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天狗の初恋
壱
しおりを挟む「おはよう。麻ちゃん」
朝。身支度を整えてから台所に顔を出せば、卵焼きを器用にくるくると巻いている三門さんが声を掛けてくれた。
「……お、おはよう、ございます」
小さな声で、恐る恐る声を出す。
「うん、おはよう。そこのお盆、居間に運んでもらっていいかな」
ごはんが盛り付けられた茶碗と鮭の塩焼きが乗ったお盆を指さした三門さんに、慌てて頷きそれを手に取る。
「あ、そうだ」
おもいだしたようにそう声をあげた三門さん。首を傾げながら振り返る。
「麻ちゃんって卵焼きは甘い派? それとも、しょっぱい派?」
突拍子もない質問に数回目を瞬かせた。
「僕の周りは甘い方が好きな人が多くて」
「あ、えっと……しょっぱい方が好きです」
「良かった、今日は出汁と醤油で作ったよ。自信作だから楽しみにしててね」
楽しげに言った三門さんに、ふふと小さく笑ってから「はい」と返した。
三門さん自信作の美味しい卵焼きを頬張りながら他愛もない話をした。私はもっぱら相槌を打つだけだけれども、気にすることなく話しかけてくれる。その気遣いがとても嬉しかった。
しばらくして、三門さんが「あ」と何かに気が付いたように声をあげる。三門さんは私の後ろの方の一点を見つめていて、不思議に思いながら振り返ると、シンプルなカレンダーが壁に掛けられていた。
「麻ちゃん、大変だ。僕、恐ろしいことに気が付いてしまったよ」
三門さんはカレンダーを指さす。つられるようにもう一度振り返った。
「来年の節分は、日曜日だ……」
そう言って、深い溜息を零した三門さんに、私は頭の中にクエスチョンマークを浮かべる。
節分が日曜日なのは、いけないことなのだろうか。
そもそも、まだ二ヶ月も先のことを気に病む必要があるのだろうか。
「節分祭って言ってね、福豆とお餅を参拝者さんに無料で配るイベントがあるんだけど、休日だと平日の三倍は人がやってくるんだ。うちの神社、縁結びで結構有名だからね」
なるほど、と頷く。たしかに休日なら、普段参拝に来れない人でも都合が付けやすい。
「日中は福豆を袋へ詰める作業を手伝ってもらっていいかな」
「あ……はい」
「ありがとう、麻ちゃん。それにしても、あの数じゃ福豆たりないよね、どうしようかなあ……」
眉根を下げて悩む三門さんは、さりげなく最後の一つになった卵焼きのお皿を私の前に滑らす。そんなさりげない心遣いに、胸がほんのり温かくなった。
まだ着慣れない巫女装束に着替えると、本殿と太鼓橋でつながっている御守授与所へ向かった。
主におみくじや護摩木、お守りを置いているその場所は、建物の中は白い幕で横半分に区切られていて、前半分は出店のようにオープンキッチンのようになっている。作業をするのは参拝者の目に着かない幕の後ろ側だ。
「業者さん、まだ間に合うって言ってくれたよ」
ひたすら黙々と小袋に福豆をつめ、ホッチキスで封をするという作業を繰り返していると、三門さんが裏からひょっこりと顔を出した。
福豆を提供してくれている農家さんに、追加の注文をできるかどうかの確認の電話をしていたらしい。
「これで一安心、届いたら急いで御祈祷して袋に詰めないとね」
そう言って私の隣に腰を下ろした三門さんは、そばに置いていたホッチキスを取ると早速作業に取り掛かった。
三門さんのその横顔を、チラチラと窺っていると、ふと目線をあげた三門さんと目が合ってしまった。「ん?」と首を傾げる三門さん。慌てて視線を泳がし、手元のホッチキスをかしゃかしゃと動かす。
「気になることでもあるのかい?」
そう尋ねた三門さん。
『だから大丈夫、麻ちゃんは誰も傷つけない』
昨日の三門さんはそう言った。けれど、やっぱり言葉を発することに怖さがあって、きゅっと唇を結ぶ。
「もしかして、言霊の力のことが知りたいのかな?」
「な、んで……」
無意識にそう呟き、はっと口元を押さえた。
