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4章 白豚腐女子×軟派騎士=?
4-5
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トーン子爵令嬢エヴァに久しぶりに貴族婦人達のお茶会の招待状が届いた。
えげつない話だが、エヴァが婚約破棄した直後、彼女から話を聞き出そうとするお茶会の招待状がひっきりなしに届いた。その度に不参加の詫び状を書くことになり、エヴァはペンを走らせながら『この下衆が!』と心の中で悪態を吐いていたものだ。
今回のお呼ばれは王妃様が私の詩集を推してくれているからか、この間のゼスト様とのデートを目撃した人がいたからか…
詩集で話題になっていてくれればいいのだが、ゼスト様とはまだ婚約申し込みを受けただけで、デートしただけ…で…キ…
……キ…キス…バフォオオ!!!
あの時のキスを思い出すと暴れ出したくなりエヴァは思考を断ち切る。
あれからエヴァはいかがわしい男性同士の妄想をする時もゼスト様とのキスを思い出して、思考をシャットダウンさせていた。
少しずつエヴァはゼスト様を意識している。自分でもわかるくらいに。
クソ!チャラ男め!!
とにかく、エヴァはお茶会に向かう。
向かう先はテノーム子爵の邸宅、テノーム子爵はとてもやり手の領地経営者で、酪農から大規模農業、食品加工、商会、ホテル業まで手広くやっている。つまりうちの子爵家と違いかなりのお金持ちだ。
公、侯爵家と変わらないほど金持ちなのではないかと噂されている。ここの子爵夫人はまだ若く、エヴァより10歳程年上なだけなので、年若い令嬢から若いご婦人などを呼んでよくお茶会を開いている。
子爵夫人も商魂たくましく、お茶会も試飲会や試食会や商品アピールをかねると言われていて、新しいものに目の無いご婦人なら飛びつくお誘いなのだ。
領地の大きさは全く違うが、家が近くなのでテノーム子爵夫人はたまにエヴァをお茶会に呼んでくれる。ナンシーのように特別親しいわけではないけども、お友達の一人だ。
お茶会には今日はお供がおらず(婚約者や恋人がいる人は連れてくる)、ラウラが体調不良のため、従者のデイビッドとメイドのアナがついてきてくれた。アナの夫の執事のコメットが最後まで自分が行きたいと馬車に縋りついていたけど、振り切ってきた。
メイドのアナはランドリーメイドだが、地頭が良く、おっちょこちょいの割に機転が効く。ランドリーの大変な作業を見てアナの前で「洗濯機があればいいのに…」と漏らすと、アナが耳聡く聞いてきて「ぐるぐる回して洗ったり、乾燥させる機械」だと言うと、後日乾燥機を作ってしまったのだ。
あの説明で作ったのである。物作りの才能があるのだろう。他にもちょこちょこと職場に小さな変革を起こして、アナの言ったことや少し工夫した物が採用されている。
前は粗忽でよく物を壊していたけど、コメットと結婚してからは落ち着きが出て、怪我をしたり物を壊す事も少なくなった。
そして元々綺麗な子だったけど、最近色気が凄い。コメットは夜の仕事もできる夫なのだろう。
だから今日ラウラの代わりにアナが付いて来る事になったのかも知れない。特に問題が発生しなければ、デイビッドとアナはお茶会の端で見守るだけだが。
テノーム子爵屋敷に到着すると、エヴァは今日の主催者であるテノーム子爵夫人に挨拶に行く。
テノーム子爵夫人は色が白くて赤髪が美しい可愛らしい人だ。
分かりやすい鮮やかな赤毛を見つけて彼女に今日の招待のお礼を言う。
