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奇妙な鳥居

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「……────さては、ここかッ!」



慶賀くんがスパン!と開けた扉の先に広がるのは、よく分からない埃の被った道具が沢山ある乱雑な部屋だった。


「くそッ、またハズレ! なあ、おかしくない!? もう一時間近くさ迷ってるだけど俺たち!」


うんざりしたようのそう言って、投げやりに扉を閉めた。

確かにおかしい、教室探しを初めてもう一時間近くは経っている。普段なら大体10分もあればホームルーム教室へ戻れるとみんなは言っていた。

私や初等部の一年生ならまだしも、初等部中等部とこの学校に通って、この校舎にも慣れ親しんでいる嘉正くん達がここまで迷うのは少し変だ。


「……誰もいないね」


当たりを見回してそう言う。

私たちの教室がある廊下とはガラリと雰囲気が違うその廊下は、窓がないせいか心許ない蛍光灯の灯りだけが足元を照らし薄暗い。

空気も誇りっぽくて、開けた扉は全部空き教室や倉庫になった教室ばかりだ。



階段を昇ったり降りたり、廊下を曲がったり渡り廊下を渡ったり。一時間近く空間が歪んだ校舎の中を歩き続けたせいで、自分がどこにいるのか全く分からない。



「こんな廊下初めて通ったよ。泰紀たちは見覚えないの? よく学校探検してたでしょ」

「いやー、俺達もこんなとこ初めて来たよな?」

「うん、初めて来た」



声を揃えてそう言う二人に、嘉正くんは「うーん」と首を捻る。


「便りを飛ばして、薫先生に迎えに来てもらう?」

「ヤダ、絶対にヤダ! そんなことしたらあの人一生俺らのことからかって、「あん時助けてやったんだから」とか言っていいようにこき使ってくるに決まってる!」


確かに、にやにや笑った薫先生が「お前ら、高校生のくせに学校で迷子になったのー?」と笑いながら歩いてくる姿が安易に想像できる。

みんな想像したらしく、苦い顔を浮かべた。



「もうちょっと探してみようか」

「そうだね。でも、そろそろ次の授業始まる頃じゃない? 次って確か……」



その瞬間、慶賀くんが分かりやすくさあっと青ざめた。



「うわぁーーっ ッ! 次の授業、嬉々先生だーッ!! やばい、やばいよ今何時!?」

「誰も時計持ってないよ」

「うわぁーーッ! 終わった! 確実に終わった!!!」


頭を抱えて発狂する慶賀くんは廊下に座り込む。



「落ち込んでる暇はないよ、慶賀。ほら、気を取り直して立ち上がる!」


嘉正くんに励まされて、のろりと立ち上がった。

嬉々先生にあの目で睨まれて淡々と怒られるのも怖いけど、今はまず教室を探すことの方が先だ。



「でもよー、現在地が分からなきゃ動くに動けねえよな」

「そうだね。ここが学校のどの校舎にあるのかだけでも分かればいいん、だけ……ど……」


1番後ろを歩いていた来光くんが歯切れ悪くそう言ったかと思うと、どさりと倒れ込む音が聞こえた。


「来光!」


弾けるように振り返ると、来光くんは廊下に蹲るようにして座り込んでいた。



「来光! どうしたの? 大丈夫?」

「ご、ごめん……なんか急に気分悪くなって」



そう言う来光くんの顔は見るからに青ざめていて具合が悪そうだった。

来光くんの肩を抱いた嘉正くんがはっと顔を上げた。



「空気が悪い……どこからが残穢が流れてきてるみたいだ」

「残穢が? でもここは校舎の中だぞ」


怪訝な顔をした泰紀くんがすん、と鼻をすする。





確かに、肌をピリピリと刺激するような痛みを感じる気がする。

ブレザーの上から腕を摩った。


「とりあえず、直ぐにここを離れよう」


来光くん脇に手を入れて立ち上がらせた嘉正くんは、来た道を振り返った。

戻ろうとする嘉正くんを慌てて慶賀くんと泰紀くんが引き止めた。


「でも校舎の中で残穢を感じるなら、今すぐ祓うべきだろ!」

「俺もそう思う。まねきの社の結界に守られた神修の中で残穢を感じるなんて、大問題だろ。もしかしたら、結界が破られてるのかもしれないんだぜ」

「だから一旦離れるんだよ。もし結界を破れるような強い相手だったら、俺たちの手に負えない。薫先生を頼るべきだ」



確かに、嘉正くんの言う通りだ。

まねきの社の結界がどれだけ強いものなのかは何となくわかる。

残穢を感じるということは、それを残した妖がいるということ。まねきの社の結界を破って神修の校舎の中へ入ってきた妖が。


「どっちにしろ、ずっとここにいれば来光だけじゃなくて俺らも残穢に当てられる。これからのことを考えるにしろ、ひとまず場所を移そう」


そうだな、と納得した様子の二人は来光くんを支えるのを手伝いながら歩き出した。





「ごめん……ちょっと、休みたい」


少し歩いてそう言ったのは慶賀くんだった。

青い顔をした慶賀くんは、その場に崩れ落ちるように座り込む。


「慶賀、大丈夫?」

「はは……そう言う嘉正も、酷い顔してる」



来光くんを支えるのを壁に持たれさせた嘉正くんは深い息を吐きながら座り込んだ。

進んでいるはずなのに、残穢の匂いが濃くなっている。そのせいで、みんなとても辛そうだ。


そういう私も、少し前から目眩を感じる。



「泰紀くんはまだ平気なの……?」

「あ、俺? まあな。俺ん家の神社って笑えるくらい貧乏でさ、ろくに神事する金もなかったんだ。だから、社の周りはいっつもすんごい残穢とか瘴気とか溢れかえってたんだよ。慣れだな」


