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かむくらの社

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差し込む日差しに目が覚めた。

ゆっくりと目を開くとイグサの香りが胸いっぱいに広がり、そして見慣れない和室で眠っていたことがわかった。きょろきょろと辺りを見廻す。随分と広い部屋で軽く二十畳はありそうだった。

床の間には花瓶が飾ってあったが、埃をかぶっていて花もない。よく見れば襖も所々に破れが目立ち、至る所から日が差し込んでいた。

ここはどこだ。そもそも私はどうしてここに……?

昨日は確か高校受験で、お兄ちゃんが倒れたって連絡があって、それから。

はっと首に手を当てる。軽く抑えると鈍い痛みが広がる。

あれはじゃあ、夢ではなかったんだ。

膝を抱き抱えて布団に顔を埋める。思い出したかのように手が震えた。


「────巫寿さま。お目覚めですか」


近くの襖に影が射した。唐突に名前を呼ばれひっと息を飲む。


「失礼致します」


襖がすっと開くと、そこには和服姿の見事な白髪をした30代くらいの女性がしゃなりと座っていた。


「だ、誰ですか……っ! こ、来ないで!」

「お初にお目にかかります。騰蛇とうだと申します。禄輪ろくりんより巫寿さまのお世話を仰せつかりました。まずお召かえを、次にお食事を。本殿にて禄輪がお待ちしております」


すす、とまるで宙に浮いているかのように軽やかな足取りで部屋へ入ってきた女性は桐箱を抱えて歩み寄る。慌てて布団を飛び出し距離をとった。


「ま、待ってください! 禄輪……さんって誰? それに、あなたのこともよく分からないし、それにここって」

「禄輪はシンショクです。私は禄輪に仕えるジュウニシンシの騰蛇でございます。こちらは”かむくらの社”でございます。昨晩、私と禄輪がお運びしました」

「昨晩……昨日のあれは何だったんですか? 襲ってきたあれは、あの靄みたいなの……私はどうして狙われたんですか?」

「その事は禄輪がお話するでしょう。まずは着替えを」

「禄輪……さん、は昨日リビングにいた、あの……?」

「左様です。では、お召換えを」


有無を言わさない雰囲気で桐箱から橙色の着物を取り出したトウダさん。色々と聞きたいことはあったけれど、どうやらトウダさんと禄輪さんという方は危ない人ではないらしい。

着物を広げて待っているトウダさんに、恐る恐る歩み寄った。

用意された着物に着替え、居間のような部屋で用意されていた朝食を摂ると、またトウダさんに連れられて長い廊下を歩いた。

歩いていてわかったけれど、この屋敷には今のところ私とトウダさん、禄輪さんの3人だけしかいないらしい。

普段は使われていないのか所々床が抜けていたり柱に蜘蛛の巣が張っていた。

玄関で草履に履き替え外に出た。木々の匂いが深い。うんと森の奥にいるようだった。


「巫寿さま、こちらです」


そう言って案内されたのは、大きな神社のような建物だった。賽銭箱や鈴がかけて合ったのでそこが神社であることを認識する。

なぜこんな所に……?

