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8. バカじゃないの!

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 翌朝、なんだか幸せな夢を見て、にっこりしながら起きたサアラは、自分がベッドに入った記憶がないのに気づいた。

(えっと、お風呂場で着替えてて……?)

 もしかして、レクルムが運んでくれたのかなと、隣のベッドを見る。
 彼はまだ眠っていて、サアラの方を向いて、枕を抱きしめるようにして寝ていた。

(かわいい……)

 普段、眉間にシワを寄せていることの多い彼が、眼鏡を取って目を閉じていると、思ったよりあどけない顔をしていた。
 また胸がきゅーっとなり、サアラは首を傾げた。

 視線を感じたのか、レクルムがうっすらと目を開けた。ぼんやりとサアラを見て、ニコリと笑う。

「~~~~ッ!」

 その破壊力のすさまじさに、サアラは声にならない悲鳴をあげた。

(かわいい! かわいいっ! ずるいわっ!)

 彼女が悶えていると、レクルムがはっきり目を覚ましたようで、眼鏡をかけると、いつもの無愛想な顔に戻って「なに?」と言った。



 朝食を終えて、馬車に乗り込む。

「海、本当に綺麗だったし、楽しかったですね~」

 名残惜しそうにサアラが海の方を見つめた。

「お料理もとんでもなく美味しかったし」
「そうだね」

 サアラはよっぽど海が気に入ったのか、馬車の窓枠に腕をついて身を乗り出し、ずっと離れゆく海を見つめていた。
 そのさみしげな顔に、レクルムはなんと声をかけたらいいものか、わからなかった。

 明日の夕方には王都に着いてしまう。
 そこで、彼女の運命が決まる。いや、自分が決定づけることになるのだ。その自分がサアラになにを言えるだろう。

(本当にそれでいいの?)

 自分に問う。

(いいわけない)

 そうに決まっている。しかし、彼の力でどうにかなるわけでもない。
 サアラを連れて逃げたとしても、捕まるのは時間の問題だろう。
 それに自分にはそこまでする義理もない。
 たかが数日一緒に過ごした少女のために、人生を棒に振るなんて、と思ってしまう。

(それじゃあ、どうするの?)

 思考は堂々巡りになる。
 レクルムは不機嫌に口を歪めた。

 沈黙した中、馬車は進み、とうとう海は見えなくなった。それでも、サアラは見えない海を見ているようで、しばらくの間、後ろを見続けた。
 そして、休憩所に着いた。

 いつものようにレクルムが売店で昼食を買い求めて馬車に戻ると、めずらしく御者が話しかけてきた。

「レクルムさん、御者仲間に聞いたんですが、今日泊まる予定のニーマンでは物資が不足しているらしくて、念のため、夕食分も食料を買っておいた方がいいって」
「そんなにひどいの?」

 そう言われてみれば、さっきの売店も品揃えが少なかった。海辺の豊かなカルームから来たからそう感じるだけかと思っていたが、違ったらしい。
 
 ここからは川も海も畑もない荒れた土地が広がり、ニーマンの人々は牧羊で生計を立てていた。穀物や野菜は他所から仕入れるしかない。
 しかし、凶作の今、供給が絶たれているのかもしれない。

「早く王都に行かないといけないですね……」

 いつの間にか話を聞いていたサアラが静かに言った。

 これまで通ってきたところはたまたま豊かな土地だったから、サアラの村より切迫したものを感じなかった。でも、改めて災害の被害を聞くと、いつもより遥かに美味しいものを食べさせてもらって、服を買ってもらって、のん気にしていた自分が恥ずかしくなった。

 振り返ったレクルムが、気の毒そうな後ろめたそうな顔をしている。
 
(優しい彼は同情してくれてるのね)

 安心させるように彼に微笑みかける。

「そんな顔しなくても、もともとその予定なんですから、大丈夫ですよ」
「そんな顔って、どんな顔だよ。君に言われなくても連れていくし、明日はもう王都に着く」

 そう言いつつ、不機嫌にレクルムは顔をそむけた。

 御者のアドバイス通り、夕食用の食料も買って、二人は沈黙のまま昼を食べた。



 ニーマンの状況は想像以上にひどかった。
 カラカラに乾いた土地で、羊に食べさせる草も少なくなり、食べるためには弱った羊を潰すしかない状況だった。それは将来の収入源を減らすことを意味していた。