ふふん、と鼻を鳴らした泰紀くんに「威張ることじゃねーよ」と力なく慶賀くんが突っ込んだ。



「それにしても、歩いてるはずなのに進んでる感じがしねえな。残穢の感じも、明らかに濃くなってる」

「もう変な意地を張ってる場合じゃないね。薫先生に連絡しよう。来光、頼める?」

「ん……」



青い顔をした来光くんが懐から袱紗を取り出して、その中に入れていた護符を取り出すとふっと息を吹きかける。

宙をふわりと舞ったそれは、来光くんの手のひらに収まるその瞬間に、ポンッと音を立てて鳥の形に姿を変える。




禄輪さんから届いた鳥の手紙と同じだ。

ボソボソと何かを呟いた来光くんはバッと宙にその鳥を放つ。

すると鳥は迷うことなく、廊下を羽ばたき始めた。


「僕の鳥がこの捻れの位置を抜け出せるかは約束できないけど」

「そうだね。俺たちですらお手上げだし、無事に抜け出してくれるといいんだけど」



はあ、と重いため息をついた嘉正くん。



「もし薫先生が来てくれるなら、動かない方がいいよね……?」

「そう、だね。ただ廊下は残穢が濃いから、どこか適当な教室に入ろうか」


分かった、と頷いて、座り込んでぐったりする慶賀くんと来光くん達に手を貸した。



一番近くにあった教室の扉を開けると、また別の廊下へ繋がっていた。

廊下に足を踏み入れたその瞬間、ずんと肩にのしかかるような重みを感じて咄嗟に足を踏ん張る。



「なに、ここ……」


嘉正くんがそう呟いた声でハッと顔を上げた。


「え……?」



そこに広がっていたのは、確かに校舎の中にある廊下だった。けれど、廊下のずっと先まで続く何百もの朱い鳥居が、その場所を異空間にしていた。

その鳥居も暗紫の靄がかかって、神聖なもののはずなのに禍々しい。

太い注連縄がかけられたその鳥居には夥しい数の護符が貼られ、風もないのにまるで今にも剥がれそうなほどビシビシと音を立てて強くたなびいていた。


まるで鳥居のずっと先から強い風がふきつけるかのように、圧を感じる。

何よりも奥から溢れ出る、視界も空気も濁すほどの残穢がその場所の異様さを物語っている。

息をするだけでも、肺が刺すように傷んだ。


胃からものが逆流する感覚に咄嗟に口元を押えた。


けれど上手く息ができず、その場に踞る。



「巫寿……っ、息、こらえてッ!」


制服の袖で口元を覆った嘉正くんが、顔を顰めながら私の肩を支えてそう言った。


「おい、来光慶賀! しっかりしろ!」


泰紀くんが慌てたようにふたりの頬を叩く。

二人は完全に意識を失ったらしく、廊下に力なく倒れ込んでいる。



「嘉正くん……ッ、これ!」

「わからないッ、でも流れていた残穢の大元はこの先にあるみたいだ……くそ!」


嘉正くんは膝に手を付きながら立ち上がると、ぐっと間を食いしばり柏手を打った。

濁った空気の中にそれは鈍く響く。



