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家鳴のいたずら
仇
しおりを挟む身震いと同時に目が覚めた。のっそりと顔をあげると、見慣れた景色が広がっている。白い光が部屋に差し込んでいた。時計は朝の五時を指している。氷のように冷たくなった肩を擦りながら、毛布を引っ張り肩にかけた。
家鳴たちと手紙を書きながらいつの間にか突っ伏して眠っていたらしい。机の上では身体中を墨だらけにした家鳴たちが雑魚寝していた。ひとつ欠伸をして目を擦る。ふと視線をやった手の甲が、墨で真っ黒になっていた。
ん? と眉間に皺を寄せながら手鏡を取り出して覗き込む。
「……ああっ!」
私の声に家鳴たちが飛び起きた。寝ぼけた顔できょろきょろと辺りを見回す。
鏡に写る自分の顔に、それを持つ手がわなわなと震えた。顔のいたるところについた小さな五本指の手形、間違いなく家鳴の仕業だ。
私の顔を見るや否や、家鳴たちが「やらかした」という表情になる。誤魔化すように「えへへ」と笑いながら、少しずつ私から離れていく。
今回は私の方が早かった。小豆を入れていた笊で、逃げ出す直前だった家鳴たちを一匹も逃さずに捕まえる。
きゃいきゃいと鳴き声をあげて逃げようとする家鳴たちは、どこか楽しそうだった。
「麻ちゃん? 何か、すごい音がしたけど大丈夫? 起きてる?」
障子の向こうから三門さんの声がした。
その声を聴いた瞬間、今度は必死に逃げようと暴れだした家鳴たち。
「み、三門さん! 手伝って下さいっ」
「ん? はいるよ」
怪訝な顔をしながら部屋に入ってきた三門さんは、墨で真っ黒になった机や散らかった紙、そして何より手形だらけの私の顔と暴れ狂う笊を見て頬を引きつらせる。
「────またお前たちの仕業か」
その低い声に、気温が確実に五度は下がった。笊の中に閉じ込めた家鳴たちが「ひっ」と息を飲むのがよくわかった。
三門さんはにっこりと微笑む。
「麻ちゃん、お風呂入っておいで。あとは僕が何とかしておくから」
「あ、ありがとうございます」
笊の網目から、家鳴たちが助けを乞うような目で私を見ている。この際しっかりお灸を据えてもらって、彼らには反省してもらおう。
着替えの服を手に取って部屋から出ると、三門さんはすっと目を細めて障子を閉めた。
やっぱり可愛そうなことをしたかな、と思ったけれど、自分の顔を洗面台で見た途端、その気持ちはきれいさっぱりなくなった。
すっかり綺麗になって身支度を済ませると、朝拝の時間のギリギリになった。
急ぎ足で本殿に入ると、三門さんの隣に正座してお行儀よく並んだ家鳴たちの姿がある。どうやらこってり絞られたらしく、皆死んだ魚の目をしている。
「きっちり言い聞かせておいたからね」
三門さんはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべてそう言った。言い訳をするように不服そうな声をあげた家鳴たちをじろりと睨む。
「あ、あの……洗って落ちたので、私はもう怒ってないからね」
「甘やかしちゃ駄目だよ麻ちゃん。そんなことを言ってると、油性ペンで額に角を描かれるから」
三門さんが苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。直ぐに察することができた。
ああ、三門さん、やられたんだ……。
溜息を吐いた三門さんは「麻ちゃんに『ごめんなさい』した子から行ってよし。ちゃんと水を浴びて墨を落とすこと」と言う。
落ち込んだように肩を落とした家鳴たちが私に歩み寄ってくると、一匹ずつ頭を下げていく。もうしないでねと言ってみたが、家鳴りはきょとんとした顔で首を傾げてさっさと本殿から出て行った。
遠い目をしながら「油性ペンって何で落ちるんだっけ」と考えた。
