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文殿と呪い
弐
しおりを挟む「……うーん。授力ってあやふやな所が多いんだね」
その後、適当な書物を片っ端から読み漁っていた私はそう呟いた。
読んでいた本をパタンと閉じると、片付けを手伝ってくれていた眞奉がそれを取った。
「君、これも片付けて宜しいですか」
「うん、ありがとう。よろしくね」
こくりと頷いた眞奉は慣れた手つきでたなにそれをもどした。
部活見学の時に嘉正くんが所属する流鏑馬部の部長勇逞さんが読心の明があると言う話をしてから、授力について詳しく知りたいと思っていたところだった。
授力について記載のある書物をいくつか広げたけれど、納得のいく説明を見つけることは出来なかった。
「どうも物によって記載が違うんだよねー……肝心の使い方はどこにも載ってないし」
授力についての説明は様々なものがあって、自分が知っている知識もいくつか記載に当てはまっていた。
けれどいちばん知りたい、その力の使い方については一切の記述がなかったのだ。
はあ、と息を吐いて机の上に伏せった。
「ねー、眞奉。授力について何か知ってる?」
「申し訳ありません。妖や十二神使は授力を持ちません。授力を持つのは限られた神職のみです」
「だよねぇ」
授力は神職にしか宿らない。そしてその力を持つ神職の血肉を取り込むことでその力を受け継ぐことが出来る。妖がもし授力を持っていたとしたら、その妖は神職の血肉を食らったということだ。
だから十二年前、空亡は授力持ちの神職を狙ったんだ。
「志ようさんは持ってなかったの?」
「お持ちでしたよ。その前の審神者も、審神者はみな授力をお持ちです」
「えっ、そうなの! なんの授力?」
「君と同じく、先を見透す力────先見の明です」
ばくんと心臓が波打つ。私と同じだ。
「先見の明をどうやって使っていたか、覚えてる?」
「申し訳ありません、そこまでは」
「そう、だよね」
はあ、とため息をこぼす。
授力の使い方は、同じ授力を持つもの同士で口頭で伝えられることが多いのだとか。
文献に残しているものもあるのだろうけれど、みみず文字で書かれたそれはまだ私には読むことが出来ない。
また深いため息をついてテーブルの腕に突っ伏した。
「眞奉、文殿の閉館前に起こして……」
「御意に」
ひとつ頷いた眞奉に、ありがとうと伝えて目を閉じる。
なんだか今日はどっと疲れた。
「────……君、君」
肩を揺すられる感覚に意識の深いところから引き上げられる。
ゆっくりと目を開けば、相変わらずの無表情で私の顔をのぞき込む眞奉の顔が見えた。体を起こすと、普段は柔らかい色の電灯が着いているはずの文殿が真っ暗なことに驚いて一気に覚醒する。
遠くで鐘の音が聞こえて慌てて立ち上がった。
「眞奉、いま何時!」
「今聞こえるのが門限の鐘です」
「閉館前に起こしてって頼んだのに……!」
「あまりにもお疲れのご様子でしたので、憚られました」
憮然とした態度でそう言った眞奉に苦笑いを浮べる。
「とりあえず早く戻らないと。眞奉、ここの棚の片付けお願いしていい? 私は神楽の棚に本を戻してくるから」
「かしこまりました」
ありがとう、と早口に伝えて、散らばっていた書物をまとめて胸に抱えた。
文殿は既に閉館しているので電灯は全て落とされて、非常灯の灯りだけが足元を照らしている。
真っ暗な通路を手探りに進む。通い慣れた場所のはずなのに何だか薄気味悪い。
眞奉についてきてもらえばよかった良かった。さっさと早く片付けて帰ろう。
はあ、と小さく息を吐いたその時、
「────……たいか?」
ふと、誰かの話し声が聞こえてハッと顔をあげた。
文殿は既に閉館したはず、となると方賢さんだろうか?
だとしたら文殿に灯りを付けて欲しいと頼みたい。神楽の棚の場所は曖昧だし、本を棚に戻す時も灯りがある方が助かる。
転ばないように一歩一歩慎重に歩きながら声がした方へ進む。
「方賢さ────」
「お前、一体何をした?」
非常灯の灯りの下にある二つの人影を見つけ、咄嗟に口を押え棚の陰に隠れた。
今の、今のって……。
息を殺して、棚の影からほんの少しだけ顔をのぞかせる。不気味な緑色の光に照らされたその横顔に、息を飲んだ。
「私が何を言いたいか、よく分かっているはずだ一方賢」
不揃いな肩までの長さの黒髪、死人のように白い肌に、光をともさない黒い瞳。
それは紛れもなく嬉々先生だった。
「な、何を仰っているのか────」
非常扉に押し付けるように胸倉を掴まれているのは方賢さんで、怯えたように顔を引き攣らせていた。
「白を切るか? まあ今はそんなことどうでも良いだろう」
「わ、私は本当に! な、何を……言っているのかさっぱり」
次の瞬間、嬉々先生は己の袖を肩までたくしあげた。
目を見開いた。
その腕が、手首から肩までどす黒い色に変色していたからだ。それは先程見た方賢さんの腕と同じだった。
「お前が跳ね返したこの呪いは、私がかけたものだ」
嬉々先生はその腕を方賢さんの首に押し付ける。
方賢さんは苦しそうに顔を顰めた。
なに……? 一体どういうこと? 嬉々先生が方賢さんに呪いをかけたの?
