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別れ

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次の宮司に弟の方が選ばれた。隆永さまは呪の方を神主に考えられているらしい。宮司は一体何を考えているんだ! わくたかむの社はもう終わりだ。次選ばれるのは芽さまではなかったのか。なぜ芽さまを差し置いて、あの弟が選ばれたのだ。力の強さで言えば、弟の方でも頷けるが……。しかし呪われた宮司など、創建以来最大の汚点だ。本当に御祭神の神託があったのか? 嘘を申しているだけなのでは。けれど居合わせた者曰く────。

瞬く間に広まったその噂は、社中のものたちを激しく動揺させた。


その日はいつも母屋から食事を運んでくる神職が来ず、代わりに真言が運んできた。

ぼそぼそと幸と一言二言交わすと、一礼して直ぐに部屋を出ていく。何の話?と幸に尋ねても曖昧に笑って「夕飯食べようか」と誤魔化された。

帰省してから毎日食事を共にしていた芽も、その日は離れに来なかった。その日を境に、芽は離れへ来なくなった。


相応しくない、わくたかむの汚点、呪われた子。

離れから出ないようにと言われていても、そんな声は薫の耳に届いた。


「お母さん、どうして僕は呪しか持ってないの?」


薫から笑顔が消えた。

芽が初等部へ入学して競うように稽古にも力を入れて出し、幼い頃に比べて表情も豊かになってきた時期だった。

塞ぎ込むように一日中自室に篭っていた薫は、心配しておやつを持ってきた幸にそう訴えた。


「……ごめんね、薫」


自分の胸の中で静かに涙を流す薫に、幸はそれ以上の言葉が出てこなかった。


「なんで皆、僕なこと嫌うの……? 僕が呪しかないからだよね? だったたらこんな力いらない……ッ」

「ごめんね薫、ごめんね……でも薫のその力も、いつかきっと誰かを助けることが出来るから」


泣き疲れて膝の上で眠った薫の頬に残る涙のあとを拭った。


「あんな汚い言葉なんて、聞かなくていいの。貴方は素晴らしい子、貴方は尊い子。貴方は愛されている」


大好きよ、薫。ごめんね、薫。

どうか明日はあなたが、笑って過ごせる一日になりますように。

もう抱きかかえる事が出来なくなるほど大きくなった薫を布団に寝かせて額にかかる前髪をはらった。



隆永から大体の話は聞いている。開門祭の初日、薫は御祭神による宮司を受けて次の宮司に選ばれたらしい。

こちらの社は現世の神社とは違い、世襲制や推薦によって宮司は選ばれない。宮司になれるのはその社の御祭神に選ばれた神職だけ。例外はない。

つまり御祭神に選ばれればその人は、宮司になる以外の道がないということでもある。


世襲制では無いけれど、神々廻家は代々血族の中から次の神職が選ばれている。双子を身篭った時、いずれはこの子達も社を受け継ぐのだろうとは何となく思っていた。