「それにしても、どうして家鳴や机まであんなに墨まみれになっていたの?」
「家鳴がお母さんに手紙を書きたいって言ったから、文字を教えていたんです」
「ああ、机の上にあったあれだね」
知っていたらしく、納得とばかりに頷いた。そして「ん?」と首を傾げる。
「どうして真由美さんに? 真由美さんは妖が見えないわけで、家鳴とも会ったことはないはずだよね……あ、まさか」
直ぐに何かを察した三門さん。ぎくりと肩を震わせると、三門さんは額に手を付いて深く息を吐きだした。
「ご、ごめんなさい。無意識だったんです」
「うん、いや、分かってるよ。謝らないで。松野の力を引き継いだ時点で、妖と深い関係を持つなって言う方が難しいんだ」
そう言いつつも、難しい顔をしたままだった。
三門さんは私が妖に深くかかわることを望んでいない。ケヤキの一件で、『もう深くかかわらないほうがいい』と言われたばかりだ。私を心配していってくれた言葉というのだって自覚している。
それを分かっていて自覚していて、それでも、お母さんと家鳴たちの夢をみて『関わらないでおこう』なんて選択肢は出てこなかった。思いつきもしなかったのだ。
「危険なことをしようとはしていないんだよね?」
もちろんです、と即答する。夢で見た内容と手紙を書くことになった経緯を事細かに説明する。最後まで聞き終えると、三門さんは安心したように肩の力を抜いた。
「……確かめたいことがあって」
「確かめたいこと?」
私はひとつ頷く。
大輔おじさんと話してからずっと考えていたことだった。
「まだよくわからないんですけれど、でもちゃんとはっきりさるので、帰る前に聞いてもらえますか」
三門さんはそんな曖昧な言葉にも真剣に頷いてくれた。
気を取り直すように「よし」と手を打った三門さんはにっこりと微笑む。そして、「それじゃあ始めようか」と姿勢を正した。
お父さんたちが起きだす前に、先に朝食をとって社を出た。
今日の昼過ぎにはここを発つ。それまでにしなければならないことがたくさんあるんだ。ババから貰ったお財布を首から下げて、まずは河原沿いを歩き駅の方へ向かった。
三門さんから「お昼ごはんに」と頼まれた『みいと村松』の稲荷コロッケを調達すると、来た道を戻りながら彼女の姿を探す。
岸辺に降りて木を見上げながら歩いていると、思った通り、彼女は木の太い枝に腰掛けて鼻歌を歌っていた。木の根元に立ち、彼女の名前を呼んだ。
「葵!」
ん? と天狗面を少しずらして私を確認するなり、葵は枝から飛び降りて、その勢いのまま私に抱きついてきた。
「何だよ、何だよ! こんな朝早くから来てくれるなんて。すごく嬉しいぞっ」
天狗なのに、葵のお尻から犬の尻尾が見えたような気がした。
回された手がぐいぐいと首を絞めつけて、「ギブギブ」とその二の腕を叩く。満足げに鼻を鳴らした葵は「こっちに来いよ」と私の手を引き、倒木に先に座ると、隣に座るよう促した。
ちょこんと腰を下ろして稲荷コロッケを膝の上に乗せる。
「それで、こんなに朝早くからどうしたんだ?」
首を傾げながら、私が話し始めるのを待ってくれる。
「あのね、今日、家に帰るの」
「……? 家に帰るのは当たり前だろ」
「家って言うのは、お社の方じゃなくて、生まれ育った本当の家のほう」
目を点にした葵は数秒遅れて「はあ!?」と大きな声をあげる。
「んなの何も聞いてないし! 何で黙ってたんだよ、友達だと思ってたのに!」
勢いよく立ち上がって私を責める葵に、申し訳なさが募る。
「ご、ごめんね。私も最近聞いたばかりで、伝える時間がなかったの」
「なんだよー……」
不貞腐れた顔でどしんと座り込んだ葵。
「あの、それでね。帰る前に、どうしても聞きたいことがあって来たの。もちろん葵に会いたかった気持ちが一番だよ」
