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第五章 〜ゲーム開始『君に捧ぐ愛奏曲〜精霊と女神の愛し子〜』
101. 見えない足跡 side 王太子アイザック
しおりを挟む王宮の私室で、月明かりと間接照明の柔らかい灯りの中、アイザックは寝酒を嗜んでいた。
眠気と酔いが混ざり合った頃、コツコツと窓に何かが当たる音が聞こえた。
「…………」
剣を手に持ち、足音を立てずにゆっくりと窓辺に近づく。
アイザックの私室は王子宮の最上階にある。
夜中とはいえ、厳重な警備を掻い潜って最上階のバルコニーに降り立つなど普通ならあり得ない。
剣を構え直し、すぐに魔法が使えるように魔力を練る。
そして窓の外にいる者に声をかけた。
「──誰だ?」
(手練れの暗殺者か?)
そう思って身構えると、聞いたことのある声が返ってきた。
「俺だ、アイザック。ノアだ」
「その部下のマルクもいますよ~」
その声の主に気づき、慌てて剣を置いて窓を開けた。
「ノア殿、マルク殿。こんな夜更けにどうしたんです?もう少しで不審者として切りかかるところでしたよ。よくうちの警護を掻い潜れましたね」
「そういうのを掻い潜るのが仕事なんで」
「……帝国の即戦力の前では、バレンシアも形無しだな」
セキュリティの甘さを指摘され、アイザックは苦笑した。
アイザック自身も攻撃魔法が得意な優秀な魔法士だが、この二人にはとても敵う気がしなかった。潜ってきた場数が違う。
内乱で荒れていたグレンハーベルを平定させた最もたる功労者は帝国魔法士団だ。その副団長であるノアと幹部のマルクに、実戦経験の浅い王太子が適うはずがない。
この二人が本気を出せば、アイザックの首など簡単に胴から切り離せるだろう。
その圧倒的な実力差に、アイザックの意志とは関係なく背中にじとりと汗が流れた。
部屋の中に二人を通し、ソファテーブルを挟んで向かい合わせに座る。
「それで、用件は?」
こんな夜更けに王宮に来たのだから、早めに本題に入った方がいいだろうと話を促した。
「王家と教会はあの偽聖女をどうしたいんだ?」
「……──教会は正式に聖女に任命して教会の威信と権力を拡大したい。父は長生きのために彼女を専属の治癒魔法士にしたい。俺はオルディアン伯爵家の双子たちが覚醒するまでの駒──というところですかね」
いきなり確信をつく質問にアイザックは一瞬ためらったが、非公式で訪れたノアに建前は不要だろう。
だからそのまま本音を伝える。
「でも現状は、その駒が俺たちの足を引っ張っている状況です」
そう言って疲れたようにため息をついた。
リリティアの学園での噂はアイザックにも届いている。どれをとっても淑女らしからぬ軽率な行動ばかりだ。
元は平民で孤児院育ちだと聞いた。
それならば貴族マナーが身についてなくても仕方ないとは思うが、男爵家に引き取られて三年はたち、その間に男爵は家庭教師を雇って彼女に教育していたという。
だが実際はその教育が身についているとは到底思えないと影の報告を聞いた。
現在では、聖女候補は勉強ではなくハーレムを築きに学園に来たのか?──と揶揄される光景が繰り広げられているらしい。
学園内での聖女候補の護衛を任された弟と側近たちが、まるでお姫様か恋人を扱うかのように聖女に侍っているという。
(アイツらはバカなのか──)
彼らの婚約者は議会でも発言力を持つ有力貴族だ。
その娘たちを蔑ろにして聖女候補とイチャつく男たちを、娘の親がなんと思うのか──なぜ想像できないのだろう。
おかけでクレームがアイザックに入ってくるようになった。
そして目の前にいるノアもきっと苦情を言いに来たに違いない。
「その表情を見ると、学園での様子を聞いているようだな。あの偽聖女、この短期間でハーレムを築きあげてるぞ」
「おかげさまで彼らの婚約者の父親から俺にクレームが来てますよ。ああやだ、胃が痛い」
「教会はなんと言っている?」
「本人に注意してもあまり響かないから、大司教の息子に純潔だけは守れと見張らせてるらしいです」
「……低次元な対策を取らなければならないなんて、教会も気の毒だな」
「彼女、私にも声かけて来ましたよ。学科が違うのに驚きました」
マルクの話にノアとアイザックが驚いて目を見張る。
「なんでマルクに? なんて言われたんだ? まさか正体を見破られたのか?」
「いえ……先生、カッコいいですね!今度勉強の相談にのってもらえませんか?と──」
「…………学科違うだろ」