けれどもこんな早くに、そして薫がその役目を賜るなんて思ってもみなかった。それによって薫への風当たりが強くなることも、みなまで想像出来ていなかった。


そして隆永もまた、その渦中に立たされている。

御祭神の神託とはいえ、呪しか持たない薫を時期宮司として認めたくない親族や神職たちの反対意見は激しかった。

隆永のことを疑うような声も上がっているのだと真言から聞いている。


「幸は何も気にしなくていい。薫を守ってやって。それで芽のこともちゃんと見てあげて。あの子もあの子なりに、悩んでいるから」


深夜、疲れた顔で離へやってきた隆永はいつものように笑ってそう言う。それでも不安げな幸に額に口付け、安心させるように薄い体を抱きしめた。




「────芽? 何してるの? 出てきて怒られないの?」


何日か経ったある日の夕方、自室で隆永から与えられた課題に取り組んでいると、濡れ縁の方から砂利をふむ足音が聞こえた。

不思議に思って少しだけ襖を開けて外の様子を見た。


こちらに背を向けて立っている芽がいた。

芽の夏休みも終盤に差し掛かり、まだ薫の外出禁止令は解けていない。芽も離れへ尋ねることを禁止されて、開門祭が終わってから一度も顔を合わせていなかった。


「あ、薫」


名前を呼ばれて芽が振り返る。いつもと変わらない顔だった。


「猫が」

「猫……?」


薫は首を傾げて外に出る。裸足で庭へおりて、芽の視線の先を辿り息を飲んだ。

子猫だ。黒い子猫が横たわっている。目を見開き、口から泡を吹いて砂利の上に倒れていた。


「この子……死んでるの……?」

「うん、死んじゃったみたい。薫に見せようと思って連れてきたんだけど、ここで死んじゃった」

「もしかして……僕の呪に、あてられたの?」


芽は何も言わなかった。ただ「大丈夫だよ」と薫の手を握る。薫は呆然とその子猫の亡骸を見つめる。


「いいから行こう、薫」


手を引かれて転がるように走り出した。

芽は鳥居と真反対の位置の鎮守の森に入った。肩で息をする薫は、足を止めた芽の背中を不安げに見つめる。


「芽、」

「どうして薫ばっかり」

「え……?」


ばくんと心臓が嫌な音を立てた。薫は戸惑いながら芽の背中に手を伸ばす。


「どうして薫ばっかり。どうして薫なの? どうして薫が宮司なの?」

「芽、僕は……」


勢いよく振り向いた芽は薫に飛びついた。その体を強く抱き締めて、勢いのまま地面に倒れ込む。


「どうして薫ばっかり、苦しくて悲しい思いをしなきゃいけないの! なんで僕ら双子なのに、みんな薫に同じように接してくれないの!」

「芽……」

「真言が僕にね"芽さまがたくさん頑張れば、薫さまをいつかお助けできますよ"って言ったの。僕、神修で沢山勉強してる、たくさん頑張ってる。なのに薫はずっと苦しんでる。なら、いつ薫を助けるの? 薫が可哀想だよ……っ」