「なんで、かぁ……。僕も麻ちゃんと同じだった時期があったから、かな」
思わぬ返答に目を瞬かせた。
「麻ちゃんと同じようにこの力の恐ろしさを知って、全く話せない状態が一年続いたんだ。だからなんとなくだけど、麻ちゃんの言いたいことが、分かる気がするんだ」
眉を下げて肩を竦めた三門さん。眉間に皺を寄せていると「そんな顔をしないで」と、困ったように笑う。
「今では、そのことに気が付けて良かったと思ってるんだ。過去には、最後まで気が付けないで、悲しいことになってしまった人もいるんだよ」
過去には、ということは結守神社の昔の神主さんということだろうか。悲しい事っていったい何なのだろう。
少し気になったのだけれど、悲しげに目を伏せる三門さんを見ると、追及することは憚られた。
「ああ、そうだ。言霊の力の話だったね」
気を取り直したように姿勢を正した三門さんは、手を動かしながらそう言った。私もいつの間にか止まっていた作業を再開し、三門さんの顔を見る。
「昨日言った通り、僕や麻ちゃんの中に宿るのは言葉通りの現象を起こす力、言霊の力。言霊の力は主にふたつの要素が合わさって、成り立っているんだ」
三門さんは手にしていたホッチキスを置くと、私に向き直る。そして、握りこぶしを作った右手を顔の前に持ってきた。
「一つは言祝ぎ(ことほぎ)の要素。人々を祝福する陽の力」
同じように左手でも握りこぶしを作り、顔の前に持ってきた三門さん。
「もう一つは、呪(しゅ)の要素。災いを起こす陰の力だ。このふたつが合わさって、言霊の力が作られているんだよ」
三門さんは両方の握りこぶしを顔の前で合わせた。
「ふたつの要素は均等に成り立ってはいるけれど、この力を授かった人たちは、幼い頃に言祝ぎの要素を強くする修行を行うことで、より災いを生み出さないようにしているんだ。────ここまでは、大丈夫?」
はい、とひとつ頷く。
ということは、三門さんも幼い頃から“言祝ぎの力”を強くするために、修行を繰り返していたということだろうか。
私は三門さんと同じ力があるわけで、でもその幼い頃に何か特別な修行をしたわけでもないし、そもそもこの力が現れたのもほんの最近だ。
「麻ちゃんが生まれたとき、そのふたつの要素の強さにみんなが驚かされたんだ。そして麻ちゃんのお祖父さん、昭徳さんはすぐに麻ちゃんの力を封じた」
え? と目を丸くした。
脳裏にお祖父ちゃんの優しい笑顔が浮かぶ。
「昭徳さんが亡くなったことで、麻ちゃんの力を封じていた昭徳さんの言霊が弱り、少しずつ力が解放されいってるんだと思うんだ。昭徳さんが亡くなってから、何か少しずつ変化があったんじゃないかな?」
はっと息を飲んだ。
たしかにそうだ。お祖父ちゃんがなくなって、体調不良が続いてた。体の中を何かが暴れまわるような、お腹の底から強い何かがあふれ出すような、訳の分からない感覚が身体中を暴れまわって、。不安でとても怖かった。
「心当たりがあるみたいだね」
私がひとつ頷けば、三門さんは柔らかく微笑む。
「昭徳さんがその力を封じたのは、麻ちゃんを守るためなんだよ」
私を守るため。胸の中で繰り返す。
三門さんはいつになく真剣な表情を浮かべた。
「『大いなる力には大いなる責任がともなう。』、昭徳さんがよく言っていた言葉だよ。この力を持つ限り、生と死は隣り合わせなんだ。昭徳さんは誰よりもそのことをよく分かっている人だった」
眉間に皺をよせて俯けば、頭に手がぽんと乗せられる。三門さんの手だ。
「忘れないで、この力は恐ろしいものだけど、それだけじゃない。傷を癒し、大切なものを守り、祝福を与える力だよ」
傷を癒し、大切なものを守り、祝福を与える力。三門さんの言葉を、頭の中で反復する。
私の力がお母さんを傷つけようとした、それは紛れもない事実。そんな私のこの力で、誰かを、大切な誰かを守ることができるんだろうか。
三門さんのように、傷つく誰かを救うことができるのだろうか。
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