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木霊の探しもの
参
しおりを挟む「麻、おい麻!」
その夜。聞きなじみのある声と、肩を強くゆすられる感覚に目が覚めた。ぼんやりとした視界の先で、赤い何かが動いている。
次第にクリアになっていく頭が、それをしっかりと捉えた。
「て、天狗……!?」
布団を跳ね飛ばして起き上がれば、天狗面を付けた少女がそこに胡坐をかいていた。
「お前、その反応全く変わらないな」
呆れたように息を吐き、天狗面を顔の横にずらす。よく知っている顔が現れ、私は目を瞬かせた。
「あ、葵? どうしてここに」
「三門さんに入れてもらった。なんか聞きたいことがあるらしくて、呼ばれたんだ」
そういって立ち上がった葵は私から布団をはぎ取った。冷たい空気が肌を撫で、ぶわりと鳥肌が立つ。
「いつまで布団に包まってんだよ、もう夜中だぞ? さっさと起きろ!」
どこか楽し気に私から布団を奪う葵に頭を抱える。
葵や妖にとっては真昼の感覚なのだろうけれど、人間の私にとっては眠る時間だ。布団に残る温もりにまたうつらうつらし始めれば、葵に両腕を引っ張られる。
「ほら、上着着て、靴下履いて! さっさとしろよな」
てきぱきと布団をたたんだ葵は、障子を勢いよくスパンと開けた。
一気に部屋が冷やされて、ぶるりと体を震わせる。「葵、お願いだから閉めて」と言おうと顔をあげる。ちらりと視界に入った白銀に、「あ」と小さく声をあげる。
「雪……」
通りで寒いわけだ、とダウンコートを手繰り寄せて腕を通す。
月の光がはらはらと降る雪を強く照らし、まるで狂い咲く桜のようだった。
「何やってんだ? 行くぞ」
怪訝な顔をした葵が振り返る。急いでもう片方の靴下に足を通すし、慌てて立ち上がった。
葵に手を引かれ、自宅から社務所へと移る。小上がりに腰掛ける人たちがいた。三門さんにケヤキ、ババに仲良くなった妖の子供たち。他にも二十人くらいのがいて、皆で楽しそうに語らっている。
「あっ、こら葵。麻ちゃんのこと無理やり起こさないようにって言っただろ」
その中心に座っていた三門さんが、困ったように眉をさげてそう言う。葵は唇を尖らして鼻を鳴らした。
「私は寝坊助をたたき起こしただけだ!」
「人の子は眠る時間なんだよ」
分かってるし、とさらに唇を尖らせて眉間に皺を寄せた葵を「まあまあ」と宥める。
「あの、私は大丈夫です、三門さん。葵にも会いたかったし」
そう言った途端、子どもみたいに目を輝かせた葵が「私もだ!」と、私の手を握りぶんぶんと上下に振る。すっかり機嫌が直ったのか鼻歌混じりに「麻は私の隣だぞ」と笑い、私の手を引き小上がりに座る。
ババが目じりをしわくちゃにして「随分と仲良くなったんだねえ」と、嬉しそうに微笑んだ。
パンパン、と手を打った三門さんに妖たちは会話をやめて振りかえる。
「みんな、忙しい時間に集まってくれてありがとう。話があって、集まってもらったんだ。詳しくは彼から」
三門さんがケヤキに向かってひとつ頷いた。皆の視線がケヤキへと移る。
「隣町に住む木霊のケヤキと申します」
何人かの妖はケヤキのことを知っていたらしく、驚いたように目を見開いている。どうやらババもその一人だったらしい。
「なんだい、しばらく見ないうちにえらく美人になったじゃないか! 最後に会ったのはアンタが鼻たれ小僧の頃だったから、名前を聞くまで分からなかったよ」
ケヤキを知っている妖たちが、それに同調するかのようにうんうんと頷く。
「やめてください、ババさま。随分と昔の話ではありませんか」
鼻たれ小僧、と言われたのが恥ずかしかったのか少し頬を赤く染めて微笑んだケヤキ。
「何言ってんだい。何百年と生きているババたちからすれば、アンタなんていつまでも子どもさ」
ケラケラと笑ったババに、他の妖たちもお腹を抱えて笑い出す。三門さんまでもだ。
どうやら笑えないのは私だけらしい。
だって何百年も生きているなんて聞かされて笑って済ませるなんて、普通の“人”ならできないはずだ。人間と違って妖が長寿だということは知っていたけれど、何百年と生きるなんてやっぱり想像ができない。
「それで、話と言うのは一体何だい、ケヤキの坊や」
一呼吸置いたババがそう尋ねれば、穏やかに微笑んでいたケヤキの表情が真剣なものに変わる。その雰囲気を感じ取ったのか、妖たちは誰とはなしに口を閉じる。
「魑魅を探しています」
一瞬のざわめき、そして息を飲む音。沈黙は「ねえ母さん、スダマってなにー?」という無邪気な小鬼の声により破られる。母親に「お黙り!」と容赦なく頭を叩かれて、拗ねた顔で私のもとへ走り寄ってくる。
目尻に涙をためて精いっぱい不服そうな顔を浮かべる小鬼は「巫女さま抱っこして」と私に両腕を差し出す。可愛いなあ、と頬を緩めながら抱き上げれば、その子の母親から謝られた。小さく首を振ってから、またケヤキに視線を戻す。
「私ひとりで探し出すことは困難な状況にあり、魑魅について何か知っていることがあれば、どのような些細なことでもいいので私に教えてほしいのです」
畳に手を付き、深々と頭を下げたケヤキ。妖たちは何とも言えないような表情でお互いに視線を合わせる。
「……一応聞いておくんだけれど、ケヤキの坊やが言う“スダマ”は、まともな生き物に悪影響を与える瘴気を出すあの魑魅だね」
重々しく頷いたケヤキに、ババが苦い顔で額を押さえる。
「教えてくださいって言われてもねえ。魑魅っていっちゃあ、私たちですら近付きたくない妖じゃないか」
「そうだな。もしも誰かが見かけたのなら、直ぐに皆に知れ渡るだろうし」
「できることなら関わりたくない奴なんだぞ?」
みんなが意地悪でそう言っているわけではないのは、彼らの不安と戸惑いがこもった目を見ればすぐに分かった。
私は魑魅について聞いたことしかないけれど、話を聞いただけでもとても恐ろしい妖であることが理解できた。妖たちの反応があまり良くないのも無理はない。
そこまで袖手して黙って聞いていた三門さんがおもむろに口を開く。
「葵はどう? 空を飛んでいて、何か見かけたりしなかった?」
三門さんの問いかけに、思わず「えっ」と声をあげてしまう。不思議そうに皆が私を見た。
「ご、ごめんなさい。何でもないです」
慌てて小さく頭を下げて、小声で隣の葵に話しかける。
「ね、ねえ。葵って……空、飛べるの?」
「何言ってんだ? 私は天狗なんだから、飛べるに決まってるだろう」
さも当たり前のようにそう言った葵に、私はただただポカンと口を開けて固まる。
膝の上に乗せていた小鬼が、「巫女さまおもしろい!」と笑いながら私の頬を叩く。
「間抜けな顔だなあ……ああ、そうだ、気づいたことだっけ? 私も特にないかな。天気が少し気になるけれど」
「天気?」
すかさず聞き返した三門さんに、葵はひとつ頷く。
「ああ、雪が降る雲にしては色が濃すぎるし、風もなんだか気持ち悪い」
他の妖たちも思い当たる節があったのか「たしかに」と小声で話し合っている。
次第に騒がしくなる空気に「とにかく!」とババの声が割り込んだ。
「とにかく、ババは魑魅を探すことは反対だよ。あれの瘴気でおかしくなった仲間を沢山見てきたんだ。子どもが危険に会うかもしれないのに、協力なんてできないよ。一体どうしてそんなことをするんだい?」
ケヤキは眉を下げて小さく首を振る。どうやらババにもそのわけを話すことができないらしい。
呆れたように溜息を吐いたババ。しかしその瞳は不安げに揺らいでいる。
「やれ、頑固なところは坊やの名付け親にそっくりだね」
名付け親? と首を傾げていれば、三門さんが直ぐに説明してくれた。
「僕らのひいじいさんのことだよ。ケヤキの名前はひいじいさんが付けたんだ」
「はい。このケヤキという名は、泰助さまから賜りました。私の一生の宝物です」
胸に手を当て、とても愛おしい人の名前を呼ぶように自分の名前を言ったケヤキ。その微笑んだ顔がとても印象的だった。
集いはすぐにお開きになった。
ケヤキは他の妖たちに捕まって社頭へと引っ張られていき、社務所には私と三門さんだけが残る。
畳の上に残された湯飲みを集めていると、三門さんが私の名前を呼んだ。首を傾げながら振り返る。
「この件、麻ちゃんは関わらない方がいい。というか僕からのお願い、関わらないで」
突き放すような言葉にひどく戸惑った。言葉がでてこず、三門さんの真剣な目から逃れるように俯いた。
「ごめん、言い方が悪かったね。今回関わっている“魑魅”っていうのは、妖たちも怖がっているように、とても危険なやつなんだ。麻ちゃんに何かあったらおばさんたちに顔向けができないし、何より僕の心臓がもたないよ」
肩を竦めてそう笑った三門さんは、もう危険なことには関わってほしくないな、と続けた。
思い返せば、ろくろ首と私の髪を賭けて勝負をした時も、とても三門さんには心配をかけた。次の日に、髪を妖に渡すことがどれほど危険なのかをじっくりと聞かされて、二度と心配をかけないようにしようと決めたのだ。
三門さんが前もって「関わらないでほしい」と言うのは、本当に魑魅が危険なのだと理解できる。そして下手に関われば迷惑をかけてしまうことも。
でも、それでも。ケヤキの寂しそうで悲しそうなあの顔が、どうしても頭から離れないのだ。
「……私にでも、できることはありますか」
三門さんの頬がふっと緩む。伸ばされた手はいつも通り、私の頭をそっと撫でた。
「葵や多聞にしてあげたように、ケヤキの心に寄り添ってあげて。それは麻ちゃんにしかできないことだよ」
私にしかできないこと。
胸の中で繰り返す。
「麻ちゃんの言葉が葵の背中を押して、多聞の想いを繋いだんだ。僕にはそんなことできないよ」
三門さんの手が頭から離れていく。ほんのりと残った熱が少し心地よい気がした。
「あ、そうだ、丁度いい。麻ちゃん、今から少しだけいいかな」
ぽんと手を打った三門さんに、不思議に思いながらも頷く。
社務所の柱時計を見上げながら、「もうそろそろ来る頃だと思うんだけど」と呟く。その数秒後、「ごめんください」という声が扉の前から聞こえた。
来た来た、と腰を上げた三門さんは返事をしながら扉に向かう。
「いらっしゃい。待ってたよ」
扉を開けた先で待っていたのは、巫女装束を着た妖だった。白い獣の耳が生えた、見覚えのある女の子。真っ直ぐに伸びた黒髪を一つに束ね、優しそうな顔つきだった。
「こんばんは、三門さま」
鈴のような可愛らしい声に、「あっ」と声をあげる。開門祭で娘役を演じていた妖狐の女の子だ。
中へと促す三門さんに小さく会釈をした彼女は、胸の前に抱えた風呂敷を抱え直しながらゆっくりと入ってきた。
彼女と目が合う。「こんばんは」と声をかけるも、彼女はふっと目を伏せる。
あれ、聞こえなかったのかな。
首を傾げていると三門さんが戻ってきて、彼女の隣に立った。
「明日の大晦日から三が日にかけての四日間、巫女奉仕してくれる妖のひとりだよ」
