5 / 228
第一章 〜初恋 / 運命が動き出す音〜
1. 前世を思い出した夜
しおりを挟む
ヒュンッ!バシッ!バシッ!
部屋に鞭のしなる音と肌を打つ音が鳴り響く。
「ごめんなさい・・・っ、ごめんなさいお母様っ」
「うるさい!お前のせいでまたクリスの体調が悪くなってしまったじゃない!この疫病神!」
「痛い・・・っ、いたい~っ、やめてお母様っ」
母親の足元に蹲っている小さな娘の背中を、悪魔のような形相をした母親が、何度も何度も鞭で打っている。
「奥様・・・っ、お願いです!これ以上はやめて下さい!出血多量で死んでしまいます!」
娘の近くに控えていた専属侍女が耐えきれずに小さな少女を抱きしめ、代わりに鞭で打たれる。
「なんのつもりよ!使用人の分際で伯爵夫人である私に逆らう気!?ヴィオラはね!嫡男であるクリスの発作を誘発したのよ!?おかげであの子は一時的に死にかけた!殺そうとしたのも同然よ!」
「発作はお嬢様のせいではありません!お嬢様はただクリス様を看病していただけです!医師もお嬢様は関係ないと言っていたではないですか!」
「違う!クリスの体が弱いのは全部ヴィオラのせいなの!お腹の中にいた時にヴィオラがクリスから健康な体を奪ったからよ!この子がいなければ!クリスは健康で生まれて来たんだから!」
半狂乱になりながら侍女の背中に鞭打つ夫人の声を聞き、廊下に複数の足音が聞こえてくる。
勢いよく扉を開け、執事や護衛達の眼前に飛び込んできた光景は、血塗れの小さな少女と、主を庇い、同じく背中から血を流している侍女の姿。
「ヴィオラさえ!ヴィオラさえ生まれて来なければ伯爵家は幸せだったのに!この疫病神!アンタが病気になれば良かったのよー!」
涙を流し、憎悪で醜く顔を歪めながら一心不乱に鞭を振り下ろす伯爵夫人を、護衛達が抑える。
「奥様!お辞め下さい!何をなさっているんですか!」
「うるさい!離しなさい!これは親としての躾なの!使用人は引っ込んでなさい!」
「いいえ!引きません!これは躾ではなく虐待です!どこに王家の目が潜んでいるかわからないのですよ。もし醜聞となって王家の耳に入った時、罰を受けるのは王族の専属侍医である旦那様です!そうなった時、奥様に責任が取れるのですか!?」
「・・・!?」
夫人の手が止まる。だが憎悪の目は未だ娘に向けたまま、怒りに震えていた。
「ごめんなさいお母様・・・、ごめんなさ・・・い・・・」
「お嬢様・・・?お嬢様!」
出血と痛みに耐えきれず、ヴィオラは意識を手放した。
(・・・生まれてきて、ごめんなさい)
**********
その夜、ヴィオラは夢を見た。
ある建物の中を上から俯瞰で見ていた。
身体が空中に浮いているような不思議な感覚。
見た事もない景観の白くて広いホールに、東の国で見られるような顔だちをした人達がたくさん行き交っている。
髪の色も自分の国では少数しか見られない黒髪や茶髪の人が多い。
そしてどうやら自分の姿は誰にも見えないらしい。
試しに声をかけたが気づいてはもらえず、肩に触れようとしたらすり抜けたので、これは現実世界ではないのだろう。
服装も異国のもので見た事もないはずなのに、何故か懐かしさを覚えた。
(私・・・ここを知っている・・・?)
その時、とても聞き覚えのある声がした。
「3番の番号札をお持ちの方!お待たせしました」
その声に振り返ると、長い黒髪を後ろで一つに結び、白衣を来た女性がカウンターの奥に立ち、笑顔で老人に何かを話している。
その女性の顔にヴィオラは衝撃を受けた。
自分がよく知っている人間だったからだ。
10歳になるまで生きてきて、彼女に会った事など一度もないのに、何故かこの女性の事をヴィオラは知っていた。
(この人は・・・・・・私・・・?そうだ・・・ここは病院・・・そう!病院だ!そして私はここで働いていた!)