「ご機嫌よう!まぁ、エヴァったら、私が来て欲しかったのよ!待っていたわ。さあ、花見の会でのお話聞かせてちょうだいっ」
やっぱり、王族とナンシー様達の事を聞きたかったのね…
エヴァは興味津々の夫人に彼女の友達の輪に加えられる。
少し年上の婦人達の輪に入れられて、エヴァはもみくちゃにされながら花見の会の事や王族の事を事情聴取された。
それは王城で出された菓子から、紅茶、王妃様がお召ししていた靴に至るまで詳細にベテラン刑事の如くご婦人達に尋問されたのだった。
やっとご婦人方の興味が他に逸れた事で、エヴァはそっと離れて避難することができた。
誰でも座って良い席に座って一息ついて、テノーム子爵家の従者が紅茶を持ってきてくれたのを飲んだ。
子爵家に到着してから話し通していたので喉がカラカラだった。一杯飲み干すと、従者が新しい紅茶を淹れてくれた。
さすがテノーム子爵家、紅茶も一流だし、従者も教育されている。
そんな事を感じていると、少し離れた場所に先に座っていた若いお嬢様方のグループの声が聞こえて来た。
「ええーショックだわー」
「そうねぇ。ジョージ王太子も結婚が決まって、美男子が一人減ったというのに…」
「でも、第二王子が…」
この年頃だと、婚約している令嬢も多いだろうが、第二子第三子だと決まっていない令嬢も多いのだろう、素敵な男性の話で花を咲かしているのだ。
「聞きまして?キュベール伯のゼスト様の事っ」
おうっふ!ゼスト様の話が始まったー!
ついついその名前にエヴァは耳を欹ててしまう。
「新しい恋人と観劇なさっていたらしいわ」
「きゃ!今度はどんな令嬢?」
「それが、意外にパッとしないらしいわよ。名前は分からないけど貴族の令嬢らしいですわ」
「じゃあ遊びかしら?」
「きっとそうね。だって、数ヶ月前もどこかの男爵令嬢が捨てられたって噂になっていませんでした?」
「あぁ…見た目が良くても気が多い男性は嫌ねー、私の結婚相手は真面目な人が良いわ」
「そうよねー」
「私もだわ」
そう…ですよね…
令嬢達はゼスト様の恋人がエヴァであるとは思わずに気兼ねなく話をしているみたいだ。彼女たちは知らないだろうが、現在ゼスト様と婚約の話が上がっているエヴァはなんだか居心地が悪い。
「きっとゼスト様はぁ、運命の相手を探しているんでなくてぇ?」
間延びしたような令嬢の甘い声が聞こえてきた。
聞いた事のある声だったので、チラリとエヴァがその令嬢を見てみると、声の主はベルゼル侯爵令嬢だった。
王妃様のお茶会で出席していたジョージ王太子に話しかけまくっていた令嬢だ。ベルゼル侯爵家のミラベル嬢だっただろうか。独特な話し方で彼女の事は覚えている。前世で言うところのブリッ子な話し方をする令嬢だ。
「まぁっ!その考え方は素敵ね」一人の令嬢が嬉しそうに彼女の意見に賛同した。
「だけどぉ、ゼスト様は一体どんな運命の相手を探しているのかしらぁ?」
「この間の令嬢はそんなに美人じゃなかったらしいわ」
「じゃあ、遊びね」
「その前は人気歌手の男爵令嬢だったかしら?」
「きっと、ミラベル様みたいに可愛らしい人じゃないの?」
「うふふ…そんな事ございませんわぁ」
「こんなに可愛らしい令嬢でしたら、きっとゼスト様も宝物みたいに大事になさるでしょうねぇ」
「好き過ぎる女性ほど手を出せないってやつですわね!」
キャキャと令嬢達が可愛いらしいブルゼル侯爵令嬢をもてはやしていた。彼女もそう言われて悪い気はしないのかまんざらでもなさそうな顔をしている。