耳元で芽が鼻をすする音が聞こえる。首筋にポタポタと暑い雫が落ちた。


「そんな事言わないでよ、芽……」


可哀想だ、という言葉が幼いながらに胸に刺さった。芽は自分のことを憂いてくれているはずなのに、なぜだかそれがとても悲しかった。


「ねぇ薫、僕とここから出ていこう」

「え……?」

「ここにいたら、みんな薫のこと虐める。誰も守ってくれない」

「でもそんな事したら」

「僕がずっと薫を守るよ。薫を悲しませたりしない」


真剣な目だった。掴まれた両肩が痛い。


「そんなの、できないよ」

「できるよ。絶対できるもん、できる……からっ」

「できないもん……」

「薫のバカッ、できるったら……!」


ポロポロと涙を零した芽に、薫は困惑気味に目を伏せる。芽だって、そんな事をできるわけがないのは分かっているはずだ。


「薫が泣いているところ、もう見たくないよ」


芽が手を伸ばして薫の手をぎゅっと握った。


「ねぇ早く神修に来て。そしたら僕が、いつでも薫を守ってあげられる」

「神修に……?」

「そうだよ。薫を守るために強くなって待ってるから」


じっと芽の顔を見つめる。


「夏休みが終わるまで、ここで秘密の特訓しよう。僕が習ったこと全部薫に教えるから、そしたらお父さんも神修に行くの許してくれるかもしれないよ」


身を乗り出した芽に戸惑う。

隆永からは自分がいない所で祝詞を練習したり奏上することを固く禁じられている。それに今は自分のことで揉めている最中で、外に出ることも芽と遊ぶことも禁止されている。


「見つかったら、怒られちゃう」

「バレないようにこっそり抜け出してくるから。薫もこっそり出てくればいい」


そんなに上手くいくんだろうか。隆永のいいつけを守って、ほとぼりが冷めるまで待つ方がいいんじゃないか。

でも、もし。

もし、芽と練習したことで呪を上手く扱うことができるようになれば、本当に自分も神修に通うことが出来るかもしれない。

みんなが自分の力を認めてくれて、芽のようになれるかもしれない。

そんな淡い期待が背中を押した。


「……わかった、やる」


芽が目を見開いた。そして満面の笑みで頷く。


「薫なら絶対できるよ!」


自分とは全然似ていなくて、似ていないからこそその口が紡ぐ言祝ぎが昔から少し苦手でそれ以上に好きだった。



人の子は寝静まり、妖たちの時間が始まる丑三つ時。薫はそっと自室を抜け出し鎮守の森へ走った。

一度立ち止まって振り返る。幸の部屋の明かりはとっくに消えていた。

数日前のやり取りを思い出し、堪らず溜息をこぼした。


『一人で寝るって……どうしたの薫? お母さんと寝るのが嫌になった?』

寂しそうな顔でそう問いかけた幸。

『芽だってそうしてるもん』

『芽は芽、薫は薫よ。それに朝起きた時、寂しいかもしれないよ?』

『大丈夫だもん。今日から僕、一人で寝るから……!』


夜中に抜け出す時に、幸と一緒の部屋では何かと都合が悪かった。

けれどそんなことを正直に言えるわけもなくただ『一人で寝たい』とだけ言えば、幸は驚く程にショックを受けていた。

薫はかぶりをふって前を向くと、弾みをつけて走り出す。鳥居とは正反対の位置にある鎮守の森が待ち合わせ場所だ。

薫が来る頃にはもう芽は着いていて、太い木の枝の付け根に座って金平糖を頬張っていた。


「あっ、遅いよ薫~」

「ごめん……!」


よっ、と木から飛び降りた芽が「行こっか」と手を差し出す。薫がその手を取れば、二人は揃って森の中へ足を踏み入れた。

数日前から始まった芽との秘密の特訓は、薫が思っていたものとは少し違っていた。


「この時ここの"けまくもかしこき"は、この大神にかかってるから……」


鎮守の森の柏の木下で持ち寄った懐中電灯を照らし、芽が神修で使っている教科書を二人して覗き込む。毎晩その繰り返しだった。

一度芽に「いつになったら練習するの?」と尋ねたが、「祝詞の意味を全部理解するまでは出来ないよ」と言われた。

隆永に"祓詞"を習った時も確かに祝詞の意味を習ってから声を出して練習し始めたが、それでも一時間程度勉強してから直ぐに練習を始めた。実践練習の時間の方が圧倒的に長い。


