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大切な人

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真言は宣言通り直ぐに迎えにきた。

別れ際、清志は険しい顔で幸を抱きしめると耳元で「いつでも連絡しろ、いつでも帰ってこい」と囁いた。自分勝手でごめんね、清志を抱き締め返して真言の運転する車に乗り込んだ。


「まだ双子の事は私しか知りません」

「……そうですか」

「宮司は、お子たちを手にかけようとしたんですね」

「はい」


苦い顔を浮かべた。


「全て聞いた上で、幸さまは社へ戻る事を本当に選ばれるのですね」

「はい。この子達を産みます。産む時に何かあった時、やっぱり社の人たちの方が頼りになるから」


真言は泣きそうな顔をした。真言だけは嫁入りしてからずっと自分に親身になってくれた。


「私の命に変えて、ご出産まで幸さまをお守りします」

「ありがとうございます。頼りにしてます。無事に産まれたら、真言さんに名付け親になってもらおうかな」

「……光栄です」


運転席から鼻をすする音がして窓の外に目を向けた。

社へ帰ってくる頃には外は暗くなっていた。真言の手を借りて車から降りる。

久しぶりの社は夏を前にして緑が濃くなっていた。


「部屋までお連れします。部屋の前には交代で見張りをつけさせましょう。皆には私から伝える形で良いですか」

「はい。お願いします」


真言に背を支えられて鳥居をくぐり、ゆっくりと社頭を歩いた。


「あ、真言さん。本殿に手を合わせてからでも────」


視線の先に立つ人物に目を見開いた。


「さ、ち……?」


久しぶりに見たその顔は明らかに疲れが滲んでいた。


「隆永さん……」


一本、二歩、とよろよろと前に出て幸に駆け寄ろうとした。しかし真言がそれを許さなかった。幸の前に立ちはだかり、隆永の肩を強く掴む。


「幸さまから離れてください」

「……一体どういうつもり、真言」


隆永は据わった目で真言を睨んだ。


「幸さまもお子達も私がお守りします」


その言葉に隆永が目を見開いた。


「言ったのか!? 真言に言ったのか!?」


真言を振り切ろうと暴れる隆永は泣きそうな顔でそう叫んだ。その叫びに胸が締め付けられる。

こうなることは分かっていたそれでもこの道を選んだのだ。


「ごめんね、隆永さん」

「何で、どうしてッ! 俺はただ、幸に生きてほしいだけなんだよ……ッ! 何で、何でだよ!」


騒ぎを聞き付けた神職たちが社頭に出てきて、隆永は社務所に連れていかれた。行きましょう、と真言に肩を抱かれて歩き出す。

隆永の叫びがずっと耳に残った。






「今日もご飯食べてないんですか……?」

「ええ……大変な時期に心労になるようなことを申し上げてしまいすみません」


真言は項垂れるようにそう言う。幸は小さく首を振って「そうですか」と眉を寄せた。

幸が社へ戻ってきて三日が経った。

これまでは同じ部屋で過ごしていたが、隆永は幸が来る前に寝起きしていた私室へ強制的に移された。幸の部屋には見張り役が付けられている。

どれもこれも隆永が腹の子を手にかけてしまうのを阻止するためだ。


「社のお勤めはきちんとこなしているんですが、それ以外の時間はずっと部屋にこもられていて」

「隆永さんは何を……?」

「ずっと書物をお読みになっています。過去の双子の出産に関するもののようで」


幸は目を伏せた。

いつか隆永とは面と向かって話し合いたいと思っていた。これからのこと双子のこと、双子を産んだ後のこと。今がその時なのかもしれない。


「真言さん」

「はい?」

「隆永さんと話します」

「ですが今宮司はかなり不安定で、もしかするとお子達に」

「分かってます。でも、今話さないと隆永さんとはもう二度と話せなくなる気がするんです」


幸は立ち上がった。真言が不安げに「でも」といい籠もる。


「大丈夫です。いざとなったら殴るんで。結婚する前もよく引っぱたいてたので、まだ感覚は鈍ってません」

「……あの宮司を、殴ってたんですか?」

「はい。出会った日にも」


あの日はいきなり腕を掴まれてプロポーズされて面倒な酔っ払いに絡まれたと思い、おもいきり引っぱたいたんだっけ。


「分かりました。近くで控えておりますので、何かありましたら声を上げてください」


真言はくすくすと笑って立ち上がった。

隆永の部屋は母屋のかなり奥まった場所にあった。部屋の前に立つと気配で気付いたのか「誰だ」と殺気立った声で問いかけられる。


「隆永さん……?」


そっと名前を呼べば、部屋の中からバサバサと本が崩れるような音がして足音がドタバタと迫ってくる。勢いよく障子が開けば、痩けた頬をした隆永が目を見開いて自分を見下ろした。


