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能力の習熟

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「私に無断でなんてことを……!」



許可がいるのか?と瞬時に思ったが、口には出さなかった。言ったら、激昂することは目に見えているほど、表情筋がぷるぷると震えていた。



「あの、私がお願いしまして……」



店長が間に立とうとしてくれた。しかし、化野さんは手で店長を制すと、期せずして自分を取り囲んでいる形になった人々をぐるりと眺め回した。



化野さんは、愚かな聴衆に言い含めるようにゆっくりと宣告した。



「今夜、新たな犠牲が出るわ。一時の恐怖に惑わされ、死を遠のけてしまったから。死は再度近づいて来るでしょう。赤き血を求めるでしょう。私達はそれを祝福として受け入れなければなりません。これは楽園へと至る儀式なのです」

「うるせーな。いい加減黙れよ、ババア」



若い男性従業員だった。さっき火山爆発説を唱えていた人だ。



化野さんはババア呼ばわりされたからか、一瞬顔の中心にしわが寄り集まったすごい顔をした。げんこつ顔だ。真央のげんこつ顔は可愛かったが、このげんこつで殴られたら複雑骨折も免れないと思わせる顔だった。



「は、春木くん、お客様になんて口を」



店長が注意したが、他の客が黙っていなかった。



「いや、その通りだぜ。ニイチャン、よく言った!」

「そうだよ。さっきからブツブツうるさかったんだよ」

「みんな静かにしてるのに、危機意識とかないんですか?」



どうやらストレス下での説法は、着実に皆のヘイトを集めていたらしく、口々に非難の声が上がった。



だが、化野さんは動じる様子を一切見せなかった。



人差し指をゆっくりと立てた。なにかと思い、皆の非難の声が次第に弱まった。



化野さんは人差し指を今度は、春木くんと呼ばれた若い男性従業員に向けた。まっすぐに睨み据えている。



だが、それだけだった。化野さんが声を発することはなかった。



「へっ」



春木くんは、声を上げて化野さんを笑って見せた。だが、無理して笑ったことは明らかだった。若い男性をゾッとさせるだけの迫力が、化野さんにはあった。化野さんは瞬きもせずに、春木くんを指差し続けていた。



「な」



春木くんが重圧に負けて、怒鳴り散らす寸前で、化野さんは腕を降ろした。



化野さんは聴衆をかき分ける仕草もせず、まっすぐに歩き去った。聴衆は、触れては自分が呪われるとばかりに飛び退いて、道を開けた。おれの近くを通り過ぎて行く時、一瞬目線だけで睨まれた気がした。



