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9. 僕にしてほしいことない?

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「しまったな……」

 翌朝、起きるなりレクルムがつぶやいた。

「おはようございます。どうかしたんですか?」

 早くに目が覚めたけど、レクルムを起こさないようにベッドでじっとしていたサアラは、彼の言葉にすぐ反応した。

「朝食のことを忘れてた。ごめん」

 朝ごはんがないことをすまながっているとわかって、サアラは微笑んだ。

「そんな、よくあることなので、気にしないでください。むしろ、このところ食べ過ぎなくらいだったので、ちょうどいいです」

 レクルムは、ベッドで身を起こしたサアラの痩せた身体を見て、眉をひそめた。

(そんなのを当たり前のように言わないでほしい)

 同じ孤児だったのに、レクルムは考えてみたら、ひもじい思いをしたことがない。反対に、サアラは彼と会うまで腹いっぱい食べたことがなかったようだ。
 彼女の境遇を思うと胸が痛くなる。
 それなのに、ひねもせず、よくこうも真っ直ぐに育ったものだとレクルムは思った。

「昼の休憩所まで行けば、なにかあると思うから」
「はい。大丈夫です」

 本当になんでもないことのようにサアラが頷く。
 レクルムはカバンから着替えを取り出そうとして、クッキーの袋に気づいた。
 サアラが少しづつ大事に食べていたので、まだ残っていたのだ。

「あぁ、これを朝食がわりにしたら?」

 クッキー袋を手渡すと、「贅沢な朝ごはん!」とサアラがにっこりした。
 
「レクルムもどうぞ~」

 クッキーを差し出される。
 自分が食べないと彼女も食べないだろうと予測できたので、レクルムはそれを素直に受け取った。
 二人でクッキーを分け合って食べて、早々にニーマンを出立する。



 荒野をひた走ると、徐々に緑が増えてきた。
 昼前に休憩所に着くと、ニーマンと違って、種類が少ないながらも食材があり、レクルムはほっとした。

 サアラはそれまでと変わらない様子だったが、もう窓の外をうれしそうに眺めることはなく、ぼーっと目で景色を追っているだけだった。
 たまにレクルムの視線に気づくと、大丈夫だというようにニコッと笑い、話題を振ってきた。
 美味しかった料理の話から、レクルムの好きなものを聞いてきたり、海の話題から、彼の住んでいた街の話に繋げてみたり。

 「好きな料理はオムライスだ」と答えて、それがどんなものか説明してやりながら、レクルムは気を使われている自分が嫌になった。

(立場が逆じゃない?)

『レクルムはお義母さんのオムライスが大好きだったのよ~』

 いつものようにレクルムの補足をするペンダントに対し「へぇ~」と相づちを打っているサアラに、彼は言った。

「別に無理に話さなくていいから」

 突然冷たく突き放されたようで、サアラは怯んだ表情になった。
 レクルムはもの静かなタイプだ。あれこれ聞かれるのが嫌だったのかもと焦って、サアラは頭を下げた。

「ご、ごめんなさい。うるさくして……」

 謝られて、レクルムはまた言い方を間違えてしまったことに気づく。

「違うよ。僕に気を使って、無理に話すことはないってこと」
「無理になんて話してませんよ?」

 ほっとした顔でサアラが言う。

「私は本当に、レクルムとこうしておしゃべりして、一緒にご飯を食べて、海に連れていってもらって……すべてが楽しかったです。迎えに来たのがあなたでよかった。ありがとうございました」

 曇りのない笑顔でそう言われて、レクルムは息苦しくなった。無意識に喉を押さえる。

(やめてよ、そんな最後みたいに……)

 そう思うものの、まもなく王都に到着する。
 終わりは見えてきている。

「…………逃げなよ」

 絞り出すかのような声でレクルムはささやいた。
 一瞬目を見開いたサアラは、ふわりと笑った。

「心配してくれて、ありがとうございます。でも、できません。もし逃げたら、この災害が終わらないのが私のせいだと思ってしまいそうだから」
「…………バカじゃないの! 君のせいなわけないでしょ! そもそもが疑わしい話なのに、君が命をかける必要なんてないでしょ!」

 激昂する彼に、サアラは「ありがとうございます。でも、できないんです……」と悲しげにつぶやいた。

「ごめん……」

 残酷なことを言ってる。無責任に逃げろだなんて。
 彼女ひとりでなにができるんだ。無理に決まってるのに。
 彼女にこんな顔をさせたいわけじゃないのにとレクルムは唇を噛んだ。

「ねぇ……なにか僕にできること、ない? してほしいこととか。王都に着いたら、王宮に入る前に美味しいものが食べたいだとか、綺麗なドレスが着てみたいだとか……」

 せめての罪滅ぼしにと、レクルムはサアラにすがるように聞いてしまった。

(レクルムにしてほしいこと……?)

 彼女は困ったように微笑んだが、ふとなにかを思いついたような顔をした。

「なにかあるの!?」

 勢い込んで聞くと、彼女はもじもじとして、首を横に振った。ほのかに頬が赤い。

「恥ずかしいことなの?」

 レクルムがずばり聞くと、彼女は真っ赤になった。

「言ってみて」
「ないです!」

 サアラは首をブンブン振った。
 じっとレクルムが彼女を見る。

『言っちゃいなよ』
『そうそう、女は度胸!』
『レクルムは拒否したりしないから~』

 物たちの応援がかしましい。

 本当に拒否されないかなと思いつつも、彼の視線の圧力に負けて、ぽつぽつと話す。

「…………昨日の地震のとき、抱きしめてくれたの……すごく落ち着いたんです……だから……」

 赤い頬で、そうつぶやくサアラは愛らしかった。

(そうか、不安なんだね……)

「おいで」

 レクルムは手を広げた。その表情は柔らかだった。
 『なに言ってるの』と一刀両断されるのを覚悟していたサアラは息を呑んで、次の瞬間、弾かれたように彼の腕の中に飛び込んだ。
 
 顔を擦りつけると、優しく背中を撫でられて、サアラは泣きそうになった。自分も彼の背中に手を伸ばし、しがみつく。

(私……本当に、もう満足だったのに……)

 災害が止むのなら、サアラは本気で火口に身を投げてもいいと思っていた。
 みんなに疎んじられてきた中で、初めて存在意義が見いだせたのだ。

 どうせ先のことなど暗い予感しかなかった。十八歳になったので、もうすぐ孤児院から出ていかなくてはならなかった。
 仕事を探したが、この不況の時期に雇ってくれるところはなく、このまま見つからなかったら娼館に行くしかないと言われていた。

『髪を染めれば、その気味の悪さが薄れて人気が出るんじゃない?』

 そんなことを言われて、そこまでして生きていなくてはいけないのだろうかと思っていたところだった。

 だから、レクルムが来たとき、『私はこのために生きてきたんだ』とうれしかった。
 初めて誰かの役に立てると。

 でも、村の外に出て、自分を普通に扱う人がいることを知り、レクルムに甘やかされて、『生きてるのに意味なんて必要ない』と言われて、迷いが生じた。
 なにより、もう少しこの人と一緒にいられたらと思うようになってしまった。

 自分が不利になるだけなのに、逃げろと言ってくれる優しい人。
 この人を困らせるわけにはいかない。
 切なさでサアラの胸はひどく痛んで、涙がこぼれそうになるけど、必死でこらえる。

 トクトクトク………。

 顔をうずめているところから彼の少し早い鼓動とぬくもりが伝わってくる。

(あと少し……もう少しだけ……)

 レクルムにくっついていると、昨夜なかなか眠れなかったサアラはうとうとし始め、気がつくと、寝入っていた。



 腕の中のサアラの髪や背中を優しく撫でてやっていると、彼女はスーっと安らかな寝息を立てて、寝てしまった。
 安心しきったその様に、レクルムは苦笑する。
 頬にかかった髪を指でよけてやり、そこに唇を寄せた。
 
「……………っ!」

 頬に触れる寸前で止まり、レクルムは唖然とする。

───今、僕なにしようとした?

 胸は愛しさであふれかえり、彼女を離したくない想いが頭を支配していた。
 自分で自分の行動に驚き戸惑う。

(バカじゃないの……!)

 サアラを抱えながら、レクルムは荒れ狂う感情をどうにかやり過ごそうと目を閉じた。


 
 馬車はとうとう王都の門をくぐった。

「もうすぐ着くよ」

 感情を胸の奥底にしまいこんだレクルムは、そっとサアラに呼びかけた。自ずと硬い表情になる。

「ん~、ん……っ!」

 目を開けたサアラは、状況に気がつくと、ガバッとレクルムから身を離した。

「ご、ごめんなさい! 私、寝て……」

 サアラはレクルムに抱っこされて寝ていた。
 彼を見上げると、不機嫌そうで、「ごめんなさい……」ともう一度謝ると、しおしおと彼の膝から下りて、自分の席に戻った。

「別に……」

 レクルムはふいっと目を逸らす。
 彼女を見てしまうと想いがあふれそうで、苦しかった。
 すっかりしょげてしまったサアラに、ペンダントが囁く。

『大丈夫。彼、後ろめたいだけだから。チューしようとしてたし』
「ち、ちゅー?」

 突然、素っ頓狂な声をあげたサアラに、「なに?」とレクルムが冷たい目を向ける。

(それはなにかの勘違いじゃないかしら?)

