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招かれざる客
結
しおりを挟む「うわーっ、どうしよう緊張する!」
「もっと練習したかったよぅ……」
神楽殿の舞台袖、神楽部男子の群舞発表が始まって盛福ちゃんと玉珠ちゃんが泣きそうな顔で私に抱きついてきた。
ふふ、と笑いながら二人の背中を励ますようにぽんぽんと叩く。
「大丈夫だよ、二人とも。病み上がりの体なのに練習すっごく頑張ってたもん」
「うっ、これが月兎の舞を踊った女の余裕か……」
「うぅ……これが全校生徒を救ったヒーローの余裕です……」
「そんなじゃないってば」
苦笑いで肩をすくめる。
やがて演奏が静かに終わって、男子たちが祭殿に向かって深くお辞儀する。客席に座る沢山の生徒や教員たちがわっと拍手を送った。
始まるよと背中を押すと、泣きそうだった二人の顔が引き締まった。
今日は奉納祭、二学期で学んだことをまねきの社の御祭神さまである須賀真八司尊に披露するお祭りだ。
朝から神楽殿や運動場では沢山の演武が披露されている。
午後からの学年発表までは自由に見学していいので、泰紀くんの所属する槍術部を見に行ったけれど"型"と呼ばれる迫力ある演武には圧倒された。
慶賀くんと亀世さんの薬学部は調薬室で実験教室を開いていて、11時頃にみんなで観に行った時には【不慮の爆発事故により薬学部の発表は中止となりました】という張り紙が貼ってあった。
間違いなくあの二人が何かやらかしたんだろう。
私たち神楽部はもちろん奉納舞だ。男子は倭舞、女子は巫女舞で浦安の舞というのを発表する。
本来は「八岐大蛇伝説」の神話舞も合わせて行われる予定だったけれど、部活動の活動が再開したのが最近だったので十分な練習時間が取れず今年は中止になったのだ。
学校内の活気は徐々に戻りつつある。入院していた生徒も一部を除いて皆帰ってきた。
盛福ちゃんと玉珠ちゃんも自室療養していたけれど、豊楽先生が調合した薬がすぐに効いて今はこの通り元気いっぱいだ。
学生寮に住み着いていた応声虫は私たちが燃やした後、亀世さんが言った通りすぐに先生たちが駆けつけて、残りも一気に駆除された。
案の定、気付いた時点で報告せずに黙って応声虫の駆除をした事はこてんぱに叱られたけれど、まねきの社の瑞雲宮司の采配で私たちに課されていた罰則はゼロになった。
噂好きの学生たちのおかげでその話はあっという間に広まって、今やこうして"ヒーロー"なんて呼ばれたりている。
かなり恥ずかしいけれど、ちょっと誇らしい。
舞台の上に上がれば、真ん中の席で慶賀くんたちが小さく手を振っていた。その後ろにはビデオカメラを構えたお兄ちゃんが満面の笑みでぶんぶんと手を振っている。呆れた顔で禄輪さんがそれを見ていた。
頭を抱えたい気持ちをグッとこらえて姿勢を正し、祭壇に向き直った。
浦安の舞はたくさん練習してきた。曲を聞けば自然と体は動く程に何度も舞ってきた。
あとは一番大事なこと、心から楽しむことだ。
夏休みに恵理ちゃんの家で神様を祓ってしまって自分たちの未熟さを知った。部活に入り新しい友達が出来て、生徒代表として観月祭で舞を踊って大切なことに気が付けた。沢山苦労して病気の正体を突き止め、応声虫の大群を駆除した。
本当に色々あった二学期、長かったはずなのに振り返るとあっという間に感じる。
今日踊るこの舞は、これまでの事を思い出して助けてくれたみんなへの感謝の気持ちを舞に込めたい。
ゆったりとした曲調が流れ始め、梅の花の刺繍が入った巫女鈴を掲げた。
