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28. 殺気
しおりを挟む「イリス殿、これから公爵家に戻ると聞いた。どうか俺に貴女を守らせてくれないだろうか」
「え? でもエクトール様はリディオ殿下の護衛ですよね? 守るのは殿下なんじゃ──」
「大丈夫です。殿下は俺より強いので心配ご無用です」
「それを決めるのは俺だろ。勝手に配置変えしてんじゃねーよ」
スパーンと小気味よく頭部を叩く音がする。
「お前、番に会うまでは俺に過保護なくらいだったのに、薄情な奴だな!」
「殿下、嫉妬ですか? 大丈夫ですよ。俺の忠誠は全て殿下に捧げてますから。ですが愛情は……すみません、それは番にしか捧げられないのです。どうぞご理解下さい」
「なんで求めてねぇのに俺が振られたみたいになってんだよ」
胸に手を当て、臣下の礼を取るエクトール様の後頭部を、リディオ殿下が再度スパンと叩く。
「ふふふっ。お二人は本当に仲がよろしいですね」
シグルドと離婚してから既に三ヶ月が過ぎ、彼らのこうしたフランクな掛け合いもだいぶ見慣れてきた。
竜王国の人たちは、上司と部下の距離がとても近い。
特にリディオ殿下とエクトール様は乳兄弟でもあるため、家族同然の付き合いらしい。
明るい殿下の人柄は兄様もマルシェも気に入ったようで、今では王族の垣根を越えて、友人のようにだいぶ打ち解けた関係になった。
貿易条約を締結し、視察を終えて帰国したはずの彼らが、なぜまたディファイラ王国にいるのかというと──
条約に含まれていた宝石職人の派遣団に彼らもついてきたからだ。初めてのライセンス事業ということで、責任者として職人たちを管理するために同行したらしい。
──というのが表向きの理由。
本当はエクトール様が番──つまり私と長期で離れることに耐えられなかったからだとリディオ殿下に言われた時は、唖然としてしまった。
でもそこは、番の習性を持ち合わせていない私にはわからない苦労があるらしい。
『彼らと親交を深めるのは国にとっても良いことだから、イリスは何も気にしなくていいよ』
と兄様に言われてしまえば、これ以上何も言うことはない。それでも、毎月のように顔を合わせると、心配にもなる。
こんな遠い国を行ったり来たりして、殿下は公務に支障がないのかと聞けば、転移魔法で一瞬で行き来できるから問題ないと言われて驚愕した。
竜王国は、ディファイラ王国から陸路で一ヶ月ほどかかる。それを飛竜を乗りこなして一週間で来ることすらすごいことなのに、竜王国の王族は転移魔法が使えるらしい。
私たちは魔力がないので魔法を見るのは初めてで、竜王国が最強の軍事国家だと言われる所以がわかった気がした。
こういう事情から、リディオ殿下とエクトール様は定期的にディファイラ王国に足を運んでいる。
そして冒頭に繋がるのだが──
「護衛と言っても、公爵家のタウンハウスは王宮から馬車で三十分くらいで着いてしまいますし、今日は父と資産整理の話し合いをするので、同席はさせられません。多分、話も長くなると思いますよ? 」
「構いません。お話が終わるまで扉の前で待機しています」
(今日は全然引き下がらないわね……どうしたのかしら?)
今日実家に帰るのは、父に呼び出されたからだ。
私が国を出る前に、資産整理をして生前贈与できるものを譲渡したいと言われ、その手続きをしに行く予定だ。
エクトール様はそれに護衛として同行したいと言っている。
エクトール様と私が番だということを公表していない以上、バツイチの元女公爵が他国の騎士を連れて歩くなんて、悪目立ちもいいところだ。
父になんて言えばいいのかもわからない。
どうしたものかと悩んでいると、リディオ殿下が申し訳なさそうに口を開く。
「オルタンシア公爵令嬢、申し訳ないがエクトールに護衛をさせてやってくれないか? 公爵には手紙を出す。だからどうか──頼む」
(う……殿下に言われたら断れないじゃない……っ)
「──わ、わかりました。では出発の準備ができたら声をかけさていただきますね」
「はい! ありがとうございます。必ず貴女をお守りします。イリス殿」
◇◇◇
「お会いできて光栄です。オルタンシア公爵。私は竜王国第二王子であるリディオ殿下の使者として参りました、側近のエクトール・セイブリアンです。以後お見知りおきを」
「ご丁寧にどうも。この度公爵に戻りましたロビン・オルタンシアです。イリスの父です。話は娘から聞いています。我が事業に興味を持っていただき、大変嬉しく思います」
「ご令嬢から事業内容についてお話は聞いておりますが、我が主は公爵にも是非ご挨拶したいと申しておりまして──」
(会話がすごく自然な流れだわ。流石ね──)
父にどう説明するか悩んだが、全くそんな心配はいらなかったようだ。自分たちの仲を勘繰られたらどうしようと悩んだのが自意識過剰みたいで、少し恥ずかしくなった。
でもこの後、私の護衛も担っているからと、父の執務室の前で待機すると言い張った時は流石に断りを入れ、彼は渋々応接室に向かった。
その後は父から生前贈与の書類を見せられ、別荘や土地などを譲られそうになったけれど、全部断った。
「なぜだ!? これは元々お前が公爵の時に受け継ぐものだったやつだぞ?」
「私はこの国を出るから、土地や別荘なんてもらっても管理できないし、必要ないわ。会社の株と研究施設の代表の席を譲ってもらえるだけで十分。あとはお父様が好きにして」
「──やはり、もう国には戻らないつもりなんだな」
「いいえ? 仕事とお母様の墓参りをする時は帰るわよ。公爵家に帰るかはわからないけど」
「……そうか」
寂しそうに笑う父を見ても、何も言うつもりはない。
たとえ血の繋がった親子でも、取り返しのつかないことはある。たとえギフトのせいだったとしても、妻と娘を裏切る行動を取ったのは父だ。
裏切るなら、愛情を失う覚悟を持たなければならない。
だから、私と父は遠い肉親の距離が一番いい。
近くにいてもこうして傷つけ合うだけだから。
手続きを終え、エクトール様と合流して邸を出た時、名を呼ばれた。
振り返ると、少し目元を潤ませて微笑む父の姿があった。
「国を出る日が決まったら、教えてくれないか?」
縋るような声色に少し思案した後、頷いた。
それから、改めて邸を見渡す。
私が生まれ育った生家。
幸せだった時間が短かったせいで、あまり良い印象を持てない。次にこの場所に足を踏み入れるとしたら、私の中で完全に過去を清算できた時だろう。
今はまだ、思い出したくない場所だ。
「イリス殿?」
エクトール様が心配そうに私を見ている。
「いえ、行きましょうか」
心配いらないと笑顔を返し、門を出て馬車に乗り込もうとした時だった。
視界の端に、こちらに駆けてくる人影と殺気。
何か光るものを振り上げて私に向かってくる。
その人物が見覚えのある女だと気づいた瞬間、視界が大きな壁に塞がれた。
ここまで、全てがスローモーションのように見えた。
私は全く動けなかった。
一体何が起こったのか。
ただ理解できたのは、地面にポツポツと落ちて水玉を描くものが、赤い血のように見えたことだけ──
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