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第五章 〜ゲーム開始『君に捧ぐ愛奏曲〜精霊と女神の愛し子〜』

206. 兄の婚約事情③

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「皆久しぶりだな~。あ、ヴィオラ嬢、ノア、婚約おめでとう」

(セナ様、全然変わってないわ)

ノアが皇弟だと知っているのに、以前と変わらぬ軽快な口調で話しかけるセナの度胸に感心してしまう。

「おー。ありがとな」

「ありがとうございます。セナ様」

「セナ何で来たの? 呼んでないんだけど」

「クリスは相変わらず冷たいなぁ。親友の顔を見に遥々王都から来たんだよ! 連休中は世話になるつもりだから、一緒に魔法訓練しような! 帝国魔法士団の幹部に教えてもらえるなんて、楽しみすぎて昨日は眠れなかったよ」

「そっちが本命で僕はオマケじゃないか。何が親友だ」

肩をがしっと組むセナを鬱陶しそうにする兄を眺めながら、もしかして——と思い、ノアを見上げる。

すると目が合った彼の口角が上がった。

(こないだ言ってた適任者ってセナ様のことだったんだ)


ノアが苦笑しながら小声で種明かしをする。

「セナなら当て馬役に最適だろ? 頼んだら本人も面白がってこうして飛んできたよ」

確かに彼は侯爵令息で見目も良い。
おまけに第二王子の側近候補だ。

学園でも彼に婚約者がいるにも関わらず、懸想する令嬢が何人もいたのを覚えている。ノアの言う通り、彼なら適任かもしれない。

「確かに彼ならお兄様を揺さぶれそうですけど……ケンカしないかな?」

「それは自己責任だな。まあ、本人が楽しそうだからクリスに処されようが本望じゃないか?」 

「ええ……?」

(本当に大丈夫かしら……?)

「カリナちゃんも久しぶりだね。短い間だけどよろしくね」

セナが隅に控えていたカリナに声をかけ、ウインクを投げた。突然声をかけられたカリナは戸惑いながらも丁寧な挨拶を返す。

「おお、早速仕事してるな、アイツ」

ノアの呟きにヴィオラも頷く。
そして目の前の兄に視線を移した。

後ろ向きで表情は見えないが、黙って二人を眺めているのが逆に怖い……。

(今の段階では嫉妬しているのか、ただセナ様の行動に不機嫌になっているだけなのかわからないわね)

とりあえず様子見で——と、ノアと視線で合図を交わしていると、急に真面目な顔をしたセナがノアの前に立ち、臣下の礼を取った。

「ノア様、いろいろとご報告したいことがありますので、お時間いただきたく存じます」

「ああ、わかった。じゃあサロンで話そうか」


セナのガラリと変わった雰囲気に、彼らの話だと察した。
もう癖になっているのか、反射的に体が強張ってしまう。

「ヴィー、大丈夫か? 話なら俺が聞いとくから無理しなくていいぞ」

「大丈夫です。ノア様」

自分が悪役令嬢のヴィオラであり、本物の聖女である限り、乙女ゲームの攻略対象者とヒロインのリリティアとは切っても切れない関係なのだろう。

(あれからルカはどうしているのかしら……)

自分とノアの婚約は新聞にも掲載されたから、きっと目にしているだろう。でも彼が本当に愛しているのはリリティアだから、今頃ホッとしているのかもしれない。

彼を思い出すと、まだチクリと胸が痛む。でも以前のような心臓を握り潰されそうな激しい痛みはもうない。

恋心を捨てられなくて、思い出に縋って、足掻いて足掻いて、一縷の望みにかけて──そして燃え尽きた恋だった。

自分が乙女ゲームの悪役だと知ってからは、尚更無理なのだと思い知った。

それでも自分は今、こうしてまた立ち上がり、笑うことができている。少し前までは人生に絶望して女神さえ恨んでいたのに——

(皆の……ノア様のおかげね)

訓練と商会の仕事が忙しくて気が紛れているのもあるが、一番は惜しみない愛情をノアが注いでくれるからだろう。

まだ自分の気持ちが追いついていないが、彼の誠実な愛に対して、ちゃんと同じくらいの想いを返したいと思っている。

報われない恋は辛い。

あんな辛い思いを、ノアにさせていた事実を知った時は、胸に来るものがあった。そして次に湧き起こったのは、彼を悲しませたくないという強い想い。

皇弟の妻なんて恐れ多くて怖いと思ったが、ずっと側に寄り添い、守ってくれた彼自身のことはずっと前から慕っている。

今はまだ恋とは言えないけれど、それでも彼への親愛がいつか恋に——愛に変わる日は遠くないと思っている。

凪いだ水面に一粒の雫が落ちて、穏やかにゆっくりと波紋が広がるように、些細なきっかけが心を動かし、少しずつ実り、気づいた時には大きな想いに育っていることもあるだろう。

隣を歩くノアを見上げると、視線に気づいた彼が蕩けるような優しい笑みでヴィオラを見つめる。その琥珀色の瞳は透き通るように澄んでいて、美しい。

この瞳を曇らせたくない思う。

彼がずっと自分を守ってくれたように、ヴィオラもノアを守りたい。悲しい恋をしてほしくない。

その愛に応えたい──


ノアの微笑みに、同じように笑みを返す。するとノアが目を見開き、片手で口元を押さえて顔を背けた。

褐色の肌が赤く色づいているのに気づき、ヴィオラの胸は温かくなって思わずクスクスと笑いが溢れる。


そんな甘い雰囲気の二人を後ろから目撃したセナは、ノアのデレた姿に驚きを隠せない。隣のクリスフォードの肩をバシバシ叩きながら「何あれ」を連呼した。

「痛い。やめろ」

「え、ノアめちゃくちゃヴィオラ嬢にベタ惚れじゃん。何? 今まで俺がヴィオラ嬢に絡んだ時に殺気飛ばしてたのって、護衛のためじゃなくて、ただのヤキモチだったとか?」

「九割そうだね」

「ええ? いつからだよ」  

「結構前からだよ。だから僕はさっさとルカディオと婚約解消してほしかった。ノアなら安心してヴィオを任せられるからね」

「まあ、そうなるよなぁ……──で? お前はどうなの? ヴィオラ嬢が落ち着いたなら次はお前なんじゃない?」

「なんの話?」

「とっくにお前が卒業したのを知らない女共が、お前の婚約者の座を狙って学園に来るの待ち構えてるぞ」

自分に秋波を送っていた令嬢たちが脳裏に浮かび、クリスフォードは苦虫を潰したような顔になった。

セナはそれを横目で見ながら、何気なしに尋ねる。

「釣書もいっぱい届いて、選り取り見取りなんだろ? 候補は決めてるのか?」

「まさか。釣書すら見てないよ。そもそも見る暇なんかなかったしね。これからも見るつもりなかったけど──」

「……好きな女でもいるのか?」

「いや、いないよ」


その言葉と表情に嘘は見られない。

気づいていないだけか、もしくは本当に何とも思っていないのか──セナはどちらかというと前者だと思っている。


なぜなら、シスコンのクリスフォードが妹以外の女性のことで殺気を飛ばしてきたのは初めてだったから。

(ヴィオラ嬢は鈍くて危なっかしいとよく愚痴ってたけど、お前も相当だぞ、クリス)


「何ニヤニヤしてんの? キモいんだけど」

「別に。アオハルだなぁって思っただけ。ちょっとお前が羨ましいなって」

「は? 意味わからないんだけど」


片眉を上げて訝しげに見てくるクリスフォードをいなしながら、セナは頭の中でこれから報告する内容の精査を始めた。
















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