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鞍馬の神修
伍
しおりを挟む鞍馬の神修も一日の始まりは皆揃って祝詞奏上する夕拝から始まるらしい。私たちは朝なので朝拝だけれど、こっちは夕方なので夕拝だ。
時差ボケ対策で一日の調整期間があったとはいえ、神修勢の生徒たちはかなり眠たそうだ。ガクガクと船を漕ぐ生徒たちに、鞍馬の神修の先生たちは優しく肩を叩く。
普段なら朝拝中に居眠りなんて言語道断、即罰則行きなのだけれど初日のこれは恒例の景色らしい。私も五回目の欠伸を噛み殺したところで、やっと夕拝が終わってホームルーム教室へ促された。
学校の作りも神修とよく似ていて、ただ私たちの学校と比べると一回りは小さい印象だ。
鞍馬の神修へ通える妖は一族の中で一人だけ、神託を受けて次期宮司に選ばれている妖か時期宮司候補の妖だ。そうなると一学年に一クラス程度しか学生が集まらず、教室の数も少ないのだとか。
鞍馬の神修の高等部二年も、今年は信乃くんたち三人だけで一クラスだ。
昨日のうちに信乃くんたちが用意してくれていた席について朝のホームルームを待つ。
「そういえば、一学期にうちに来た時に担任の先生はなかなかの変わり者だって言ってなかった?」
嘉正くんが思い出したようにそう口を開く。
確かに薫先生のめちゃくちゃなやり方を見て、信乃くんが「うちもなかなかやけど」と零していた気がする。
「あー……まぁ今に分かるわ」
はは、と笑った信乃くん。
言い方に含みがあるのは気のせいだろうか。
その時、教室の前の扉がガラリと開いた。
ガッと教室の扉を掴んだ太い指に目がいった。昔小学校の行事で漁業体験をした際に会った漁師さんの指がこんな感じだった気がする。
ゴツゴツしていて骨太で、日に焼けた深緑色の────深緑色?
「ナイスムーンだな、子供たち! 新しいフレンドも増えることだし、今日も張り切ってスタディしていくぞ! ヒァウィゴー!」
野太い声と共に現れたのは、派手なハーフパンツに爽やかな白いポロシャツを合わせたスタイルの男性。
ただその人の肌は肌色ではなく、深い沼の底のような深緑色をしていた。唇も血色が悪く────悪いと言うより黄色だ。黄色の唇は血色が悪いと言うんだろうか。波打つウェーブヘアを後ろでひとつに束ねている。
とにかくハワイの海でサーフボードを片手に走り回ってそうな出で立ちだった。
「な、クセ強い言うたやろ」
信乃くんの言葉に皆は苦笑いで頷いた。
二年生の担任は河童の妖、水虎の河太郎先生だ。
水虎という妖は聞いたことがないけれど、河童の妖と名乗っていたので河童の一族なんだろう。妖は種族を名乗ったあと一族名も名乗るので、どういう妖なのか見当がつけやすい。
若い頃にサーフィンハマったらしくて、そっからずっと海外かぶれやねん。
河太郎先生の前で堂々とそう言った信乃くん。
「ヘイヘイ信乃、オレはハートもボディもハワイのサーファーだぜ?」
「サーファーの発音だけやたらいいのがムカつくやろ? 基本何言うてもこんな感じやから、遠慮せんでええで」
よろしくお願いします、と皆は困惑気味に頭を下げる。
薫先生と同じくらい変わり者だと聞いていたからそれなりに覚悟をしていたけれど、変わり者のベクトルが違う気がする。
なんなら授業中はちゃんとしている薫先生の方が若干まともかもしれない。どんぐりの背比べか。
「さぁさぁエブリバディ! ファーストは組討演習だぜ! アウトサイド演習場にレッツゴーだ!」
どうしよう、若干疲れてきた。
そして場所を移動した私達は屋外演習場に集まった。始業の鐘は少し前に鳴ったのに、授業を始めない河太郎先生に私たちは首を傾げる。
「河太郎先生、授業しないんですか~?」
「ウェイトアモーメンツ! 科目担当のティーチャーがまだカムしてないんだ」
