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双子

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転がるように駆け込んだのは祭りに合わせて解放されていた本殿だった。

ちょうど次の祈祷の合間らしく、祭壇の前には三方に神饌が用意され、参拝者用の長椅子がならんである。入り込む風にロウソクの火がゆらゆらと揺れていた。

一番そばにあった長椅子に座った。

座った瞬間鼻の奥がツンとして太ももの上にぽたぽたと暑い雫が落ちる。握り締めすぎて白くなった手が痛かった。

自分の力がどういうものなのか分かっている。そして周りがそれを恐れていることも知っている。

泣いたって仕方がない、どうにもならない。そんなことは分かりきっているはずなのに、どうしようもなく胸が痛かった。

手の甲で何度も目尻を拭う。早く戻らないと芽が自分のことを探しているかもしれない。それなのに涙は引っ込まず、なかなか立ち上がれなかった。



「────呆れた、また泣いておるのか」



まるで鈴の音色のように高く軽やかで、それでいて幼い声が聞こえた。

次の瞬間、本殿の中の空気が変わった。張り詰めた糸のような緊張感が走る。

ハッと顔を上げた薫は、自分よりも二三年下に見える少年と目が合った。


少年は渡御行列で薫達が身につけた水干と似たような黒い衣装を身につけていた。祭壇の一番上の段にあぐらをかいて座り、三方の上にあったはずの神饌の林檎をそのまま頬張る。

