月の光はやがて仄かに輝く

白ノ猫

文字の大きさ
上 下
2 / 15
本編

第二話

しおりを挟む
 それから彼は、度々妹と一緒にどこかへ出かけた。
 何をしに行ったのか、どこに行ったかなんて知らない。私には知る権利がないのだから。
 私は、彼の婚約者の姉。ただそれだけだ。

 周りの人達は、彼が私ではなく妹と一緒にいるのを見て、納得したように頷く。
 彼は社交界でも人気の人だ。若く、美しく、溌剌としていて、仕事のできる万能な伯爵。人気がないほうが不思議になるだろうくらいに、凄い人だった。
 そんな彼が、こんな冴えない私と婚約しているのは、端から見ても可笑しかったのだろう。
 世間が私達に向ける視線は、ただただ納得したものなのだ。私を見下す目すら、ない。



 そうして時は過ぎ、一年が経過した。
 私はもう少しで学園を卒業する。本来なら卒業してすぐ、彼と式を挙げる予定だった。
 そんな予定があったことなど、もう誰の記憶にも残っていないのだろうけど。

 彼と妹は相変わらず、仲睦まじい。
 彼の記憶が『異常』に戻ることなく、二人は相思相愛で幸せそうに過ごしている。
 妹は最初、私のことを気にかけていたけれど、彼の記憶が元に戻りそうにないことと、彼に愛されていること、それらの要因により彼の婚約者として振る舞うことに躊躇いがなくなったようだった。
 私が以前通りに過ごしているのもあって、気にならなくなったのかもしれない。

 私の感情に機敏に反応できる人なんて、彼しかいなかった。人より表情が変わりにくい私の表情を読めるのは、私をよく見ていた彼しか。

 あぁ――愛していた。彼を。

 しかしこの感情を誰かに言ったことはない。
 これからも、言うことは、ない。





 その日は、屋敷に私以外いなかった。父は仕事へ、母は友人の茶会へ、妹もまた友人と遊びに。
 そんな時に客人が来れば……私が応対するしかない。使用人にさせる訳にはいかないから。
 そう、誰がやって来ても。
 例え、彼がやって来ても……。


「申し訳ありません、リリアがいないことを知らずに来てしまって」
「いえ、こちらこそ、大したおもてなしもできずに申し訳ないです」

 彼は私が入れた紅茶を美味しそうに飲み、にこやかに会話を進めていく。

「お義姉さんとはあまり話したことがなかったので、こうして話せるのは嬉しいです」
「そうですか。ありがとうございます」
「リリアと違って、とても落ち着いているんですね。貴女を妻にする人は、きっと安心して家を預けられるんだろうな」
「……いいえ、リリアの方がきっと、良い妻になれます」

 奥ゆかしいんですね、と私を褒める彼は、これ以上ないほど好青年だ。
 本当は、こうでなかった。いや、外向きの姿はこうだったけど、もっと、腹黒くて、いつも政治について語っていて、私以外の人の方が美しいのに、私ばかりを見ている、変な人だった。
 あんな姿より、今の方が綺麗だ。彼は綺麗になった。
 妹に見合うような、心の美しい男性になった。

 もしかすると、神様がこの人を変えたのかもしれない。妹への最大の贈り物として、見合うように。
 だとすれば、そのために神様が彼を作ったのだとすれば。


 私の婚約者なんて、最初から存在なんかしていなかったのだ。


 彼からの愛は全てまやかしだった。
 だから私は何も失っていなかった。妹は初めから全てを持っていたのだ。
 彼を失ったと思った一年前の自分に、笑いが込み上げてくる。

「? ……お義姉さん?」

 堪えきれずに口角を上げた私に、彼が不思議そうに声をかけてくる。
 その様子が私を心配しているものだと分かるのが、つらい。
 他の誰も私に視線をくれることなどないのに、妹の婚約者になった彼が未だに私を見ているとは。
 もう気にしなくていいのに。私のことを気にする貴方は、もともと存在していなかった。

 ――そうでしょう? 神様。


「……いえ、少し、思い出し笑いをしてしまいました。はしたないところを見せてしまい、申し訳ありません」
「それなら、いいのですが」

 今度は不審そうに私を見ている。

「……なんだか、悲しんでいるように見えてしまったので」

 あぁ、なんてことだろう。私のことは忘れてしまったのに、表情の読み方は覚えているのか。
 もういいから、これ以上希望を持たせないでほしい。他の人と同じように、私を見ない人になって。
 そうすれば、きっと。
 きっと、もう傷つかないから。


「……気のせいです、ノエル様の」

 そうやって微笑んで、ありもしなかった愛の記憶を忘れて、誤魔化して。
 妹のための世界に、私も入ろう。

「お義姉さ――」
「何か茶菓子を出しますね、ノエル様。妹ももう少しで帰ってくるでしょう。きっと喜びます、愛する人に会いに来てもらったのですから。私からも、お礼を言います」
「待っ……」

 彼の台詞を聞こえなかった振りをして、部屋を退出した。
 本当なら相手の言葉を途中で切るなんて失礼極まりないことだけど、彼は優しいから許してくれるのだろう。
 過去と違う、今の彼の優しさは、万人に共通するものであって、過去のように裏があるものではない。私に本音を言ってきたような、そんな人は今の彼にはいない。
 ――そこに、何か救いがあるわけないけど。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

優等生と劣等生

和希
恋愛
片桐冬夜と遠坂愛莉のラブストーリー

婚約者が最近流行りの断罪劇の本を読み漁っています。どうやら今夜実行に移すようですが・・・どうしましょう?

四折 柊
恋愛
 アリエルは最近婚約者の様子がおかしいことに気づく。彼は流行りの断罪劇を画策しているようで……。はたして上手くいくのか? 思いつめた彼の事情とは! 基本、両想いのほのぼのなお話。  アリエル・オルグレン公爵令嬢18歳(しっかりもの)  テオドア・マーレイ伯爵子息16歳(泣き虫)  

あなたのためなら

天海月
恋愛
エルランド国の王であるセルヴィスは、禁忌魔術を使って偽の番を騙った女レクシアと婚約したが、嘘は露見し婚約破棄後に彼女は処刑となった。 その後、セルヴィスの真の番だという侯爵令嬢アメリアが現れ、二人は婚姻を結んだ。 アメリアは心からセルヴィスを愛し、彼からの愛を求めた。 しかし、今のセルヴィスは彼女に愛を返すことが出来なくなっていた。 理由も分からないアメリアは、セルヴィスが愛してくれないのは自分の行いが悪いからに違いないと自らを責めはじめ、次第に歯車が狂っていく。 全ては偽の番に過度のショックを受けたセルヴィスが、衝動的に行ってしまった或ることが原因だった・・・。

夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】 王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。 しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。 「君は俺と結婚したんだ」 「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」 目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。 どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

処理中です...