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噂と視線
弐
しおりを挟む結局その違和感を一日中感じたまま過ごし、違和感が決定的になったのはその日の放課後のことだった。
今日は神楽部の活動があったので女子更衣室で緋袴に着替えてから神楽練習室へ向かう。
いつも通り「失礼します」と一連してから中へはいると、やはり沢山の視線が私に向けられていた。
近くにいた三年生の先輩たちに「こんにちは」と挨拶をする。いつもなら朗らかに返してくれるはずなのに今日は「ああ……うん」とぎこちない。
ちらりと私を一瞥した先輩たちはお互いに顔を近づけてヒソヒソと小声で何かを話す。
なんだか凄く嫌な感じで、でも戸惑いの方が大きかった。今までそんな風に嫌な雰囲気を感じとったことはなかったからだ。
上下関係はそれなりにあるし日々小さな諍いはあれども神楽部はいつでもみんな仲良く和気あいあいとしていた。もちろんそこに仲間はずれなんてものは一切ない。
その変化を受け入れたくはないけれど、ただこの場に漂う空気感がいつもと違うのは間違いなかった。
部活が始まる時間になって、「準備運動するぞー」と3年生の先輩が声をかけた。部長たちが来ていない時にいつも仕切ってくれる先輩だ。
「二人一組になって柔軟!」
そばにいた中等部の女の子に声をかけようとしたけれど、目が会った瞬間眉根を寄せたその子はふっと顔を背け別の友達とペアになってしまった。
戸惑いでおろおろとしている間に次々ペアが出来ていく。結局私一人だけがあぶれてしまった。
盛福ちゃんと玉珠ちゃんの所に入れてもらおうと思ったけれど「じゃあ前屈から」と声がかかる。
一人で出来なくもないので仕方なく一人で始める。前屈をしながら眉をひそめて視線を落とした。
なんだろう。無視されている訳ではない。だってさっきは先輩も挨拶を返してくれたし、あの子だって最初から今日は友達とペアを組もうとしていたのかもしれない。
ただほんの少しだけ胸の中に靄が広がる。少しだけ息がしにくい気がした。
きゅっと唇を噛み締めたその時。
「ごめん皆! 遅くなりました! ホームルームが長引いちゃって」
「あいつの話毎回長いんだよなぁ」
練習室の前の扉が開いて、聖仁さんと瑞祥さんが中へ入ってくる。
「部長、先体操始めてるぞ」
「うん、ありがとう。そのまま最後までやってもらえる?」
荷物をおいた二人が後ろへ混じった。
「あれ、なんだ巫寿あぶれたのか?」
「珍しいね。三人でやる?」
隅っこで一人だった私を見つけた二人がそう声をかけてくれた。
お願いします、と小さい声で頼めば「どーしたよ! 一人で寂しかったのか!」と瑞祥さんが私を抱きしめてグリグリと撫でる。
「ちょっと瑞祥、先に体操。あと巫寿ちゃんが潰れる」
いつも通りの二人なのに、いつも通りであることが嬉しくてちょっとだけ泣きそうになった。
小さなしこりを胸に残したまま部活が終わった。
練習室を雑巾がけした後は、いつもはみんなで雑談をして最終下校時間に帰るのだけれど、今日はなんだかその輪に入っていきずらい。
今日はもう帰ろう。そう思って壁に寄せていたタオルと水筒を手に取ったその時。
「ねぇ」
後ろから声がかかって振り返る。
「盛福ちゃん、玉珠ちゃん……?」
戸惑いと怒りを混ぜたような険しい顔をした二人が立っている。
話しかけてくれたことの嬉しさよりも、二人の表情が気になった。
「あの噂、本当なの?」
唐突な質問に首を捻った。
「えっと、何の噂だろ?」
私がそう返せば、周りで聞き耳を立てていたらしい部員たちがヒソヒソと何かを話し始める。
楽しい話をしているのではないことだけはよく分かった。