引きつった表情のままの春木くんが、宙ぶらりんの感じで残されていた。



「……なんか、ごめんね」

「あ、いえ……」



おれが春木くんに謝ったら、静まり返っていた聴衆も呆れたように小さく笑って、自然とバラけていった。





ベッドにもどって真央とふたりで座っていると、真央が突然立ち上がった。



「どうしたの?」



しかし、真央は答えなかった。真央はいつも以上に厳しい顔をして、おれを睨みつけた。



おれは思い当たったので、口に出した。



「トイレか?」



無言で肩パンされた。鈍い音がした。



「いてえ!はは、いってらっしゃい。いてえって!」



もう一発殴ってから、真央はトイレに行った。生理現象なんだから、恥ずかしがることないのに。一緒に暮らしているというのに、真央はむずかしいなあ……。



「ねえ、おにいちゃん」

「んあ?」



物思いに耽っていると、目の前に三人の子供がいた。ささやき声で話しかけてくる。全員小学校低学年くらいに見えた。



「さっきのどうやったの?」



生意気そうな男の子が好奇心に満ちた瞳で聞いてくる。



「さっきの?」

「ほら、こういうやつ」



男の子はふー!と唇を尖らせて息を吹くと、空中を手のひらでなでた。



「ああ、まあ、そういう能力なんだよ」

「皮を剥がす能力なの?」

「そういうわけじゃないけど」



子供たちが怯えているから剥がしたつもりだったが、大丈夫そうじゃないか。案外怯えていたのは大人の方だったのかもしれない。



「しょぼい能力だなあ!」

「カケルくん、ダメだよ。そういうこと言っちゃ」

「えー!なんで?しょぼいからしょぼいって言ってるだけじゃん!俺の父ちゃんの能力なんて、超すっごいぜ!」

「……カケルくんの能力じゃないじゃん」

「なんだと!ミノルのくせに生意気だぞ!」

「うわ~ん!」

「やめなさいってば!」

「ミクはどっちの味方なんだよ!」

「ミノルくん」

「えっ!」



生意気なカケルくんがフリーズした。



「だって、ミノルくんは優しいもの。カケルくんはちょっとうるさいだけ」



カケルくんはちょっとうるさいだけなのか。聞いているだけで胸が痛くなる言葉だった。思わずニヤけてしまう。三人の小さな恋のメロディをいつまでも聴いていたかったが、それは叶わなそうだった。



カケルくんがぷるぷると震えて今にも泣き出しそうだったからだ。だが、えらいことに、涙を見せまいと必死にこらえている。おれはその姿に心打たれた。



「これ見て!」



おれは、すぐ近くに売られていたオタマを手に取った。売り物だが、いろいろと緊急事態下だ。仕方あるまい。



子供たちの視線が素直にオタマに集まった。



「ハッ!ホッ!フンハッ!」



適当な声を出しながら、オタマをぐねぐねと曲げていった。



「わあ!」



しょぼい能力でも、子供だましくらいには使えるものだ。カケルくんが一瞬の隙をつき、涙をそでで拭った。



「とあ!」



おれは一際気合をいれると、曲げていたオタマを元の形に戻した。少し歪んでいるが、まあ、いいだろう。



「すごーい!」



子供たちは素直だった。なかなか可愛い子供たちじゃないか。



「いやあ、すごいすごい」



別の方向からも称賛の声が聞こえた。見ると、若い男性従業員の春木くんだった。



「あ、やべ」



店の商品を、勝手に曲げたり戻したりしているのを見られてしまった。こっそり戻そうとしていたのに、買い取りだろうか。



子供たちは互いに視線を交じらせると、金銭的トラブルに巻き込まれたくないのか「じゃ」とドライにダッシュで、遠巻きに見ていた親たちの元へ去っていった。なんて可愛くない子供たちなんだ。親も親だ。



「えーと、これは」

「ああ、べつにいいよ。俺、バイトだし」

「ああ、そうなんですね」



バイトだからというのが見逃す根拠になるのかは知らないが、ここは乗っておくべきだろう。



春木くんはよく見ると、おれと同い年くらいに見えた。髪を明るく染めていて、ちょっと邪悪そうな笑みを常に浮かべている。目が鋭く、唇が薄いから余計にそう見えるのかもしれなかった。