近くでお茶を飲んでいたエヴァは気持ちが落ち込んで、冷たい水の中に沈んだような気分だった。
考えないようにしていたけど、やっぱりゼスト様は私に好意なんてないんじゃない?いつもあの距離を詰めてくる態度と、こ、こ、この間のキキキキキスも、…彼にしたら特別な事ではないのだろう。いつも通りの遊びの延長に思えてくる。
もしかしたら、両親や兄弟に結婚するように言われて、丁度婚約破棄した令嬢がいたから話を持ってきただけではないか?初対面でヤレなかったから、少しムキになって私に声を掛けているだけでは?私と婚約しても他の女性と簡単に浮気するのでは?私は婚約破棄されたような地味な女なんだから…
と、悪い方へ悪い方へと考えが行ってしまい、暗い雰囲気のエヴァにそれ以降話しかけてくれる人はいなかった。エヴァは黙々とお茶を飲んだりお庭を散策したりとボーっと過ごしていた。
100人を超える沢山の招待客がいたため、一人でポツンとしていても誰もエヴァを気にしなかった。主催者であるテノーム子爵夫人も一人一人のゲストまで目が行き届かないだろう。
結局最初にご婦人達と少し話しただけで、エヴァはそれ以降誰とも話さずお茶会を後にした。
-----
テノーム子爵家のお茶会が終わり、アナは従者のデイビッドとお嬢様を馬車に迎えた。
馬車に乗り込んできたエヴァお嬢様の顔色は優れなかった。
従者のデイビッドは御者と二人で御者席に座っているので、道中アナはエヴァお嬢様と馬車で二人きりだった。
今日のお茶会で中盤からいつもの明るいお嬢様の笑顔は鳴りを潜めてしまった。
ずっと見守っていたアナはデイビッドとどうしたのかと心配していた。
お嬢様は一人でお茶を飲んでいただけなのに、そこから誰とも交流しなくなった。その前に話しをしていたご婦人達に何か言われたのか?それとも体調が悪くなったのか?アナ達に助けを求めて来なかったので見守り続けるしかできなかったのだ。
いつもはメイドとして、一線を引いているけれど、今日は侍女(ラウラ)の代わりとしてお供しているのだ、アナは勇気を出してお嬢様に切り出した。
「お嬢様、今日のお茶会は如何でしたか?」
「ええ、とても有意義だったわ」
どこか上の空でエヴァお嬢様は窓の外を見ている。こちらを見て、いつもの優しい笑顔は見せてくれなかった。
アナは食い下がる。
「何が話題でした?」
「ゼスト様…」エヴァは車内の肘置きに腕を置いて頬杖をついたままポツリと漏らした。
「えっ?」
「…」
エヴァは黙ってしまった。
アナは焦って言葉を続ける。
「騎士の方が話題になってらしたのですか?」
お嬢様は答えてくれなかった。
アナはゼスト様の事で誰かに何か意地悪を言われたのかも知れないと気を揉んだ。
「お嬢様?大丈夫ですか?」
「…ええ、…」
「私、ゼスト様と結婚して幸せになれるかしら?」
お嬢様は不安を隠して微笑を浮かべていた。
「お、お嬢様…誰かに何か言われたのです?」
「いいえ。良い方ばかりだったわ。でも…」
「でも?」
お嬢様は言い難そうに顔を少し歪めていた。
「『今回も遊びだ』って…」
アナはお嬢様が何を聞いてしまったのか把握した。
その少し傷ついたような、居場所を無くした小鳥のような弱々しいエヴァお嬢様の様子に、アナも胸が苦しくなった。
「噂話を聞いたのですか?」
お嬢様に婚約の申し込みをしているゼスト・キュベール様はなかなかのプレイボーイなのだ。様々な噂が飛び交っているに違いない。特にこの間の観劇デートは話題に上っていてもしょうがない。
エヴァお嬢様はコクリと頷いた。
「あの…どんな話を聞いたのかは分かりませんが…噂話や外見で相手を判断されない方が良いと思いますわ」
「…ゼスト様だけの問題じゃないの。私なんて、魅力がないし…あの方は色んな方と浮名を流してきたでしょう?きっと私の事、本気で好きではないと思うわ。適当な妻を娶って、浮気するつもりなのよ」
こちらも見ずに一気に不安に思っていることを語ってくれたお嬢様はまだ窓の外を見ていた。
「お嬢様は確かに目を引く容姿ではありません。でもとても可愛らしいですわ。それに才能に溢れているし、なにより人を思いやることができる優しい女性です。人に惹かれるのは容姿だけではないと思いますよ。
言い難いですが、私の夫の事になりますけど…」
「…?コメット?」
急な人物の話題で、やっとお嬢様がこっちを見てくれた。
「ええ、この間彼ったら、コソコソとノートつけていると思ったら、何を書いていたと思います?」
「え?何かしら?料理のレシピ?日記?」
アナは少し恥じらって目を瞑って告白した。
「閨日記です」
「あら…」
「私が気持ちよさそうだとか、何したとか、どうしたとか、何回しただとか、事細かにノートに記していたんです」
「それは…」
エヴァは言葉を失った。あの真面目そうなコメットの意外な一面である。いや、几帳面そうだから、合っているのだろうか。これは妄想に取り入れられそうな事案である。うむ。
「バカみたいでしょう?」
「ええ(でも人の事言えんな。私も妄想小説書いてるし)」
「あの生真面目そうな夫でも、バカみたいなこと考えたり、私なんかに長年片思いしていたりするんです」
「そうなのね(あ、コメットが片思いしてたんだ。逆だと思ってたわ)」
「ええ。人の内面なんて誰にも分からないです。それに婚約まで申し込みされているでしょう。今までゼスト様から婚約を申し込んだことはないと聞きましたよ」
アナはふと、お嬢様が書いた男性同士の官能小説を思い出して、そっと彼女から目を逸らした。
「ゼスト様の気持ち…」
「お嬢様に出会ってゼスト様の気持ちが変わったのかもしれませんし、元々外見が良いだけで噂に尾ひれがついているってこともありますわ」
アナは言い切ると少し胸を張った。お嬢様に元気を出して欲しかったのだ。アナの根拠のない推測だけども、お嬢様の陥っている不安も、今日お嬢様が聞いた噂話にも根拠がないのだ。お嬢様を選んだゼスト様なら大丈夫な気がする。使用人にも優しい貴族様なのだ。きっと大丈夫だと、アナは思っている。
「ありがとう、アナ。私、…元気が出たわ」
お嬢様は少しまだ不安が残っていそうだけど、ニコリといつもの笑顔をしてくれた。
えげつない話だが、エヴァが婚約破棄した直後、彼女から話を聞き出そうとするお茶会の招待状がひっきりなしに届いた。その度に不参加の詫び状を書くことになり、エヴァはペンを走らせながら『この下衆が!』と心の中で悪態を吐いていたものだ。
今回のお呼ばれは王妃様が私の詩集を推してくれているからか、この間のゼスト様とのデートを目撃した人がいたからか…
詩集で話題になっていてくれればいいのだが、ゼスト様とはまだ婚約申し込みを受けただけで、デートしただけ…で…キ…
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あの時のキスを思い出すと暴れ出したくなりエヴァは思考を断ち切る。
あれからエヴァはいかがわしい男性同士の妄想をする時もゼスト様とのキスを思い出して、思考をシャットダウンさせていた。
少しずつエヴァはゼスト様を意識している。自分でもわかるくらいに。
クソ!チャラ男め!!
