上 下
5 / 49
天狗の初恋

しおりを挟む


「おはよう。麻ちゃん」

朝。身支度を整えてから台所に顔を出せば、卵焼きを器用にくるくると巻いている三門さんが声を掛けてくれた。


「……お、おはよう、ございます」


小さな声で、恐る恐る声を出す。


「うん、おはよう。そこのお盆、居間に運んでもらっていいかな」


ごはんが盛り付けられた茶碗と鮭の塩焼きが乗ったお盆を指さした三門さんに、慌てて頷きそれを手に取る。


「あ、そうだ」


おもいだしたようにそう声をあげた三門さん。首を傾げながら振り返る。


「麻ちゃんって卵焼きは甘い派? それとも、しょっぱい派?」


突拍子もない質問に数回目を瞬かせた。


「僕の周りは甘い方が好きな人が多くて」

「あ、えっと……しょっぱい方が好きです」

「良かった、今日は出汁と醤油で作ったよ。自信作だから楽しみにしててね」


楽しげに言った三門さんに、ふふと小さく笑ってから「はい」と返した。

三門さん自信作の美味しい卵焼きを頬張りながら他愛もない話をした。私はもっぱら相槌を打つだけだけれども、気にすることなく話しかけてくれる。その気遣いがとても嬉しかった。

しばらくして、三門さんが「あ」と何かに気が付いたように声をあげる。三門さんは私の後ろの方の一点を見つめていて、不思議に思いながら振り返ると、シンプルなカレンダーが壁に掛けられていた。


「麻ちゃん、大変だ。僕、恐ろしいことに気が付いてしまったよ」


三門さんはカレンダーを指さす。つられるようにもう一度振り返った。


「来年の節分は、日曜日だ……」


そう言って、深い溜息を零した三門さんに、私は頭の中にクエスチョンマークを浮かべる。
節分が日曜日なのは、いけないことなのだろうか。

そもそも、まだ二ヶ月も先のことを気に病む必要があるのだろうか。

「節分祭って言ってね、福豆とお餅を参拝者さんに無料で配るイベントがあるんだけど、休日だと平日の三倍は人がやってくるんだ。うちの神社、縁結びで結構有名だからね」


なるほど、と頷く。たしかに休日なら、普段参拝に来れない人でも都合が付けやすい。


「日中は福豆を袋へ詰める作業を手伝ってもらっていいかな」

「あ……はい」

「ありがとう、麻ちゃん。それにしても、あの数じゃ福豆たりないよね、どうしようかなあ……」


眉根を下げて悩む三門さんは、さりげなく最後の一つになった卵焼きのお皿を私の前に滑らす。そんなさりげない心遣いに、胸がほんのり温かくなった。


まだ着慣れない巫女装束に着替えると、本殿と太鼓橋でつながっている御守授与所へ向かった。

主におみくじや護摩木、お守りを置いているその場所は、建物の中は白い幕で横半分に区切られていて、前半分は出店のようにオープンキッチンのようになっている。作業をするのは参拝者の目に着かない幕の後ろ側だ。


「業者さん、まだ間に合うって言ってくれたよ」


ひたすら黙々と小袋に福豆をつめ、ホッチキスで封をするという作業を繰り返していると、三門さんが裏からひょっこりと顔を出した。

福豆を提供してくれている農家さんに、追加の注文をできるかどうかの確認の電話をしていたらしい。


「これで一安心、届いたら急いで御祈祷して袋に詰めないとね」


そう言って私の隣に腰を下ろした三門さんは、そばに置いていたホッチキスを取ると早速作業に取り掛かった。

三門さんのその横顔を、チラチラと窺っていると、ふと目線をあげた三門さんと目が合ってしまった。「ん?」と首を傾げる三門さん。慌てて視線を泳がし、手元のホッチキスをかしゃかしゃと動かす。


「気になることでもあるのかい?」


そう尋ねた三門さん。

『だから大丈夫、麻ちゃんは誰も傷つけない』

昨日の三門さんはそう言った。けれど、やっぱり言葉を発することに怖さがあって、きゅっと唇を結ぶ。


「もしかして、言霊の力のことが知りたいのかな?」

「な、んで……」


無意識にそう呟き、はっと口元を押さえた。


「なんで、かぁ……。僕も麻ちゃんと同じだった時期があったから、かな」


思わぬ返答に目を瞬かせた。


「麻ちゃんと同じようにこの力の恐ろしさを知って、全く話せない状態が一年続いたんだ。だからなんとなくだけど、麻ちゃんの言いたいことが、分かる気がするんだ」


眉を下げて肩を竦めた三門さん。眉間に皺を寄せていると「そんな顔をしないで」と、困ったように笑う。


「今では、そのことに気が付けて良かったと思ってるんだ。過去には、最後まで気が付けないで、悲しいことになってしまった人もいるんだよ」


過去には、ということは結守神社の昔の神主さんということだろうか。悲しい事っていったい何なのだろう。
少し気になったのだけれど、悲しげに目を伏せる三門さんを見ると、追及することは憚られた。


「ああ、そうだ。言霊の力の話だったね」


気を取り直したように姿勢を正した三門さんは、手を動かしながらそう言った。私もいつの間にか止まっていた作業を再開し、三門さんの顔を見る。


「昨日言った通り、僕や麻ちゃんの中に宿るのは言葉通りの現象を起こす力、言霊の力。言霊の力は主にふたつの要素が合わさって、成り立っているんだ」


三門さんは手にしていたホッチキスを置くと、私に向き直る。そして、握りこぶしを作った右手を顔の前に持ってきた。


「一つは言祝ぎ(ことほぎ)の要素。人々を祝福する陽の力」


同じように左手でも握りこぶしを作り、顔の前に持ってきた三門さん。


「もう一つは、呪(しゅ)の要素。災いを起こす陰の力だ。このふたつが合わさって、言霊の力が作られているんだよ」


三門さんは両方の握りこぶしを顔の前で合わせた。


「ふたつの要素は均等に成り立ってはいるけれど、この力を授かった人たちは、幼い頃に言祝ぎの要素を強くする修行を行うことで、より災いを生み出さないようにしているんだ。────ここまでは、大丈夫?」


