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木霊の探しもの

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 「まだ始まらないの?」

 「あと一時間くらいは始まらないよ」

 「じゃあ遊びに行こうよ、巫女さまもケヤキの兄ちゃんも一緒に!」


 芲埜祈の背中をよじ登る子どもたち。芲埜祈が子供たちを抱えて立ち上がれば、きゃあっと嬉しそうに笑い声をあげた。


 「でも子供たちはまだ眠る時間でしょう。夜更かしをしては、立派な妖になれませんぞ」

 「だいじょうぶ、昨日は早くに寝たんだよ。かあさまにもちゃんと言った!」

 「そうだよ、三門さまに叱られないように、ちゃんと言ったの!」

 「ねえ、いいでしょー?」


 子どもたちに袖を引っ張られ、芲埜祈は「分かった分かった」と苦笑いを浮かべる。


 「巫女さまも遊ぶの!」


 駆け出した子供たちは、社務所を飛び出す。五秒もしないうちに「まぶしいーっ、死んじゃうよ!」と泣きべそをかきながら戻ってきて、芲埜祈と顔を見合わせて笑った。

 それからしばらくは社の裏側、裏の鳥居に近い鎮守の森で遊んでいた。

 鬼ごっこ、かごめかごめ、花いちもんめ、鬼ごっこ、と無尽蔵の体力で走り回る子どもたちに、何とか休憩を聞き入れてもらって倒木に腰掛け休んでいると、ひとりの子供が甘えるようにすり寄ってきた。


 「巫女さま、なんだか気持ち悪いよ」


 妖狐のその子は耳をぺたんとさせて涙目で見上げてくる。慌てて額に手をやると、ほんのりと熱を帯びていた。誘発されたように他の子供たちも同じようなことを訴え始める。


 「眠気が来たのかもしれませんな。帰りましょうか」


 微笑みながらそう言ったケヤキ。ひとつ頷くと、ぐずり始める子どもたちを芲埜祈と分担して宥めながら、社に向かって歩き始めた。

 数十分は歩いただろうか、社からはそれほど遠くはない所で遊んでいたはずなのに、まだ社は見えてこない。

 私の手を握る子どもたちの手の力がだんだん弱くなってきて、目も虚ろになり始めた。それに、何故だか自分までもが気持ち悪さを感じ始めていた。


 「まずい。麻どの、走りますぞ!」


 芲埜祈は子供をふたり抱きかかえる。慌てて私も残りのひとりを抱えて、走り出す芲埜祈を追いかけた。


 「鎮守の森と裏山の境が分かりにくいので、気が付かなかったんだ。私たちは裏山に来ていたんです。」

 「裏山って、今朝三門さんが言ってたっ」

 「ええ、その通りです。子どもたちは魑魅の瘴気を吸ったんでしょう。子どもは少量の瘴気にも敏感です。気が付くのが遅かったか。」


 悔しそうに顔を顰めた芲埜祈は子供たちの顔を自分の方へ押し付けて瘴気を遠ざけようとした。


 「麻どのも、なるべく息を細くなさるのです。瘴気は妖にも人にも害がある」


 必死に走っていると、遠くに小さな鳥居が見えた。裏の鳥居まで戻ってきたらしい。ほっと胸をなでおろしたその時、


 「止まりなさい、麻どのっ」


 芲埜祈の張りつめた声に足がすくんだ。鼻の先を目にも止まらない速さの何かが過ぎて、思わず尻もちを付く。

 直ぐに芲埜祈が私の二の腕を掴んで立ち上がらせる。その瞬間、これまでに感じたことのない不快感に襲われ口元を押さえた。


 「兄弟……」


 芲埜祈の小さな呟きに、はっと顔をあげる。

 黒い靄の塊だった。大人が両手を広げたくらいの大きさで、その中心に穴が開いたような赤い目がふたつ、鈍い光を放っている。表情も言葉もないのに、憎しみや怒りをぶつけられているような鋭い空気が肌を突き刺す。
 その目を見ているだけで、なぜか悲しみが溢れて涙が零れそうになった。

 芲埜祈キが私の前に出た。強く瞼を閉じてから魑魅を見据える。決意のこもった強い目だ。


 「子どもたちを頼みますぞ。」


 言い切らないうちに脇差を抜いた芲埜祈が土を蹴り上げ飛び出した。

 赤い目を狙うようにして鋭い突きを放つ。魑魅が素早い動きでそれをかわしたと思ったその瞬間、シュワッ────と何かが溶けるような音がした。
 芲埜祈が刀を握る反対の手に何かを握っている、それを投げつけたのだ。続けて袈裟懸けに斬りかかり、掌の何かを魑魅に向かってもう一度投げつけたのが分かった。

