捕獲されました。

ねがえり太郎

文字の大きさ
上 下
211 / 375
番外編・うさぎのきもち

14.引き留められて

しおりを挟む


 ウルウルと潤む瞳にドキリとする。

 これは……愚痴を聞いて欲しいとか世間話をしたいとか、そう言うのとは違うのじゃないか。そんな考えが頭を掠める。

 頬を染めてギュッとスーツの裾を握る様子が幼気いたいけで、同情とも庇護欲ともつかない感情が湧き起こる。知らず知らずのうちに彼女の潤んだ瞳に惹き込まれそうになり、理性がグラグラと揺れる音を聞いた。無意識に左手が上がり―――彼女の細い肩に振れる。



 カサリ。



 そこで胸ポケットで微かな音がして、正気に返った。

「ゴメン、悪いけど……もう行かないと」

 そのまま左手をスッと彼女の手首まで下ろし、そっとスーツの端を掴んでいるその手を引き離した。
 そうして手を離すと、彼女はハッキリと傷ついたような表情を浮かべて俺を見ていた。言外に責められているような気がして、俺はことさら明るく彼女の肩をポンと叩いて笑った。

「明日も会社だし、ね」
「……はい」

 ショボンと肩を落とす様子を見ると、罪悪感で胸がザワリとする。
 男の俺は彼女の仕草に勝手にムラムラしてしまったが、女性の彼女の側からしたら別に深い意味を込めて誘ったとかそう言う訳ではないのだろう。男女の意識の違いについては、みのりと暮らす中で何となく把握している。メールの語尾にハートマークが付いていたからって、送った相手が自分に好意を持っているとは限らない。それは単なる慣習なのよ、と諭したのはみのりだった。
 きっと花井さんはまだ言い足りない、もう少し話がしたいくらいの気持ちで申し出ただけなのだろう。例え婉曲に男を誘う仕草をしていたとしても、それはきっと無意識なのだ。これまでどれだけの男が彼女の無自覚な仕草に煽られて勘違いし、結果肩透かしを受ける事になったのだろうと想像してしまう。
 寂しそうな彼女を途中で放り出す事になって申し訳ないが、今日はもう帰らないと。

 ヨツバが家で待っているのだ。

 そう、花井さんは悩みを抱えているのかもしれない。若しくは今、一人になるのがどうしようもなく寂しいのかもしれない。
 けれどもヨツバは腹を空かせているんだ。心の悩みより命の危機の方が逼迫した問題なのだ。それに彼女の悩みは偶々顔を合わせた俺でなくとも解決できるものだろう。友達でも彼氏でも親でも……なんならネットで知恵袋に問い合わせたって良い。だけどヨツバには今、俺しかいないんだ。

 押し付けられた存在だし、人間より大事かと言われるとはっきり『そうだ』とは言い切れない。けれど今帰らなければ、確実に俺は後悔するだろう。

 そうしてますます―――自分にガッカリする事になる。
 やるべき事や大事な事を後回しにして気分や流れに身を任せ、それが引き起こす結果に打ちのめされて自己嫌悪に陥るのだろう。だから今はちょっと可愛い女の子に頼られて良い気分になったからって、浮かれてホイホイ良い所を見せよう……なんて気分にはなれない。

 いや、正直危なかったけどね。それにさっきまで実際少し良い気分になって、癒されていたんだし。



「じゃ、遅くならない内に気を付けて帰って。お疲れさま!」
「はい。……お疲れ様です」



 少し強張った微笑みを作る花井さんに片手を上げてから踵を返した。
 それから俺は小走りに改札へと向かったのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?

【完結】真実の愛だと称賛され、二人は別れられなくなりました

紫崎 藍華
恋愛
ヘレンは婚約者のティルソンから、面白みのない女だと言われて婚約解消を告げられた。 ティルソンは幼馴染のカトリーナが本命だったのだ。 ティルソンとカトリーナの愛は真実の愛だと貴族たちは賞賛した。 貴族たちにとって二人が真実の愛を貫くのか、それとも破滅へ向かうのか、面白ければどちらでも良かった。

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

【完結】待ってください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ルチアは、誰もいなくなった家の中を見回した。 毎日家族の為に食事を作り、毎日家を清潔に保つ為に掃除をする。 だけど、ルチアを置いて夫は出て行ってしまった。 一枚の離婚届を机の上に置いて。 ルチアの流した涙が床にポタリと落ちた。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

処理中です...