なかなか美味いな、と舌鼓を打つと、呆然と己を見上げる薫に視線をやった。


「辛気臭い顔をしよって。鬱陶しくて仕方ないわ」


バリバリ、林檎を咀嚼する音と少年の声がよく響く。

固まっていた薫は我に返って青ざめて立ち上がった。


「だ、ダメだよ降りて……っ! 祭壇は触っちゃだめなの!」


芽が小学校へ上がる前、本殿に忍び込んだ芽が祭壇に触ったのを神職に見つかって、隆永からかなりきつく説教されたことがあった。

あのいつも笑っている芽が大号泣しながら離れに来て、その後一時間は泣き続けた。それほど厳しく叱られたのだ。

そんな光景を間近で見ていたので、絶対に本殿にあるものは触らないでおこうと幼い心に誓ったのだ。

ましてや御祭神が降臨するとされている祭壇によじ登るなんて、神職に見つかれば生きて帰れないかもしれない、なんて薫は震え上がる。


「は、早く降りて……! お父さんに見つかったら怒られちゃうよっ!」

「我を叱れる神主がいるなら、それは会ってみたいものだな」


はっはっは、と少年は軽快に笑った。

軽やかに祭壇から飛び降りた少年はりんごの芯をひょいと放り投げると大股で薫に歩み寄る。

ぐんと顔を寄せた少年に驚き、薫は体を反らせた。


「本当に似ておるな、そっくりじゃ。顔だけじゃ区別がつかんの」

「な、何……?」

「ふん」


質問には答えず鼻を鳴らした少年は、薫の前に座って胡座をかくと膝の上で頬杖をついた。水晶玉の様な透き通った瞳がじっと己を見上げていて居心地が悪い。


「見下ろされるのは不快じゃ。座れ薫」

「は、はい……」


すとんと椅子の上に腰を下ろす。

自分よりも幼い出で立ちのはずなのに、喋り方は祖父母に似ている。使う言葉も難しくて、見た目にそぐわない話し方だった。


「あの、君は……?」

「自分が奉仕している祭神の名も知らんのか?」

「さい、じん……?」

「まあいい。とりあえず要件だけ伝えるぞ。神職に見つかると面倒だ」


はあ、と首を傾げた薫の鼻先を指さした。


「薫、お前は次の宮司なれ」


直ぐにその言葉を理解することが出来ず、薫は目を瞬かせた。聞いてるのか?と少年は眉根を寄せて薫の前で指を鳴らす。


「あ、えっと……宮司……?」

「まあ代を譲る時期は隆永と決めても良い。これからお前は何かと忙しくなるからな。三十三の歳までは無理じゃろう、大目に見てやるがなるべく早く神主になるのだぞ」


淡々とそういった少年に薫は困惑気味に視線を泳がせる。


「で、でも……宮司さまは御祭神さまの神託で決めるんだってお母さんが」

「お前、本気でそれを言っとるのか? ならなかなかの笑いの感覚を持っておるな」


懐から出した扇子をばっと広げた少年が口元を隠して目を細める。その視線にどきりとした。


「────決して折れるでないぞ」


少年はじっとこちらを見据えてそう言った。


「折れる……? えっと、骨をってこと……?」

「お前は今それを厭わしいと思っておるやもしれんが、我らが与えたもの全てに意味がある。それをゆめゆめ忘れるな、成すべきことを成せ」


少年の言葉は小難しく、何を言いたいのか薫には何一つ分からなかった。ただ何となく、その少年は自分の持っている呪の力について話しているのだと思った。


「さて、そろそろ戻るか。隆永が勘づいたようじゃ。顔を見せても良いが、なかなか帰してくれぬから厄介なのじゃ」


半開きの戸を一瞥した少年に釣られるように振り返る。表がさっきよりも騒がしい。

何かあったみたいだ。


「あの、君は────」


視線を戻した薫は目を瞬かせた。少年の姿がなかった。まるで初めから誰もいなかったかのように、本殿の中はしんと静まり返っている。


「え……あれ?」


立ち上がって当たりを見回した薫、その時バン!と大きな音がして本殿の扉が開いた。肩で息をする隆永が中に飛び込んできた。


「薫!? なんだお前だったのか……」


膝に手をついて息を吐く隆永に、怒られるのではないかと薫は身を固くする。


「もう直ぐ祈祷が始まるから、出ていきなさい」

「は、はい……あ、でも探さないと……」

「芽もいるのか? 遊び場じゃないんだぞ」

「あ、あの……芽じゃなくて……ごめん、なさい」


縮こまる薫を不思議に思った隆永はめの高さを合わせて肩を掴んだ。


「芽はどうしたの? 薫一人? もう寝る時間だったでしょ?」


隆永の語尾が柔らかくなった。稽古の時でも仕事の時の隆永でもない、怒るとちょっと怖い父親の隆永だった。


「社頭の、お祭りにきたの。芽が、お小遣い取りに行って、妖が僕を……怖がって……」


薫の声が震えたのに気がついて、その小さな背中を抱きしめた。

こうなる事が分かっていたし、実際に薫の見えないところで皆が薫に怯えているのは知っている。

だから小さいうちは他人との接触をなるべく避けさせた。力も安定していなかったし、それが薫自身を守るためだったからだ。

自分の白衣を必死に掴む手に「時期尚早だったかな」と自分を責めた。


「それで、本殿に、走ってきて、そしたら男の子がいて」

「男の子? 妖の子? 神職の子?」

「分かんない……でも、僕が今朝着てた服と、同じの着てたの」


少年の姿を思い出す。

黒い水干に紫色の羽衣を頭から被った、まるで人形のように綺麗な顔立ちの男の子だった。

隆永は目を見開いた。バッと薫の体を離して顔をのぞき込む。


「薫、ここでその方にお会いしたのか!?」

「知らないうちに、いたの」

「何かお話されていたか!?」


あまりにも必死な顔の隆永に、何か自分が不味いことをしてしまったんじゃないかと表情を曇らせる。

やっぱり本殿へ入った事を叱られるのではと口を閉ざした。


「怒らないから言いなさい、その方と何かお話したのか?」


息を吐いた隆永が真剣な声でそう言う。怒らない、という言葉を信じて恐る恐る口を開いた。


「そっくりで、見分けがつかないって。僕が泣いてるのが、"シンキクサイ"って……」


それから?と促されて、薫は言葉を続ける。


「────次の宮司に、なれって」


隆永の唇の端から息を飲む音が溢れた。自分の肩を掴む手が小刻みに震えていて、自分の顔を凝視している。


「まさか、薫が……」


無意識に漏れた言葉は小さく、その続きは聞き取れなかった。

お父さん……?と薫は不安げに隆永を見上げる。