頭の中でそう叫んだ時、ガラスが割れたような弾けた音がして、頭の中に様々な情報が流れてきた。
次々に流れ込んでくる情報量に目が眩み、思わず瞳を閉じる。そして自分の体が何かに引き摺られる感覚を覚えて慌てて目を開けると、目の前に老人がいて自分の話を聞いていた。
頭の中に疑問符が浮かぶが、勝手にヴィオラの口から言葉が紡ぎ出される。
目の前の患者さんに、一つ一つ薬の効能と飲み合わせについて説明し、薬を手渡す。
「どうぞお大事に」
自然にヴィオラの口から労りの言葉が出た。
それに対し、笑顔で礼を言う老人。
ヴィオラの胸に、何かをやり遂げた充足感が広がる。
(そうだ。私は薬剤師だった。日本人で、名前は神崎ミオ。そう・・・ミオだった)
この時の自分は、この仕事にやりがいを感じていた。でも、家族はミオの生きる道を認めてはくれなかった。
医者一族に生まれたミオは、家族の中で唯一、医大に入る事が出来なかった。受験に失敗したのだ。
浪人して再び医大受験を強いられたが、ミオはそれを拒否し、薬科大学を受験した。
医療業界に携わりたい気持ちはあったが、ミオはどちらかというと医者よりも、新薬の開発など、医療研究の道に進みたかったのだ。それを今までは親に打ち明ける事が出来なかった。
心から医者になりたいと思っていない者が医者を目指すなど冒涜だと思うし、なれるわけがない。
(いや、人命が絡んでいるからこそ、なってはいけない)
そうして、人生で初めて親に逆らった選択をした結果、ミオは家族から糾弾され、バカにされ、出来損ないの烙印を押された。
もともと、天才肌の兄と姉に比べてパッとしない能力しか持ち合わせていないミオは、両親から放置されて育った。親子というよりも、指示をしてそれに従う上司と部下のような関係だった。
総合病院の医院長である父と、医大で教鞭をとる母、そして天才外科医と呼ばれる兄と姉。
世間では誰もが羨ましがるエリート家族。
でもその実態は愛のない希薄な家庭。
ミオは自分の家族を心の底から軽蔑していた。
人命より金儲けと出世と愛人に欲をかく父、医師を志す若い学生に教授の権力を使って手を出している色狂いの母。同僚を蹴落とし、出世の材料にする強欲な兄、常にミオを見下し、嘲笑い、時には暴力を振るう性根の腐った姉。
(誰もお互いを愛してなかった。誰も私を愛してくれなかった。そして私も・・・誰も愛してなかった)
寂しい。
ミオの慟哭が、ヴィオラと同調する。
この夜、ヴィオラは自分の前世を思い出した。
それは悲しい記憶。
死ぬまで愛を知らず、得ることが出来ず、それでも愛を乞う事がやめられなかったミオ。
まだ10歳の小さな少女が受けとめるには、悲しすぎる記憶で、ヴィオラは眠りながら涙を流していた。
部屋に鞭のしなる音と肌を打つ音が鳴り響く。
「ごめんなさい・・・っ、ごめんなさいお母様っ」
「うるさい!お前のせいでまたクリスの体調が悪くなってしまったじゃない!この疫病神!」
「痛い・・・っ、いたい~っ、やめてお母様っ」
母親の足元に蹲っている小さな娘の背中を、悪魔のような形相をした母親が、何度も何度も鞭で打っている。
「奥様・・・っ、お願いです!これ以上はやめて下さい!出血多量で死んでしまいます!」