八十日日やそかびは有れども、今日の生日いくひ足日たるひ掛巻かけまくかしこき、須賀真八司尊すがざねやつかのみこと大前おおまえに畏み畏みももうさく」


初めて聞く、習ったことの無い祝詞だ。

胸の前で合わせた嘉正の手がぶるぶると震えている。



「かねてより大神の神徳みいつを崇め尊び仕え奉らくを、見行みそなわし給いて、大神の高き貴き御恩頼みたまのふゆを以て、あわれみ給い慈しみ給いて、家内の親族うからやからおのおのも清き赤き真心に誘い導き給いて……日にに、勤しみ……励むッ、なりわ────」


ゲホッ、と激しく咳き込んだ嘉正くんはその場に膝をついて崩れるように廊下に倒れた。

目を見開いて駆け寄る。


「嘉正くん、嘉正くんッ!」


白い顔をした嘉正くんは息も浅く、肩を強く揺すってもぴくりとも動かない。



どうしよう、私はどうしたらいいの。さっきの祝詞を奏上すれば、この残穢は治まるの? でも私はあの続きを知らない。

ろくに祝詞ひとつも奏上できなくて、覚えてる文言だって限られている。この場で奏上する適切な祝詞も分からない、何の役にも立たない。



「ねえどうしよう泰紀くん、私……ッ」

「落ち着け巫寿。残穢を吸い込まないように、口元を覆って小さく息してろ、な!」


に、と笑った泰紀くんは私の肩を強く叩くとみんなを庇うようにして鳥居の下にたった。


バシバシと音を立てる鳥居の護符たちは、今にも剥がれて敗れてしまいそうだ。それが鳥居の奥にある何かを封じ込めているような気がした。



す、と背筋を伸ばして深く息を吸った。


「────神火清明しんかせいめい 神水清明しんすいせいめい 神風清明しんぷうせいめい。神火清明 神水清明 神風清明」


二度唱え、鳥居の奥を強く睨んだ。


「神火清明 神水清明 神風清明!!」


左、右、左、と短く息をふきかけたその瞬間、空気を暗紫にしていた残穢がふっと晴れた。

あ、と歓喜の声をあげるまもなく、奥から流れ出す濃い残穢によって、また黒い靄が渦巻く。



「なッ、際限無しかよ! くそ、どうしたら……ッ」



その瞬間、バリ、と乾いた音がすぐそばで聞こえた。


え、と目線をあげると、宙を舞った何かがひらりと私の頬を撫でて床に落ちた。鳥居の奥を封じていた護符だ。

バリバリバリ、とまるでその一枚に釣られたかのように護符は真二つに避けて床に舞い落ちる。


次の瞬間、全身が粟立つ感覚とともに、強い風圧のようなものでで体が突き飛ばされた。喉を縄で締められている感覚に、悲鳴はでず呻き声だけが響く。

立っていた泰紀くんもその圧力に耐えきれず体が数メートル後ろへ飛んだ。激しく背中を壁にうちつけて、廊下に倒れ伏せる。


「……たい、き……くんッ!」


名前を呼んだが返事はなかった。


鳥居の奥から、何かが流れ出るような激しい音がする。通風口に耳を当てているようだ。廊下に押し付けられるように重い何かが全身にのしかかる。指一本ですら動かせなかった。


