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違えた道
漆
しおりを挟む「────嬉々!」
最前線にいた薫が嬉々と再会したのは、一旦終結を迎えた翌日の夕暮れ時だった。詰所として使用していた社へ状況報告へ戻ると、偶然その場に嬉々がいた。
「薫か!」
嬉々が珍しく声を張る。お互いに駆け寄った。
「どうしてここに? 嬉々たち後方支援でしょ」
「私の持ち場が落ち着いたからここへ行けと指示された怪我人の手当を手伝ってる」
久しぶりに嬉々の早口を効いて何故か肩の力が抜けた。
そんな様子を見ていた神職がニヤニヤしながら「ちょっと話してこいよ」と背中を押してきた。何かと勘違いしたらしい。そんなんじゃないです、と苦い顔をしながらそれでも二人で詰所を抜け出した。
よく知っている場所でもなかったので、結局二人で拝殿前の段差に腰掛けた。
「お前も満身創痍だな」
「まぁね。でも嬉々なかなかじゃん」
もう傷を作ってから数日は経ったのかかさぶたになった鋭い切り傷が右耳から鼻先まで伸びていた。
「痛そう。嬉々これでも女子なのにね」
「お前にもそういう発想はあったんだな」
「失礼だな俺の事なんだと思ってるのさ」
「まあキズモノになろうと問題ない婚約者がいるからな」
「そっか。……え? うそ嬉々って婚約者いたの!?」
「うるさい耳元で騒ぐな」
嬉々が耳の穴に指を突っ込んで顔を顰める。
「そんな事より情報が錯綜してる前線で何があった審神者さまが現れたというのは本当か」
嬉々が険しい顔でそう尋ねてきたので、眉根を寄せてひとつ頷く。
審神者が現れたのは本当だった。
禄輪が応戦し空亡の半分ほどの修祓に成功した次の瞬間、空亡は自分の身を自ら八つ裂きにして数え切れないほどの残穢を生み出した。それが四方へ弾け飛んだ次の瞬間、いつからそこにいたのか、白髪の男をそばにおいた志ようが現れた。
志ようは誰とも言葉を交わさず、何かの祝詞を奏上した。次の瞬間、空に飛び散った残穢のいくつかがまるで吸い込まれるかのように志ようの体めがけて降り注いだ。
激しい光に誰もが目を閉じ、次に目を開けた時には審神者はその場に倒れ伏せていた。皆が困惑でその場に固まっていると、白髪の男はその志ようの体を抱き起こし目を瞬かせた次の瞬間には消えていた。
あの瞬間起きたことを全て嬉々に話せば、嬉々は顎に手を当てて黙り込む。
「完全消滅ではなかったということか」
「うん、そう。確かに祓ったけど全部じゃない。空亡の残穢があちこちに散ったんだ」
「審神者が唱えた祝詞は?」
「誰も正確に聞き取れてないって」
嬉々は息を吐いた。
「かなり厳しい状況だったんだな」
「うん。でも、一旦終わったね」
二人して空を見上げて息を吐いた。雪が降り出しそうな暗い色をした雲が広がっていた。あ、と薫が声を上げた。
「そういや宙一は?」
「初日から別の場所に派遣されていて知らん。お前こそ本部で芽に会ってないのか」
「人手不足でまねきの社には戻れてないんだよね。まぁ明日にはどこも一旦引き上げだし、ふたりとも神修で会えるよ」
そうだな、と嬉々は表情を和らげた。
やっと帰れる、神修に。
出てきた時は師走の中旬だったけれど、気がつけば年越しを迎え世間の学校では三学期が始まっている。
「なんか……今ならアースウォーメン全シリーズ観てもいいかも」
「勘弁しろ宙一の前で絶対言うなよ」
「嬉々は相変わらずだね」
顔を見合せた。ぷっと吹き出して、どちらからともなくくすくすと笑い始めたその時、
「────薫、嬉々ッ! お前らこんな所にいたのかッ!」
こちらへ走ってくる若い神職がいた。三学年上の専科二年の先輩だ。何度か話したことがある面倒見のいい人だった。
彼は走ってくるなりその手に持っていた二枚の迎門の面を自分と嬉々に勢いよく被せた。なんですか、と不満の声をあげるまもなく手首を捕まれ引っ張られるようにして走り出す。
「今すぐ二人で神修に戻れ! 車はあと十分後にむしなの社から出る、場所は分かるな!?」
何度か転びそうになりやっと自分の足で走れる具合になった頃に彼はそう叫んだ。
「何でですか? 撤収明日ですよね?」
そう尋ねれば彼は泣きそうな顔をして真っ直ぐ前を見つめる。
「芽が────」
車の中で会話はなかった。到着するや否や飛び降りてまねきの社の階段を駆け上がる。景色が開けて社頭に降り立ったその瞬間、目の前に広がる光景に言葉を失った。
えぐれて土が盛り上がった石畳の参道、御神木の幹には鋭い傷跡があって、半壊状態の本庁の官舎。
一体、何が起きた?