「ええ、違いますね」
はあ……と三人同時にため息をついて項垂れる。
偽物なら偽物らしく大人しくしていればいいものを──と、アイザックは苦々しい思いで顔を顰める。
「──正直、あの偽物はヴィオラに悪影響を及ぼしている」
ノアが僅かな怒気を乗せて呟いた。
「──ルカディオの件ですか?」
「ああ。アイツもどうやら偽物にご執心らしい。婚約者であるはずのヴィオラに敵意を向けるから、ヴィオラの魔力が常に不安定だ」
「ダミアンとセレシアの事件を気の毒に思ってその息子を弟の側近に据えたんですが、今になって裏目に出たな。ルカディオにも監視をつけますか?」
「頼む。それから、いざという時は二人を休学させる」
「彼らは優秀だと聞いているから、認定試験を受けて飛び級で卒業させたらどうですか?それなりに難しいから勉強はしなければならないと思いますが」
「わかった。そっちも検討しておく。なんにせよ、こちらはヴィオラとクリスフォード優先で動く」
「わかりました」
「それから──」
ノアの纏う空気が変わり、部屋に緊張感が走る。
無表情のまま、まっすぐにアイザックを見据え、続きの言葉を紡ぐ。
「先に宣言しておく。もしヴィオラたちを傷つけられたら、俺は相手が他国の人間だろうが、学生の身分だろうが容赦はしない」
怒気を纏った鋭い視線がアイザックを捉える。
その言葉はきっと、偽聖女と彼女を囲う五人の男たちへの宣戦布告なのだろう。
言外に、我が国の民に手を下す許可を出せと言っているのだ。
その中に弟が含まれているのも、アイザックが断れない立場なのも承知の上で免罪符をよこせと言っている。
自分より年下であるはずのノアの覇気に圧倒され、アイザックは首を縦に振った。
「構わないですよ。俺が責任を持ちます」
神に対抗出来る人間は、女神の愛し子のみ。
どちらを優先するか、そんなものは既に答えが出ている。
この時、アイザックは以前自分がエイダンに呟いた言葉が現実になるかもしれないと覚悟した。
いざという時は、国のために弟を捨てる──
ヴィオラたちはまだ子供で、すべてを委ねるのは酷でしかないだろう。それでも対抗手段が彼らしかない以上、それに縋るしか道はない。
現状維持で彼らが成長し、聖女と聖人として覚醒することを祈り続けるしかない状況に、アイザックは悔しさで奥歯を噛み締める。
「それにしても、あの偽物……やっぱり異様ですよね。入学して二ヶ月そこらで護衛という名のハーレム要員を全員落とすなんておかしくないですか?確かに容姿は可愛らしいですけど、傾国の美女というほどではありませんでしたけどね?」
顎に手を添えて首を傾げるマルク。
「魅了系の精神魔法を疑っていたんですけど、鑑定しても魔力残滓は見つからなかったですし、魔草の痕跡もありませんでした。それ以前に彼女の魔力量は平均以下なので、精神魔法をかけることは技術的に無理でしょうね。全属性の魔力を持っていたとしても、低魔力では生活がちょっと楽になるくらいのレベルです。聖女の役目を果たせるとは到底思えません」
「まあ、偽物だからな」
「皇帝からの進捗は?」
アイザックの質問にノアが首を振る。
「そっちにも報告がいっていると思うが、商人の情報網で密輸現場を押さえたことは何度かある。だが後ろの組織を調べようとすると情報を持っている奴が不審死を遂げたり、煙のように消えてしまうらしい」
「……こっちも同じだ。バレンシア側の密輸の元締めはマッケンリー公爵だと睨んでいるが、邸には強力な結界が張ってあるのか、影が潜入出来ない。入ろうとしても気づいたら別の場所に飛ばされているらしい」
「強制的に転移したということか?」
「多分そうだろうと思います」
「転移なんて神の領域ですよ……これはもうマッケンリー公爵はクロで決まりじゃないですか?やましさしか感じない」
神の領域──
まさしく、そうだとしか言えない状況が続いていて、アイザックは頭を抱えていた。
賢王の祖父の才能を受け継いだと言われているアイザックでさえも、神の前ではお手上げだった。
「公爵がクロだとしたら、王家の干渉に気づいているかもしれないな」
ノアが難しい顔で呟いた。
「ええ。だから今は様子見して泳がせています」
歯痒い。
これほどに自分の無力さを痛感したことはない。
こうしている間にも、敵はその手を広げている。
愛し子の覚醒まで、アイザックたちは見えない足跡を追い続けるしかなかった。
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