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第一章 〜初恋 / 運命が動き出す音〜

1. 前世を思い出した夜

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ヒュンッ!バシッ!バシッ!



部屋に鞭のしなる音と肌を打つ音が鳴り響く。


「ごめんなさい・・・っ、ごめんなさいお母様っ」

「うるさい!お前のせいでまたクリスの体調が悪くなってしまったじゃない!この疫病神!」

「痛い・・・っ、いたい~っ、やめてお母様っ」


母親の足元に蹲っている小さな娘の背中を、悪魔のような形相をした母親が、何度も何度も鞭で打っている。


「奥様・・・っ、お願いです!これ以上はやめて下さい!出血多量で死んでしまいます!」

娘の近くに控えていた専属侍女が耐えきれずに小さな少女を抱きしめ、代わりに鞭で打たれる。


「なんのつもりよ!使用人の分際で伯爵夫人である私に逆らう気!?ヴィオラはね!嫡男であるクリスの発作を誘発したのよ!?おかげであの子は一時的に死にかけた!殺そうとしたのも同然よ!」


「発作はお嬢様のせいではありません!お嬢様はただクリス様を看病していただけです!医師もお嬢様は関係ないと言っていたではないですか!」


「違う!クリスの体が弱いのは全部ヴィオラのせいなの!お腹の中にいた時にヴィオラがクリスから健康な体を奪ったからよ!この子がいなければ!クリスは健康で生まれて来たんだから!」


半狂乱になりながら侍女の背中に鞭打つ夫人の声を聞き、廊下に複数の足音が聞こえてくる。

勢いよく扉を開け、執事や護衛達の眼前に飛び込んできた光景は、血塗れの小さな少女と、主を庇い、同じく背中から血を流している侍女の姿。


「ヴィオラさえ!ヴィオラさえ生まれて来なければ伯爵家は幸せだったのに!この疫病神!アンタが病気になれば良かったのよー!」


涙を流し、憎悪で醜く顔を歪めながら一心不乱に鞭を振り下ろす伯爵夫人を、護衛達が抑える。


「奥様!お辞め下さい!何をなさっているんですか!」


「うるさい!離しなさい!これは親としての躾なの!使用人は引っ込んでなさい!」


「いいえ!引きません!これは躾ではなく虐待です!どこに王家の目が潜んでいるかわからないのですよ。もし醜聞となって王家の耳に入った時、罰を受けるのは王族の専属侍医である旦那様です!そうなった時、奥様に責任が取れるのですか!?」


「・・・!?」


夫人の手が止まる。だが憎悪の目は未だ娘に向けたまま、怒りに震えていた。


「ごめんなさいお母様・・・、ごめんなさ・・・い・・・」

「お嬢様・・・?お嬢様!」



出血と痛みに耐えきれず、ヴィオラは意識を手放した。



(・・・生まれてきて、ごめんなさい)




**********



その夜、ヴィオラは夢を見た。


ある建物の中を上から俯瞰で見ていた。
身体が空中に浮いているような不思議な感覚。


見た事もない景観の白くて広いホールに、東の国で見られるような顔だちをした人達がたくさん行き交っている。


髪の色も自分の国では少数しか見られない黒髪や茶髪の人が多い。


そしてどうやら自分の姿は誰にも見えないらしい。


試しに声をかけたが気づいてはもらえず、肩に触れようとしたらすり抜けたので、これは現実世界ではないのだろう。


服装も異国のもので見た事もないはずなのに、何故か懐かしさを覚えた。



(私・・・ここを知っている・・・?)


その時、とても聞き覚えのある声がした。



「3番の番号札をお持ちの方!お待たせしました」 



その声に振り返ると、長い黒髪を後ろで一つに結び、白衣を来た女性がカウンターの奥に立ち、笑顔で老人に何かを話している。


その女性の顔にヴィオラは衝撃を受けた。
自分がよく知っている人間だったからだ。


10歳になるまで生きてきて、彼女に会った事など一度もないのに、何故かこの女性の事をヴィオラは知っていた。



(この人は・・・・・・私・・・?そうだ・・・ここは病院・・・そう!病院だ!そして私はここで働いていた!)



頭の中でそう叫んだ時、ガラスが割れたような弾けた音がして、頭の中に様々な情報が流れてきた。


次々に流れ込んでくる情報量に目が眩み、思わず瞳を閉じる。そして自分の体が何かに引き摺られる感覚を覚えて慌てて目を開けると、目の前に老人がいて自分の話を聞いていた。


頭の中に疑問符が浮かぶが、勝手にヴィオラの口から言葉が紡ぎ出される。


目の前の患者さんに、一つ一つ薬の効能と飲み合わせについて説明し、薬を手渡す。


「どうぞお大事に」


自然にヴィオラの口から労りの言葉が出た。
それに対し、笑顔で礼を言う老人。


ヴィオラの胸に、何かをやり遂げた充足感が広がる。


(そうだ。私は薬剤師だった。日本人で、名前は神崎ミオ。そう・・・ミオだった)


この時の自分は、この仕事にやりがいを感じていた。でも、家族はミオの生きる道を認めてはくれなかった。


医者一族に生まれたミオは、家族の中で唯一、医大に入る事が出来なかった。受験に失敗したのだ。

浪人して再び医大受験を強いられたが、ミオはそれを拒否し、薬科大学を受験した。


医療業界に携わりたい気持ちはあったが、ミオはどちらかというと医者よりも、新薬の開発など、医療研究の道に進みたかったのだ。それを今までは親に打ち明ける事が出来なかった。


心から医者になりたいと思っていない者が医者を目指すなど冒涜だと思うし、なれるわけがない。


(いや、人命が絡んでいるからこそ、なってはいけない)


そうして、人生で初めて親に逆らった選択をした結果、ミオは家族から糾弾され、バカにされ、出来損ないの烙印を押された。


もともと、天才肌の兄と姉に比べてパッとしない能力しか持ち合わせていないミオは、両親から放置されて育った。親子というよりも、指示をしてそれに従う上司と部下のような関係だった。


総合病院の医院長である父と、医大で教鞭をとる母、そして天才外科医と呼ばれる兄と姉。


世間では誰もが羨ましがるエリート家族。
でもその実態は愛のない希薄な家庭。


ミオは自分の家族を心の底から軽蔑していた。


人命より金儲けと出世と愛人に欲をかく父、医師を志す若い学生に教授の権力を使って手を出している色狂いの母。同僚を蹴落とし、出世の材料にする強欲な兄、常にミオを見下し、嘲笑い、時には暴力を振るう性根の腐った姉。


(誰もお互いを愛してなかった。誰も私を愛してくれなかった。そして私も・・・誰も愛してなかった)




寂しい。


ミオの慟哭が、ヴィオラと同調する。


この夜、ヴィオラは自分の前世を思い出した。
それは悲しい記憶。


死ぬまで愛を知らず、得ることが出来ず、それでも愛を乞う事がやめられなかったミオ。


まだ10歳の小さな少女が受けとめるには、悲しすぎる記憶で、ヴィオラは眠りながら涙を流していた。
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