なるほど、組討演習の先生は河太郎先生じゃなかったんだ。
どんな先生だろうねなんて来光くんと雑談していると、突然頭上から服のしわを伸ばす時の十倍くらい大きなはためく音が聞こえて、皆は何事かと顔を上げた。
私たちの顔に影が指す。それと同時に黒い何かが太陽を隠した。強い風が吹き付けて、瞬く間に空から降りてきたそれは軽やかな足取りで地面に着地した。
「すまんすまん遅れた。朝のホームルームが長引いてな」
バサバサと背中の黒い翼を軽く振ってしまったその人は、私たちの前に立った。
紫色の袴を身につけた男性だ鞍馬の神修の先生なんだろう。見た目は伍十代くらいで、至ってどこにでも居そうなおじさん。けれど、背中の真っ黒な翼が彼を妖たらしめる。
先生は前合わせを整えると私たちを見回した。
「えー、組討演習担当の天狗の妖、相模坊の飛扇だ。神修の皆、よろしくな」
相模坊というと八大天狗のひとり、白峰相模坊を先祖に持つ天狗の一族だ。人の姿に化けた天狗には会ったことがあるけれど、こうして翼で空を飛ぶ姿は初めて見た。
というか、飛扇先生って────。
「あ」
私と目が合って、飛扇先生は小さく声を漏らした。
「君は禄輪のところの……」
「お、お久しぶりです」
なになに知り合い?とみんなが興味津々に聞いてくるので肩を竦めながら小さく頷いた。
飛扇先生とは夏休みにほだかの社でアルバイトをしていた時に会ったことがある。禄輪さんによびだされて夏祭りを手伝いに来ていた人の一人だ。
小さく微笑んだ飛扇先生はこほんと咳払いをして騒ぐ皆を鎮めた。
「時間も限られてるし、早速授業始めていくぞ」
はーい、とみんなの声が揃う。
「そっちの神修では行われていない科目だから、まずは授業の概要から説明しようか。じゃあ、神修の皆に質問。妖が問題を起こした場合、どうする?」
簡単な質問にみんながシュバッと手を挙げた。元気がいいな、と笑った飛扇先生は嘉正くんを指名する。
「はい。まず原因を調査して、妖自身が起こした怪異なのか呪いや残穢の類なのかを判別します。呪いや残穢の場合は直ちに祓除をおこない、妖が引き起こした怪異の場合は神役諸法度に則り確保や祓除を試みます」
「ん、満点の回答だな」
嬉しそうにはにかんだ嘉正くん。
心の中で思い浮かべていた回答とほとんど同じだった。
「よし、じゃあ信乃。お前ならどうする? 答えてみろ」
「ほいほい。どうするかなんて、んなもん一択や。武力行使して止める」
嘉正くんの回答とはかけ離れた回答に皆は目を瞬かせた。
「ん、その答えも満点だ」
え?と首を傾げる。
武力行使して止める? 原因がなにかも分かっていないのにそんなことが出来るんだろうか?
「そもそも、幽世と現世では問題への向き合い方が違う。現世での妖は様々な場所に住処をつくり、社も全国各地に点在している。だから問題が発生した場合、まずは本庁にそれが集約される。しかし幽世では妖たちは同族と里を築き、さらにひとつの一族にひとつの社がある。だから問題が起きた場合もすぐに神職の耳に届く。幽世の神職に求められるのは問題を"解決"するのではなく、"止める"ことなんだ」
なるほどなぁ、と深く頷いた。
確かに、私達に任務が割り振られるのは基本問題が発生したあとだ。そこから調査したり祓除して、解決することを求められる。
しかし妖たちと社の距離が近いのならば、問題が発生した時にすぐに駆けつけて問題を止める事だって可能というわけだ。
現世と幽世とじゃそんな違いがあるのか。すごく興味深い。異文化理解学習がなければ知らなかったであろう知識だ。
「この授業では様々な緊急性の高い問題発生時の対処方法を勉強していく。今日は初日だし、軽めに"妖同士が妖力を使って喧嘩を始めた時"の対処方法を学ぼうか」
……ちょっと待って。それは"軽め"なの?