「そうなんだよ。バイトで金貯めてる最中。え~と……」

「ああ、絹川十兵衛」

「十兵衛って名前なの?へえ、かっこいいな!俺は春木龍一郎」

「そっちもなかなかじゃないか」

「へっへっへ」



春木くんは声を出して笑った。人懐っこそうな笑みだった。



「だけど、本当になかなかの能力じゃん。超能力?ダンジョン潜ってるの?」

「いやいや、行ってないよ。春木くんは?」

「行ってたらこんなところでバイトしてねーよ。俺の能力はな……」



春木くんは近くにあった売り物の黒いお椀を手にした。お椀の中心からみるみると、水分が出てきた。いい香りがした。



「コーヒー?」

「そう。コーヒーを出す能力なんだ」

「いいじゃないか。ダンジョンでコーヒーなんて重宝されそうで」

「おれもそう思ったんだけどさ。ちょっと飲んでみ」

「え?」



おれは手渡されたお椀に波々と入った黒い液体を見つめた。



「大丈夫?これ春木くんから出たなにかだったりしない?血とか」

「んなわけねーじゃん。大丈夫だから飲んでみ。コーヒーではあるから」

「怖いな……」



おれはおそるおそる一口すすった。



「……まっず」

「だろ?」



たしかにコーヒーではあった。あったが、苦味と酸味が鼻の奥をツンと襲い、泥水以下の飲み物だと言えた。ちょっとした劇物だ。



「これじゃあ、誰も雇ってくれんわな~」春木くんは他人事のように言った。「ちくしょー。手からコーヒー出せるなんて、一瞬神みたいな能力だと思ったのによー」

「これって我慢して飲んだら強くなるとかないの?」

「ちょっと眠くなくなって、おしっこが近くなるだけだ」



普通のコーヒーだった。う~ん、悪いけど残念な能力だ。他人のことは言えないが。



「でもよ」



なにも言えずにいるおれを見て、春木くんが照れ笑いを浮かべて言った。



「実は、ほんのちょっと……、ちょっとずつ、まろやかになってる気がするんだよね」

「そうなの?」

「ああ。最初のコーヒーは吐くほど不味かったからな。つーか、実際、冒険者に飲ませたら吐いちゃって、えらい目にあった」

「修羅場くぐってるねえ」

「ああ。死ぬかと思ったぜ。でも能力って習熟してくらしいし、何年かしたらうまいコーヒー出せるかも。だから、ここで開業資金貯めてんだ。なかなか貯まんねーけど」



春木くんは「へへへ」と照れながら笑った。



なんというか、ちょっと感動だった。あと、邪悪な笑みとか思ってて悪かった。



「ぜひその時は一杯買わせてもらうよ」

「おお、待ってるぜ」



能力の習熟か、なるほどなとおれは思った。実は思い当たる節があったのだ。



さっき早良の生皮を剥がした時は、正直できるか、できないか半々だった。でも、あっけなく成功した。子供たちにオタマを曲げて見せていた時も、ずいぶんスムーズに力が使えるもんだと内心意外に思っていた。



これまで興味もなかったから特に深掘りせず、スプーン曲げくらいしかできないと思っていたが、案外役に立つ能力なのかもしれない。もしかしたら、ダンジョンに潜れるようになるかも……。



まあ、潜らないけど。真央をおいてダンジョンに行くだなんて、もってのほかだった。あいつの世話をだれがするんだ?