奉納舞が終わってその足で社頭を横切っていた。この後庭園の反橋のところでみんなと待ち合わせをしている。
予想外の出来事で少し時間を取られてしまったので、急がないと皆を待たせてしまう。
急げ急げ、と足を早めたその時。
「巫寿!」
突然誰かから名前が呼ばれて、足を止めた。
声が聞こえた方を振り向くと、そこに立っていた意外な人物に目を丸くした。
「恵衣くん……?」
いつもと変わらない不機嫌そうな顔をした恵衣くんがじっと私を見ている。
あれ────今、私の名前。
「恵衣くん、今────」
「うるさい、だからなんだよ」
「もう……なんでそんな言い方しか出来ないの?」
ちょっと嬉しかったのに、というのは口に出すのは辞めた。
何か言いたげな顔で視線をさ迷わせる恵衣くんを不思議に思いながら黙って待つ。
「……助かった。お前らのおかげで、声が戻った」
長い沈黙の後、風に掻き消されそうな程小さな声だった。
「あと、これまでのお前らに対する態度について、一部謝る」
すごく顔を歪めながら、すごく不本意そうに恵衣くんはそう言った。
「一部なんだ」と思わず声に出してしまい、「うるさい! 一部で十分だ!」と恵衣くんが噛み付く。
思わずぷっと吹き出した。
相変わらず「ありがとう」も「ごめんなさい」も下手くそな人だな、と心の中で息を吐く。
「私達も一学期は散々恵衣くんに迷惑かけたし……ごめんね。あと、ありがとう。恵衣くんがいたから、皆を助けれた」
「迷惑はかけられたから謝罪は受け取るが、俺は何もしていないからその感謝は不要だ」
真剣にそう思っているらしい。
感謝の言葉なんて貰ったら何も考えずに受け取ればいいのに。変なところで真面目なんだから。
「三学期はなるべく迷惑かけないように頑張ります……これ以上嫌われちゃったら、気まずいし」
冗談にほんの少しの本音を混ぜて肩をすくめる。
恵衣くんは眉根を寄せてじっと私の目を見た。
「お前らは迷惑だし馬鹿だしやたらお節介なのがかなり鬱陶しいけど、嫌いではない。いや、少し前まで大嫌いだったけど、今はまあ普通だ」
オブラートに包まずド直球な言葉にもう苦笑いしかできなかった。
けれど嫌われていたと思っていた恵衣くんが、"普通"だと言ってくれたんだ。それだけでも進歩だ。
「急いでたんだろ。呼び止めて悪かった」
「あ、そうだった……! じゃあ、また教室でね」
「ああ……巫寿」
ふ、と目尻を下げて優しい顔を浮かべた恵衣くんが私の名前を呼んだ。その瞬間、ばくんと心臓が跳ねたのを感じた。
びっくりして、急に恥ずかしくなって、うん、と消え入りそうな声で頷くと、逃げ出すようにその場から走り出す。
どっどっと鼓動が早いのはきっと走っているからだ。
「────巫寿! お疲れ!」
反橋の下で待ってくれていたみんなに手を振り返す。慶賀くんたちだけでなく、聖仁さん二年生のみなさんもいた。
「皆、見に来てくれてありがとう……!」
「綺麗だったよ巫寿ちゃん! お兄さんなんて感極まって引くほど泣いてし」
「あはは……」
実は恵衣くんに会う前、ここへ向かっていた途中でお兄ちゃんに会った。会ったというか待ち伏せしていたお兄ちゃんに捕まって、今日が卒業式かと思うほど写真を撮られたのだ。
あまりにもしつこくて、いい加減にして、と振り切って逃げてきた。
「にしても、嘉正や瑞祥たちは残念だったな。明日が退院だったか」
「うん。メッセージで俺だけ学年発表で演舞することにめちゃくちゃ悔しがってたよ」
瑞祥さんらしいな、と小さく笑う。
病状が深刻だった一部の生徒、嘉正くんや瑞生さんは回復に時間がかかって、他の生徒よりも少し長く入院している。