「シラ切るんだね。でも、もうみんな知ってるよ。昇階位試験のこと」
「昇階位試験……?」
周りのざわめきが止んだ。みんなの視線が私に向けられている。
「試験で一級取ったって、本当?」
目を見開いて「なんでそれを」と呟く。それを聞き取った周りの部員たちが一気に騒ぎ出した。
だって階級のことはクラスメイトの皆にしか話していない。それだって薫先生が「巫寿の階級のことで今本庁と揉めてるから、今は誰にも言わないでね」と箝口令をしいていたし、そもそも皆が言いふらすような人だとは思えない。
周りの反応からして、部員のみんなはほぼ私が一級を取得したことを知っているみたいだ。
でも、一体どうやって。
「巫寿ちゃん、去年編入してきたばかりだよね? それなのにもう一級を取れるなんておかしいよ」
「ふ、普通ならそんなことできないです……!」
言葉につまる。
私だって一級を取れるなんて思ってなかったし、どうしてこうなったのか教えて欲しいくらいだ。
「巫寿ちゃんって、禄輪禰宜と親戚なんだよね。禄輪禰宜に頼んだの?」
「な……っ、それは違うよ! 禄輪さんは関係ないし、私はちゃんと自分の力で……!」
私に向けられる疑いの目がどんどん強まって行くのを感じる。
呼吸のやり方を忘れたみたいに息苦しい。
「本当に自分の力で」そういった自分の声はあまりにも弱々しく周りの喧騒に消えていく。
「大事な試験で不正なんて見損なったよ巫寿ちゃん」
「残念です」
二人が、みんなが私を侮蔑する目を向ける。
両手が震える。違う、そうじゃない、私にも分からないの。そう言いたいのに出し方を忘れてしまったみたいに声が出てこない。
なんで、どうして。
じわっと目尻が熱くなった次の瞬間。
「お前ら、巫寿の話聞いてたのか?」
突然後ろから肩を組まれて、驚いて顔を上げる。
「巫寿がやってないつってんだから、それでいいだろ」
「瑞祥さん……」
な、とウィンクした瑞祥さんに堪えきれなくなって涙が溢れた。慌てて袖で目元を抑える。
「この一年一緒に過ごしてきて、巫寿ちゃんがどんな人柄なのか皆はよく知っているよね。真面目で勤勉で、努力家で誠実だってこと」
反対側に聖仁さんが並んで立つ。ぽんと背中が叩かれた。胸を張っていいんだと私に伝えているようだった。
皆は納得いかないような表情で、ヒソヒソと言葉を交わす。
「さ、掃除も終わったし解散しよう」
手を打った聖仁さんに皆は「お疲れ様でした」と頭を下げてぞろぞろと散り始める。
ちらちらと向けられる視線が痛い。
「さ、巫寿も帰るぞ! 晩飯のデザートにおはぎ出るんだってさ~」
「ほんと? 神修のおはぎ結構好きなんだよね、俺。巫寿ちゃんは?」
先輩二人に挟まれて練習室を出た。廊下を歩きながらいつも通りに話しかけてくる。
「あ、あの私……」
「懐かしいな、あの雰囲気! お前も飛び級した時散々疑われてたよな~」
「あはは、そんなこともあったね」
え、と目を丸くする。
瑞祥さんが私の頭をぐりぐりと撫でた。
「巫寿の噂は私らも今朝聞いたよ。飛び級合格で一級なんてすげーじゃん! やましい事がないなら胸張っとけ!」
うんうん、と隣で聖仁さんが笑って頷く。
色々と我慢できなくてくしゃりと顔を歪めた。ずっと気を張っていたことに気がついた。
「おお!? どうした巫寿! 泣くなよ~!」
「大丈夫だよ巫寿ちゃん。噂が落ち着いたらみんなもコロッと元に戻るから」
二人の優しさが嬉しくて、温かさが心地よい。
私も来年は二人みたいな強くて頼もしい先輩になれているんだろうか。
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