしまった惣佑の代わりに、料理初心者の咲が台所に立つことになった。
どこか不思議な男子大学院生・久世穂積(くぜほづみ)も交え、咲たちは食べ物に関わる『日常の謎』に巻き込まれていく。
ブループリントシンデレラ
ばりお
キャラ文芸
自分の肌の色も、目の色も、髪の色も、大嫌いだった。
何でこんな風に産まれたんだろう。神様は不公平だ。ずっとそう思ってた。
人より劣っている自分を、どうにかして隠したかった。変えたかった。
……でも本当は逆だった。
ただそのままを好きになってあげたかった。
何も変えない自分を認めてあげたかった。
この姿を選んで生まれて来た俺に、誇りを持ちたかったんだ!!
(心の弱さと劣等感を抱えた一人の男の子が、勇気を出して目を覚ましていくまでの物語)
あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~
菱沼あゆ
キャラ文芸
令和のはじめ。
めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。
同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。
酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。
休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。
職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。
おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。
庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる