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付喪神の子守り

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 「すごい……」


 そう呟いたのは無意識だった。

 苦手だった歴史の問題集を昼ご飯を食べた後に解いてみたが、これまでで一番良い点数だった。

 どれもこれも、昨夜妖たちから“昔話”という名の歴史の授業を受けたおかげだ。葵に連れまわされ、ババやろくろ首たちから聞いた。なんと、ババは織田信長のことも語ってくれて、このひとたちは一体何歳なんだと目を見開いた。

 赤ペンを筆箱に直して回答用紙を掲げる。

 今日の夜、ババたちに見せてあげよう。そう心に決めて、少し休憩を取ろうと部屋を出た。

 台所でコップに水を入れていると、三門さんが顔を覗かせた。風呂敷を持っているので、どこかに出かけるらしい。


 「お、麻ちゃん。休憩中?」

 「はい。三門さんはお出かけですか?」

 「うん、お札を届けに行ってくるよ。そうだ、麻ちゃんも一緒に行く? 気持ちの切り替えにもなるんじゃないかな」


 断る理由もなかったので「行きます」とすぐに答えて、自分の部屋にコートとマフラーを取りに行った。

 数分後、私と三門さんは堤防のそばを歩いていた。そう言えば三門さんとおもてら町を歩くのは初めてだな、なんて考えながら、とりとめのない話をした。


 「もう三月なんだね。この辺は盆地だから、四月の中旬くらいまで底冷えが続くんだよ」


 すこしげんなりした顔で言う。


 「三門さん、寒いの苦手なんですね」


 くすくすと笑うと、三門さんは恥ずかしそうに鼻をかいた。


 「こんな薄い衣装で過ごしてるけど、全然なれないんだ。それにほら、夏生まれは寒がりって言うし」

 「三門さん、夏生まれなんですか」

 「うん。八月二十四日」


 八月二十四日、夏休みの最中だ。今年は私もお祝いすることができるだろうか、とひそかに考える。もし受験に失敗しても、夏休みなら遊びに来ることはできるし、なんて少し弱気になっていると、いつの間にか目的地に着いていた。


 「ここだよ」


 そう言って指さした一軒家を見上げた。灰色の屋根と土壁でできた古民家で、なんだか懐かしい気持ちに駆られる。

 『渡辺』という表札を横目に、迷うことなく中へ足を進める三門さんを追いかける。三門さんは玄関の戸の前で「ごめんください」と声を張り上げた。

 直ぐに「はあい」という返事が返ってきた。奥からどたどたと駆けてくる足音がする。しかしその音は途中でダン! と激しい音で途絶える。


 「ちょっと詩子、何やってるの。三門くん待ってね~」


 別の声がして直ぐに扉が開いた。眼鏡をかけた四十代くらいの女性が下駄を突っ掛けながら出てくる。


 「渡辺さん、こんにちは。さっきのはうたちゃん? 大丈夫?」

 「ああ、大丈夫大丈夫! そそっかしいだけだから」


 からからと笑った渡辺さんの肩を、誰かががしりと掴んだ。


 「ちょっとお母さん? 転ん……あっ、えっと、怪我した娘に対してひどいよ!」


 渡辺さんによく似たすらりとした子だ。高い鼻に少しきりっとした目で、黒縁の眼鏡が良く似合う。長い髪を高い位置でポニーテールにしていて、とても聡明そうな女の子だった。

 私と目が合うなり「うん?」と首を傾げる。


 「あ、えっと……三門さんの家でお世話になっている、中堂麻です」


 慌てて頭を下げる。僕の親戚なんだ、と三門さんが付け足した。渡辺さんはよろしくねとにっこり笑った。


 「それで、これが頼まれてたお札です」


 三門さんが風呂敷を解いて丁寧に半紙に包まれていたお札を渡辺さんに手渡す。


 「わざわざありがとう。初穂料用意するから、中で待っててもらえるかしら」

 「次に参拝しに来てくださったときで構いませんよ」

 「そんなのダメダメ! ほら、詩子、三門さんと麻ちゃん案内して」


 それだけ言い残すと渡辺さんはいそいそと中へ消えていく。はあい、と唇を尖らせた彼女は「どうぞ」と私たちを中へ招く。三門さんを見上げると苦笑いで頷いていた。

 そして客間に通された私たちは、中へ入るなりそろって「うわあ」と感嘆の声をあげた。

 客間の奥に飾られていたのは、七段もある立派なひな人形だった。お内裏さまとお雛さまはもちろん、三人女官や五人囃子、随臣に仕丁までもが揃っている。どれも大切に扱われているものなのだと、黒光りしたお雛道具からよくわかった。

 「うたちゃんのお雛さま、立派だね」

 「その分出すのがたいへんだよ」


 うたちゃんと呼ばれた彼女は苦笑いで肩を竦めた。そしてお茶を淹れてくる、と部屋を出ていく。


 「そっか、ひな祭りだもんね。うちも麻ちゃんが来てるんだから、飾れば良かったかな」

 「え、自宅にもあるんですか?」

 「あるよ。麻ちゃんのお雛さま」


 目を丸くしていると、詳しく話を聞かせてくれた。そのお雛さまはひいおばあちゃんから、代々受け継がれているものらしい。お母さんがお嫁に行ったときに持って行かなかったから、ずっと倉庫にあるのだとか。