今は経過観察中で、送ったメッセージはすぐに返信が返ってくるようになった。遅れを取り戻そうと必死に勉強しているらしい。
本当にあと少しですっかり元通りだ。チーム出仕のメンバーが揃う日が待ち遠しい。
「そういえば慶賀たちはクラス発表何するの?」
「俺らはねー、合唱!」
「合唱?」
「へえ、面白そうだな。揃って歌うのか?」
午後のクラス発表のことで盛り上がっていたその時、
「────おーい! あれ、全員いるじゃん!」
ザッザッと庭園を走る足音とともに誰かの声が聞こえた。聞き覚えのあるその声に皆は目を丸くする。
ハッと立ち上がった聖仁さんが辺りを見回す。
「────瑞祥!」
「え、まじ?」
驚いてみんな立ち上がる。
満面の笑みを浮かべて大きく手を振りながら、こちらに向かって走ってくる姿を見つける。
ドドドッと前と変わらない勢いで走ってくる瑞祥さんは、私の目の前で両足で踏ん張るとぴょんと飛び跳ねた。そのまま私に飛びついて、二人して後ろにひっくり返る。
驚きすぎて目を白黒させていると、耳元で瑞祥さんが「巫寿ーッ!」と私の名前を叫ぶ。首を締め上げる勢いで抱きつく瑞祥さんは私の肩に顔を埋めると今度はおいおいと泣き出した。
「巫寿ー! ごめんな、ごめんなぁッ! ありがとうなぁッ!」
息つくまもなく謝られ感謝され、けれど痛いほどに瑞祥さんの気持ちは伝わってきた。
なんだか自分まで泣きそうになって、目頭が熱くなるのを感じながらその背中を抱きしめる。
「やっぱり私、瑞祥さんの代わりにはなれませんでした。聖仁さんの隣で踊る人は、瑞祥さんでなくちゃダメです」
「そんなことないぞ……ッ! 月兎の舞の映像、富宇先生に見せてもらった。もう私よりも上手い!」
おおお、と泣きじゃくる瑞祥さんに、もう苦笑いしかできない。
「瑞祥、瑞祥。迷惑かけた後輩に謝るのも大事だが、そろそろ相方の相手してやれ」
いいタイミングで亀世さんがべりっと瑞祥さんをはがした。
相方?と目尻をぐしぐし擦る瑞祥さんは立ち上がって振り返る。ぎゅっと眉間に皺を寄せた聖仁さんが一歩前に出た。
「瑞祥、退院明日じゃなかったの?」
「ん? ああ、入院延長組で"どうしても奉納祭に出たい"って陶護先生に頼み込んだんだ。それで、ついさっきお許しが出てな」
ピースサインを突き出した瑞祥さん。それでも聖仁さんの表情は固くて、周りにいた私達は困惑する。
「もう、平気なんだね?」
「もうすっかり! 聖仁にも迷惑かけて悪かったな。あと、ありがとな。そうだ! 巫寿みたいに感動の再会を祝して熱い抱擁でも交わすか? なーんて────ッ!?」
おどけたように両手を差し出した瑞祥さんを、迷うことなく抱きしめた。驚いた瑞祥さんが顔を真っ赤にして硬直する。
「心配かけすぎだよ、馬鹿瑞祥」
湿って震えた声に怒った口調、でも聖仁さんの表情はここにいる誰よりも優しかった。
固まっていた瑞祥さんもやがて強ばった顔を緩めるとその肩に頭を預けると、背中の服をきゅっと握った。二人の間に言葉は無い、抱きしめる腕の力強さが全部を物語っていた。
「おいお前ら、イチャつくなら他所でやれ」
おらよ、と聖仁さんの背中を蹴飛ばした亀世さんはケッと顔をしかめる。
ちょっと!と聖仁さんは声を上げたけれど、呆れたように肩を竦める。そして「ちょっと外すね」と瑞祥さんの手を引いて、歩いていった。
わぁっ、と心の中で声を上げる。
今この瞬間に一緒になって騒げる女友達が居ないのがもどかしい。慶賀くん達は何にも気が付いていないらしく「ホント仲良いなぁ」と笑うだけだ。
帰ったら恵理ちゃんに電話しよう、と速攻で心に決めて遠ざかっていく二人の背中をドキドキしながら見送った。