でも、あれは禁書に触れたからだって……。
「つまりそれがどういう事か、聡いお前ならばもう分かっているはずだが」
思わず身を乗り出して、胸に抱えていた本がするりと滑り落ちた。
目を見開いて手を伸ばす。床に着く寸前で背表紙を掴み、こめかみを冷たい汗が流れる。強く口を押えて、息を殺した。
「逃げれると思うな。私の邪魔をする者は────呪い殺す」
嬉々先生は勢いよく手を離した。方賢さんは背中を強く扉にぶつけて、ずるずるとその場に座り込む。
その姿を一瞥すると、足早に去っていった。
「あ、巫寿ー! こっちこっち、お膳貰っといた!」
転がるように食堂の座敷へ入ると、私を見つけた慶賀くんがぶんぶんと手を振った。
慌てて駆け寄って、先程見た光景を伝えようとしたが息が続かず咳が出る。
「どうしたの、そんなに慌てて」
不思議そうに水の入ったコップを差し出してくれた嘉正くんにジェスチャーでお礼を伝えてそれを飲み干した。
「呪いが、呪い殺すって……!」
ざわめいていた食堂が一瞬で静まり返った。
ぎょっと目を見開いた皆は慌てて私の背中を押して座敷から出た。
靴を履いて外に出る。寮の向かって右隣にある大池の畔まで来ると、私の手を引いていた嘉正くんが足を止めた。
「巫寿どうしたの!? 物騒なワード突然言わないでよ!」
普段から落ち着いている嘉正くんからは見られないような焦った顔でそう言う。
「あのね巫寿ちゃん、今まではあんまり身近じゃなかったから不思議に思うかもしれないけど、この界隈じゃその言葉は……なかなか過激なワードに分類されるんだよ」
「過激なワード……?」
「うん。殺人とか拷問とかその類。それよりも酷いかも。だからあんまり大きい声で言わない方が良いよ」
なるほど、だから座敷が一瞬で凍りついたんだ。
まだいまいちピンとこないけれど、これからは控えようと心に決める。
「それで────急にそんな物騒なことを言ったのには訳があるんだよね?」
改まってそう尋ねられこくりと頷く。
それから方賢さんの腕に呪いがかけられていたことと、閉館後の文殿で嬉々先生と方賢さんが揉めていた様子を順を追って説明した。
皆の顔が徐々に険しくなっていき、やがて説明し終わると思い沈黙が流れた。
「えっと……つまり、嬉々先生が方賢さんに呪いをかけたってこと?」
恐る恐る手を挙げて尋ねた泰紀くんに曖昧な返事を返す。
そもそも方賢さんの腕の呪いは解いたけど、それは禁書に触ってしまったからだ。でも嬉々先生は「私がかけた呪いだぞ」と言って、自分の呪われた腕を見せた。
そのふたつの繋がりがあるのだろうか。
「方賢さんの腕の呪いを祓おうとしたとき、なんの祝詞を奏上した?」
「この前、部活動見学に行った時に究極祝詞研究会で作ったものだよ。短いから効果はそんなに強くないはずだけど、厄除、守護、和合、平癒とか」
なるほど、とひとつ頷いた嘉正くんに来光くん。
慶賀くんたちはよく分かっていないのか私と同じように首を傾げている。
ちょっとだけほっとした。
「厄除けの効果は呪いを祓うことは出来ても、解くことはできないんだよ。だから、どっちかって言うと、"呪いを剥がす"って表現の方が近いかな」
「じゃあ、剥がしたあとの呪いはどうなるの?」
「元あった場所に戻るんだ。それが物の呪いならまたその物の元へ、誰かによって生み出された物ならば生み出した者のもとへ」
嬉々先生の紫暗に変色した腕を思い出した。それは私が方賢さんの腕で見たものと全く同じだった。
じゃあ、あの呪いは本当に嬉々先生が方賢さんにかけたものなの?
「嬉々先生────"邪魔するものは呪い殺す"って……」
誰かが息を飲む音が聞こえた。
以前迷い込んだ、学校内に現れた夥しい数の御札が張り巡らされた鳥居。瘴気に溢れたその場所にいた嬉々先生。
何重にも結界が張り巡らされたまねきの社の敷地内で、瘴気が勝手に溢れるはずがない。
もし────もし、嬉々先生がそれを生み出したんだとしたら?
「来光が前言ってた嬉々先生の噂……間違いじゃないのかもしれない」
"クラスメイトを呪殺したことがあるんだって"
もしそれが噂ではなく、事実とは異なっていたとしても限りなく正解に近いんだとしたら。
「方賢さんが、狙われてる……」
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