「お?仲良くなってる?」



明るい声に振り返ると、斉藤さんだった。



となりには本田二等兵もいて、ふたりはそろってビニール手袋をしていた。



「聞いたよー、十兵衛くん活躍したらしいじゃん」

「いやあ、それほどでも」



そういえば、早良の生皮を剥がしたあの場には、斉藤さんはいなかったなと思った。いたら、化野さんに二言三言、言っていただろう。



「……ふたりはお知り合いなんスか?」



春木くんが聞いた。斉藤さんと本田二等兵のことだった。



「ああ……、まあ、腐れ縁?みたいな?」



斉藤さんにしては歯切れが悪い。ちらちらと本田二等兵のほうを見ていた。



「も、もしかして彼氏ッスか!?」

「は、はあ!?ちがうし!全然ちがうし!!」



斉藤さんは、まるで思春期真っ只中の少女のような反応をした。年齢的にはそうともいえる範囲だが、初めて見る斉藤さんだった。



「そんなにはっきり否定しなくても……」



本田二等兵が、ゴツい体を丸めて落ち込んでいる。



斉藤さんは本田二等兵を見ておろおろし、春木くんはそんな斎藤さんを見て大きなショックを受けていた。うーむ、恋の嵐はどこにでも巻き起こっているものだ。



春木くんがかわいそうなので、話題を変えることにした。



「ところで、なんでふたりそろってビニール手袋なんてしてるんですか?ペアルック?」



春木くんが震えだした。



「んなわけあるかっ!お前も黙ってないで自己紹介くらいしろよっ!」



斉藤さんは照れ隠しのように本田二等兵の足を蹴った。



「どうも。本田です」



本田さんはペコリと頭を下げた。坊主頭で精悍な顔つきながら、朴訥な内面も感じさせ、こりゃモテるなと一目で思わせる若者だった。



「斎藤さんとの仲も気になるところなんですが」



斉藤さんにオイ!と言われたが、聞きたいことがあったので無視する。



「軍はこの事態をどういうふうに受け止めてるんでしょうか?」



なにかしらの対処をしているのだろうか。モールに来た道ですれ違った、ダンジョンへと急いでいた軍の車両が気になった。



「いや……どうなんだろうね?ごめん。わからない」

「本当ッスかあ!?」春木くんが言った。「ディープダンジョンプロジェクトとか聞くじゃないっスか?それなんじゃないっスかあ!?」

「ディープダンジョンプロジェクト?」初耳だった。「なにそれ?」

「ダンジョンの奥深くにはさらに未知のお宝が眠ってるとか、超古代文明の遺産があるとか、別の世界に行く扉があるとか……とにかく、そういうのを目指す計画を軍や市長が進めてるって噂なんだよ」



ああ、神谷さんが言ってた類の話か。ディープダンジョンプロジェクトというのか。



「噂っていうか都市伝説でしょ!まったく、そういうの好きなんだから!」



斉藤さんが言った。



「そ、そんなことないッスよ」



「ああ……」本田二等兵が思い当たるように言った。「そういう噂は俺も入隊前に聞いたことあったけど、やっぱりわからないな。一ヶ月前に入隊したばかりだからさ」

「そうなんですね」



それならなにも知らなくても仕方ないなと思った。もしも万が一、噂が本当だとしても、重要機密を新人二等兵に漏らすわけもないだろう。



「春木、軽率な噂流したりしないでよ!」

「しないッスよ!」



なぜ今のような事態になったのか、これを現時点で考えても妄想にしかならないだろう。確証のない噂話が拡がって、恐慌状態に陥るのがオチだ。おれたちは薄氷の上にいることを忘れてはならない。



「それで、なんでビニール手袋してるんですか?」



おれは話を戻した。



「ああ、これね。これは頭を怪我してたおばあさんの治療をするのにつけたんだよ」



あの全力疾走して店内に入ってきた、矍鑠とした老婆のことだろう。



「消毒してガーゼ貼るだけだから、私はべつにつけなくてもよかったんだけど、コイツがつけろってうるさくてさ」

「感染に気をつけることは、衛生兵の基本だからな」

「なにを一丁前に言ってんだか」



そう返す斉藤さんは、ずいぶんうれしそうだった。



「……取らないんスか?」



春木くんが嫉妬に狂った目で言った。



「え?いや、まあ、まだ良いかなって……」

「俺も、灯里がせっかくつけてくれたから、ずっとこのままでいい」

「バカッ……!」



斎藤さんが照れてうつむいた。



「も、もしかして、お互いに、つけっこしたんスかっ!?」



ふたりは視線を交じらせて、沈黙で答えた。なんだかエロい。ずっとつけたままでは不衛生ではないか、というのも野暮だろう。イチャラブとした空気が、自然とふたりから漏れ出ていた。



「斎藤さんって、灯里っていうんだね」



春木くんに話しかけたが、返事はない。致死量のイチャラブを浴びてしまったようで、屍のようになっていた。



「うわっ……!わあ!」



なにやら子供たちの驚く声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。さっきまで近くにいたカケルくんのものだ。



しかし、声はだんだんに大きくなり、ミノルくんとミクちゃんの声も重なった。



「え?どうしたんだろう?」



斎藤さんが率先して様子を見に行ったので、おれたちもついていった。


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