「あれ、瑞祥さんが戻ってきたってことはつまり────」
あ、と声を上げたその時。
「やっと見つけた。ここにいたんだ」
反橋の影からひょこっと顔をのぞかせたその人にみんなは目を輝かせた。
「嘉正くん……!」
「みんな久しぶり。先生たちに聞いたけど、大手柄だったんだってね?」
くすくす笑いながら歩いてきた嘉正くん。その影には嘉明くんもいて顔をほころばせた。
「嘉正、やっと戻ってきたか! お前が休んでる間にめっちゃ授業進んだからな~。まあ、この俺が教えてやってもいいけど?」
「この俺のノート見せてやってもいいけど?」
慶賀くんと泰紀くんがふふんと得意げに胸を張る。
「うん、大丈夫。暇だったからずっと勉強してたし、三学期の予習までバッチリ。ノートは巫寿と来光から毎日写真で送って貰ってたから問題ないよ」
にっこり笑った嘉正くんに、二人は顔を見合せた。そして「可愛くねぇ!」と舌を出す。そんなやり取りに、やっと私たちの日常が帰ってきたような気がした。
「それはさておき、みんな本当にありがとう。先輩たちも、ありがとうございます。馬鹿な弟が、ご迷惑をお掛けしました」
ほら、と促された嘉明くんは背中を押されて前に出る。うるうると瞳に涙を貯めて「ごめんなさい」と頭を下げた。
「とりあえず、嘉明も元気になって良かったな!」
泰紀くんにぐりぐりと頭を撫でられて、不安でいっぱいだった表情が少しだけ晴れる。
「また一緒に遊ぼうな!」
その瞬間、火がついたようにぴゃーっと泣き出して嘉正くんの腰に抱きついた。
確か泰紀くんと慶賀くんに遊びに連れ回されて、トラウマになるような事があったんだっけ……。
ぐずぐずと鼻をすする嘉明くんの視線に合わせるように、亀世さんがその場に膝を着いた。
「なぁ、嘉明」
「……なぁに?」
「あの虫、どこで見つけた? 虫取り網で取ってきた訳じゃないだろ?」
その問いかけに眉根を寄せる。
事の発端は、嘉明君の部屋だった。
嘉明くんの部屋は巣になっていて、増えた応声虫は部屋の隙間や排水管を通って学生寮全体に広まったんだという。だから部屋の近い生徒が次々と寄生され、学年によって患者の人数が違ったらしい。
陶護先生の計らいで、詳しい事情聴取は退院後になると聞いていた。
きっとこの後、嘉明くんは先生たちに質問攻めにされるんだろう。可哀想だけれど、今回ばかりは仕方がない。
「もらったの」
「もらった? いつ? 誰に?」
「えっと、えっと……二学期、はじまるまえに……鬼脈で……しらない人から……」
「お前、知らない人から物貰ったのか?」
嘉正くんのその問いかけに、叱られると思ったのか嘉明くんはびくりと肩をすくめる。ため息をついた嘉正くんは膝を着いて嘉明くんの両肩を掴んだ。
「全部ちゃんと話しなさい。じゃないと余計叱られるよ」
「でも、でも、ぼくほんとうにしらない人なんだもん」
「じゃあ、その人になんて言われたの?」
「カブト虫の、タマゴだよって。ぼく、カブト虫のタマゴみたことないから、カブト虫だと思って……」
涙が長いまつ毛に溜まって、ポロポロと頬を伝った。嘉明くんなりに、大変なことをしてしまったんだと自覚しているんだろう。
そんな表情を見れば「もういいよ」と許してしまいたくなるのだけれど、流石はお兄ちゃんといったところか、嘉正くんだけは揺るがない。
「泣くな。泣いてもどうにもならないだろ。その人、どんな人だったんだ?」
唇をすぼめて泣くのを我慢する嘉明くん。
嘉正くんもうその辺で、と言いかけたその時「あ」と嘉明くんが声を上げてすっと指をさした。
「その人」