はい、とひとつ頷く。

ということは、三門さんも幼い頃から“言祝ぎの力”を強くするために、修行を繰り返していたということだろうか。
私は三門さんと同じ力があるわけで、でもその幼い頃に何か特別な修行をしたわけでもないし、そもそもこの力が現れたのもほんの最近だ。


「麻ちゃんが生まれたとき、そのふたつの要素の強さにみんなが驚かされたんだ。そして麻ちゃんのお祖父さん、昭徳さんはすぐに麻ちゃんの力を封じた」


え? と目を丸くした。

脳裏にお祖父ちゃんの優しい笑顔が浮かぶ。


「昭徳さんが亡くなったことで、麻ちゃんの力を封じていた昭徳さんの言霊が弱り、少しずつ力が解放されいってるんだと思うんだ。昭徳さんが亡くなってから、何か少しずつ変化があったんじゃないかな?」


はっと息を飲んだ。

たしかにそうだ。お祖父ちゃんがなくなって、体調不良が続いてた。体の中を何かが暴れまわるような、お腹の底から強い何かがあふれ出すような、訳の分からない感覚が身体中を暴れまわって、。不安でとても怖かった。


「心当たりがあるみたいだね」


私がひとつ頷けば、三門さんは柔らかく微笑む。


「昭徳さんがその力を封じたのは、麻ちゃんを守るためなんだよ」


私を守るため。胸の中で繰り返す。

三門さんはいつになく真剣な表情を浮かべた。


「『大いなる力には大いなる責任がともなう。』、昭徳さんがよく言っていた言葉だよ。この力を持つ限り、生と死は隣り合わせなんだ。昭徳さんは誰よりもそのことをよく分かっている人だった」


眉間に皺をよせて俯けば、頭に手がぽんと乗せられる。三門さんの手だ。


「忘れないで、この力は恐ろしいものだけど、それだけじゃない。傷を癒し、大切なものを守り、祝福を与える力だよ」


傷を癒し、大切なものを守り、祝福を与える力。三門さんの言葉を、頭の中で反復する。

私の力がお母さんを傷つけようとした、それは紛れもない事実。そんな私のこの力で、誰かを、大切な誰かを守ることができるんだろうか。

三門さんのように、傷つく誰かを救うことができるのだろうか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~

水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート! ***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!

言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ
キャラ文芸
両親を亡くし、たった一人の兄と二人暮らしをしている椎名巫寿(15)は、高校受験の日、兄・祝寿が何者かに襲われて意識不明の重体になったことを知らされる。 病院へ駆け付けた帰り道、巫寿も背後から迫り来る何かに気がつく。 二人を狙ったのは、妖と呼ばれる異形であった。 「私の娘に、近付くな。」 妖に襲われた巫寿を助けたのは、後見人を名乗る男。 「もし巫寿が本当に、自分の身に何が起きたのか知りたいと思うのなら、神役修詞高等学校へ行くべきだ。巫寿の兄さんや父さん母さんが学んだ場所だ」 神役修詞高等学校、そこは神役────神社に仕える巫女神主を育てる学校だった。 「ここはね、ちょっと不思議な力がある子供たちを、神主と巫女に育てるちょっと不思議な学校だよ。あはは、面白いよね〜」 そこで出会う新しい仲間たち。 そして巫寿は自分の運命について知ることとなる────。 学園ファンタジーいざ開幕。 ▼参考文献 菅田正昭『面白いほどよくわかる 神道のすべて』日本文芸社 大宮司郎『古神道行法秘伝』ビイングネットプレス 櫻井治男『神社入門』幻冬舎 仙岳坊那沙『呪い完全マニュアル』国書刊行会 豊嶋泰國『憑物呪法全書』原書房 豊嶋泰國『日本呪術全書』原書房 西牟田崇生『平成新編 祝詞事典 (増補改訂版)』戎光祥出版

契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(りょうが)電子書籍発売中!
恋愛
 前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

貴方の愛人を屋敷に連れて来られても困ります。それより大事なお話がありますわ。

もふっとしたクリームパン
恋愛
「早速だけど、カレンに子供が出来たんだ」 隣に居る座ったままの栗色の髪と青い眼の女性を示し、ジャンは笑顔で勝手に話しだす。 「離れには子供部屋がないから、こっちの屋敷に移りたいんだ。部屋はたくさん空いてるんだろ? どうせだから、僕もカレンもこれからこの屋敷で暮らすよ」 三年間通った学園を無事に卒業して、辺境に帰ってきたディアナ・モンド。モンド辺境伯の娘である彼女の元に辺境伯の敷地内にある離れに住んでいたジャン・ボクスがやって来る。 ドレスは淑女の鎧、扇子は盾、言葉を剣にして。正々堂々と迎え入れて差し上げましょう。 妊娠した愛人を連れて私に会いに来た、無法者をね。 本編九話+オマケで完結します。*2021/06/30一部内容変更あり。カクヨム様でも投稿しています。 随時、誤字修正と読みやすさを求めて試行錯誤してますので行間など変更する場合があります。 拙い作品ですが、どうぞよろしくお願いします。

処理中です...