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違えた道

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2010年、夏。


「────セーフ! セーフだよな!?」


始業の鐘が鳴り響き、その余韻が消えかかる直前に文字のごとく滑り込んできた宙一は、バッと顔を上げて両手を広げてそう主張した。


「アウトだ馬鹿者、廊下に立ってろ」


今年で付き合いも三年目になる担任の門澤もんざわ斎賀さいがが目もくれず淡々とそう言い捨てる。


「そんな~! 斎賀っちょ~!」

「出席にしてもらってるだけでもありがたいと思え。じゃホームルーム始めるぞ」


教室から締め出さた宙一は窓にへばりついて情けない声を上げる。


「ほんと懲りないんだから」

「阿呆には何を言っても意味が無い時間の無駄だ」


頬杖をついた芽が呆れ顔でそういえば、本に視線を落としたままの嬉々がふんと鼻を鳴らした。


「ねぇ、薫?」


芽が振り向いてこちらを見た。くつくつと喉の奥で笑って頷く。


「ほんと馬鹿」


二人が身につけているのは松葉色の制服、窓の外の宙一も同じ松葉色の制服、そして自分も。

中等部を卒業した自分たちは高等部に進学し、今年の春で二年になった。

ホームルームが終わって斎賀先生からお決まりの拳骨を食らった宙一はしゅんと肩を落として席に座った。


「朝からマジでついてねぇ……」

「自業自得でしょ」

「そもそも隣の部屋の癖に何で起こしてくれねぇんだよ芽!」

「あのさ、いい加減芽と間違えるのやめてもらっていい? それわざと?」


机に頬杖を付いて顔をしかめると、「あ、お前薫か」と悪びれた様子もなく文句を続ける。

もう三年近く毎日顔を合わせているというのにも関わらず、相変わらず自分と芽の見分けがつかない宙一にため息をこぼす。そっくり過ぎるお前らが悪い、と開き直るのはお決まりの光景になっている。