全員が弾けるように振り向いた。
「わ、びっくりした。俺が驚かそうとしたのに」
まるで私たちの輪の中に最初からいたかのように、その人は違和感なくそこに立っていた。
驚きと困惑と、計り知れない恐怖が胸の中にぶわりと広がる。
いつから、どうやって? だって音はしなかったのに。それよりも、なんでここに────。
「や、巫寿ちゃん。3ヶ月ぶりくらい?」
片方しか見えていない目を細めて人のいい笑みを浮かべた。
少し長い黒髪に片目を隠す眼帯、整った顔立ちは薫先生にそっくりな────。
「芽、さん……」
名前を呼んだ自分の声は僅かに震えていた。
巫寿、知り合いか?と亀世さんが芽さんから視線を逸らさずに静かに尋ねる。
知り合いであることには間違いなくて、はいとひとつ頷いた。
「あれ、おかしいね。元気な生徒が多いな。俺の目論見では教員生徒神職のほとんどが声が出なくなってろくに戦えない状態になってるはずなんだけど」
「芽……さん、何を」
「あ、嘉明くん。久しぶりだね。せっかく俺があげた"カブト虫"、ちゃんと育てなきゃ駄目じゃないか」
先輩たちの纏う空気が一瞬で鋭くなった。
「おお、怖い怖い。今の高等部の生徒は優秀って聞いてるからね、下手なことできないなぁ」
「誰だ、お前。ここはまねきの社だ、招かれざる客は入れない神域だぞ」
亀世さんを背に隠すようにして鶴吉さんが一歩前に出る。
芽さんは冷たい目で見下ろすと不敵に笑った。
「俺は招かれざる客じゃないよ。招かれないと社には入れない、常識じゃないか」
笑っているはずなのに、笑っているように見えない。まるで仮面のような張り付いた笑顔に背筋がぞっとする。
「本当は神職たちが機能してないうちに皆殺そうかなって思ってたんだけど……なぜかピンピンしてるみたいだし今日は大人しく帰るよ。────ああ、でもその前に」
瞬きした次の瞬間、芽さんの腕が私の鼻先に伸びた。
恐怖で身体がすくんで、目すら瞑ることが出来ない。ダメだ、と思った次の瞬間、目の前で白い袂が翻った。
パンッと芽さんの腕を払い除けると、私を背に守るようにして前に立った人がいた。真っ白な白衣に紫色の袴、不揃いのショートボブの襟足に目を見開いた。
「喜々、先生……」
「全員橋の影まで下がってろ」
突き飛ばされてその場に尻もちを着いた。駆け寄ってきた嘉正くんが私の手を引き立ち上がらせると橋の影まで引っ張る。
対峙しあう芽さんと喜々先生を困惑しながら見つめる。
訳が分からない、なんで喜々先生が。
「おお喜々! 久しいね、元気だった?」
「ああそれなりに」
「そうかそうか。それにしてもまた髪の毛自分で切ったの? 宙一はもういないんだから、ちゃんと美容院行きなよ」
「いい面倒だ」
まるで旧い友達と久しぶりに再会でもしたかのように、ふたりの会話は親しげだった。
あの喜々先生が、だって昔親友"だった"と言った薫先生とですら、こんな風に喋ったりしなかったのに。
私たちはただただ状況が理解できず、困惑しながらも成り行きを見守るしかなかった。
「何しに来たどうやって入ったお前はこの地を永久に追放されなおかつ見つけ次第拘束し力を封じるようにお達しがあるはずだったが」
「げ、俺の扱いってそんなふうになってたんだね。力封じられるのはちょっと面倒だな」
「質問に答えろ」
芽さんは人のいい笑みを浮かべたまま固まった。その妙な沈黙がとても怖い。
「……今日のところは帰るよ。折角空亡の残穢を取り込ませた妖を校庭に放ったのに。もうそろそろ全部祓われてるかな? ということはアイツも俺に気がついた頃か」
空亡の残念……? 妖を、校庭に放った?