 砂のような細かな粒のそれは、よく知っているものだった。三門さんが参拝者へ授与している姿を何度か見たことがある。穢れや災いを払うとされる粗塩だ。

 芲埜祈はそれで魑魅を祓おうとしているんだ。

 金属をこすり合わせるような耳障りな鳴き声が響いた。魑魅が怒っている。ぶわりと爆発するように吹き出された靄が芲埜祈の体を吹き飛ばした。木の幹に背をぶつけた芲埜祈がうめき声をあげる。

 それでもまだ魑魅は怒り狂って体を森の木々にぶつける。鋭利な刃物で切り付けられたように幹が真っ二つになる。葉の揺れる音が木々の悲鳴に聞こえた。


 「っ、芲埜祈!」


 声に反応したのか、魑魅が動きをとめた。


 「麻どの、鳥居へ……奥へっ」


 行き絶え絶えに何かを訴える芲埜祈。子供たちを背に隠したまま、金縛りにあったようにその場から動けなくなった。赤い目と目が合う、肌が粟立ったその瞬間、

 薄紫色に染められた狩衣の袖がひらりと目の前を横切った。


 「子どもたちを連れて鳥居の向こうへ! 鎮守の森には、汚れたモノは入って来られない!」


 よく通るその声に、両頬を叩かれたように目が覚めた。勢いのまま小さな手を引いて走り、転がりこむように鳥居へ飛び込む。

 後から不浄を貫く清らかな柏手が響き、はっと振り返った。


 「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか────……」


 力強く誇らかで、どこまでも清麗な声だ。

 どす黒い瘴気が朗々とした言霊に包まれ、木漏れ日のような柔らかい光へと変わっていく。悪いものが良いものへ生まれ変わっていくような、悪いものがすべて流されていくような心地よさだった。


 「────おうえ にさりてへて のますあせゑほれけ」


 柏手が魑魅を貫き、そして闇が弾けた。光が宙に飛び散る。目を細めてそれを見ていると、弾けた光が一ケ所に集まっていく。やがてそれは横たわる人の形になった。

 髪の色も、目や鼻の形も、とてもよく似ていた。きっとその声も葉が揺れるような音と同じで優しいのだろう。芲埜祈と、同じなのだろうか。あの子は紛れもなく魑魅になり果てる前の芲埜祈の兄弟なんだ。

 一歩、一歩と歩み寄り、芲埜祈はやがて走り出した。そばに膝をつき壊れ物を扱うように、兄弟を抱き寄せて頬を擦る。言葉はないけれど、それ以上のものが伝わってきた。優しく愛おしいものが溢れていた。

 新緑色の瞳がかすかに開いた。


 「兄さま……」


 芲埜祈は兄弟の額に、己の額を合わせて微笑んだ。


 「安心して眠りなさい。今度お前が目を覚ます時には、必ず兄さまがそばにいますからな。」


 あどけない笑みを浮かべると、新緑色の瞳からふっと光が消えた。
 黙って見守っていた三門さんがそばへ跪くと、開いたままのその瞼をそっと閉じてあげていた。


 やがて胸のあたりから、握りこぶしほどの光の玉がふわりと浮かび上がった。蜂蜜色に輝くそれは、優しい光と太陽の温かさを発しながら迷うことなく上へと昇っていく。

 芲埜祈は兄弟の頬をそっと撫でて微笑んだ。


 「日の光を沢山浴びた木霊の魂は、蜜のように輝くのです。……兄弟は、木霊として終えることができたんですね。」


 芲埜祈はゆっくりと空へ登っていく光を見上げた。そして、


 ────ああああああッ!


 叫ぶような声だった。これまで一度もその涙を見せようとしなかった芲埜祈が、大声をあげて泣き崩れた。兄弟の骸を抱きかかえて、なりふり構わず慟哭する。

 どんな言葉よりも胸に突き刺さった。心臓が鷲掴みにされたように痛くなって、声が出ないのに涙が溢れて仕方がなかった。


 三門さんが私の肩に手を置いた。少し強引に引き寄せて、そして歩き出した。背中越しに芲埜祈の泣き声が聞こえる。私は勢いよく振り返った。


 「芲埜祈、私、あなたに渡したいものがあるっ。不器用だから、まだできていないけど、絶対渡すから、だから、」


 芲埜祈がゆっくりと振りむいた。目じりの雫をすくって柔らかく微笑むと、ゆっくりとひとつ頷く。


 「あとで、頂きに参ります」


 三門さんが私の肩を強く引き寄せて、歩くように促す。振り返らずに歩いた。しばらくすると、背中にいっそう優しい温もりと強い光を感じ、その場に泣き崩れた私に三門さんはいつまでもそっと寄り添ってくれた。
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