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番外編・うさぎのきもち
47.風間
しおりを挟む「おい、失礼な事を言うな」
「え?」
「みのりさんを馬鹿にすんな。そんな簡単に彼女が俺に乗り換えるわけ無いだろう」
風間は膝に手を置きソファから背を離してズイと身を乗り出し俺を睨みつけた。それから憮然と腕を組み、大袈裟に溜息を吐く。
「……ま、お前が花井さんとよろしくやっているんなら、俺がみのりさんを幸せにしてやりたい、とは思っていたがな」
「なっ」
油断のならない発言が飛び出して来て、思わず目を剥く。みのりに対しては見当違いの誤解をしてしまったらしいが、風間の心づもりは実際俺の妄想そのものだったのだ。なのに大威張りで鼻を鳴らす風間に、咄嗟に抗議の声を上げようと口を開いた。
「だってお前、みのりさんとの結婚に気が向かないと言っていたじゃないか」
「うっ……!」
が、鋭い指摘に思わず口籠る。
飲んだ勢いもあったが、確かに俺はそのような事を口走ったのだ……!
その時の俺はグズグズと煮詰まってしまい大きな人生の選択を迫られているようなイメージに押しつぶされそうになっていた。だから結果、逃げ回るような真似をしていたのだ。
仕事にも随分慣れて来てそれなりに立ち回れるようになった。だけどそれでも昔思い描いたような自分には足りていない、それが現実ってヤツで理想通りに行かないのが普通なんだって思い込もうとしていた。周りに比べて俺は上手く行っている方なんだって。そうして閉塞感を感じつつも何とか日々の仕事をこなして来て、上手く行かないのは直属の上司が使えない奴だからだとか得意先の担当が新人に変わったからだとか……そんな言い訳を重ねて自分の能力不足から目を逸らして来た。
だけど亀田部長が目の前に現れて―――彼は俺の年頃には本社でもっとスゴイ仕事をバリバリこなして来たエリートで。俺が愚痴っているような下らない障害なんか蹴散らすぐらいの剛腕で。それで分かってしまった。きっと俺が同じ年になっても今の亀田部長ほどの能力を獲得して出世している、なんてことにはならないだろうって。
亀田部長が遠藤課長にビシビシ指摘した箇所は、実際課長自身の対応の悪さも多かったのだけれど、丸投げ課長の不備な部分はそのまま資料を作ったり実際働いている俺達の不備であって……。要するに今まで課長の所為にして愚痴っていた引っ掛かりは、実は俺達自身の怠慢や実力不足でもあるんだって思い知らされたのだ。
俺……全然駄目じゃん。
仕事も上司の尻拭いするくらい出来てる。空気も読める、女の子にもそれなりにモテる。同僚とも上手くやってる。同棲三年目の彼女もいる。―――だけど全然駄目だ。これって『井の中の蛙』ってヤツじゃん。―――ってぐっさり胸を抉られて。
冷静に眉一つ動かさず正確にミスを指摘する部長を目にして、俺は心の奥で思ったハズだ『そうだ、俺はあんな風になりたかったのかもしれない』って。
だけどそれを認めてしまえば、あまりにも自分が情けないから、責任を亀田部長に転嫁して見ない振りを決め込んでしまったんだ。
なのにこんな状態で、誰かの人生を背負い込めるわけが無いって思った。それどころじゃないって。だけど具体的に何か仕事に関していつもと違う努力をし始めたとかそう言うわけじゃ無い、ただ自分が駄目なことに気付かされて―――焦っていただけだ。
「彼女だってもう三十だろ。俺達男にとっては三十はまだまだ結婚を焦る年齢じゃないかもしれない。でも子供の事だってあるんだから、普通女の子の方は考えて可笑しく無い年じゃないか。なのにお前は若い派遣の子に懐かれてニヤニヤしているし、みのりさんを幸せにしようとか言う気概も無い。楽な関係に依存してみのりさんに色々良くしてもらっているくせに面倒な義務や責任は取りたくないって―――男としてどうなんだ?」
『いずれ』みのりとは結婚するだろうってボンヤリと考えていた。
だけど『今』は無理だ。そんな心の余裕はなんてない。ましてや同棲中の彼女との結婚が、ただ子作りを目的としたものだったなら―――子供の人生まで考える覚悟なんて、俺には全くできていない。そんな気持ちで接したら産まれた子供だって迷惑だろう。
みのりが友達の結婚式から帰って来て言っていた。『彼女ね、子供作るならリミットだって思ったから結婚するんだって。三十も近くなると結婚の理由も現実的になってくるわね』『ご祝儀出すばっかで金欠よ』って冗談みたいに肩をすくめて笑いながら。
だけどそれを聞いた俺はギクリとした。みのりは何でもないような態度を取っていたけれども、もしかしてコレは暗に催促しているのじゃないか?なんて。
「それは……本気で言っていた訳じゃない。結婚するならみのりしかいないとは思っていたし、花井さんとどうこうなろうなんて、そもそも全く考えていない」
「でもこのままが楽だったんだろ?みのりさんが言い出さなければ、まだこのままでいたいって思っていたんだよな?彼女が何も言わないのに甘えて―――」
図星をグサリと突かれて、ぐうの音も出ないほどだ。
いや、酔って悪ノリで実際そんな台詞を口走っていたかもしれない。若しくは直接そういう表現を使っていなかったとしても、風間はそう受け取るような態度を取っていたのだろう。だからこそ俺のいい加減さに憤り、行動に出たのかもしれない。
「俺だったら彼女を大事にする。みのりさんがいたら飲み会なんか行かないし、なるべくすぐに家に帰る。家事だってやるし、欲しい物があれば何でも買ってあげたいと思う。結婚したら仕事なんかさせないし、彼女の希望に沿うように最大限努力する」
「それは……」
(でもみのりは、相手がそんな風に自分中心になることを望まないんじゃないか?)と言い掛けて、口を噤む。
みのりが本当に何を望んでいたか―――今となっては正しく把握しているなんて、とても言えなくなってしまったからだ。
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