まずは手本を、ということで鬼市くんが指名された。
俺と河太郎先生で喧嘩を始めるからいつも通り全力で止めに来い、と特に具体的な指示はなく三人は白砂の上に出る。
おーい、お前ら下がっといた方がええぞ。
いつの間にか演習場のすみに移動していた信乃くんが私たちにそう叫ぶ。え?と首を傾げたその瞬間、ドパァンッと激しく力がぶつかり合う爆発音が響いた。
「────というわけで、こんな感じで両者を制圧すればいい。分かったかな?」
白砂の上に捩じ伏せられた慶賀くんと泰紀くんは返事も身動きもできないのか、「うう~……」と苦しそうにうめき声を上げた。丁度その時授業の終わりを知らせる鐘が鳴り響き、拘束から解放された二人はげっそりした顔で戻ってきた。
河太郎先生と飛扇先生のデモンストレーションから始まった組討演習の授業は、想像の斜め上をいく激しさだった。
妖が妖力を使うところは見たことがある。でもそれは雪童子の豊楽先生がビーカーを冷やすのにちょこっと手のひらから冷気を出す程度だったり、鬼一くんが怪力できを引っこ抜く程度の非常に可愛いもの。成人した妖たちが本気で妖力を駆使してやりあうのは初めてだった。
鬼市くんたちは見慣れた光景なのか微塵も動じなかったけれど、私たちは衝撃のあまりポカンと口を開けて固まってしまった。幽世の神職はこんな喧嘩にも果敢に止めに入らなければならないのか。
「次からはもっと危険な場面を想定してどう立ち回ったらいいのか考えていこう」
これ以上危険な場面があるんですか、と聞きたいような聞きたくないような。
「では今日の授業はここまで」という先生の合図で解散になった。
その場に座り込んだ私たち。慶賀くんたち三人が大の字になって寝転がる。
「俺やっていける自信ない」「俺も」「僕、来週まで生きてるかな」「メガネは拾ってやる」「拾うなら骨拾って!?」
いつも通りのやりとりだけれど、どこか切羽詰まっている。
多少の文化の違いは理解していたし、それを学ぶための異文化理解学習なのは分かっているのだけれど二日目にしてもう帰りたい。
次は古典やからそんなに難しないやろ、と信乃くんが私たちを励ます。全然励ましになっていないのに気付いてほしい。
「巫寿さん」
名前を呼ばれて振り返った。飛扇先生が手招きしている。急いで駆け寄って「どうかしましたか?」と首を傾げた。
「さっき授業中で話せなかったからな。夏休みぶりだな」
「はい。お久しぶりです」
「どうだ? こっちではやっていけそうか?」
自信を持って「はい!」と言えなくて苦笑いで肩をすくめた。ははは、と楽しげに笑った飛扇先生は私の肩をバシッと叩く。
「まぁそう気負わず楽しみなさい。せっかくいつもと違う環境にいるんだ。色々経験するといい」
「ありがとうございます。そうします」
「確かご両親の実家が京都だったろ。鞍馬の神修は麓からもそんなに離れていないし、休みの日に遊びに行ったらいいさ」
「……え? 飛扇先生、今なんて────」
「ミスター飛扇!ちょっといいか?」タイミング悪く河太郎先生が話しかけてきたことで会話は終了になった。それじゃあ、と小さく手を上げた飛扇先生は呼ばれた方へ走っていった。
行ってしまった先生の背中を呆然と見つめる。
私の聞き間違いじゃなければ、「ご両親の実家は京都」って言った? つまり京都に私の祖父母が京都に住んでいるということ……?
生まれてこの方親戚と呼ばれる類の人に誰一人として会ったことがない。だから自分の家はそういったものと縁遠い家なんだと思って、幼いながらにお兄ちゃんに親戚の話を振るのを遠慮していた。
もちろん祖父母の話なんて一度もしたことがない。だからどこに住んでいるのか、そもそも存命なのかすら知らなかった。
もし飛扇先生の言葉が正しいのなら────私のおじいちゃんとおばあちゃんが近くに住んでいる。
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