不思議に思いながら、トウダさんにならって草履を脱ぎ本殿の中へ入った。

祭壇の前に人がひとり座っているのに気がついた。真っ白な袴に白衣を身につけた男性だ。ひとまとめにした波打つ髪に見覚えがあった。


「あ……」


その声に気がついたのか、男性は半分体を回転させて振り向く。

優しげなタレ目とあごひげに確信を持つ。


「おはよう、よく眠れたか?」

「あ……はい。あの、もしかして禄輪さんですか?」

「ああ、私が神母坂禄輪いげさかろくりんだ」


この人が、と顔を見つめる。


「あの……もしかして、お会いしたことがありますか?」


私がそう言えば禄輪さんは少し驚いた顔をした。


「覚えてくれてたのか? 最後に会ったのは巫寿が3歳の時だったから、すっかり忘れていると思っていたんだが」

「あ、あの……ごめんなさい。ちゃんとは覚えていなくて、何となく、そんな気がして」


申し訳ない気持ちで正直に伝えると、禄輪さんは気にする様子もなく「そうかそうか」と破顔した。


「聞きたいことが山ほどあるだろう。でもその前に朝拝を済ませよう。無断でこの屋敷を借りるわけにもいかないからな。巫寿もそこに座りなさい」


言われるまま、禄輪さんの斜め後ろに腰を下ろす。

本殿の床は氷のように冷たくて背筋がすっと伸びる。

禄輪さんが神殿のロウソクに火を灯し、姿勢を正してその前に座る。深く頭を下げて手をパン!と打った瞬間、その場の空気がガラリと変わった気がした。


「高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて────」


鼓膜を震わす心地よい声色。固くなっていた体を解すように、空気に溶けて優しく包み込む。目を閉じてその声に聞き入った。

長い言葉の最後は、空気を整えるような二拍手で終わった。深々と頭を下げた禄輪さんに習って、慌てて自分も深々と頭を下げる。


「よし、じゃあ、何から話そうか」


禄輪さんがそう言って振り返る。


「禄輪、居間に茶を用意しています」

「ああ、ありがとう。じゃあそっちで話そうか。巫寿おいで」


呼ばれるままに着いていくと、先程食事をした部屋に戻ってきた。

対面に座った禄輪さんは、美味しそうに湯のみの茶を啜る。


「色んな説明を後回しにしてしまってすまない。昨日から怖いことの連続で、気持ちが休まらなかったろ」

「昨日のは一体……」

「そうだな。あれの説明をする前に、私や巫寿の両親のことを話そうか」


お父さんとお母さん? この人は、お父さんとお母さんのことを知っているのだろうか?


「私と巫寿の両親、一恍いっこう泉寿せんじゅは同じ学校の卒業生だ。一恍とは同期生で、泉寿は二学年違いだ。卒業してからも私たちは同じ仕事に付いたから、交流は続いていた。だから、祝寿いことや巫寿が生まれた時のことも知っているし、よく遊び相手もしていたんだよ」


その時のことを思い出しているのだろう、目を弓なりにして優しい表情を浮かべた禄輪さん。嘘をついている人の顔とは思えない。

何よりこんな優しい顔をする人が、お父さんとお母さんの友達が、嘘をつくとは思えなかった。

「お父さんとお母さん達は何の仕事をしてたんですか……?」

「巫寿は、暗闇の中に怖いものを見た事があるか」


え、と言葉を詰まらせた。


「暗闇から目玉がこちらを向いている気がしたり、誰かに跡をつけられていたり、昨日のように何かに襲われたことがあるか」


ばくん、と心臓がうるさい。


「でも、それは……。お兄ちゃんは、気のせいだって」

「少なくともその首の痣は、気のせいではない。だろう?」


そっと首に触れて鈍い痛みを感じる。

じゃあ、もしも暗闇に気配を感じた何かが本当なのだとしたら、昨日私を襲ったものが現実に存在するものだとしたら、あれは一体何なの?


「昨日のあれは魑魅すだまという妖だ。怨念や悔恨が集まってひとつの形になった、凶悪で非常に厄介な妖なんだ」

「あや、かし」


言葉を頭が理解するまでに時間がかかった。

だってそんなもの、アニメや小説の中だけの架空の存在だと思っていた。

暗闇が怖かったのは私が敏感な子供だったからで、本当にその先に化け物がいたなんて信じ難い話だ。

でも、禄輪さんの言う通りこの首にある痣は現実で、昨日のあれは確かに存在したのだと証明する。


「言葉では説明できない奇怪な現象や異常な存在のことを妖というんだ。聞き馴染みがある妖だと、河童、天狗、妖狐なんかは分かるだろう。私たちは、そんな妖たちが住む世界“幽世”と人の世界“現世“の境目“鬼門”に社を立てて統治する仕事をしていた。我々はそれを神の役とかいて神役しんえきと読んでいる。簡単に言えば、神職ということになる」

「神職……」


さっきトウダさんが言った「シンショク」というのは神職のことだったんだ。


「本来、神役はシンヤクと呼ぶものなんだが我々の奉仕の特殊性から呼び方を分けるようになって────とそれはまた今度でいいか。とにかく、私や一恍や祝寿は神主、泉寿は巫女として奉仕していたんだ」

「でも神主ってあんな化け物を……妖を退治するようなことをするんですか?」

「普通の神社ならまずそんなことは無い。だが、自分たちが統治するのは幽世と現世の境目にある社だ。人も妖もやって来る。人に善悪があるように、妖にも善悪がある。そんな妖を統治し、導くのが俺たち神職の務めなんだ」


お父さんとお母さんが神主に巫女。妖を退治する仕事、あやかしと人が来る神社。

噛み締めるように心の中で繰り返す。


「神職になるのは、“霊力ことだま”と呼ばれる言霊を操る力がある家に生まれて育った子供だ。一恍も泉寿もその家に生まれた。そしてその二人から生まれた祝寿も。もちろん、巫寿もだ」

