捕獲されました。

ねがえり太郎

文字の大きさ
上 下
239 / 375
番外編・うさぎのきもち

42.改札の前で

しおりを挟む
 大人しく後を付いて来る花井さんと駅の入口前までやって来た。確か花井さんは逆方向だったような。改札は違う筈だからここでお別れだろう。

「じゃあ」

 また明日ね、と言おうとして、視線を俯かせる彼女を前に言葉を飲む。しかしこれ以上かけるべき言葉も無いのだ。



「この先良い人に出会える、なんてそんなこと何故分かるんですか?」



 硬い声に息を飲む。顔を上げた花井さんは、一歩踏み出して来た。
 グイッと圧力を掛けられているようで、思わず怯んだ心に潤んだ瞳が突き刺さる。

 うっ……これは、ひょっとして花井さんの必殺技か?!
 本人が意識しているか分からないが、この庇護欲をそそる縋る様な眼差しの威力が半端無い。あり得ない相手、と理性では判断しているのに。それを本能から覆そうとする潤んだ上目遣いに狼狽えてしまう。
 そう言えば近頃トンとご無沙汰だった。みのりが出て行く暫く前からだ。正面から話をする時間を作らないようみのりを避けて来た、だから当然そっちも無かったってワケで。情けない事に意に反してクラッと来てしまう。……これで酒が入っていて、更に『迷惑はかけないから一晩だけでも』なんて言い出されたら手を伸ばしてしまうかもしれない。
―――なんて男にとって都合の良い妄想がつい浮かんでしまうが、まさかそんなドラマみたいな展開、現実にはあり得ないから!と自らにツッコミを入れて冷静さを保つ。



「ただ好きになるのも、駄目ですか? 大事にしている彼女がいるのは分かってます、でも私のことも……見てくれませんか」
「は?」



 幻聴か? と思った。
 頭に浮かんだばかりの都合の良い妄想みたいな台詞が、彼女の口から飛び出して来たからだ。

「別れて欲しいなんて、思ってません。ただ偶にこうして……時間を作って欲しいんです」

 そこまで聞いて、今度こそ理解した。

 やはり俺のことだったのか。己惚れた勘違いなんかじゃなく彼女の相談に出て来た『気になっている人』とはまさに俺のことだったんだ。

 そりゃそうだよな、と今度こそ納得してしまう。
 改めて振り返ってみると、彼女が発する様々なサインに合点が行く。その一つ一つは迂遠な物が多かったから、無自覚に男に気を持たせる類の小悪魔系なんだろうと勘違いしたがる男心を振り払って来た。長い付き合いの同棲相手のいる俺は、彼女にとって気軽に話せる安パイなのだろうと。だから沢渡や風間の揶揄を本気にはしていなかった。そりゃあ、若くて可愛い女の子に懐かれて悪い気はしなかったが。

 彼女のように男から常にチヤホヤされる女の子にはままある事だ、そう言う女子を高校や大学では稀に目にしてきた。モテないタイプの男や、彼女のいる男に気安く擦り寄り惑わせて、その男が本気になった途端掌を返す無自覚な魔性系……だからこそ完全に俺の中では、付き合う対象から外れていたのだ。

 そういうタイプの彼女だから、例え花井さんが本当に俺に多少気があったとしても、彼女から明確に踏み出して来る事は無いとタカをくくっていた。だから安心して適当に相手をしていられたのだ。こちらがその気を見せなければ、何も起こらない関係なのだと。



「彼女との邪魔をしたい訳じゃありません。ただ―――好きでいさせて欲しいんです」



 何と言う、男に都合の良い台詞を吐くのだろう。
 フワフワの触れたら柔らかそうな髪、染み一つ無い透き通った肌と潤んだ瞳で見上げられて―――これでグラつかない男がいるだろうか?

 フーッと俺は大きく息を付いて肩を落とした。

「花井さん……」
「戸次さん!」

 と背中に声が掛かり振り向くと、そこにいたのは―――



「卯月さん?!」
「あの、丈さんから聞きました。週末の件……」



 ニッコリと偶然見つけたであろう俺に手を振りながら、近づいて来る彼女。その瞳が死角になっていた花井さんを見つけて僅かに丸くなった。どうやら俺一人だと思って声を掛けて来たらしい。そこまで一瞬で了解して、俺は敢えて朗らかにこう言った。

「スイマセン、遅くなってしまって……!」

 何故ここに卯月さんがいるのか分からなかったが、咄嗟に俺は彼女の台詞を遮った。今度はあからさまに『え?』と言うような表情で更に目を丸くした卯月さんに向き直り、後ろにいる花井さんに見えない所で手を合わせた。『オネガイシマス!』と声に出さずに口だけ動かし、必死で念を送る。

「あ、ああ……いらっしゃらないので、シンパイしましたよ?」

 すると卯月さんは視線を彷徨わせながら、戸惑いつつこう返してくれた。

「申し訳ありません! 迎えに来させてしまって!」
「い、いえ。大丈夫ですヨ~?」

 たどたどしい演技で俺に合わせてくれる卯月さんに心の中でお礼を言う。俺は振り返って、花井さんにニッコリと笑った。一先ずここから逃げ出せる!と言う安堵の気持ちが、心からの笑顔に変わる。花井さんは怯んだように黙り込んだ。

「ゴメンね、花井さん。待合わせの時間だから……じゃあ、これで! 気を付けて帰ってね!」
「……はい」
「じゃあ、行きましょうか!卯月さん!」
「ハ、ハイ~!」

 俺は強引に卯月さんの背中を押して、その場を離れた。
 後ろを振り返る余裕はない、一刻も早く花井さんの視界から消えなければならないので彼女の背に手を当てたまま、出来る限りの速さで歩き曲がり角を曲がった。

 そこでピタリと立ち止まり、肩を落とす。

「……助かりました……」

 心からそう言うと、卯月さんはパチパチと瞬きをして俺を見上げた。

「ええと……もしかして『シュラバ』でしたか?」
「いえ、そう言う訳じゃないのですが」
「何が『修羅場』だ」

 そこで俺の背筋を震わせるような恐ろしい低音が響いて来た。
「あ」と視線を向けた卯月さんの見つめるその先をゆっくりと振り向くと―――銀縁眼鏡をギラリと光らせて、ビシッと高級そうなスーツで決めた大きな男が立っていた。

 その視線が鋭く見つめる先に―――ああ!

 俺はパッと手を離した。焦りのあまり、卯月さんの背にしっかり手を当てたまま移動していて―――その手を引っ込めるのを忘れていたのだ!

「あの、その……スイマセン」
「……」

 ブリザードのような亀田部長の視線に晒されて、俺はひたすら小さくなるしかない。
 その後卯月さんが取り成してくれたので、漸く言い訳を口にすることができ―――おそろしい一時から何とか脱出する事だ出来たのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

処理中です...