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6. 贅沢なお願い

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 彼の家に着くと、藤崎さんは私の寝間着を見繕ってくれた。
 Tシャツに短パン。カジュアルな服でもオシャレなブランドのものだ。
 藤崎さんの使ってるものだと思うと、ちょっとドキドキする。
 私は小柄だから、どちらもぶかぶかだったけど、短パンは紐を絞って、なんとか履けた。
 藤崎さんは「なんか、いいね」とご機嫌に私を抱き寄せ、頭のてっぺんにキスをした。
 洗面所を貸してもらって、歯を磨いて、寝る準備万端と思って、ふと気づいた。

(一緒に寝るのかしら……? でも、この家ならゲストルームもありそうよね?)

 藤崎さんと一緒に寝ることを考えるだけで、心臓が早鐘を打つ。
 恐る恐る寝室を覗いたら、藤崎さんが着替えてるところだった。
 ミュージシャンの割に、細身だけど腹筋が割れて引き締まった上半身が見えた。

「す、すみません……」

 慌てて出ようとしたところを捕まった。

「どこに行くの? おいで」

 藤崎さんは私をベッドに座らせると、キスをした。
 そして、おもしろいものを見るように笑った。

「いまさら緊張してるの?」
「だって、こんなの慣れてないから……」
「じゃあ、慣れようか。僕たち、恋人でしょ?」
「契約の、ですよね?」

 私の言葉は無視して、また甘い口づけが降ってくる。
 藤崎さんは私の髪をひと房手に取ると、それにもうやうやしくキスをした。そして、その体勢のまま上目遣いで微笑む。
 艶っぽい表情に、こくりとつばを呑み込んだ。

「さっきは激しくしちゃったから、今度は優しくしてあげるよ」
「……イジワルはなしですからね! 恥ずかしいことを言わせるのも」
「ちょっとぐらいはいいでしょ?」
「ダメです! 私はあなたを面白がらせるオモチャじゃ……」

 ない、と言いかけて、そのようなものだったと気づく。
 ツキンと胸が痛む。

「違うよ。オモチャじゃない」

 即座に藤崎さんがきっぱり言ってくれたので、瞳が潤んだ。
 でも、やっぱり……。
 私の頬を両手で挟み、藤崎さんが真剣な目で見つめる。

「気障な言葉で言うと、君は僕のミューズだ。大事にしない訳がない」

 ミューズ……音楽の女神。
 契約の恋人からいきなりずいぶん昇格したわ。
 本当にそう思ってるの? それとも方便?
 熱のこもった視線を感じ、親指で頬をなでられる。

 (こんな綺麗な顔に見つめられて、こんなことを言われて、落ちない女の子はいるのかな……?)

 顔が熱を持ち、心がざわつく。
 でも、好きじゃない。恋じゃない。ただの契約。勘違いしないようにしないと。
 何度も繰り返す。
 そうしないと後でつらいから。

「その他に言っておきたいことはある?」
「そうですね……仕事に差し支えるまでしないとか、急に呼び出さないでほしいとか、ですかね」

 照れ隠しに早口で言う。まるで契約の条件を決めているようだ。
 私の言葉が意外だったようで、藤崎さんが形のいい眉をあげた。

「曲を渡せとか言わないの?」
「私、曲を欲しいと言いました?」

 そりゃあ、新曲をもらえたらうれしいけど、私はただ藤崎さんに言われたように新曲を作るお手伝いをしているつもりだった。新アルバムのためにと。なのに、藤崎さんは、虚を衝かれた顔をした。

「……じゃあ、なんで君は僕に抱かれたの?」
「だって、なんでもするって約束だったし、私を抱いたら曲ができて、アルバムできるんですよね? 藤崎さんのアルバム欲しいですもん」

 普通に返したら、「ハァァ……」と藤崎さんは深い溜め息をついて、私の肩に顔を埋めた。

「……君は、本当に僕の歌が好きだね」
「はい、大好きです。だから、いっぱい素敵な曲を作ってください」

 藤崎さんはぴくりと肩を震わせた。
 いったいどんな表情をしているんだろう?
 あきれてる?
 そんな理由で抱かれるなんて、ふしだらだと思ってる?
 不安になってきた頃に、藤崎さんは顔を上げて、私にむちゃくちゃに口づけてきた。

「ん……、んっ……あ……、はぁ……んんっ」

 深く強く吸い上げられる。
 かと思えば、舌で口中を舐め回されたり、舌を激しく絡められたりして、翻弄される。
 二人の唾液が口の中に溢れて、こくんと飲み込むと、藤崎さんが笑った気配がして、ぎゅっと抱きしめられた。
 ようやく口が解放されて、荒い息をつく。

「……君はもっと要求していい」 

 藤崎さんがこつんと額を合わせて、ささやいた。

(要求? 藤崎さんに?)

「……はぁ……はぁ……じゃあ……そのうち一曲ください」
「他には?」

(他? まだなにか要求していいの?)