凝視されているはずなのに隆永と上手く目が合わない。その瞳は驚きと困惑で揺れている。

隆永は長い間黙り込んで、やがて薫と目を合わせた。


「────いいか薫、よく聞きなさい」


父親の声色ではなく、真言たち神職と話す時の宮司の声になった。


「ここで起きたこと全部、誰にも話してはいけない」

「どうして……?」

「どうしてもだ。自分の胸の中に秘めて、父さんがいいと言うまで決して口にしてはいけない」


あまりにも真剣な眼差しに「分かった」と頷くことしか出来なかった。




「────なんでお祭りの日にまで勉強しなきゃいけないの!」


稽古場のど真ん中で大の字になって寝転ぶ芽の傍で「そうだね」と薫は息を吐いた。

開門祭が始まった翌日、昨日は神事が朝からあって夜の少しの間しか遊び回れなかった芽は、今日こそ朝から晩まで社頭で遊び回ろうと意気込んでいた。

そして急いで朝食を掻き込んでいたその時、幸に声をかけられた。


『芽、学校の宿題は進んでるの?』

『や、やってるよ』

『去年の最終日に夜通し付き合った祝詞奏上の宿題、今年はまだお母さん一度も聞いてないよ?』


口篭る芽に幸は呆れた声で言った。


『お昼までは薫が稽古場で練習してるから、芽もそこで宿題しなさい』


開門祭で早朝から忙しい隆永は薫に自主練習の内容だけ託して仕事に戻っている。最初の五分だけ真面目に取り組んで後はだらだらと過ごしていた所へ芽がやって来て今に至る。

洋服のポケットに入れていた巾着を取り出した芽は中の金平糖を摘んで口へ放り投げた。


「薫も食べる?」

「……ん、食べる」


二人の間に巾着を置いた芽。薫は手を伸ばした。


「ねー、お父さんも居ないんだったら、別にちゃんと練習しなくてもバレないよね?」

「ダメだよ、午一ツ11時半に見に来るって言ってたし……」

「ちぇー、やっぱりダメか」


芽は転がってうつ伏せになり金平糖を頬張る。


「薫は何の勉強してたの?」

「言祝ぎと呪の調整……でも僕言祝ぎはないから、声だけで調節しなくちゃいけなくて……まだよく分かんなくて……」

「凄い薫! もうそんな難しいこと勉強してるの? 神修の高等部から勉強することだよ!」


身を乗り出した芽に「そうなの?」と目を瞬かせる。


「でも僕まだ祓詞しかしらないし……」

「なら教えてあげるよ! どんなの出来るようになりたい?」


飛び起きた芽は興奮気味に薫に詰め寄る。薫は目を伏せて小さく首を振った。


「ダメ……お父さんが祓詞しか奏上しちゃいけないって、だから他も教えてくれないの」

「そんなのおかしいよ! 薫は僕にできないことをしてるのに、どうして教えて貰えないの? お父さんは薫の力を怖がってるんだよ!」


眉をひそめた芽が腕を組んで声を上げる。


「だって僕もお母さんも全然平気だもん」

「でもお母さんはずっと具合悪いし……それって僕の呪のせいだって、みんな話してる……」

「そんなの皆が話してるだけでしょ? お母さんは薫のせいだって言ったの?」


言ってはないけど、と視線を落として指先をいじる薫の両頬を芽がぱちんと挟む。


「もし本当ならお母さんは薫と一緒に暮らさない、でしょ?」


ひりひりと頬が痛くて、触れる両手が温かい。自分を真っ直ぐに見つめる芽の目が、幸の目によく似ていて好きだった。


「泣かないで、薫。薫は何にも悪くない。薫はとってもすごいんだよ、僕の自慢の弟だよ。だから自信を待って」


ね、と満面の笑みを浮かべた芽。薫は目尻の雫を拭ってひとつ頷いた。


「じゃあお母さんを驚かせるためにも、祝詞の練習だ! 僕の教科書取ってくるから、薫はここで待ってて!」


薫の頭をぐりぐりと撫でた芽がかけ出す。

その時、稽古場の外から「芽さま! 芽さま!」と芽を探す声が聞こえた。

目を瞬かせた芽は振り向いて薫と目を合わせる。


「呼ばれてる、何だろ?」

「芽何したの……?」

「あ、ひどい薫! まだ何にもしてないよ! 行ってくるから待っててね」


稽古場の扉を開けた芽は「ここだよ!」と声を上げながら外に出た。外が祭りの賑やかさとは違う感じに騒々しい。

どうしたんだろ……?

窓の格子部分を掴んでよじ登り外を覗いた薫は、数人の神職に背を押されて母屋へ向かう芽を見た。

不思議そうな顔をした芽がされるがままに歩き出す。

よ、と格子から手を離して飛び降りた薫は芽が置いていった巾着を拾い上げて金平糖をひとつ摘んだ。

新しい祝詞、教えて貰えるんだ。病気を治す祝詞とかあるのかな、そしたらお母さんも具合良くなるかな。お母さん、びっくりするかな。

ふふ、と頬を緩ませる。頑張るぞと意気込んだその時、ぴしゃんと勢いよく稽古場の扉が開いて薫は飛び跳ねた。

弾けるように振り返ると、そこに立っていたのは芽ではなく隆永だった。肩で息をしながら険しい顔で薫を見据える。雪駄を脱ぎ捨てて大股で歩み寄った隆永は薫の肩を強くつかんで揺すった。


「誰かに話したのか!」

「えっ……」

「誰かに話したのか!?」


なんの事だか分からずに体を硬直させていると、隆永は膝を着いて薫と目を合わせた。


「昨日父さんと約束しただろ。今日のことは誰にも話してはいけないって」

「あ……うん」


昨日の本殿の話をしているのだと分かってぎこちなく頷く。


「誰かに話したのか?」

「ぼ、僕話してない……! 約束したもん、話さないって!」

「嘘はついてないな?」

「つかないもん……! 芽にも、お母さんにも話してない……!」


必死にそう訴えた薫に、隆永は「そうか」とだけ言うと深く息を吐き項垂れた。

そんな様子の隆永に薫は困惑する。


誰にも話していないのは本当だ。声に出して約束した。だからあの後芽と会っても、今朝幸と朝食を食べた時も何も話さなかった。


「────誰かに会話を聞かれたのか……」


もう一度深く息を吐いた隆永が立ち上がった。

薫の手を握った隆永は大股で出口へ向かう。引っ張られるようにして歩き出した薫は「お父さん……!」と声を上げた。


「お父さん、僕芽と────」

「お母さんと離れにいなさい。外に出ないように。しばらくは稽古もできない」


手を引いて急ぎ足で社頭を横切る隆永を困惑気味に見上げる。

何かを危惧するその横顔に、鼓動が早くなるのを感じた。


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