とにかく、エヴァはお茶会に向かう。
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子爵夫人も商魂たくましく、お茶会も試飲会や試食会や商品アピールをかねると言われていて、新しいものに目の無いご婦人なら飛びつくお誘いなのだ。
領地の大きさは全く違うが、家が近くなのでテノーム子爵夫人はたまにエヴァをお茶会に呼んでくれる。ナンシーのように特別親しいわけではないけども、お友達の一人だ。
お茶会には今日はお供がおらず(婚約者や恋人がいる人は連れてくる)、ラウラが体調不良のため、従者のデイビッドとメイドのアナがついてきてくれた。アナの夫の執事のコメットが最後まで自分が行きたいと馬車に縋りついていたけど、振り切ってきた。
メイドのアナはランドリーメイドだが、地頭が良く、おっちょこちょいの割に機転が効く。ランドリーの大変な作業を見てアナの前で「洗濯機があればいいのに…」と漏らすと、アナが耳聡く聞いてきて「ぐるぐる回して洗ったり、乾燥させる機械」だと言うと、後日乾燥機を作ってしまったのだ。
あの説明で作ったのである。物作りの才能があるのだろう。他にもちょこちょこと職場に小さな変革を起こして、アナの言ったことや少し工夫した物が採用されている。
前は粗忽でよく物を壊していたけど、コメットと結婚してからは落ち着きが出て、怪我をしたり物を壊す事も少なくなった。
そして元々綺麗な子だったけど、最近色気が凄い。コメットは夜の仕事もできる夫なのだろう。
だから今日ラウラの代わりにアナが付いて来る事になったのかも知れない。特に問題が発生しなければ、デイビッドとアナはお茶会の端で見守るだけだが。
テノーム子爵屋敷に到着すると、エヴァは今日の主催者であるテノーム子爵夫人に挨拶に行く。
テノーム子爵夫人は色が白くて赤髪が美しい可愛らしい人だ。
分かりやすい鮮やかな赤毛を見つけて彼女に今日の招待のお礼を言う。
「ご機嫌よう!まぁ、エヴァったら、私が来て欲しかったのよ!待っていたわ。さあ、花見の会でのお話聞かせてちょうだいっ」
やっぱり、王族とナンシー様達の事を聞きたかったのね…
エヴァは興味津々の夫人に彼女の友達の輪に加えられる。
少し年上の婦人達の輪に入れられて、エヴァはもみくちゃにされながら花見の会の事や王族の事を事情聴取された。
それは王城で出された菓子から、紅茶、王妃様がお召ししていた靴に至るまで詳細にベテラン刑事の如くご婦人達に尋問されたのだった。
やっとご婦人方の興味が他に逸れた事で、エヴァはそっと離れて避難することができた。
誰でも座って良い席に座って一息ついて、テノーム子爵家の従者が紅茶を持ってきてくれたのを飲んだ。
子爵家に到着してから話し通していたので喉がカラカラだった。一杯飲み干すと、従者が新しい紅茶を淹れてくれた。
さすがテノーム子爵家、紅茶も一流だし、従者も教育されている。
そんな事を感じていると、少し離れた場所に先に座っていた若いお嬢様方のグループの声が聞こえて来た。
「ええーショックだわー」
「そうねぇ。ジョージ王太子も結婚が決まって、美男子が一人減ったというのに…」
「でも、第二王子が…」
この年頃だと、婚約している令嬢も多いだろうが、第二子第三子だと決まっていない令嬢も多いのだろう、素敵な男性の話で花を咲かしているのだ。
「聞きまして?キュベール伯のゼスト様の事っ」
おうっふ!ゼスト様の話が始まったー!