「え……?」

「巫寿の中にも、言葉を自由に操ることができる言霊の力は備わっている。あの二人の子供だからな」

「で、でも私はそんな力があるなんてこれまで一度も」

脳裏に昨夜の妖を禄輪さんが一瞬で消し去った光景が思い浮かぶ。何かを唱えていたのは、きっとその「言霊の力」を使っていたのだろう。


「扱うのにはある程度の訓練が必要なんだ。力があっても、そう直ぐに扱えるものでは無い」


禄輪さんは頬笑みを浮かべて手を伸ばすとぽんと私の頭に乗せた。


「一気に色んなことを知って混乱してるだろう? 今日はこの辺で終わりにしよう。部屋で休みなさい。鳥居の中なら安全だから、外の空気を吸うのもいいだろう。祝寿の“おまじない“も何重にもかかっているようだし」

「おまじない?」

「毎日、祝寿となにか日課にしていたことがあるんじゃないか? 目には見えないけれど、小さな邪気なら吹き飛ばすほどの言霊が巫寿にかけられている」


目を見開いた。心当たりがある。「いってきますのおまじない」だ。


「繰り返しかけていたんだろう、簡単には効力が切れないくらい強固なものになってる。昨日もその痣で済んだのは、祝寿の言霊のおかげだろう」


お兄ちゃんは、ずっと巫寿を守ってくれてたんだな。禄輪さんにそう言われて目の奥が熱くなった。




部屋で一人きりになるのが怖くて、結局居間にとどまった。

私の気持ちを察してくれたのか禄輪さんも残ってくれて静かに誰かへ手紙を書いている。黙ったまま俯いている私をたまに気遣う様に見てはそっと微笑んでくれた。

聞かされたことを一つ一つ思い出していく。

お父さんとお兄ちゃんは神主で、お母さんは巫女。

人の世界と妖の世界の間にある神社で、妖を統治する神職の仕事をしている。神職になるには、「霊力」と呼ばれる言葉を自由に操る力が必要で……。

どれもこれも信じがたい話ばかりで、でも昨日の出来事がそれらを信じざるを得ない状況にする。何度も言われたけれど、この首の痣こそが聞かされた全てを証明することになっている。

……禄輪さん、とってもいい人だな。

すごく優しい目をする人。手が大きくて温かかった。お兄ちゃんとは少し違う。お父さんが生きていたらあんな感じなのかな。

そういえば、昨日助けてくれたお礼をいえなかった。お父さんとお母さんの話ももっと聞きたい。

あの時はいっぱいいっぱいで詳しく聞けなかったけれど、言霊を操るってどういうことなんだろう。

神主って、巫女って、どんなことをするんだろう。お父さんとお母さんはどういう風に過ごしていたんだろう。お兄ちゃんは私の知らないところで毎日あんな怖いものと戦っていたのだろうか、

ああ、分からないことばかりだ。


「────ん、来たな」


唐突に禄輪さんがそう言って立ち上がった。思わずびくりと肩が震える。


「ああ、怖がらなくていい。私の知り合いだ」


禄輪さんはそう言って私を安心させるように笑いかけた。


「一人で待つのが怖いなら、一緒に来るか?」

そう尋ねられ、俯くように頷きそっと立ち上がった。
 

「録輪さん、誰が来たんですか……?」

「巫寿が住んでいる地域を統括している神主だ」

「どうして、禄輪さんに会いに来たんですか?」

「昨晩の魑魅の騒動で、巫寿の住居にまだ残穢が残っているんだ。その処理を任せたから、その報告だろうな」

「残穢……?」


聞き返すと禄輪さんは苦笑いで頬をかく。


「説明が難しいな。まあ、妖の残り香のようなものだな」


説明されてもやっぱりよく分からなくて、それ以上聞くのも申し訳ないと思って口を閉じた。

玄関まで来ると水色の袴を履いた若い男性と、朱色の袴を身につけた私と同じ歳くらいの女の子が上着を脱ぎながら待っていた。


「すまん、よく来てくれたな」


親しげに話しかけた禄輪さんに、二人は笑顔で頭を下げた。録輪さんの背中の影から二人を見つめる。目が合うと彼らは小さく微笑んだ。


「お久しぶりです禄輪さん」

「久しぶり。今回は急に無理を言って悪かったな」

「いえいえ、お気になさらず。お互い様ですよ」


親しげに話し込み始めた三人は、少し談笑するとすぐに難しい顔をして話し込み始めた。耳をそばだててもよく分からない言葉ばかりで、何一つ理解できない。

十分近く話し込んだ三人は、やがて一つ息をついた。話は一旦区切りが着いたらしい。



「とりあえず修祓にもう何週間かかかりますが、問題ありません。あと数週間ほどいただければ、元通りにできますよ」

そうか、と禄輪さんは頷いた。


「今日は泊まっていくか?」

「いえ、今日は社へ戻ります。今日は良い月夜なので、妖たちがたくさん参拝しにくると思うので」


赤い袴の女の子もにこりと笑って頷いた。

そして二人は月が一番高い位置になった頃に、何度も頭を下げて帰って行った。




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