娘の近くに控えていた専属侍女が耐えきれずに小さな少女を抱きしめ、代わりに鞭で打たれる。
「なんのつもりよ!使用人の分際で伯爵夫人である私に逆らう気!?ヴィオラはね!嫡男であるクリスの発作を誘発したのよ!?おかげであの子は一時的に死にかけた!殺そうとしたのも同然よ!」
「発作はお嬢様のせいではありません!お嬢様はただクリス様を看病していただけです!医師もお嬢様は関係ないと言っていたではないですか!」
「違う!クリスの体が弱いのは全部ヴィオラのせいなの!お腹の中にいた時にヴィオラがクリスから健康な体を奪ったからよ!この子がいなければ!クリスは健康で生まれて来たんだから!」
半狂乱になりながら侍女の背中に鞭打つ夫人の声を聞き、廊下に複数の足音が聞こえてくる。
勢いよく扉を開け、執事や護衛達の眼前に飛び込んできた光景は、血塗れの小さな少女と、主を庇い、同じく背中から血を流している侍女の姿。
「ヴィオラさえ!ヴィオラさえ生まれて来なければ伯爵家は幸せだったのに!この疫病神!アンタが病気になれば良かったのよー!」
涙を流し、憎悪で醜く顔を歪めながら一心不乱に鞭を振り下ろす伯爵夫人を、護衛達が抑える。
「奥様!お辞め下さい!何をなさっているんですか!」
「うるさい!離しなさい!これは親としての躾なの!使用人は引っ込んでなさい!」
「いいえ!引きません!これは躾ではなく虐待です!どこに王家の目が潜んでいるかわからないのですよ。もし醜聞となって王家の耳に入った時、罰を受けるのは王族の専属侍医である旦那様です!そうなった時、奥様に責任が取れるのですか!?」
「・・・!?」
夫人の手が止まる。だが憎悪の目は未だ娘に向けたまま、怒りに震えていた。
「ごめんなさいお母様・・・、ごめんなさ・・・い・・・」
「お嬢様・・・?お嬢様!」
出血と痛みに耐えきれず、ヴィオラは意識を手放した。
(・・・生まれてきて、ごめんなさい)
**********
その夜、ヴィオラは夢を見た。
ある建物の中を上から俯瞰で見ていた。
身体が空中に浮いているような不思議な感覚。
見た事もない景観の白くて広いホールに、東の国で見られるような顔だちをした人達がたくさん行き交っている。
髪の色も自分の国では少数しか見られない黒髪や茶髪の人が多い。
そしてどうやら自分の姿は誰にも見えないらしい。
試しに声をかけたが気づいてはもらえず、肩に触れようとしたらすり抜けたので、これは現実世界ではないのだろう。
服装も異国のもので見た事もないはずなのに、何故か懐かしさを覚えた。
(私・・・ここを知っている・・・?)
その時、とても聞き覚えのある声がした。
「3番の番号札をお持ちの方!お待たせしました」
その声に振り返ると、長い黒髪を後ろで一つに結び、白衣を来た女性がカウンターの奥に立ち、笑顔で老人に何かを話している。
その女性の顔にヴィオラは衝撃を受けた。
自分がよく知っている人間だったからだ。
10歳になるまで生きてきて、彼女に会った事など一度もないのに、何故かこの女性の事をヴィオラは知っていた。
(この人は・・・・・・私・・・?そうだ・・・ここは病院・・・そう!病院だ!そして私はここで働いていた!)