そう言って彼女の肩に手を乗せた三門さん。三門さんを見上げ柔らかく微笑んだ彼女は、私に視線を無得るなりその笑顔をけした。
「初めまして、妖狐の篠と申します」
篠は表情を変えずに小さく会釈をする。とても淡々とした素っ気ない挨拶で、明らかに三門さんと私とで態度を変えていることが分かった。
何か彼女の気に入らないことでもしてしまったのだろうか、と急に不安が募る。
「篠、僕の遠縁の麻ちゃん。同じ十五歳だから、ふたりとも話が合うんじゃないかな」
「巫女奉仕に来ているのですから、話す機会なんてございません」
きっぱりと言い切った篠の頭に、三門さんは笑いながら手を置く。
「篠は相変わらずまじめだなあ」
篠の表情がまた柔らかくなる。嬉しそうに目を細めるその顔を、どこかで見たことがあるような気がした。
「篠の他にも、青女房やろくろ首がいるよ。ろくろ首は毎年おいたの罰として手伝わせているんだけど」
「まあ、ろくろ首さんたら、今年もなんですね」
「そうなんだ。毎年毎年、懲りないよねえ」
すっかり話し込み始めたふたりに、すっかりついて行けなくなってしまった。
胸の奥にモヤモヤしたものが広がっていき、なんだか胸が変な感じだった。
「あ、あの。三門さん。私、外へ出てもいいですか」
目をきょとんとさせた三門さんが、慌てて「ごめん」と口を開く。
「篠を紹介したかっただけだから、もう大丈夫だよ」
「いえ、あの。それじゃあ」
小さく頭を下げて社務所を出ていく。ふたりの視線を背中越しに感じて、振り返ることができなかった。
社務所の外に出た。雪はもう降り止んでいたけれど、頬を突き刺すような風が強く吹き付けていた。首を縮めながら賑わう参道の方へと歩みを進める。
妖たちと談笑したり店を見て回っていると、御神木の下に人影を見つけた。根元に片膝を立てて座り込み、憂いを帯びた若葉色の瞳が月をぼんやりと眺めている。
そっと彼に近付いていけば、誰かと談笑する声が聞こえる。
気配を感じとったのか、月を見上げていたケヤキは視線を下ろした。
「────麻どのか。どうなされた」
「あ……その、話し声が聞こえて」
納得したように頷いたケヤキが傍らのお銚子を軽く掲げる。
「こやつと話をしながら飲んでおりました」
ケヤキが御神木の根元をぽんと叩けば、まるで返事でもするように御神木がわさわさと揺れる。茂る木々の月明りに照らされた切り絵のような影が地面の上で揺れる。
「えっと、御神木が喋るんですか……?」
「ええ、よく話しますよ。こいつとは古い友ですが、知人の中では一番喧しい」
そう言い切った途端、そこそこ太い木の枝が真っ直ぐとケヤキの頭に落ちた。「いてっ」と脳天を押さえて肩を竦めたケヤキを、カラカラと嘲笑うように御神木の葉っぱが鳴る。
「今のは、なんて言ったのかなんとなくわかります」
クスクスと笑いながらそう言えば、ケヤキが拗ねたように少し唇を突き出した。
「おい須久木、覚えていろよ。絶対にいつか仕返ししてやる」
私たちと話すときとはずいぶんと違って、少し砕けた口調で親しげな声色だった。
須久木。この御神木にも名前があるんだ。須久木の名前もまた、ひいおじいちゃんが付けたのだろうか。
そんなことを考えながら、じゃれ合うように楽しそうに話す二人を見つめる。
「麻どの、麻どの。聞いて下され。こやつは以前、人の娘の気を引こうとして、見向きもされなかったのですぞ。“木”は“気”を引けぬ見向“き”もされぬ、とな。木だけに」
ははっ、と笑ったケヤキの頭にどさっと大量の葉っぱが降ってくる。小さな悲鳴を上げたケヤキは、葉っぱの下から這出てきた。
「────ああ、ああ分かったから。悪かった、そう怒るな」