芽さんの言葉が理解出来ず、頭の中で繰り返した。
妖を放った? 神修の校庭に? でもそんなことをしたら、だって今日は奉納祭で校庭には生徒が沢山────。
「やってくれたな、芽」
第三者の声に皆はバッと振り返った。
これまでに見た事もないほどの険しい表情を浮かべる薫先生がそこに立っていた。
「ありゃりゃ、お早い登場で」
「縛れ」
まるで地の底を這うような怒気に満ちた声だった。
次の瞬間、まるで縄で体を縛られたかのように芽さんは体を硬直させた。
大股で歩み寄った薫先生はその勢いのまま拳を振り上げ、芽さんの左頬を思い切り殴り飛ばした。嫌な音がして芽さんはその場に転がる。薫先生はお構い無しにその上へ馬乗りになった。
「っ……相変わらず手が早いなぁ。昔もよくこうやって取っ組み合いの喧嘩したね、薫」
「お前と話す気は無い。このまま本庁にお前を突き出す」
「折角"お兄ちゃん"との再会なんだから、もうちょっと楽しい話をしようよ」
「黙れ……ッ!」
声を荒らげた薫先生を初めて見た。
その声は呪と怒りで満ちているはずなのに、薫先生の横顔はまるで泣いているかのようにとても悲しそうだった。
「分かった分かった。もう黙るよ、その前に三つお兄ちゃんから言いたいことがある」
芽さんはふふ、と愉しそうに笑った。
「一つ目。俺を縛りたいなら物理的に縛らなきゃダメだよ。特にお前はね、薫。お前の言霊は俺には効かないんだから。自分でもよくわかってるはずだろ」
縛られていたはずの両手をすっとあげた芽さんに薫先生は目を見開いた。
その手は目にも止まらぬ早さで薫先生の胸ぐらを掴むと、まるでボールでも投げるかのように薫先生を投げ飛ばす。橋の柱に背をぶつけた薫先生は力なくその場に尻もちを着いた。
それを横目に、芽さんは喜々先生に向き直る。
「二つ目。喜々、そろそろ俺のところ来る気になった? 結構空亡の残穢も集まってきてるし、いい線行ってると思うんだけど」
差し出された手を喜々先生は一瞥した。
「私の答えは前と変わらない」
「くそー、まだ駄目? 喜々は厳しいな」
心から楽しそうにくすくすと笑った芽さん。やがて「分かったよ」と肩を竦めた。
「最後、三つ目。巫寿ちゃん」
名前が呼ばれてハッと顔を上げる。光を灯さない瞳と目が合って、まるで闇に吸い込まれてしまいそうな焦燥感が胸に渦巻いた。
「巫寿ちゃん、今どんな気分?」
答えなくていい、と鶴吉さんが私の肩を掴んだ。
「ちょっと君。余計なこと言ったら喜々の首の骨へし折るよ?」
そう言って喜々先生に手を伸ばす。
「やめてくださいッ!」
ほぼ反射で、芽さんの前に飛び出した。
みんなが後ろで私の名前を呼んだ。下がれ、戻れ、と焦った声が聞こえる。震える膝に力を入れて、芽さんを正面から睨んだ。
「怒ってます……ッ! 薫先生は芽さんの弟なんですよね!? どうしてこんな酷いことを、喜々先生だって友達なんでしょう!?」
「おお、いいね。怒ってるのか。巫寿ちゃんの中の呪がどんどん高まってる」
私の言葉なんて耳に届いていないような素振りで、芽さんは顎に手を当て満足気に頷いた。
「でもね────」
伸ばした手が私の顎を掴んだ。長い爪が頬に刺さる。
芽さんは顔を寄せて私の顔をのぞき込む。まるで闇の底を覗いているよう何も映さない目だった。
「でも、俺は君に絶望して欲しいんだ。悲しくて辛くて怖くてひとりぼっち。希望も夢の未来もない。やがてどんどん己の中の呪が増幅して、負の感情に支配される……そうなった君は、とても弱い」
す、と手が離れた。足の力が抜けたかのように、へなへなとその場に座り込む。