頭の中でそう叫んだ時、ガラスが割れたような弾けた音がして、頭の中に様々な情報が流れてきた。
次々に流れ込んでくる情報量に目が眩み、思わず瞳を閉じる。そして自分の体が何かに引き摺られる感覚を覚えて慌てて目を開けると、目の前に老人がいて自分の話を聞いていた。
頭の中に疑問符が浮かぶが、勝手にヴィオラの口から言葉が紡ぎ出される。
目の前の患者さんに、一つ一つ薬の効能と飲み合わせについて説明し、薬を手渡す。
「どうぞお大事に」
自然にヴィオラの口から労りの言葉が出た。
それに対し、笑顔で礼を言う老人。
ヴィオラの胸に、何かをやり遂げた充足感が広がる。
(そうだ。私は薬剤師だった。日本人で、名前は神崎ミオ。そう・・・ミオだった)
この時の自分は、この仕事にやりがいを感じていた。でも、家族はミオの生きる道を認めてはくれなかった。
医者一族に生まれたミオは、家族の中で唯一、医大に入る事が出来なかった。受験に失敗したのだ。
浪人して再び医大受験を強いられたが、ミオはそれを拒否し、薬科大学を受験した。
医療業界に携わりたい気持ちはあったが、ミオはどちらかというと医者よりも、新薬の開発など、医療研究の道に進みたかったのだ。それを今までは親に打ち明ける事が出来なかった。
心から医者になりたいと思っていない者が医者を目指すなど冒涜だと思うし、なれるわけがない。
(いや、人命が絡んでいるからこそ、なってはいけない)
そうして、人生で初めて親に逆らった選択をした結果、ミオは家族から糾弾され、バカにされ、出来損ないの烙印を押された。
もともと、天才肌の兄と姉に比べてパッとしない能力しか持ち合わせていないミオは、両親から放置されて育った。親子というよりも、指示をしてそれに従う上司と部下のような関係だった。
総合病院の医院長である父と、医大で教鞭をとる母、そして天才外科医と呼ばれる兄と姉。
世間では誰もが羨ましがるエリート家族。
でもその実態は愛のない希薄な家庭。
ミオは自分の家族を心の底から軽蔑していた。
人命より金儲けと出世と愛人に欲をかく父、医師を志す若い学生に教授の権力を使って手を出している色狂いの母。同僚を蹴落とし、出世の材料にする強欲な兄、常にミオを見下し、嘲笑い、時には暴力を振るう性根の腐った姉。
(誰もお互いを愛してなかった。誰も私を愛してくれなかった。そして私も・・・誰も愛してなかった)
寂しい。
ミオの慟哭が、ヴィオラと同調する。
この夜、ヴィオラは自分の前世を思い出した。
それは悲しい記憶。
死ぬまで愛を知らず、得ることが出来ず、それでも愛を乞う事がやめられなかったミオ。
まだ10歳の小さな少女が受けとめるには、悲しすぎる記憶で、ヴィオラは眠りながら涙を流していた。
287
お気に入りに追加
7,350
あなたにおすすめの小説
あなたへの想いを終わりにします
四折 柊
恋愛
シエナは王太子アドリアンの婚約者として体の弱い彼を支えてきた。だがある日彼は視察先で倒れそこで男爵令嬢に看病される。彼女の献身的な看病で医者に見放されていた病が治りアドリアンは健康を手に入れた。男爵令嬢は殿下を治癒した聖女と呼ばれ王城に招かれることになった。いつしかアドリアンは男爵令嬢に夢中になり彼女を正妃に迎えたいと言い出す。男爵令嬢では妃としての能力に問題がある。だからシエナには側室として彼女を支えてほしいと言われた。シエナは今までの献身と恋心を踏み躙られた絶望で彼らの目の前で自身の胸を短剣で刺した…………。(全13話)
三度目の嘘つき
豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」
「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」
なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。
たとえ番でないとしても
豆狸
恋愛
「ディアナ王女、私が君を愛することはない。私の番は彼女、サギニなのだから」
「違います!」
私は叫ばずにはいられませんでした。
「その方ではありません! 竜王ニコラオス陛下の番は私です!」
──番だと叫ぶ言葉を聞いてもらえなかった花嫁の話です。
※1/4、短編→長編に変更しました。
婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい
矢口愛留
恋愛
【全11話】
学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。
しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。
クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。
スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。
※一話あたり短めです。
※ベリーズカフェにも投稿しております。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる