never end utopia

おつきさま。

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一章

友達と呼ばれた日

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そんなつもりはなかったと、後から言ってもきっと信じてもらえないだろう。
どんな言葉を並べてもきっと言い訳にしかならない。
たぶん正解じゃなかった。


笑っていて欲しいな、と思った。
そばにいてあげたいと思った。


たとえ自分が、本当は少年の望むものとは対極の位置にある存在だとしても。
それでも。


悪魔はただ、少年を幸せにするために嘘をついた。







never end utopia







酷い雨の夜だった。


みすぼらしく濡れた一匹の黒猫が細い路地の間を駆けていく。
本来なら艶のあるその美しい毛並は泥水と血で汚れ、今や見る影もない有様だった。


たまたま引っ掛けようとした人間がまさか上級のエクソシストだったなんてついてない。
気配を消されていたうえにいつもの黒衣もあの忌まわしいロザリオも身に付けていなかったからすっかり油断していた。
新月が近いのもよくなかった。月の光が弱まるのに比例して自分の中の魔力も弱くなっていく。
危うく祓われるところだったのを命からがら逃げ出して、見つかりにくくするために姿を小さな猫へと変えた。単に力を消耗しすぎたせいでもあるが。
行く宛てもなくひたすらに走り続けていたら、いつのまにか何処かの屋敷に入り込んでいた。
これ以上は動けそうにない。
ひとまずこの酷い雨を凌ごうと、ノーチェはバルコニーの軒下に身を潜めた。一度足を止めてしまえば、先程までは忘れていた痛みや寒さがはっきりと輪郭を持ち始めて、急速に意識が遠のいていく。

(やばい、)

こんなところで眠ったら誰に見つかるかわからない。正体を見破られたらそれこそ終わりだ。次に目を開けられる保証がない。
焦る気持ちとは裏腹に重力に引き摺られた瞼は落ちていく。
あの男に声さえかけなければ、と自分の失態について何度目かの後悔を重ねた時、後ろからガチャガチャと音がした。
残念ながら、それに反応して逃げ出す体力はもう残っていない。

「猫…?酷い怪我だな」

暖かい何かが背を撫でた。人間の手だ。

「生きてるのか。よかった」

もう一度撫でられて、今度はそのまま抱き上げられる。
普段ならどうとでもできる状況だが、今に限っては抵抗の一つも出来そうにない。

「もう大丈夫、僕が助けてあげるよ」

やわらかい声がそう語りかけた。
こちらの絶望も知らずに。
どうせならせめて苦しまずに殺して欲しい、なんて。悪魔がそれを願うにはあまりに潔白さが足りないけれど。
最後に自嘲の笑いをぽつりと漏らして、ノーチェの意識は底へと沈んだ。







ぱちり。

もう二度と目覚めない覚悟までしたが、思っていたよりも簡単に目は開いた。
なんなら眠りに落ちた時よりもずっといい環境で寝かされている。
整えられたふかふかのクッションベッドと、汚れが洗い落とされたふわふわの毛。体にはいかにも清潔そうな白い布が労るように巻かれていた。
起き上がろうとしたら昨日抉られた腹に痛みが走って、ぱたりと再びベッドの上へと倒れ込む。
みゃー、と猫のままだった口から言葉になれなかった鳴き声が落ちた。

「あ、起きたのか。大丈夫?」

上からやわらかい声が降ってきて、それを辿るように顔を上げると宝石をそのまま埋め込んだようなまるい瞳と目が合った。
深く鮮やかな、透明度の高い最高級の青色。
ロイヤルブルーサファイア。数ある色の中で唯一、天使にだけ与えられたその瞳。

「…っ、」

驚いて、慌てて飛び退こうとした体はやっぱり上手く動かずベッドの中でもがいて終わった。
人間に見つかったつもりがまさか天使に捕まっていたなんて笑い話にもならない。

「ごめん、驚かせたね。怖がらないで、君の嫌がることはしないよ」

ジタバタと暴れる黒猫に困ったような顔をした少年は、安心させるように両手をひらりと挙げてみせた。
惚けているのか、そうでないならただの馬鹿なのかとノーチェは思った。
慈悲深い存在と謳われる天使のそれが悪魔に向けられることは決してない。善なる存在として神に仕える白き羽の使い。その庇護も慈悲も、赦しも、与えるのは愛する人間達にだけだ。

「ね?可愛い子。どうか僕を許して」

見惚れるほどに美しい微笑みを浮かべた少年が、猫の返事を乞うように首を傾げた。
光を掬ったようなまばゆいホワイトブロンドが耳からさらりと流れ落ちて白皙の頬にかかる。

「…みゃ、」

あれ、とここでノーチェはようやく気付く。
天使だと思っていた少年の背中にそれを象徴する翼がないことに。
聖力も生命力も、全てがその翼に宿るという。
その枚数と大きさ、色の純度によって綺麗に階級が分かれる、天使の誇り。わざわざそれを隠すようなことはしない。

「触ってもいいかな」

動きを止めたノーチェに少年がゆっくりと手を伸ばす。嫌がることはしないと言った言葉を守るように、少年はノーチェの反応を窺いながらやさしい手つきで背を撫でた。あの時と同じ手だ、と思う。
人間特有の高い体温。

「やわらかいね。君はどこから来たんだろう。帰る場所はあるの?それとも一人?もし帰る場所がないなら、ここに居ていいよ。僕も一人なんだ、友達になろうよ」

よく喋る少年は目の前の黒猫がただの猫だと疑っていないようだった。
翼がないことと触れた時の体温の高さから少年がおそらく人間であることはわかった。この隙だらけな態度にも納得がいく。でもそれなら、この自分を見つめる青い瞳はなんだ。

「僕の名前はエリオット・ミレイユ。君の名前は?」

その答えは少年の名前を聞いてすぐにわかった。


ミレイユ公爵家。
かつて、神に最も愛された最高位の天使ーー熾天使の一人がミレイユの人間と恋に落ちてその血を混ぜた。以降、神が寵愛した天使にだけ与えた神聖な青色の瞳は、ミレイユの血が流れる人間にもその強い力とともに受け継がれるようになったという。
偉大なる神と聖なる天使に、より一層の忠誠と信仰を捧げたミレイユの一族は、強大なエクソシストを代々輩出しこの帝国の三大公爵家の一つとなった。


そうだ。絶対に関わってはいけないエクソシストの一族だ。目が合えば、いや目が合う前にきっと正体を見破られるだろう。なのにこの目の前の少年は自分のことをただの黒猫だと信じ切っているし、なによりそれらしい力をほぼ感じなかった。

「もし嫌じゃなかったら、僕が名前を付けてもいい?君にピッタリの名前を思い付いたんだ。真っ黒な毛がとても綺麗だから、ノワール。どうかな?」

会話のできない猫を相手に永遠に語りかける馬鹿な人間はにこりと笑った。
これが演技だったら悪魔よりも人を騙す才能があるな。
もういい。どっちみち底を尽きた魔力はまだ戻りそうにないし、深くやられた傷もすぐには癒えないだろう。

「…にゃー」

結局逃げられないなら、望まれた役割を引き受けてやろうか。
好きにしてくれ、と適当に鳴いたノーチェに少年が嬉しそうに笑う。

「今日から僕たちは友達だ、ノワール。君のことはノワって呼ぶよ、僕のことはエリーって呼んでくれ。愛称で呼び合うのって素敵だろ?」

だから。
猫がどうやってお前の名前を呼ぶんだよ。

随分とアホな人間に拾われたみたいだな、とノーチェは頭を抱えたくなった。
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