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天狗の初恋
弐
しおりを挟む「あのー、すみません」
しばらくして、突然外から声がした。私と三門さんは顔を見合わせると、直ぐに幕をくぐって顔を出す。大学生くらいの女の人がふたりそわそわとした表情で立っていた。三門さんが現れるなり「わっ、噂以上ののイケメン」と小声で呟いていた。
「ようお参りです。どうかなさいましたか?」
「あの、結紅ってここで買えますか?」
頬を赤くしながらそう尋ねた女性。
「はい、こちらで授与しております」
「ふ、ふたつ下さい!」
少々お待ちくださいね、と微笑んだ三門さんは、私に「幕の後ろにある木箱を取って」と耳打ちをする。急いで下がって棚の中を探すと、狐の顔が描かれた手のひらサイズの丸い容器がたくさん入った木箱を見つける。それを両腕に抱え戻る。
「ありがとう、参拝者さんの前に置いてね」
言われた通りにそっと置けば、「可愛い!」と歓声が上がる。
「おひとつで千円お納めいただいておりますので、二千円お納めください。どうぞお好きな狐さんをお選びくださいね」
楽しそうに吟味した女性たちは、気に入った一つを大切そうに胸の前でもち、私たちに頭を下げると笑顔で歩いていく。
「ようお参りでした」
小さく頭を下げた三門さんに習って、私も頭を下げた。
女性たちの姿が見えなくなって、三門さんがくるりとこちらに向き直る。
「お店のやりとりとは全然違うでしょ。驚いた?」
「あ……はい、ちょっと」
「御守は買うんじゃなくて、授かる。売るんじゃなくて、授与する。お金も、支払うんじゃなくて、納めるって言うんだ」
思わず「覚えられるかな」と眉を下げる。
「大丈夫だよ、それに僕もたまに言い間違えるから。そんなときはにっこり笑って誤魔化せばいいんだ」
片目を瞑ってそう言った三門さんに、私は小さく噴き出した。
「さあ、作業を再開しようか」
そう言って木箱を持ち上げた三門さん。
「……あの、これ」
「これ? 結紅って言って、うちだけが授与している良縁を運ぶ口紅だよ。ユマツヅミさまの神話に基づいて作られてるんだ。鎮守の森に生えているクロガネモチの実が混ぜられているんだよ」
へえ、と目を丸くしながらひとつ手に取る。容器に描かれた狐の顔はどことなく、狛狐のふくりとみくりに似ている気がした。
お昼時が近付いてきたころ。社務所に戻っていた三門さんが神事用の装束にで、授与所に飛び込んできた。
「麻ちゃん、ごめん! 今さっき福豆が届いて、これから祈祷なんだ。午後から予定が詰まっているから、お昼のうちに済ませておきたくて。だからお昼ご飯のお使い、頼んでもいい?」
よっぽど慌てているのか早口で言った三門さん。私は気圧されながらもひとつ頷く。
「ありがとう、とっても助かる。じゃあ、河原沿いを駅の方へ行ったら『みいと松村』っていうお肉屋さんがあるから、そこの稲荷コロッケを四つ、お願いします」
お財布は居間のテーブルの上にあるから、といいながら、駆け足で出て行った三門さん。遠ざかって行った足音が、数秒して戻ってくる。
「温かくして外に出ること、いい?」
顔だけ覗かせた三門さんに、小さく笑いながら頷く。安心したように微笑んだ三門さんは、また急ぎ足で出て行った。
袋詰めの作業がひと段落着いた頃、言われた通りに巫女装束の上から上着を羽織り、マフラーと手袋できっちり防寒してから外に出た。
太陽は出ているが風が冷たく、肩を竦めながら歩く。しばらく河原沿いを歩いていたら、丁度昨日、手ぬぐいを拾った場所を通った。そう言えば、と辺りを見回す。すると案の定、昨日の手ぬぐいの男性が岩に腰掛け川を眺めている。しかし今日はその隣に、寄り添うように誰かが座っていた。けれどその背中はやはり寂しげで、私は道を外れてふたりに歩み寄った。
砂利が踏みしめられる音に気が付いた男性が振り返る。眼鏡の奥の目を丸くすると「君は昨日の」と呟いた。
慌てて頭を下げると、男性は「こんにちは」と目尻に皺を作った。
「その恰好……君は結守神社の巫女さんなのかな?」
そう言った男性にひとつ頷くと、男性は「そっか」と柔らかく微笑む。
「結守の巫女?」
突然、男性の方から、彼の声ではない別の声が聞こえた。
目を瞬かせていると、丁度男性の陰で見えなかったもうひとりが、ばっと陰から現れる。
驚いて「ひっ」と声をあげた。
「て、天狗……っ!」
彼の隣に座っていたのは、小花柄の擦り切れた着物を着た、天狗面をかぶった少女。明らかに異様な少女だった。
「お前、私が見えるのか!」
少女が勢いよく立ち上がる。思わず後退りをすれば、男性が不思議そうに「どうしたんだい」と首を傾げた。
「お前、私が見えているんだろう!」
「ご、ごめんなさい……っ!」
咄嗟にでたその言葉は誰に向けてだったのか。私はその場から逃げ出した。全速力で歩いてきた道に戻り、振り返らずに必死に走る。
「おい、待て小娘!」
数メートル後ろで声が聞こえて、泣きそうになりながら走った。
「聞こえているんだろ!」
直ぐ耳元でそんな声が聞こえたかと思うと、突然後ろから襟首を引っ張られその場に尻もちを付いた。痛みに顔を顰めていると、視界の先に下駄を履いた足がうつる。
ひっ、と息を飲めば、少女は深い溜息を零した。
「結守は妖と交流のある神社ではないのか? 最近の巫女はなんて情けないんだ」
呆れたように肩を竦めた少女は天狗面に手をかけると、それをゆっくりと上にずらす。面の下から現れたのは、目鼻立ちがはっきりとした愛らしい顔をした少女だった。同い年くらいに見える。
少女は私に手を差しだす。
「天狗の一族は人間を取って食ったりしない。安心しろ」
続けざまに、「転ばしてしまって悪かったよ」とばつが悪そうくちびるを尖らせる。少女の顔と差し出された手を見比べていると、しびれを切らしたのか私の二の腕を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「怪我は?」
慌てて首を横に振る。
「ならいい。なあ、あんた。結守の巫女ってことは、言霊の力があるんだよな?」
私の両肩を掴むと、ずんと顔を近づけた少女。思わず後退りながら何度も首を上下に振る。
「時間がないから手短に言うぞ。あんたの言霊の力で、私を人間にしてくれ」
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