芽さんはまた人のいい笑みを浮かべると私たちを見回した。
「それじゃ、俺はそろそろこの辺で。また会おうね」
反橋の下から抜けた芽さんはふわりとその場で飛び跳ねる。体が見えなくなって、しかし一向に着地してくる影はなく、橋の下を飛び出した亀世さんが当たりを見回し首を振った。
「逃げられた。見当たらん」
「そんな……」
皆は戸惑いを隠せずにお互いのお互いに顔を見合せた。
「おーい……誰でもいいから手貸して。多分アバラの骨やってる」
苦しげな声に皆は我に返って薫先生に駆け寄った。
亀世さんが薫先生の白衣を脱がせて肌にそっと触れる。
「……二本だな。折れてはないヒビだ。折った方が治りは早いが」
そう言って拳を振り上げた亀世さんに、薫先生はすかさずその手を掴む。
「あはは、本人の了承得る前に折ろうとするのやめてくれる? 物騒だな」
「善意だよ」
鶴吉さんと亀世さんが、薫先生の両脇を支えて立ち上がらせた。
「校庭、一応祓ったけど空亡の残穢を食った妖が暴れてたんだ。奉納祭は中止、皆はホームルーム教室で一旦待機ね。先生たちが戻るまで自習、教室から出ないように」
「いやいやいやいや、薫先生! そんなの今はどうでもいいよ!」
「そうだよ! どういうことなんだよ、あのロン毛野郎は!」
まくし立てる来光くんと泰紀くんに、「もー、わあわあうるさいよ」と耳の穴に小指を差し込む。薫先生! と皆が険しい顔で名前を呼んだ。
先生は足元に視線を落とした後、ゆっくりと反橋の下で立ち尽くす喜々先生を見つめて、目を伏せた。
「俺の兄貴だよ。双子の。血を分けた兄弟。言霊の力も分けちゃったけど」
「双子の兄貴……? あんな明らかに頭おかしい奴が先生の兄貴なのか!?」
泰紀くんが顔を顰める。
……いや違う、今はそうじゃない。
喜々先生の研究室に忍び込んだ日に、鶴吉さんとした会話を思い出す。
『言霊の力は言祝ぎと呪のふたつの要素から成り立ってるだろ? で、その力は生まれた瞬間から、なんなら母ちゃんの腹の中から俺たちの中に宿るんだけど……双子の場合、99パーセント"割れる"』
『割れる?』
『言霊の力のふたつの要素が割れる。つまり一人は言祝ぎの要素だけを有した言霊の力、一人は呪の要素だけを有した言霊の力を持って生まれちまうって事だ』
「言霊の力も分けちゃったけど」────もしその言葉通りならば薫先生と芽さんは。
「あ、巫寿気づいちゃった? その通りだよ。俺たち双子の言霊の力は生まれた時に割れたんだ。芽が言祝ぎ、俺が呪。俺は呪の要素しか持ってないってわけ」
あはは、といつものように気の抜けた笑い方をした薫先生。
反対に私たちは言葉を失い息を飲んだ。
呪の要素しかない言霊の力。それはつまり、発した言葉が全て呪いになるということ。
言葉に呪を込めることは何よりも危険なのだと、どの科目の授業でも先生たちはからなず一回は口にする。
薫先生は生まれつき、そうなってしまうということだ。
「そんな双子の兄貴。そんで学生時代のクラスメイト。そんで親友のひとりで、そんでライバルで、大切な存在だった」
そんで、そんで、と言葉を紡ぐ薫先生。
なんて寂しげな声なんだろうか。まるで迷子になった子供が、お母さんを探して泣いているように聞こえた。
「そんで、敵しかいないこの世界で唯一俺のことを心の底から愛してくれた人。俺が強くなるきっかけになった人」
────俺が、この世で一番殺したい人なんだ。
強い風が吹いた。湿気と雨の匂いを含んだ妙に不吉な風だった。
【第二部 終】
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