須久木を見上げ、笑いを堪えながらそう言ったケヤキ。私に向き直る。
「須久木が早く部屋に戻るようにと言っております。さあ、私がお送りいたしましょう」
「あ、はい。ありがとうございます」
慌ててケヤキに歩み寄った。一度振り返って、須久木に向かって「おやすみなさい」と声をかけてみる。返事はなかったものの、私の側に一枚葉っぱを落としてくれた。
頬を緩めながらそれを拾い上げ、「行きましょう」と歩き出したケヤキの隣に並んだ。
「先ほどはすみません。久しぶりに飲んだからか、酔ったみたいです」
ほんのりと赤く染まった頬のケヤキは、暑そうに襟を緩めると、申し訳なさげに眉を下げて微笑んだ。
「仲がいいんですね」
「ええ……生まれた年も、泰助さまに名をもらった年も一緒でした。もう五十年近く会っていなかったのですが」
「ご、五十年……」
目を見開きながら繰り返す。
妖の五十年は、彼らにとってはほんのわずかな時間なのだ。
「昨日会った友人のように、いつも迎え入れてくれるんです、須久木は」
ケヤキの目がいつになく優しく細められる。嬉しそうで懐かしさを含んでいて、それなのにとても悲しそうで寂しげなのは、彼がここへ来た日からずっと変わらない。
「兄ちゃん待って!」
「待ってよお」
小さな妖狐の子どもが三人、私たちの前を横切って行った。先頭を走っているのがお兄ちゃんなのだろうか。遅れてついてくる兄弟たちを気にする素振りを見せながら走っている。
一番小柄な男の子が、ケヤキの前を通り過ぎた途端、何かにつまずいたのか顔から地面に倒れ込む。しばらく呆然としていたものの、痛みに気がつき火が付いたように泣きわめく。
「おやおや」
そう呟いたケヤキはその子に駆け寄ると、側に膝を付いて子どもの脇に手を入れる。ひょいとその子を持ち上げたケヤキは、軽々と肩に乗せた。
驚いて、目を丸くする子ども。
「おお、涙が止まったか。お前は強い子だなあ。褒美に兄さまの所まで、肩車で送ってあげよう」
「いいのお!?」
途端笑顔になった子供に、ケヤキは優しく頷いた。
頬を緩めながらケヤキに駆け寄る。「おにーっ」と子どもに髪を引っ張られて、苦笑いを受けベているところだった。
「すみません、麻どの。しばし遠回りをしてもいいですかな」
「もちろんです」
楽しそうに声をあげる子どもを見ながら深く頷く。
怖がらせないようにとゆっくりと進むケヤキに合わせて、歩き出した。
「子どもの扱いに慣れているんですね」
「ええ。兄弟がたくさんいたので」
そうなんだ、と頷き、ふと違和感を覚える。
ケヤキは「兄弟がたくさんいた」と過去形にして言った。私は兄弟がいないからよく分からないのだけれど、普通は過去形で言い切るのではなく、「兄弟がいる」と言うものなのではないだろうか。
私の気にし過ぎなのかな。
肩に乗せた子どもと楽しそうに会話するケヤキの横顔を見る。やがて、その子のあ兄ちゃんが慌ててケヤキの側に駆け寄ってきた。ケヤキの肩から降りた弟の頭に拳骨を落として、無理やり頭を下げさせる。
丁寧にお礼を言ったしっかり者のお兄ちゃんに手を引かれ、その子は何度も振り返りながら歩いていった。
「いい兄上ですな」
ふたりが歩いていった方角をぼんやりと眺め、ケヤキがそう呟く。
「……私は、果たしていい兄上だったのでしょうか」
え? と聞き返せば、ケヤキは我に返ったように小さく首を振る。
「何でもありません。さあ、今度こそ戻りましょう」
わざとらしい話のそらし方に違和感を覚えたが、何かを堪えるようなケヤキの瞳に、聞き返すことなんてできなかった。
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