「幸……」

「ご飯食べてないって聞いたよ。おにぎり持ってきたから、一緒に食べよう。隆永さんが好きな鮭と昆布」


幸の顔と皿のおにぎりを見比べた隆永。


「……俺と二人きりになるのは、怖いんじゃないの?」

「変なことしてきたらぶん殴る。昔みたいに」


幸の後ろに控えていた真言をみて隆永はふっと小さく笑う。


「不安なら部屋の前にいな。でも腹の子には手は出さないよ。約束する」

「……承知しました」


真言は一礼して来た道を戻り始める。その背中を見届けて幸を部屋に招き入れた。

初めて入った隆永の部屋は無駄なものがなく質素なものだった。ただ文机の周りだけ、沢山の書物が乱雑に広げられていたり、塔のように積み上げられている。

机の前に座った隆永はさちに向かって手を差し出した。


「食べる。お腹空いた」

「何日も食べてないんでしょ? そりゃそうだよ」


くすくすと笑って隆永に皿を差し出した。

そばに腰を下ろして散らばる本を整える。みみずのような文字で書かれていて内容はよく分からない。


「これなんの本……?」

「言霊の力についての本だよ。双子の出産について、書かれてる箇所を洗い出してる」


おにぎりを頬張りながら隆永は書物の頁をめくる。


「まだ、諦めきれない……? まだこの子達のこと、殺そうとしてる?」

「そうだって言ったら?」


隆永の淡々とした言葉に目を伏せた。


「幸が死んだら俺には何にも残らないんだよ」

「子供たちがいる。私と隆永さんとの子供だよ」

「幸がいない世界で生きていけと?」

「だって隆永さんは、この子達の唯一無二のお父さんなんだよ……!」

「幸だって俺の唯一無二の存在だよッ!」


ダン、と机を叩いた隆永が泣きそうな顔で幸を睨んだ。


「でもこの子達がいなくなれば、私の心が死んじゃうの……! 死んだも同然なの!」

「魂がここにあれば何とでもなる。俺がそばにいる、俺がずっと幸を守る」

「隆永さんお願い話を聞いて……!」

「聞いてる! 聞いて、そのお願いは聞けないって言ってるんだよ!」


強く手を引かれて固い胸板が頬に当たった。腕が後頭部と背中に回されて、苦しいくらいの力で抱きしめられる。


「……生きてよ幸。なんのために結婚したの、なんのために一緒に生きる道を選んだの。これから何十年も、同じ景色を見て笑い合うためじゃなかったの」


幸の肩にぽたぽたと熱い雫が落ちた。隆永の身体が小刻みに震えていた。


「前にも言ったよね。私の中ではこの子達も、隆永さんと同じくらい大切になっちゃったの。大切な人を亡くして私も生きていけない」


頬にあたる硬い髪の毛を撫でた。

好きな人と結婚して好きな人との子供を身篭って、一番幸せなはずなのにどうしてこんなに泣いてばかりなんだろう。

どうして悲しませてばかりなんだろう。


「どうしても?」

「どうしても」

「……絶対?」

「……絶対」


隆永が抱きしめる手に力を込めた。それに答えようと幸も手に力を込めた。


「────絶対に助ける。幸も、腹の子らも」


耳元で囁かれた声に幸はハッと顔を上げた。


「隆永、さん……?」

「三人とも助ける方法を、俺が見つければいいんだ」


まるで青い炎が暗闇の中で揺れているような声だ。熱く、激しく、心が高ぶる。


「助ける、絶対に助ける。幸とこの子達と、未来を生きたい」


涙が滲んだ。言葉が出なかった。

隆永さんは諦めていなかった。


「一緒に生きて。これからも俺と」


激しい瞳、燃えているかのよう。強い意志がこもっている。


「……生きたい。隆永さんと、この子達と」


少し強引にでも気遣うように唇が押し付けられた。それに答えるようにそっと目を瞑る。

まるでプロポーズみたいな言葉だな、なんて幸はこっそり思って笑った。


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