目が回る、息ができない、気持ち悪い。苦しさに涙が滲んだ。涙なのか残穢のせいなのか、視界が歪んで前が見えない。


みんな気を失って倒れている。助けを呼ぶのもこの状況を変えれる可能性があるのも私だけ。なのに私は、何も出来ない。


情けない、悔しい。弱い自分。怖い、もう嫌だ、死にたくない。


その時、急にふと脳裏に文字が浮かび上がった。

まるで昔読んだことのある小説の一文をふと思い出すかのように、ふわりとその文字が浮かび上がってやがて鮮明に文章になる。


これは祝詞だ。


知らない祝詞なのに私はそれを知っている、妙な感覚だった。前にもこんなことがあった気がする。

そうだ、あれはかむくらの社の鎮守の森で、あやかしに会った時だった。


力いっぱいに息を吸い込めば、お腹のそこに力が宿った。


「────……ッ、天清浄てんしょうじょう 地清浄ちしょうじょう 内外清浄ないげしょうじょう 六根清浄ろっこんしょうじょうと 祓給はらいたまう」


そうだ、これは天地人の全てを浄化する祝詞。

これは癒しの言霊。



天清浄てんしょうじょうとは 天の七曜しちよう 九曜くよう 二十八宿にじゅうはちしゅくを 清め 地清浄ちしょうじょうとは 地の神 三十六神さんじゅうろくじんを 清め 内外清浄ないげしょうじょうとは 家内三宝かないさんぽう 大荒神だいこうじんを清め 六根清浄ろっこんしょうじょうとは 其身そのみ 其體そのたいの けがれを はらたまへ」



前にも同じ事があった。残穢が溢れかえって次々とたくさんの人が倒れた。人も妖も、沢山傷つけられた。皆が深い悲しみのそこで、苦しんでいた。


まるでそうするのが当たり前のように言葉が溢れる。自分の体じゃないみたいだ。自然と唇が言葉を紡ぐ。



「清め給ふ事のよしを 八百万《やおよろず》の神等 諸共もろともに 小男鹿さをしかの やつ御耳おんみみを 振立ふりたて きこと 申す────」


床に縫い付けられたかのように動かなかった体が、いとも簡単に動いた。

まるであやつり人形にでもなった気分だ、自分の体なのに他人事のように思えた。


ふわりと動いた両腕は胸の前で鋭い柏手を打った。


乾いた音が弾けた。

その瞬間、合わせた指の隙間から琥珀色の光が弾けた。光は波紋を生み出し、草原をかける風のように波打ちながら広がると暗紫の空気を外側から包み込む。

暗紫を包み込んだ光はやがて風船の空気が抜けるように私を中心にして萎んでいく。


「何が、起きてるの……?」


やがて光は私の頭の上で拳ほどの大きさになるとすうっと落ちてきて、私の胸に収まった。

顔を上げて辺りを見渡す。

靄がかかった鳥居は本来の朱い色を取り戻し、今にも破れ裂けそうな音を立てていた護符は何事も無かったかのように静かになった。


もしかして、上手くいったの……?


皆を見た。息苦しそうに床に伏せていた皆の呼吸は穏やかなものになっていた。

ほっとしたのもつかの間、頭のてっぺんからさあっと体が冷たくなる感覚が走る。


まずい、と思うのも遅く、視界は反転して自分も床にころがった。



ばくん、ばくん、と心臓がうるさい。やがて瞼が重くなり、頭の奥がぼんやりとし始める。


その時、突然目の前に紫色の袴が広がった。誰かが自分の顔の前に立っているんだと、ぼんやりする頭で考える。


この人は誰……?

薫先生が来てくれたの?



「────……お前」


誰かのその声を最後に、プツリと意識が途絶えた。


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