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番外編・うさぎのきもち
14.引き留められて
しおりを挟むウルウルと潤む瞳にドキリとする。
これは……愚痴を聞いて欲しいとか世間話をしたいとか、そう言うのとは違うのじゃないか。そんな考えが頭を掠める。
頬を染めてギュッとスーツの裾を握る様子が幼気で、同情とも庇護欲ともつかない感情が湧き起こる。知らず知らずのうちに彼女の潤んだ瞳に惹き込まれそうになり、理性がグラグラと揺れる音を聞いた。無意識に左手が上がり―――彼女の細い肩に振れる。
カサリ。
そこで胸ポケットで微かな音がして、正気に返った。
「ゴメン、悪いけど……もう行かないと」
そのまま左手をスッと彼女の手首まで下ろし、そっとスーツの端を掴んでいるその手を引き離した。
そうして手を離すと、彼女はハッキリと傷ついたような表情を浮かべて俺を見ていた。言外に責められているような気がして、俺はことさら明るく彼女の肩をポンと叩いて笑った。
「明日も会社だし、ね」
「……はい」
ショボンと肩を落とす様子を見ると、罪悪感で胸がザワリとする。
男の俺は彼女の仕草に勝手にムラムラしてしまったが、女性の彼女の側からしたら別に深い意味を込めて誘ったとかそう言う訳ではないのだろう。男女の意識の違いについては、みのりと暮らす中で何となく把握している。メールの語尾にハートマークが付いていたからって、送った相手が自分に好意を持っているとは限らない。それは単なる慣習なのよ、と諭したのはみのりだった。
きっと花井さんはまだ言い足りない、もう少し話がしたいくらいの気持ちで申し出ただけなのだろう。例え婉曲に男を誘う仕草をしていたとしても、それはきっと無意識なのだ。これまでどれだけの男が彼女の無自覚な仕草に煽られて勘違いし、結果肩透かしを受ける事になったのだろうと想像してしまう。
寂しそうな彼女を途中で放り出す事になって申し訳ないが、今日はもう帰らないと。
ヨツバが家で待っているのだ。
そう、花井さんは悩みを抱えているのかもしれない。若しくは今、一人になるのがどうしようもなく寂しいのかもしれない。
けれどもヨツバは腹を空かせているんだ。心の悩みより命の危機の方が逼迫した問題なのだ。それに彼女の悩みは偶々顔を合わせた俺でなくとも解決できるものだろう。友達でも彼氏でも親でも……なんならネットで知恵袋に問い合わせたって良い。だけどヨツバには今、俺しかいないんだ。
押し付けられた存在だし、人間より大事かと言われるとはっきり『そうだ』とは言い切れない。けれど今帰らなければ、確実に俺は後悔するだろう。
そうしてますます―――自分にガッカリする事になる。
やるべき事や大事な事を後回しにして気分や流れに身を任せ、それが引き起こす結果に打ちのめされて自己嫌悪に陥るのだろう。だから今はちょっと可愛い女の子に頼られて良い気分になったからって、浮かれてホイホイ良い所を見せよう……なんて気分にはなれない。
いや、正直危なかったけどね。それにさっきまで実際少し良い気分になって、癒されていたんだし。
「じゃ、遅くならない内に気を付けて帰って。お疲れさま!」
「はい。……お疲れ様です」
少し強張った微笑みを作る花井さんに片手を上げてから踵を返した。
それから俺は小走りに改札へと向かったのだった。
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