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新妻・卯月の仙台暮らし
ことの顛末(10) <戸次>
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「伊都!」
大きな背中が運動場の扉を開けて、少し横柄な感じで声を掛ける。
しかしその背中の隙間からパッと見た感じでは、そこに人影は見止められなかった。
「はぁーい」
すると一瞬空白があって奥の部屋から、呑気な声が響いて来る。半分開け放たれた扉の影から、小柄な伊都さんがヒョコリと上半身を表した。
「お前にお客様だぞ」
「お客さま……?」
見当の付かない口調で、伊都さんがボヤっと呟いた。「どうぞ」と道を譲られて俺が顔を覗かせると、黒縁眼鏡の奥の零れそうな大きい目をまぁるくして彼女は素っ頓狂な声を上げた。
「戸次さん!」
「伊都、お茶でも差し上げて。では店があるんで。失礼します」
店長はスマートに俺を中に導くと、甘い笑みを浮かべペコリと頭を下げて戻って行く。何とも卒ない仕草に、またしてもちょっとばかし敗北感を感じてしまうのは何故なのか。
伊都さんは彼に呼び捨てにされることに慣れているようだった。ラフな遣り取りに、距離の近さを感じてしまう。二人の間にはそこはかとなく、ただの店長と店員の枠に収まらない気安さが漂っている。何となくモヤっとしたけれども、それを顔に出すほど幼くはないつもりだ。俺は努めて朗らかな笑顔で挨拶をした。
「こんにちは。餌を買いに来たついでに挨拶でも、と思って」
「わぁ! スゴイ!!」
『スゴイ』?
ヘンテコな返答だと思った。
「ちょうど卯月さんとメッセージのやり取りをしてた所なんです!『戸次さんのお土産どうしよう?』って聞かれていて……ちょうど良かった! ホントにスゴイです! グッドタイミング……!!」
「卯月さんと?」
伊都さんはトタトタと、スマホを手に俺に駆け寄って来た。
その気安い仕草にちょっとドキッとしてしまう。そう、まるで昨日までケージに籠っていたうさぎが、帰宅したらフレンドリーに駆け寄って来た、みたいな。
いつの間にか、伊都さんの俺に対する壁がすっかり失われている。それを意識させられた。
そう言えば先日相談と称して呼び出された時も、既にそうだったよな。伊都さんの中で何か大きな心境の変化でも、あったのだろうか。伊都さんが装備している強力な人見知りセンサーから、もう俺と言う存在は適用除外で分類されているらしい。
「見てください! これ!」
ずいっとスマホの画面に映し出されているのは……なんと。
「『うさぎ島』ですよぉ!! 良いですよねぇ! 羨ましい!!」
そこには目を疑うような画像が映し出されていた。
雑草の生えた土の地面に腰を下ろした男性が、うさぎに群がられている。
その表情は蕩けるように甘い。
……つーか、あっまあま、だ……!
「遠いですものねぇ……はぁ、亀田さん、羨まし過ぎる……うさぎまみれ……いいなぁ……」
亀田部長の笑顔を見たことは、ある。大声で笑った所も。ほんの一瞬のことだけど。
それはビックリするくらい爽やかで、いつもの厳しい……厳し過ぎる凶悪な表情とギャップがあり過ぎて。思わず心臓がキュンと疼いてしまったくらいだ。男に対してそんな気持ちを抱いたことは初めてで、激しく動揺してしまったものだ。
こんな表情も会社で見せてやれば良いのに。そうすれば会社の連中の文句も減るだろうに。特に女性陣なんて、イチコロだろう! もう少しプライベートの部分、うさぎ好きな面もアピールしても良いのでは? なんてかつて考えたこともあった。―――しかし。
「……やつらには、これは見せられないな」
思わずボソリと本音が漏れた。
「え?」
「いや、何でも!」
それは亀田部長の威厳も権威も、全て吹っ飛んじまうような写真だった。
愛しい新妻の卯月さんがカメラを向けたから、と言うより……どちらかと言うと、キャバクラでおねえちゃん達に囲まれてやに下がっているオヤジ……いや、コホン。それは言い過ぎか?
確かにイケメンだからデレデレしていても絵になるし、ひょっとすると女性陣なら『かわいい!』なんて喜ぶヤツもいるかもしれない。
しかし日頃、鬼軍曹もかくや、と言った存在感を見せつけられて、恐怖心と一体となった畏敬の念を抱きつつある今日この頃……あまり、その……こういう娘にデレつく親バカみたいな状態は見たくないと言うか……。
何と言うか、あがめていた軍神のイメージが崩れると言うか、リーダーには常に手の届かない存在で居て欲しいというか……男女で感じ方が違うかもしれないが。俺としては、その。―――この亀田部長の在りようを、あまり会社内で広めたくない。
「その……ところで『うさぎ島』ってナニ? 海外?」
「えええ! 戸次さん?! うさぎ島を知らないんですかっ!!」
「うん」
「もちろん日本です! 瀬戸内海の小島のっ! えええ、ホントに知らないんですか?! あの有名な小島を……世界に一つのオアシスを……」
話を逸らした俺は、とりあえず伊都さんが語る『うさぎ島』と言う『うさぎ好きのメッカ』? についての説明に耳を傾けた。
フンフンと頷きつつ、実は頭の端ではこう考えていた。
うん、亀田部長のうさぎ趣味については、なるべく周りには内緒にしとこう!