 私は熱に浮かされた頭で考えた。
 藤崎さんは私が口を開くのを待っている。
 そんなのすぐには思いつかない、そう思ったのに、パッとひとつとても贅沢なお願いを思いついた。

「じゃあ、歌ってください。私のために」
「お安い御用だよ」
「お安くないですよ! あの藤崎東吾が私のために歌ってくれるんですよ! なんて贅沢!」

 私が興奮して言うと、藤崎さんはおかしそうに笑った。
 優しい瞳が私を見下ろす。こんな表情は今日初めて見る。

「じゃあ、なにか歌ってあげるよ。何がいい?」

(え? 今この体勢で? 近いんですけど……)

 いつの間にか、藤崎さんの膝に乗せられ、腰に手を回されて、抱っこされてる。
 こんな特等席で藤崎東吾の歌が聴けるの? 感動して心臓が止まっちゃったらどうしよう?
 そんなことを考える。でも、歌ってくれるというなら……。

「『ブロッサム』がいいです!」

 やっぱり今一番はこの曲だ。
 昔から藤崎さんの曲は好きだけど、この曲にはまるで彼の初期作品の『BRONZE』を聴いたときのような衝撃を受けた。彼は『BRONZE』は拙くて恥ずかしいと言っていたけど。

「わかった」

 そう言うと、藤崎さんは、目を伏せてささやくように歌い出した。

「La~~~♪~……Muu……♪~~」

 その表情に声に心を奪われた。
 至近距離から聴くその歌は、想像してた何千倍も破壊力があって、私の心を激しく揺さぶる。

(しまった。こんなラブソングをリクエストするんじゃなかった……)

 サビで何度も『好きだ』とか『愛してる』とかのフレーズが出てきて、その度にときめきが止まらない。
 歌だけでなく、想いがこもったようなまなざしで見つめられ、その熱さに頭が爆発しそう。
 歌が終わり、藤崎さんが私を見て、瞠目した。

「なんて顔してるの?」

 微笑んだ藤崎さんにチュッチュッと口づけられた。
 たぶん、今の私は目が潤んで頬は上気して、ぽーっとなってる。
 それくらいよかった。
 感激して感動して、この想いを伝えたくて、藤崎さんに思わず抱きついた。

「最高です! やっぱり藤崎さんはすごい! ありがとうございます!」

 私の興奮ぶりに、藤崎さんが笑ってる振動が伝わってくる。
 耳もとにチュッとキスをされて、ささやかれた。

「それはよかった。それなら、そろそろご褒美をもらっていいかな?」

 また頬に熱が集まる。
 そっと頷くと、押し倒された。
 宣言通り、今度はとてつもなく甘く抱かれた。


 ♪♪♪


「明日は何時にどこに行くの?」

 寝る前にそう聞かれた。

「十時半に事務所に顔を出さないといけないんですけど、その前に譜道館のロッカーに荷物を取りに行かないと……」
「わかった。それくらいなら起きられそうだ」
「勝手に起きて、勝手に出ていくので、藤崎さんは寝てていいですよ?」

 私はキョトンとして言った。藤崎さんが起きる必要はないと思ったから。
 なのに、藤崎さんは顔をしかめて言う。

「手ぶらで徒歩で?」
「あ……」

 そうだった。
 しかも、ここの最寄り駅がどこかもわからない。昨日コンビニに行ったので、繁華街ということだけはわかったけど。

「送っていくよ」
「すみません……」

 私が恐縮してると、藤崎さんはくすくす笑った。

「君は忘れっぽいな。そもそも僕が強引にここに連れてきたんだから、送っていくのは当たり前だよ」
「そうでした! それでも、私が荷物を忘れなければ……」
「それも僕のせいでしょ?」

 ことの始まりを思い出して、たしかにとうなずく。

(あのとき、あり得ないと思ってたのに、結局、彼を受け入れちゃったわ)

 そんなことを考えていると、ふわっと抱きしめられた。

「ごめんね。君をあんなふうに泣かせてしまったのは後悔してる。もっと優しくお願いすればよかった。そうしたら、こんなにかわいく応えてくれたのにね」

 優しく背中をなでる藤崎さんに、なんて言葉を返したらいいかわからなかった。
 あの時、『優しくお願い』されてたらどうだっただろう?
 絆されてしまうのは確かで、結局同じことだったかも。
 きっと藤崎さんの曲作りのためならと、契約の恋人役を受けていたんだろうな。
 バカな私。
 なんだか切なくなってきて、私はえらそうに言ってみた。

「……じゃあ、責任取って、送ってくださいね! 明日は九時起床です!」
「はいはい」

 藤崎さんはアラームを九時にセットすると、私を抱いて横になった。
 この体勢に今さらながら、心臓が破裂しそうになるけど、それでも、疲れ切っていた私はすぐ眠りに落ちた。
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