ついついその名前にエヴァは耳を欹ててしまう。
「新しい恋人と観劇なさっていたらしいわ」
「きゃ!今度はどんな令嬢?」
「それが、意外にパッとしないらしいわよ。名前は分からないけど貴族の令嬢らしいですわ」
「じゃあ遊びかしら?」
「きっとそうね。だって、数ヶ月前もどこかの男爵令嬢が捨てられたって噂になっていませんでした?」
「あぁ…見た目が良くても気が多い男性は嫌ねー、私の結婚相手は真面目な人が良いわ」
「そうよねー」
「私もだわ」
そう…ですよね…
令嬢達はゼスト様の恋人がエヴァであるとは思わずに気兼ねなく話をしているみたいだ。彼女たちは知らないだろうが、現在ゼスト様と婚約の話が上がっているエヴァはなんだか居心地が悪い。
「きっとゼスト様はぁ、運命の相手を探しているんでなくてぇ?」
間延びしたような令嬢の甘い声が聞こえてきた。
聞いた事のある声だったので、チラリとエヴァがその令嬢を見てみると、声の主はベルゼル侯爵令嬢だった。
王妃様のお茶会で出席していたジョージ王太子に話しかけまくっていた令嬢だ。ベルゼル侯爵家のミラベル嬢だっただろうか。独特な話し方で彼女の事は覚えている。前世で言うところのブリッ子な話し方をする令嬢だ。
「まぁっ!その考え方は素敵ね」一人の令嬢が嬉しそうに彼女の意見に賛同した。
「だけどぉ、ゼスト様は一体どんな運命の相手を探しているのかしらぁ?」
「この間の令嬢はそんなに美人じゃなかったらしいわ」
「じゃあ、遊びね」
「その前は人気歌手の男爵令嬢だったかしら?」
「きっと、ミラベル様みたいに可愛らしい人じゃないの?」
「うふふ…そんな事ございませんわぁ」
「こんなに可愛らしい令嬢でしたら、きっとゼスト様も宝物みたいに大事になさるでしょうねぇ」
「好き過ぎる女性ほど手を出せないってやつですわね!」
キャキャと令嬢達が可愛いらしいブルゼル侯爵令嬢をもてはやしていた。彼女もそう言われて悪い気はしないのかまんざらでもなさそうな顔をしている。
近くでお茶を飲んでいたエヴァは気持ちが落ち込んで、冷たい水の中に沈んだような気分だった。
考えないようにしていたけど、やっぱりゼスト様は私に好意なんてないんじゃない?いつもあの距離を詰めてくる態度と、こ、こ、この間のキキキキキスも、…彼にしたら特別な事ではないのだろう。いつも通りの遊びの延長に思えてくる。
もしかしたら、両親や兄弟に結婚するように言われて、丁度婚約破棄した令嬢がいたから話を持ってきただけではないか?初対面でヤレなかったから、少しムキになって私に声を掛けているだけでは?私と婚約しても他の女性と簡単に浮気するのでは?私は婚約破棄されたような地味な女なんだから…
と、悪い方へ悪い方へと考えが行ってしまい、暗い雰囲気のエヴァにそれ以降話しかけてくれる人はいなかった。エヴァは黙々とお茶を飲んだりお庭を散策したりとボーっと過ごしていた。
100人を超える沢山の招待客がいたため、一人でポツンとしていても誰もエヴァを気にしなかった。主催者であるテノーム子爵夫人も一人一人のゲストまで目が行き届かないだろう。
結局最初にご婦人達と少し話しただけで、エヴァはそれ以降誰とも話さずお茶会を後にした。
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テノーム子爵家のお茶会が終わり、アナは従者のデイビッドとお嬢様を馬車に迎えた。
馬車に乗り込んできたエヴァお嬢様の顔色は優れなかった。
従者のデイビッドは御者と二人で御者席に座っているので、道中アナはエヴァお嬢様と馬車で二人きりだった。
今日のお茶会で中盤からいつもの明るいお嬢様の笑顔は鳴りを潜めてしまった。
ずっと見守っていたアナはデイビッドとどうしたのかと心配していた。
お嬢様は一人でお茶を飲んでいただけなのに、そこから誰とも交流しなくなった。その前に話しをしていたご婦人達に何か言われたのか?それとも体調が悪くなったのか?アナ達に助けを求めて来なかったので見守り続けるしかできなかったのだ。
いつもはメイドとして、一線を引いているけれど、今日は侍女(ラウラ)の代わりとしてお供しているのだ、アナは勇気を出してお嬢様に切り出した。
「お嬢様、今日のお茶会は如何でしたか?」
「ええ、とても有意義だったわ」