嬉々と無言で目を合わせて本庁の官舎へ駆け込んだ。いつも小綺麗なそこが瓦礫の山になっている。
「なに、これ」
呆然とその場に立ち尽くす。後ろから肩を掴まれた。
「薫」
名前を呼ばれて振り返る。
「玉嘉さま……」
包帯が巻かれた右腕を肩から吊るしたその人は、日本神社本庁の頭、津々楽玉嘉だった。
「これは、」
玉嘉が険しい表情で小さく頷く。
「本当に……本当に芽がやったんですか!?」
堪らずその胸に掴みかかれば、避けることなく玉嘉はされるがままにそれを受け入れる。
「間違いない。神々廻芽本人が本庁官舎を襲撃して、上層部の神職数名を殺害している。その後、わくたかむの社を襲撃して行方をくらませた」
まるで無音の白黒映画を見ているみたいだ。他人事では無いはずなのに、他人事のような感覚に陥る。それほど信じ難い事だった。
「お前たちに急ぎ戻らせたのは、神々廻芽についての情報を全て開示してもらうためだ。1人ずつ取り調べを受けてもらう」
近くにいた神職の一人が嬉々の肩を掴んだ。嬉々が大きく目を見開き自分を見つめる。激しく動揺しているのがわかった。
「神々廻芽について知りうる情報は全て話しなさい。何か一つでも隠蔽すれば同罪と看做すことになる」
同罪? 何を言ってるんだ。芽は犯罪者なんかじゃない。 訳が分からない、何かの間違いだ。あの芽がこんなことを────。
前にみんなで見たサスペンス映画の取調室みたいな小さな会議室に連れていかれて、芽について色んなことを聞かれた。
幼少期のころから普段の様子まで。一緒に観た映画のタイトルを聞かれた時はあまりの阿呆らしさ混乱していた頭がやっと落ち着いた。
その後は聞かれたことにだけ淡々と答えて、やっと解放されたのは日付が変わろうとする頃だった。
最後に今回の一連の襲撃については他言無用であることをきつく言い聞かされた。まねきの社が襲われたのは空亡に準じた妖のせいになるらしい。
外に出ると月が昇っていて、自分よりも先に解放されたのか嬉々が本殿の前に立っていた。目が合った。会話はない。並んで歩き出して、たどり着いたのは皆でよくたむろしていた庭園の反橋の下だった。
砂利を足でならして座った。
「あいつら阿呆なのか」
嬉々が先に口を開いた。
「今回の件とアイツが普段読んでる小説の題名と何が関係するんだ」
「ああ……それ俺も聞かれた。一緒に観た映画のタイトル。マジで意味わかんない質問だった」
とにかく疲れた。
膝の間に顔を伏せて肺の空気を全てはき出す。
「質問されながらさ、俺……あんまり答えられなかったんだ」
好きな食べ物、普段読んでる本、休みの日は何してて、普段よく行く場所ばどこか、嫌いなことは何か。何でも知ってるようで、自分は芽のことを何も知らなかった。
「芽が何考えてんのか、何一つわかんないよ。でもさ」
目尻が熱くなる。
「芽がやったって聞かされた時、俺すぐに否定できなかったんだ。"芽がこんなことする訳が無い"って」
昔、まだ自分も薫もわくたかむの社にいた頃に、離れで子猫が死んでいたことがあった。その時の自分は呪が不安定で、その子猫が死んだのは自分のせいなんだと思った。
でも違った。そうじゃなかった。
庭の砂利の上で横たわる子猫の額には大きな傷跡があって、そばに立っていた芽の二の腕には引っかき傷があった。
その足元には芽の手のひらと同じ大きさくらいの、血がついた石がころがっていた。
あの時猫を殺したのは、間違いなく芽だった。そして芽は、"僕が殺したの?"という問いかけに否定も肯定もしなかった。だから自分はそれを肯定として受け取った。
芽の中に呪はあった。間違いなく存在していた。
一度禄輪に聞いたことがある。自分は本当に一生言祝ぎを培うことは出来ないのか、と。禄輪はその時「そんなことは無いぞ」と答えた。
普通の人なら50あるものを減らしたり増やしたりするだけでいいが、自分の場合は0を1にしなければならない。生まれつき備わっていない言祝ぎと呪をゼロから生み出すことは"ほぼ"不可能、不可能では無いのだと。
ただそれは言祝ぎと呪が激しく高まる程の何かが起きない限り、何をしても意味は無い。偶然を待つしかないのだと。
だからもしかしたら、芽は幼少期になにかの影響で呪が芽生えていたのかもしれない。
禄輪は最後に、自分に向き合ってこう言った。
"ただな、薫は言祝ぎがない今の状態で生まれた。心も体も、その状態で均衡を保っている。だから言祝ぎが宿ったその時、もしかしたらそのバランスが崩れてしまうかもしれない"
その言葉が正しいのなら芽は。
「言祝ぎしかない体の中に呪が少しずつ積み重なって、耐えられなくなったんだと思う」
でもだとしたら、芽の心が壊れるほど呪が積み重なるような何かが起きたということだ。自分は芽のことを何も知らない。だからそれが何なのか、何一つ検討もつかなかった。
なぜそうなる前に気付いてやれなかったんだ。思えば芽の様子がおかしかったのは、感じ取っていたはずなのに。
なぜ芽は自分たちに何も話してくれなかったんだ。俺たちは毎日一緒にいた。"困ってたら助ける、遅れてたら待つ、疲れてたら肩を貸す。それがクラスメイトなんだよ"。そう言ったのは芽だろ。
俺とお前は、嬉々は、宙一は。親友だったはずだろ。
目頭が熱いのに涙は溢れなかった。溢れてくるのは怒りと戸惑いと困惑と、何も出来なかった自分への強い後悔の念だった。
雪が降り始めて自分たちは寮へ帰った。久しぶりの学生寮は変わらず埃っぽい匂いがした。
夜が明けて朝が来て、ひとりまたひとりとまねきの社の神職や動員された学生たちが帰ってくる。鳥居の下で嬉々と共に宙一を待った。何人もが鳥居をくぐって帰ってくるのに、一向に宙一の姿が見えない。
宙一が死んだことを知ったのは、日が暮れた頃だった。
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