 慌てて首を振ったサアラはそう思った。
 ペンダントの暴露は不発に終わった。



 王都を歩いてみるかと聞いたけど、サアラが首を横に振るので、仕方なくレクルムは王宮に直行することにする。
 通用門で身分証を出して通してもらった。

 魔術局は王宮の西側にある。
 そこに馬車を着けてもらうと、二人はその玄関口に降り立った。

 きらびやかな王宮の建物と荘厳な魔術局の様相に、ふわぁとサアラは瞠目してそれを見上げた。
 見渡す限り建物が続いているのに、その外壁にはすべて細かな彫刻が散りばめられ、贅沢に金で縁取りしてある。
 高い尖塔が四つ聳え立ち、その一角が魔術局になるそうだ。

 サアラはこんなに大きく高い建物を見たことがなく、ただただ圧倒されていた。

(場違いにも程があるなぁ)

 言葉もなく立ち尽くしているサアラに、「行くよ」とレクルムは声をかけた。
 まずは上司に報告に行かないといけない。

 いけ好かない上司の顔を思い浮かべて、彼は顔をしかめた。

 このズークハイムという男は、侯爵の次男坊というだけあって、気位が高くて、当然、平民出身のレクルムを見下している。
 面倒な仕事ばかり押しつけて、手柄は自分の功績にする上司だ。そのくせ、レクルムの才能に嫉妬しているらしく、事あるごとに絡んでくる。
 今回のことも、彼に押しつけられた役割だ。上司でなければ、近づきたくない人物だった。

(そうは言っても、報告するしかないよね……)

 サアラを連れて、しぶしぶ彼の執務室に向かう。

 ノックをすると、誰何があって、名乗ると侍従がドアを開けた。

「伝承の聖女候補を連れてきました」

 レクルムが挨拶をして報告をすると、ズークハイムはそれを労るわけでもなく、ジロジロとサアラを眺めた。

「候補? なんだ、まだ認定してないのか?」
「はい、もう少し見極めが必要かと……」
「どうせ伝承には細かく書かれていないんだ。赤い瞳になんらかの能力があれば、さっさと認定して、ヴァンツィオ火山に連れていけばいいだろう」
「それでも、間違っていたら……」
「違ったら、また他の候補を捧げればいいだけだ」

 人を人と思ってもいないような上司に、『ふざけるな』とレクルムは拳を握りしめる。それでも、無表情を崩さず、彼はズークハイムの言葉をやり過ごした。

「まぁいい。ここから先は私が引き取ろう」
「えっ?」

 思いがけない言葉にレクルムは視線を上げた。
 面倒なことが大嫌いなこの男がどういう風の吹き回しだと思ったのだ。

「上から矢のような催促が来ているんでね。ご苦労さま。帰りたまえ」

 もう用はないとばかりにレクルムに退出を促す。
 まさか、こんな展開になるとは思わず、ちらっとサアラを見ると、不安そうな顔をしていたくせに、無理に笑顔を作る。

「短い間でしたが、お世話になりました。ありがとうございました」

 サアラはペコリとお辞儀をした。

「別に……」

 まだ頭がついていっていないまま、レクルムはそっけなくつぶやいた。
 でも、彼女に最期通告をしなくて済むというのだけはわかった。

 ぼんやりサアラを見つめていると、上司が咳払いした。
 早く出ていけということだろう。

 レクルムは「それでは失礼します」と言って、その部屋を出た。
 ドアを閉める瞬間に見せたサアラのすがるような目が頭に焼きついた。



 
 レクルムが部屋を出ると、ズークハイムは人払いをして、サアラに向き合った。
 神経質そうな顔がニヤリと笑った。

 サアラは突然のレクルムとの別れに、ぼんやりしていた。

(もう会えないのかな……)

 心が麻痺したようになっていた。
 そんな彼女にズークハイムが言った。

「今から検査をする」
「はい」
「まずは服を脱ぎなさい」
「はい」

 サアラはなんの検査をするんだろうと思いながら、素直にワンピースのボタンに手をかけた。



 
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