 宿に行くと、疲れたような主人が「食事は出せません。水もないからお風呂も使えません。それでよかったら泊まられますか?」と言った。
 
「うん、それでいい。ツインはある?」
「いくらでも? どうぞ」

 部屋に案内されて、荷物を下ろす。
 レクルムはソファーに、サアラはベッドに腰を落ち着ける。
 風呂も食事もなければ、なにもすることがない。

「あっ、靴下」

 レクルムがつぶやいた。

「靴下?」
「ニーマンは羊毛が名産だし、いい靴下が売ってると思うよ。買いに行こう」

 彼がまた自分に買ってくれようとしているのがわかって、サアラは微笑んだが、首を横に振った。

「私には必要ありません。明日には王都に着くんでしょ?」
「それでも、その先も……」

 その先の旅程は火山だ。
 レクルムは言葉に詰まった。

(死への旅には必要ない? いまさら意味はない? …………いや、意味はある!)

「買いに行くよ」

 彼はサアラの手を掴むと、外に連れ出した。

 商店街と思われるところは半分以上閉まっていたが、幸い靴下は手に入った。
 サアラはいらないと言っていたが、「この街にお金を落とす意味はあるでしょ?」と言うと、しぶしぶ頷いた。

 レクルムはサアラのために、軽いフード付きコートも買った。
 火山への旅はこれまでのようにのんびりしたものではないだろう。もしかすると夜通し馬車に乗り続けないといけないかもしれない。
 まだ夜は肌寒い季節だ。ないよりはあった方がいいだろうと思ったのだ。
 フード付きにしたのにはもう一つ理由があった。

 宿に戻る途中、グラグラッと地面が揺れた。

「きゃっ」

 ふらついたサアラをレクルムが抱きとめる。
 久しぶりの強い地震だった。

 二人は近い距離で見つめ合った。

 グラッ

 また揺れて、サアラは本能的に彼にしがみついた。地震には慣れていなくて怖かったのだ。

「大丈夫だよ」

 レクルムは彼女の背中を撫でてやった。
 ふいに、このぬくもりを守ってやりたいと思っていることに気づく。

(僕には無理だ……!)

 その気持ちをごまかすように、さっき考えていたことを彼女に告げた。

「明日には王都に着いてしまう。逃げるなら今だよ……」

 ビクッとサアラの肩が揺れた。

「フードをかぶれば、その容姿は隠せる。お金ならあげる」

 抱きしめたまま耳許で囁く。
 言いながら、自分はずるいとレクルムは思った。
 自分で決断できないことを彼女に押しつけようとしている。しかも、ここまで連れ出しておいて。

(もっと早くに言えばよかった。こんな惨状を見る前に)

 サアラは彼の腕の中でじっと考えているようだった。
 彼女の手がレクルムのローブをギュッと握りしめた。

「…………できません。私の命でこの災害が治まるなら……治まる可能性があるなら、それでいいんです。それに、私が逃げたら、レクルムは困るでしょ?」
「僕のことは気にしなくていい。そりゃちょっとは怒られるだろうけど、それだけだよ」

 怒られるどころではないだろうが、レクルムは敢えて軽く言った。
 失職まではしないだろうと思う。

「それでも、やっぱり逃げるなんてできません。そもそも私にはどこにも行く場所がありませんから」

 悲しく微笑むサアラに、レクルムは目を逸らした。
 ある意味、彼が一番欲しかった言葉だ。

───彼女も納得している。彼女が望んだんだ。だから自分は彼女を王都に連れていき、生け贄に差し出すのだ。
 
 なんて都合のいい言い訳。

「バカじゃないの……」

 レクルムは掠れた声でつぶやいた。
 それは自分に向けた言葉。
 犠牲になろうとしている彼女もバカだし、それを都合よく利用しようとしている国もバカだ。そして、なにより、そう思ってるのになにもできない自分が一番バカだ。

「そうですね。でも、この四日間すごく楽しかったから、もういいんです。ありがとうございます」

 サアラの心からの笑顔に、レクルムは胸が衝かれ、苦しくなった。

「そんなこと……言わないでよ……。本当に、バカだね」

 彼女の顔を見ていられなくて、レクルムはサアラの頭を自分の胸に押しつけ、その髪に顔をうずめた。

 しばらくそうしていた二人は、また地面が揺れたところで我に返った。

「帰ろう」

 顔をそむけながら、サアラの手を引いて、レクルムは宿に戻った。

 部屋で昼に買った食事を摂ると、もうすることがなくなって、二人は早めに就寝した。






 
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