それが良い。それで今ゴタゴタしまくっている支社の秩序を保つことに、繋がるハズだ。いずれバレることが避けられないにしても、とりあえず当分そうするべきなんだ……! と。
大きな背中が運動場の扉を開けて、少し横柄な感じで声を掛ける。
しかしその背中の隙間からパッと見た感じでは、そこに人影は見止められなかった。
「はぁーい」
すると一瞬空白があって奥の部屋から、呑気な声が響いて来る。半分開け放たれた扉の影から、小柄な伊都さんがヒョコリと上半身を表した。
「お前にお客様だぞ」
「お客さま……?」
見当の付かない口調で、伊都さんがボヤっと呟いた。「どうぞ」と道を譲られて俺が顔を覗かせると、黒縁眼鏡の奥の零れそうな大きい目をまぁるくして彼女は素っ頓狂な声を上げた。
「戸次さん!」
「伊都、お茶でも差し上げて。では店があるんで。失礼します」
店長はスマートに俺を中に導くと、甘い笑みを浮かべペコリと頭を下げて戻って行く。何とも卒ない仕草に、またしてもちょっとばかし敗北感を感じてしまうのは何故なのか。
伊都さんは彼に呼び捨てにされることに慣れているようだった。ラフな遣り取りに、距離の近さを感じてしまう。二人の間にはそこはかとなく、ただの店長と店員の枠に収まらない気安さが漂っている。何となくモヤっとしたけれども、それを顔に出すほど幼くはないつもりだ。俺は努めて朗らかな笑顔で挨拶をした。
「こんにちは。餌を買いに来たついでに挨拶でも、と思って」
「わぁ! スゴイ!!」
『スゴイ』?
ヘンテコな返答だと思った。
「ちょうど卯月さんとメッセージのやり取りをしてた所なんです!『戸次さんのお土産どうしよう?』って聞かれていて……ちょうど良かった! ホントにスゴイです! グッドタイミング……!!」
「卯月さんと?」
伊都さんはトタトタと、スマホを手に俺に駆け寄って来た。
その気安い仕草にちょっとドキッとしてしまう。そう、まるで昨日までケージに籠っていたうさぎが、帰宅したらフレンドリーに駆け寄って来た、みたいな。
いつの間にか、伊都さんの俺に対する壁がすっかり失われている。それを意識させられた。
そう言えば先日相談と称して呼び出された時も、既にそうだったよな。伊都さんの中で何か大きな心境の変化でも、あったのだろうか。伊都さんが装備している強力な人見知りセンサーから、もう俺と言う存在は適用除外で分類されているらしい。
「見てください! これ!」
ずいっとスマホの画面に映し出されているのは……なんと。
「『うさぎ島』ですよぉ!! 良いですよねぇ! 羨ましい!!」
そこには目を疑うような画像が映し出されていた。
雑草の生えた土の地面に腰を下ろした男性が、うさぎに群がられている。
その表情は蕩けるように甘い。
……つーか、あっまあま、だ……!
「遠いですものねぇ……はぁ、亀田さん、羨まし過ぎる……うさぎまみれ……いいなぁ……」
亀田部長の笑顔を見たことは、ある。大声で笑った所も。ほんの一瞬のことだけど。
それはビックリするくらい爽やかで、いつもの厳しい……厳し過ぎる凶悪な表情とギャップがあり過ぎて。思わず心臓がキュンと疼いてしまったくらいだ。男に対してそんな気持ちを抱いたことは初めてで、激しく動揺してしまったものだ。
こんな表情も会社で見せてやれば良いのに。そうすれば会社の連中の文句も減るだろうに。特に女性陣なんて、イチコロだろう! もう少しプライベートの部分、うさぎ好きな面もアピールしても良いのでは? なんてかつて考えたこともあった。―――しかし。
「……やつらには、これは見せられないな」
思わずボソリと本音が漏れた。
「え?」
「いや、何でも!」
それは亀田部長の威厳も権威も、全て吹っ飛んじまうような写真だった。
愛しい新妻の卯月さんがカメラを向けたから、と言うより……どちらかと言うと、キャバクラでおねえちゃん達に囲まれてやに下がっているオヤジ……いや、コホン。それは言い過ぎか?
確かにイケメンだからデレデレしていても絵になるし、ひょっとすると女性陣なら『かわいい!』なんて喜ぶヤツもいるかもしれない。
しかし日頃、鬼軍曹もかくや、と言った存在感を見せつけられて、恐怖心と一体となった畏敬の念を抱きつつある今日この頃……あまり、その……こういう娘にデレつく親バカみたいな状態は見たくないと言うか……。
何と言うか、あがめていた軍神のイメージが崩れると言うか、リーダーには常に手の届かない存在で居て欲しいというか……男女で感じ方が違うかもしれないが。俺としては、その。―――この亀田部長の在りようを、あまり会社内で広めたくない。
「その……ところで『うさぎ島』ってナニ? 海外?」
「えええ! 戸次さん?! うさぎ島を知らないんですかっ!!」
「うん」
「もちろん日本です! 瀬戸内海の小島のっ! えええ、ホントに知らないんですか?! あの有名な小島を……世界に一つのオアシスを……」
話を逸らした俺は、とりあえず伊都さんが語る『うさぎ島』と言う『うさぎ好きのメッカ』? についての説明に耳を傾けた。
フンフンと頷きつつ、実は頭の端ではこう考えていた。
うん、亀田部長のうさぎ趣味については、なるべく周りには内緒にしとこう!
それが良い。それで今ゴタゴタしまくっている支社の秩序を保つことに、繋がるハズだ。いずれバレることが避けられないにしても、とりあえず当分そうするべきなんだ……! と。
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