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桃の皮

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「ぶわっ!」
 
あたしはまるで幽霊でも見たかのような大声をあげていた。我ながら声も出ないとか、か弱い悲鳴でないのが悲しいところだ。

「はは……、ひどいな……。それが彼氏に向ける第一声?」
 
ゆらゆらと明は教室に入ってきた。
 
その時になって、やっと萩子がしつこくあいさつを繰り返していた理由がわかった気がした。

おそらくだけど、クラスの前に不穏な雰囲気の明が突っ立っていて、あたしと明の仲を知っている萩子は、結家くんとあたしの会話を明と一緒に立ち聞きし、明の顔色を見て、こりゃまずい!と思ったタイミングで踏み込んできたというわけだ。たぶん。

どこから聞いていたかは知らないが、聞きようによっては痴話喧嘩に聞こえたかもしれない……。
 
ゆらゆらと近づいてくる明。萩子が自然と道をあける。
 
気持ちはわかる。

足取りの覚束ないナルシスティックな歩法は、幽霊より怖かった。声をかけるのもためらわれる。
 
その時、スッとあたしの前に影ができた。
 
あたしを庇うように結家くんが前に出たのだった。線が細いとばかり思っていたが、近くで見ると思いの外ぶ厚い背中が頼もしく見える。
 
でも、明は子どもの頃からやたらと武道を嗜んでいるし、上背もある。はっきり言って、戦力の差は歴然だった。

「ヘッ」
 
今にも殴りかかってくるのではないかという緊張感を裏切るように、明は鼻で笑ってみせた。

「なるほどなあ……。昨日、いくら連絡しても出なかった理由がわかったよ」
 
恨みがましい口調だった。

「なにを言ってるの……?」

「とぼけないでいいよ。結家先輩と遊んでいたんでしょ?おかしいと思ったんだ。スマホの電源をわざわざ切って散策してただなんて、変な言い訳しちゃってさ」

「いや、ホントのことだし……」

「だいたい玻璃さんは気が多いんだよ。高尾会長に言い寄られて満更でもない顔してたり」
 
高尾会長というのは、生徒会長で、この学園のスーパースターであるが、ナンパな遊び人でもあった。あたしにもたしかにちょっかいかけてきたことがあった。

「高尾会長とはなにもないって言ってるじゃない……」

「どうだか!」明は語気を強めた。「要するに玻璃さんは、ぼくが玻璃さんを思っているほど、ぼくのことを思っていないわけだよ!」
 
そう言って、憮然とした面持ちで横を向いてしまった。
 
スネてしまったわけだ……。不貞腐れてしまったわけだ……。
 
可愛い……。

可愛いと思わなければならない……。
 
でも、無理だった。

「アンタいつまで不貞腐れてんの?」

「え?」

「え?じゃねえよ!」
 
イライラが募っていたから、一度噴き出すと止まらなかった。あたしは結家くんを押しのけて、明の五センチ前まで詰め寄った。

「昨日も何勝手に帰ってんだよ?不貞腐れてたらあたしが申し訳なく思って、下手に出ると思ったの!?お生憎様!あたしはアンタのお母さんじゃないの!アンタのご機嫌取りはもう懲り懲り!心配なんて要らない!邪魔!ボクチンが心配してあげてたのに、あなたは全然ボクのことを考えてくれなかったんだね?はっ!考えねえよ!でもおあいこだから!アンタはあたしの心配するフリして、結局あたしの心配する自分のことしか考えてないんだよ!本当にはあたしのことなんて考えてないから!アンタ好みの女の子になるなんて真っ平ゴメンだね!はい!これであたしとアンタの関係は終わり!長らくお世話になりましたっ!」

あたしは指をハサミの形にして、明の目の前で見せつけるようにチョキチョキっと関係を切るジェスチャーをした。縁切狭だ。
 
明は口をパクパクさせたかと思うと、顔を真っ赤にして、腕を振り上げた。

「危ないっ!」

「きゃあっ!」
 
結家くんと萩子の声が重なって聞こえる。
 
どうせ殴って来るだろうと思っていたから、あたしはしゃがんだ。ギリギリのところで頭の上を風圧がよぎる。
 
そして、思いっきりジャンプして、明の顔に頭突きした。

「いぎゃあ!」
 
明が叫び、尻もちをついた。

「歯があ!歯があ!」
 
どうやら歯が折れたらしい。

「きゃあああああ!」
 
萩子が叫んだ。お淑やかな萩子にはちょっと刺激が強すぎたかもしれない。

「玻璃!」
 
結家くんまで青い顔をしている。レアだ。ファンの娘たちに売れまいか。

「あれ?」
 
急に視界が真っ赤に染まった。
 
あたしは反射的に頭に手をやる。
 
熟れすぎた桃の皮が剥けるような感触がズルリと指先に伝わってきた。
 
震える手の平に血だまりができて、床にボタボタと落ちた。
 
あたしは倒れた。
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