「で、一限目なんだっけ」

「漢方薬学と振り替えだって」


机の中から教科書を取り出しながらそう答える。


「げ、今日までのレポートやってねぇ……あのさ薫くん?」


宙一が胸の前で指を組んで、瞳を潤ませながらこちらを伺う。


「ヤダ」

「まだ何も言ってねぇだろ!」

「無理、ヤダ、無理」

「二回言うなよ! なら芽!」

「ヤダ、無理、ヤダ」


くそぉー、と慌ててノートを広げた宙一が頭を抱えながらシャーペンを走らせる。

芽と顔を合わせて声を上げて笑った。




「────おー、おかえり薫」


四限目が終わる少し前、教室に戻ってくると授業も既に終わったらしく宙一と嬉々が帰ってきていた。

祝詞の実技演習の授業で参加出来ない自分は、自習を言いつけられていたけれど教室を抜け出して庭園の太鼓橋の影で先程までサボっていた。


「授業もう終わったの?」

「おー。んで午後から休講、いつものやつ」


自分たちが二年に上がってから授業の休講や振替が頻発している。教員の神職たちが、本庁からの任務で急遽駆り出されることが増えたからだ。


空亡くうぼうが隣の県に出て、本庁から近隣の神職に招集命令がかかったんだってさ」


数年前、自分が神修へ来る少し前に突如として現れた空亡と呼ばれる妖は、人も妖もありとあらゆるものを駆逐する災厄で、最凶の妖とされている。

出現と同時にひとつの山を焼け野原にした空亡は、各地を点々として先々の妖や神職に危害を加えているらしい。


「前からちょくちょく空亡絡みで先生たちが任務に行ってたのは知ってるけど、今回はまねきの社の神職総出なんだって。空亡ってガチでそんなに強いのか?」

「お前ほんと呑気だよね」

「しゃーねーだろ。俺らは蚊帳の外なんだし」


任務を受けられるのは高等部を卒業した神修の生徒か18歳以上の神職と定められており、現場に出られない自分たちは正直そんなに強い妖が現れたという実感がなかった。


「芽は? もう食堂行ったの?」

「いんや、芽は審神者さにわさまんトコ。休講になった瞬間飛んでったよ。休みになったってのに勉強しに行くとか、あいつ気持ち悪りぃよ」

「審神者さま……かむくらの社か」


芽は高等部に上がった頃から、かむくらの社の巫女で現審神者の奉日本たかもとようの所へ足繁く通っている。

自分とは違い言祝ぎのみを持ってして生まれた芽は芽でその力の扱いに苦労しているらしく、言祝ぎの力が強く性質が似ている審神者の元で、力の扱いを勉強しているらしい。


「嬉々と薫は飯食った後どーする? 神職も出払ってるし庭園の池で亀でも釣らね?」

「私を勘定に入れるな」


ノートに齧り付いていた嬉々が伸びた髪を邪魔そうにはらいながらそう言う。


「嬉々、髪伸びたな~。そういや会った時から一回も切ったとこ見てないんだけど」


席に座りながら確かにと相槌を打つ。

初めてあった頃は肩上程度の長さだった髪は今や腰の位置まで伸びている。手入れに興味は無いのか前髪も伸ばしっぱなしで、いつもどこかがほつれている。


「邪魔じゃないの、それ。この間だって漢方薬学の実験で燃えてたじゃん」

「別にどうなろうと構わん」

「あ、なら俺が切っていい?」

「触った瞬間手首ごとぶっ飛ばすぞ」


髪の間からギロリと睨んだ嬉々を無視して、宙一は楽しそうに筆箱からハサミを取りだした。


「嬉々に殺されるよ宙一」

「ダイジョーブだって! 俺こう見えて弟と妹の髪ずっと切ってたから、割と得意なんだよ!」

「そういや五人兄弟だっけ?」

「そそ! ビンボー六人家族!」


自分や嬉々とは違って社や神職とは程遠い一般家庭に生まれた宙一は、地元の小学校を卒業する直前に本庁から編入許可の知らせが届いたらしい。

片親で下に四人も弟妹きょうだいがおり、家計のことを考えて学費もかからず将来安泰な神修へ入学したのだと前に聞かされた。

激しい攻防戦のあと、面倒くさくなったのか「好きにしろ」と抵抗をやめた嬉々。任せとけって、と自信満々に胸を叩いた宙一は迷うことなく嬉々の髪にハサミを入れた。

嬉々は再び本に齧り付く。


「嬉々、今は何の呪いの研究してんの?」

蠱毒こどく

「へぇ~人って寂しいと呪われるんだな」


それは孤独、というツッコミは面倒なので言わなかった。


「おい嬉々、お前この間燃えた所もそのままじゃん。ここに合わせるなら、中学ん時と同じくらい短くなるぞ?」

「何でもいい勝手にしろ」

「勝手にしろって……女の子なんだからもうちょっと気にしろよ」


パラパラと足元に落ちていく嬉々の髪を頬杖を着きながらぼんやりと見守る。自信満々に言うだけあって、宙一の手つきは迷いがなくてなかなかのものだ。

数十分後、髪は肩上の長さで前髪は眉にかかる程度の長さで切り揃えられた。

思えば嬉々の顔をこうしてちゃんと見るのは初めてだ。

青白い肌に涼し気な目は長いまつ毛で縁取られ、不健康そうな肌色とは違って薄桃色の健康的な薄い唇に少し驚く。


「出来た! トイレで見てこいよ嬉々!」

「別にいい髪の長さが変わろうと中身は同じなんだぞ」

「いやまぁ、そうだけどさー……」


手櫛で髪の長さを確かめた嬉々。何度かそれを繰り返して少しだけ口角を上げる。

目を見開いた。あの嬉々が笑っている。

宙一はそれに気付いていないのか「だいたい嬉々は……」なんて愚痴を零している。


「ったく、嬉々も薫も、このクラスは自分勝手なやつばっかだよ! 少しは芽を見習えっての!」


ふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ宙一に顔を顰めた。


「やめてよね、一番自分勝手なのは芽だっての」

「はぁ~? どう考えてもキングオブ自分勝手は薫だろ!」

「じゃあ宙一はキングオブウザイ煩いはた迷惑」

「薫の意見に全面的に同意する」

「よしお前ら全員モヒカンにしてやる」


ハサミを持ってジリジリと歩み寄る宙一に、嬉々は本を読みながら立ち上がった。そのままパタパタと小走りで教室を出ていく。嬉々に続いて自分も教室を飛び出した。

「待てやこの野郎! 一生モヒカンの呪いをかけてやる!」と宙一が追いかけてくる。

「ね、嬉々。一生モヒカンの呪いってある?」


隣を走る嬉々にそう訪ねてみる。


「お前が口にすれば出来るんじゃないかやってみろよ」


表情を変えずにそういった嬉々に堪らず吹き出した。

暫く廊下を駆け回っていると、まねきの社の巫女頭に見つかって「廊下を走るな!」と怒鳴られる。鬼が宙一から巫女頭に変わり、三人揃って社頭を駆け回った。


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