そういうと、不機嫌ながらもどこか嬉しい気持ちを隠しきれていない表情で「なに?」と聞いてきた葵。
私は一呼吸おいいて、おもむろに口を開けた。
「私の言葉、葵の役に立てたかな」
「は? 何言ってんの、当たり前じゃん」
間を開けずして返ってきた返事に、今度は私が目を点にした。
「麻がいなかったら、マサシと目を合わせることも話すこともできないままだったんだぞ。『心なら助けてあげられる』って言葉、すごくよく覚えてる。私が“痛いの痛いの飛んでいけ”って言ったら、あいつ泣きそうな顔して笑ったんだ」
どこかマサシさんに似ている、とても優しくて穏やかな顔だった。
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「……いま、悩んでて」
「何に?」
「えっと、いろいろ」
葵はそこまで興味がなかったのか「ふうん」とだけ相槌を打った。
「まあ、何に悩んでいるのかは知らないけど、私は麻にとっても感謝してるぞ。これでいいか?」
うんうんと何度も頷いた。
葵は何も後悔していなかった。そのことがとても嬉しくて、なんだか泣きそうになった。
「で、帰ってもまた来るんだよな?」
「えっと、たぶん」
「たーぶーんーだーとー!? 駄目だ、絶対来いよ、許さないぞ!」
「まだ分からないから、わかったらきっと手紙送るよ。三門さんに頼むから、受け取ってね」
小指を突き出してきた葵に笑いかけて頷くと、自分の小指を絡めた。
「嘘ついたら針死ぬほど飲ませるけど死なせない! 指きった!」
「怖いよっ」
あっはっは、と大口を開けて笑った葵。つられてだんだんおかしくなって、私も一緒にげらげらと笑った。
葵と別れたあと、次に町のはずれの方を目指して歩いた。
橋を超えてどんどん進めば、建物が少なくなり、膝の高さくらいまである草が生い茂るところにでた。それを割くようにしてある一本道を突き進むと、一軒家が見えてくる。迷わずそこへ向かってインターホンを鳴らすと、年老いた女性がにこやかに出迎えてくれた。
「麻ちゃん、いらっしゃい」
「おはようございます、三田さん」
買ってきた稲荷コロッケをひとつおすそ分けすると、彼女は目尻に皺を寄せて微笑んだ。「最近、遊びに来てくれる狐さんがいるの。彼と半分こするわ」と嬉しそうに聞かせてくれる。
用意してきた質問は尋ねるまでもなく、彼女はとても幸せそうだった。
戻る道のりで、中型犬くらいの動物が、草の陰に隠れているのが分かった。立ち止まってじっと目を凝らしてみる。黄土色の毛並みを持つすらりとした狐が、その場に座ってこちらをじっと見ていた。やがて狐は、クオンクオンと二度鳴くと、毛並みを黄金色に輝かせながら風のように翔けていく。そこには迷いなんてなかった。
ああ彼もまた、後悔はしていないんだ。
小さくなっていく背中を最後まで見送って、私はまた歩き始めた。
社の前まで帰ってきた。鳥居をくぐると社へ続く階段は登らずに、鎮守の森へとそれていく。丁度反対くらいの位置まで歩いてきて、朽ちかけた朱色の鳥居が見えた。裏の鳥居だ。私はそこで足を止めた。
ポケットに入れていたお手玉を取り出す。少し布が擦り切れたものがひとつ、そして不格好だけれどもそれによく似たものが三つ。私が作ったものだ。
鳥居の足のそばにそれを置いた。妖の作法は分からなかったので、人の作法で手を合わせる。
ケヤキが兄弟たちと笑っていますように。
そう願わずにはいられなかった。
立ち上がって鳥居を見上げると、強い風が吹いた。屋根のように鳥居に覆いかぶさる木々たちが大きくうねりながらざわめく。恐ろしさはなかった。まるで何かに答えるように、優しい音を立てていた。
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