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第五章 〜ゲーム開始『君に捧ぐ愛奏曲〜精霊と女神の愛し子〜』
120. 勧誘
しおりを挟むリリティアの名を出され、ヴィオラは硬直した。
エリアナが何を聞きたいのかはわからないが、これからされる話がヴィオラにとっては良くない話であることは直感的に悟ることができた。
マルティーナとチェルシーも、リリティアの名が出た途端に表情を曇らせる。
ドクドクと心拍数が上がる中、狼狽えてはならないと己を鼓舞する。この場での一挙手一投足がルカディオの評価に繋がる。
いつか解消するとはいえ、現時点でルカディオの婚約者がヴィオラであることは変わらない。
(ルカに迷惑かけないようにしなくちゃ。ルカは……彼女が好きなんだから──)
「先日、聖女候補のサネット男爵令嬢がヴィオラ様とクリスフォード様に会いに行き、暴言を吐いたという報告を受けておりますの。災難に遭われてさぞお心を痛めているのではと思いまして、今日は会いに来ましたのよ」
「下位貴族にらしからぬ態度だったと聞いておりますわ。初対面で許しもなく声をかけ、クリスフォード様の名を呼んだとか」
「更に婚約者であるヴィオラ様の前でフォルスター侯爵令息様の体に触れたらしいですわね。なんと汚らわしいのかしら」
扇子を広げ、マルティーナとチェルシーが目を細める。その瞳にはリリティアに対する蔑みの色が見えた。
自分も何かを間違えれば、この冷たい視線を向けられるのだろうか?
(──怖い)
どう返していいのか分からず、ヴィオラは曖昧に微笑む。
彼女たちの瞳を見て、脳裏に前世の家族の顔が浮かんだ。
連鎖するようにミオだった時の記憶がフラッシュバックし、ヴィオラの胸を酷く締め付ける。
同じ視線を、自分は知っている。
ミオ以外の家族は、周りに賞賛される優秀な医者だった。
そんな家族の中で、唯一医者ではなく薬剤師の道に進んだミオは異端の目で見られ、両親には出来損ないの失敗作だと蔑まれた。
薬剤師も立派な仕事であり、自分はその道の研究者になりたいと何度訴えても、聞き入れてもらえることはなかった。
そして優秀な両親の血を継いだ兄と姉。天才と言われる彼らとは常に比べられ、嘲笑され、妹として可愛がられたことなど一度もない。
お前には存在価値などないという視線しか向けられなかった前世の自分。
そして最後に浮かんだのは、殺気を帯びた憎悪の眼差しで睨みつける義母の顔──
まるでヴィオラが生きていること自体が罪なのだと訴えかけるような圧倒的な悪意を思い出す。
「……っ」
膝の上で組んだ両手が小さく震えた。
「まあ大変。顔色がとても悪いですわ、ヴィオラ様」
「やはりヴィオラ様もサネット男爵令嬢のせいで苦しんでいるのですね」
「お気持ちわかりますわ。私たちも同じですから」
顔を上げると三人とも沈んだ表情を浮かべていた。
「……同じ……とは?」
「彼女はわたくしたちの婚約者にも色目を使っているのです。アレが聖女候補だなんて何かの間違いだとわたくしは思っておりますわ」
「聖女ではなく、まるで娼婦ですわ」
「彼らはあの女に騙されているのです」
(色目──?)
リリティアはルカディオだけでなく、他の男性にも粉をかけていると聞き、ヴィオラの胸の中が重たく沈む。
瞬時に嫌な兆候だと気づき、横髪を耳にかけるフリをして、ジルからもらったピアスの魔道具に少しだけ魔力を送った。闇の魔力が作動するのを感じ、感情の昂りが沈められていく。
(ダメだわ。まだ気持ちの整理ができていないから、ルカと彼女の話を聞くとグラついてしまう。こんなんじゃダメなのに……)
自分の失態のせいで国を危険に晒すことはできない。
ルカディオの足を引っ張るわけにもいかない。
それで恨まれて今まで以上にルカディオに敵意を向けられれば、ヴィオラはきっと耐えられない。
元来コミュ障で王都での社交が初めてのヴィオラは、雁字搦めのプレッシャーに今にも押しつぶされそうになっていた。
(私はもう諦めるの。もうあの二人には関わらない。そして区切りをつけられたら、婚約解消するのよ)
そんな決意を頭の中で繰り返しているヴィオラに、更なる窮地が差し迫る。
「ヴィオラ様、私たちに協力していただけませんか?」
「協力……?」
「ええ。あの女狐から婚約者たちを救うために、貴女の力を貸してほしいのです。貴女だって、ルカディオ様に纏わりつくあの女が目障りでしょう?」
「わ、私は……そんな……」
「嘘ね。貴女はあの女を憎んでいるはずよ」
エリアナの透き通ったガラス玉のようなグレーの瞳がヴィオラを捉え、心の内にある黒い感情を見透かしてくる。
「わたくしたちは、あの女が何らかの不正を働いて聖女候補の地位についたと思っています。全属性の魔力を有していると言われているわりには魔力量は低く、何の功績も成していないではないですか」
「このままでは私たちの婚約者があの女の毒牙にかかり、王太子殿下の治世に影を落としますわ」
「道を踏み外そうとしている彼らの目を覚まさせるのも私たち婚約者の務めだと思うんです。一刻も早くあの女を彼らから遠ざけるために、どうか私たちに力を貸してくれませんか?」
三人の強い視線に、ヴィオラはたじろぐ。
彼女たちが自分に何を求めているのかさっぱりわからない。
そしてなぜか先程から脳内で警報が鳴っている気がする。
わかろうとしてはいけない。
聞いてはいけない。
そちら側についてはいけない。
本能的な何かが、ヴィオラの脳内に語りかける。
女神ではない声。
誰なのかわからない。
でもどこか懐かしく感じるのはなぜなのか──
それなのに現実の声は、畳み掛けるようにヴィオラを誘う。
「あの女からルカディオ様を救えるのは、ヴィオラ様だけですわ。まさかこのまま彼を見捨てるおつもりですの?」
ヴィオラを見透かすエリアナの瞳が細められ、弧を描いた。
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