どこか上の空でエヴァお嬢様は窓の外を見ている。こちらを見て、いつもの優しい笑顔は見せてくれなかった。
アナは食い下がる。
「何が話題でした?」
「ゼスト様…」エヴァは車内の肘置きに腕を置いて頬杖をついたままポツリと漏らした。
「えっ?」
「…」
エヴァは黙ってしまった。
アナは焦って言葉を続ける。
「騎士の方が話題になってらしたのですか?」
お嬢様は答えてくれなかった。
アナはゼスト様の事で誰かに何か意地悪を言われたのかも知れないと気を揉んだ。
「お嬢様?大丈夫ですか?」
「…ええ、…」
「私、ゼスト様と結婚して幸せになれるかしら?」
お嬢様は不安を隠して微笑を浮かべていた。
「お、お嬢様…誰かに何か言われたのです?」
「いいえ。良い方ばかりだったわ。でも…」
「でも?」
お嬢様は言い難そうに顔を少し歪めていた。
「『今回も遊びだ』って…」
アナはお嬢様が何を聞いてしまったのか把握した。
その少し傷ついたような、居場所を無くした小鳥のような弱々しいエヴァお嬢様の様子に、アナも胸が苦しくなった。
「噂話を聞いたのですか?」
お嬢様に婚約の申し込みをしているゼスト・キュベール様はなかなかのプレイボーイなのだ。様々な噂が飛び交っているに違いない。特にこの間の観劇デートは話題に上っていてもしょうがない。
エヴァお嬢様はコクリと頷いた。
「あの…どんな話を聞いたのかは分かりませんが…噂話や外見で相手を判断されない方が良いと思いますわ」
「…ゼスト様だけの問題じゃないの。私なんて、魅力がないし…あの方は色んな方と浮名を流してきたでしょう?きっと私の事、本気で好きではないと思うわ。適当な妻を娶って、浮気するつもりなのよ」
こちらも見ずに一気に不安に思っていることを語ってくれたお嬢様はまだ窓の外を見ていた。
「お嬢様は確かに目を引く容姿ではありません。でもとても可愛らしいですわ。それに才能に溢れているし、なにより人を思いやることができる優しい女性です。人に惹かれるのは容姿だけではないと思いますよ。
言い難いですが、私の夫の事になりますけど…」
「…?コメット?」
急な人物の話題で、やっとお嬢様がこっちを見てくれた。
「ええ、この間彼ったら、コソコソとノートつけていると思ったら、何を書いていたと思います?」
「え?何かしら?料理のレシピ?日記?」
アナは少し恥じらって目を瞑って告白した。
「閨日記です」
「あら…」
「私が気持ちよさそうだとか、何したとか、どうしたとか、何回しただとか、事細かにノートに記していたんです」
「それは…」
エヴァは言葉を失った。あの真面目そうなコメットの意外な一面である。いや、几帳面そうだから、合っているのだろうか。これは妄想に取り入れられそうな事案である。うむ。
「バカみたいでしょう?」
「ええ(でも人の事言えんな。私も妄想小説書いてるし)」
「あの生真面目そうな夫でも、バカみたいなこと考えたり、私なんかに長年片思いしていたりするんです」
「そうなのね(あ、コメットが片思いしてたんだ。逆だと思ってたわ)」
「ええ。人の内面なんて誰にも分からないです。それに婚約まで申し込みされているでしょう。今までゼスト様から婚約を申し込んだことはないと聞きましたよ」
アナはふと、お嬢様が書いた男性同士の官能小説を思い出して、そっと彼女から目を逸らした。
「ゼスト様の気持ち…」
「お嬢様に出会ってゼスト様の気持ちが変わったのかもしれませんし、元々外見が良いだけで噂に尾ひれがついているってこともありますわ」
アナは言い切ると少し胸を張った。お嬢様に元気を出して欲しかったのだ。アナの根拠のない推測だけども、お嬢様の陥っている不安も、今日お嬢様が聞いた噂話にも根拠がないのだ。お嬢様を選んだゼスト様なら大丈夫な気がする。使用人にも優しい貴族様なのだ。きっと大丈夫だと、アナは思っている。
「ありがとう、アナ。私、…元気が出たわ」
お嬢様は少しまだ不安が残っていそうだけど、ニコリといつもの笑顔をしてくれた。
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触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
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