『祓詞はすべての祝詞の基礎になるし、ことばの意味も簡単だからだよ。難しい詞の入った長い祝詞を奏上するならちゃんと意味を習わないとボウハツしちゃうんだ』

『ボウハツ?』

『間違った効果が現れるってことだよ』


いまいち納得はいっていないが、とにかく実践練習は先になるらしい。

勉強は好きじゃないしそれが退屈なら尚更で、嬉々として教師役になる芽には悪いと思いつつ薫は欠伸を噛み殺した。


「────薫しっかりして! お父さんに納得してもらうんでしょ!」


半開きの目で船を漕ぐ薫の肩を揺すった。ハッと我に返った薫はバツが悪そうに「ごめん」とみを縮める。芽はもう、と息を吐くとパタンと教科書を閉じた。


「今日は終わろっか」

「いいの?」

「だって薫眠いんでしょ?」

「ごめんなさい……」

「別に怒ってないよぉ」


手を伸ばした芽が薫の頭をグリグリと撫でる。薫は目を瞑って肩を竦めた。

そのまま大きく伸びをしてどさりと後ろに寝転んだ芽。ポケットから巾着を取り出して「金平糖食べる?」と差し出す。

ひとつ頷いて手を差し出した。


「僕らいつになったら外出るの許してもらえるのかなぁ」

「芽を宮司にしたい人が、いらいらしてるんだって……お父さんが"ほとぼりが冷めるまではダメだ"って」

「ほとぼりって何? 熱いの? 味噌汁の種類?」

「さぁ……でもまだダメってことでしょ……?」


はぁー、と大きなため息をこぼした芽は金平糖を宙に放り投げた。あーんと口を開けてキャッチする。真似して放り投げた薫は、コツンと額に落ちて転がった。


「別に僕は宮司なんてキョーミないのになぁ。なんで皆が騒ぐんだろうね? 薫が選ばれたなら、薫でいいじゃんね」

「僕だって別に……芽は何になりたいの?」

「僕は囃子方はやしかたになるんだ~」

「ハヤシ……? 木になりたいの?」


そう聞き返した薫に芽はぷくくと口に手を当てて笑う。

そんな態度に薫は少し唇を尖らせる。教えてよ、と拗ねた口調で言えば芽は「ごめんごめん」と笑うのを少しやめた。


「能楽って知ってる? 演劇みたいなものなんだけど、そこで横笛とか太鼓とかを演奏する人だよ」

「芽、横笛ふけるの?」

「学校の雅楽よ授業で習うんだよ。僕クラスで一番上手いんだ!」


すごいね、と目を丸くすると芽は得意げに鼻をならした。


「薫は何になりたいの?」

「僕……? でも僕、宮司にならなくちゃいけないんじゃ」

「お母さんは、僕らは何にでもなれるんだって言ってたよ。僕らが好きなように決めたらいいんだって」


あ、と薫は声を漏らした。いつかの微睡む夢と現の合間で、自分の頭を撫でながら幸の声を聞いた気がする。

貴方は何にでもなれるの。何にも縛られず、自由に、なりたい自分になってね。


「僕は……」


薫が口を開く。うんうん、と目を輝かせた芽が身を乗り出した。


「僕は、わかんないよ」

「わかんないの?」

「……うん」


つまんなーい、と唇をとがらせた芽に申し訳なさで身を縮めた。

将来何になりたいのかなんて、一度も考えたことがなかった。

芽のように得意なことがある訳でもない。やりたいことがある訳でもない。隆永のように神職になるのかと言われても正直分からない。いずれ神主になることが決まっているのだって、全然実感がない。

ただ痛くて苦しいこの毎日が一日でも早く終わればいい、そう思っていた。それ以上の未来なんて、想像できなかった。

手のひらに残った金平糖を見下ろす。


「あ……」

「何なに! やっぱりある!?」

「大人になったら……金平糖、毎日食べたい」


目を点にした芽はしばらくして勢いよくブハッと吹き出した。声を上げて笑い転げる。


「金平糖くらいいつでも買えるよー! 大人って働いたらオキュウリョウって言うお金をたくさん貰ってるんだよ! 車も家も買えちゃうんだよ!」

「お家買えるの?」

「そうだよ! 金平糖なんて一生分買えちゃうんだから!」


一生分、と繰り返し手のひらに残った数粒の金平糖を見下ろす。一生分って神饌をお供えする三方が何個分なんだろう。


「神職のね、浄階じょうかいっていう階級の人なんて、ミナトクのタワマンに住めるんだから!」

「ミナ、タワ……?」

「すっごく強くて偉い人なんだよ! みんなソンケーしてるんだ! みんなその人のこと褒めて、信じて、大好きなんだよ。……あっ!」


突然声を上げた芽。


「薫は神職の浄階になるべきだよ! それでみんなを見返してやればいいんだよ! あれ、でもそうしたら薫を守る僕は浄階よりも強くならなきゃいけないのか……浄階の上ってあるのかな?」


うーんと暫く首を捻るも、「まぁいいか!」と顔を上げる。そうだね、それがいいよ。芽は何度もうんうんと頷いて立ち上がる。


「そうと決まればやっぱり特訓だよ! ね、教えた祝詞そろそろ試してみよっか!」

「いいの? お勉強の続きしなくて……」

「僕も全部覚える前に奏上しても出来たし、初等部3年生の最終課題だからそんなに難しくないから!」


ほら行こう、と薫の手を引いて駆け出した芽は鎮守の森を飛び出した。



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