 帰ったら出そうか、と言ってくれた三門さんに素直に頷く。代々受け継がれている雛人形を少し見て見たかった。

 その時、障子がすっと開いた湯飲みをふたつ乗せた彼女が入ってくる。


 「お母さん、いろいろ持って帰ってもらおうとしてるから、もう少しかかりそう。あとおばあちゃんが三門くんと話したいって」

 「分かった。おばあちゃんは部屋?」

 「ううん、縁側」

 「ありがとう」


 立ち上がった三門さんは少し行ってくるね、と席を外す。正直なところ、ひとりになるのは少し不安だったが、顔には出さずに頷いた。

 三門さんが出て行って、一緒についていってしまうのかと思っていた彼女は部屋に残った。私の座る前に腰を下ろすと、興味津々といった感じで目を輝かせて身を乗り出した。


 「麻ちゃんって言うんだよね? 私、渡辺わたなべ詩子うたこ。よろしくね」


 とても親しげに笑った詩子ちゃんに、肩の力がすっと抜ける。


 「うん、こっちこそよろしくね」

 「麻ちゃんは中学生?」

 「うん、中三」


 同じだ、と嬉しそうに声をあげた詩子ちゃんは、突然険しい顔をした。何事かと思ったら、「さっき嫌なこと言っちゃった。怒ってる?」と尋ねてくる。思い当たる節がなくて首を傾げる。


 「ほら、受験生には縁起が悪いでしょう?」


 そう言われて「あ」と思い出す。
 お母さんとの会話がちょっと不自然だったのは、そう言うことだったのか。

 笑いながら首を振ると、安心したように笑った詩子ちゃん。どうやら見た目はクールだけれど、中身はとても活発で元気な女の子らしい。

 学校の話や受験の話をして、受験先が同じ高校だと分かると私たちは直ぐに仲良くなった。最初は気恥ずかしくてお互いに敬称を付けていたけれど、十分も経たないうちに「詩子」「麻」と呼ぶようになる。ここへきて初めてできた友達と呼べる存在に、嬉しくて頬が思わず緩む。


 「そうだ、連絡先交換しようよ、スマホ取ってくる!」


 そう言って元気よく客間を飛び出していった詩子。自分のスマートフォンもポケットから取り出して、机の上に置く。

 そしてなんとなくひな人形を見上げた。やっぱりすごいなあ、なんて思いながら近くに歩み寄り、お雛さまの顔をじっと見つめる。

 その瞬間、お雛さまの細い目がぱちりと瞬きをした。


 「え……え?」


 思わずずんと顔を寄せて凝視する。しかしお雛さまは一点を見つめたままで、先ほどと変わらない顔をしている。


 「目の錯覚……?」


 瞬きを我慢して限界まで目を見開きお雛さまの顔を見つめる。しかしいくら待っても何の変化もなかった。

 首を傾げながらソファーに戻る。ふう、と息を吐いたその時、ガシャン! と何かが床に落ちるような激しい音と、詩子の短い悲鳴が聞こえた。


 「ちょっと詩子! 何してるの!」


 渡辺さんが声を張りあがる。


 「ごめんなさい、棚から箱落とした!……あっ、ちがうの、えっと何でもないっ」


 叫ぶ声と廊下を走る音が近付いてくる。障子が開くと、詩子が苦笑いで立っていた。


 「ごめん、騒がしくて。スマホ探してたら椅子に小指ぶつけて、ふらついたら棚に腰をぶつけて、アルミの箱が頭に箱が降ってきた」

 「だ、大丈夫……?」

 「何ともないよ! でも最近変なんだよね。これまではそんなにおっちょこちょいじゃなかったんだけど」


 そう言いながら後ろ手で障子を閉めた詩子。「それよりも交換しよ!」と、スマホを弄りながら私の隣へ腰を下ろす。


 「麻が良かったら、今度一緒に勉強しようよ。私もほとんど家で勉強してるから」

 「うん、もちろんだよ」


 登録できたよ、と満面の笑みで画面を見せてくれた詩子に、私もなんだか笑顔になった。


 「あれ? いつの間にか仲良しさんになってる」


 開きっぱなしだった障子から顔を覗かせたのは三門さんだった。詩子は自慢げにメッセージアプリの友達欄を三門さんに見せつける。

 そっかそっか、と目じりをさげた三門さんは、私の頭を撫でながら向かいのソファーに腰を下ろす。


 「そう言えばうたちゃん、最近おっちょこちょいなんだって?」

 「うわ、それお母さんから聞いたの?」

 「はいはい、怒らない」


 顔を顰めてた詩子に、どうどうと馬を宥めるように手を上下に動かした三門さん。思わずクスクスと笑ってしまった。


 「簡易なものだけど、さっき筆と半紙を借りて、厄除けのお札を書いたんだ。頭よりも高い所に飾っておいて。ちっちゃな災いなら、避けれると思うよ」


 懐に仕舞っていた長方形の紙を取り出すと、机の上を滑らせた。詩子は少し複雑そうな顔をしてそれを受け取る。


 「どうしたの?」

 「だって、お札でどうにかなることじゃないでしょう?」

 「まあ、おっちょこちょいが原因なら、足元に気を付けて過ごすしかないかな」


 ほらやっぱり、と詩子は少し残念そうに溜息を吐く。愉快そうに笑った三門さんは立ち上がった。


 「それじゃあ、そろそろお暇しようか。渡辺さん、いろいろ用意してくれたみたいだよ」


 詩子の顔をちらりと見てから立ち上がる。

 玄関まで見送ってくれた詩子と「連絡するね」「うん、私も」そんなやり取りをして、最後に小さく手を振ってから来た道を戻り始めた。

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