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新妻・卯月の仙台暮らし
ことの顛末(3) <戸次>
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そうこうしている内に、総務課の富樫さんが退職することになった。
引継ぎの為に出社するようになると、それまで停滞していた業務が漸く動き出す。だけど彼女は月末には辞めてしまうと言う噂だから、その後の混乱を考えると非常に頭が痛い。
皆、富樫さんの辞める理由に興味津々だ。
しかし以前から他の社員と壁を作っていた彼女に、気軽に話しかけられる人間はいない。そこで特に噂好きな一部の女性社員がてのひらを返したように親し気に擦り寄り、ランチや夕食に誘ったそうだが―――「時間がないので」とけんもほろろに断られたと言う。
断られた女性は怒ってその件を言いふらしている。が……この件に関しては富樫さんの気持ちも分からないではない。俺だって今まで自分のことを無視して来た相手が、辞めるとなった時に急にネコナデ声で近付いて来たら警戒する。噂話の種にする気満々! ってバレバレだものな。
そして俺にはもう一つ、気に掛かっていることがある。
派遣社員の花井さんが、遠藤課長とジュエリーショップにいた、と言う卯月さんの目撃談のことだ。
花井さんは遠藤課長に構われるのを嫌がっていた筈だ。これまでずっと懐かれて、その愚痴を聞く役割を担ってきた俺としては、ここに来て混乱しかない。
そして花井さんは……俺に好意を持っていた筈なのだ。
『大事にしている彼女がいるのは分かってます、でも私のことも、見てくれませんか』
『ただ偶にこうして、時間を作って欲しいんです』
『彼女との邪魔をしたい訳じゃありません。好きでいさせて欲しいんです』
などと、男にとって都合の良過ぎることこの上ない告白を彼女から受けたのだ。
だけど一方で花井さんは、俺の彼女だったみのりに陰で『戸次さんが好きです。絶対諦めません』などと宣言していたのだと言う。
みのりにその話を聞いた時は、ものすごく驚いた。
いかにも儚げな子で、男の後を付いて歩くようなタイプで―――そんな強気な真似が出来る人間じゃないと考えていたのだ。むしろみのりの方が、一見ずっと強そうに見えるだろう。
そして花井さんの言葉が切っ掛けで、みのりは俺達の家を出て行ったのだ。……とは言っても、別れたこと自体は花井さんの所為では無くて、結局俺達自身の問題なのだけれど。
けれども、二人の仲をかなりかき回されたのは事実だ。
しかし遠藤課長とデートしていた、と言う話を聞いて途端に分からなくなった。
俺に愚痴っていたのは何だったんだ? 本当は、課長に付き纏われるのは嫌じゃ無かったのか? だとしたら何故俺に対して、課長の行為を迷惑だと訴え、更には俺に好意のある素振りを繰り返したのだろう?
思わず、と言った感じで俺に告白して来た時の花井さんは―――真剣な表情をしていたように思う。彼女の言葉に嘘は無いのだと、その時感じた。彼女は必死でとても可愛らしくて……正直内心グラついてしまった。
いや勿論、理性を総動員してちゃんと踏みとどまったんだ……! つい、男の本能をくすぐられそうになったが、それも一瞬のことだし。
ああ、あの時たまたま卯月さんがそこに現れて、声を掛けてくれて本当に助かった……! お陰で、花井さんの……あの魔性のような引力から逃げ出すことが出来て、今では本当にホッとしている。
けれどもひょっとして、花井さんは俺の事は何とも思っていなかったんじゃないだろうか。と言う考えが浮かんでいる。
遠藤課長が、実は彼女の本命だったのかもしれない。ただ相手が既婚者だから、当然上手く行かない。だから彼女と安定した関係を築いている(ように見える)俺を揶揄って、二人の仲に水を差して憂さ晴らしをしたかった……とか?……ちょっと考えにくいか?
そうだよな。それでみのりにまで『絶対諦めない』とまで宣言する、意味が分からないよな。
いや、そもそも女の胸の内を想像するなんて無理な話なのだろう。長い付き合いの同棲相手の心情さえ、察することのできなかった俺には手に入れる事の出来ない高等技術に違いない。
しかしいったいぜんたい花井さんは、何がしたかったのだろう?
あの告白以来、花井さんから俺に近付いて来ることは無くなった。
だけど狭い社内だ。偶然うっかり顔を合わせてしまうこともあるだろう。その時、どういう顔をして対応すべきなのか。処世術には割と自信があるし、実際バッタリ会っても何となくスルー出来るだろうとは思ってはいるけれど……やっぱり、気が重いよなぁ。
引継ぎの為に出社するようになると、それまで停滞していた業務が漸く動き出す。だけど彼女は月末には辞めてしまうと言う噂だから、その後の混乱を考えると非常に頭が痛い。
皆、富樫さんの辞める理由に興味津々だ。
しかし以前から他の社員と壁を作っていた彼女に、気軽に話しかけられる人間はいない。そこで特に噂好きな一部の女性社員がてのひらを返したように親し気に擦り寄り、ランチや夕食に誘ったそうだが―――「時間がないので」とけんもほろろに断られたと言う。
断られた女性は怒ってその件を言いふらしている。が……この件に関しては富樫さんの気持ちも分からないではない。俺だって今まで自分のことを無視して来た相手が、辞めるとなった時に急にネコナデ声で近付いて来たら警戒する。噂話の種にする気満々! ってバレバレだものな。
そして俺にはもう一つ、気に掛かっていることがある。
派遣社員の花井さんが、遠藤課長とジュエリーショップにいた、と言う卯月さんの目撃談のことだ。
花井さんは遠藤課長に構われるのを嫌がっていた筈だ。これまでずっと懐かれて、その愚痴を聞く役割を担ってきた俺としては、ここに来て混乱しかない。
そして花井さんは……俺に好意を持っていた筈なのだ。
『大事にしている彼女がいるのは分かってます、でも私のことも、見てくれませんか』
『ただ偶にこうして、時間を作って欲しいんです』
『彼女との邪魔をしたい訳じゃありません。好きでいさせて欲しいんです』
などと、男にとって都合の良過ぎることこの上ない告白を彼女から受けたのだ。
だけど一方で花井さんは、俺の彼女だったみのりに陰で『戸次さんが好きです。絶対諦めません』などと宣言していたのだと言う。
みのりにその話を聞いた時は、ものすごく驚いた。
いかにも儚げな子で、男の後を付いて歩くようなタイプで―――そんな強気な真似が出来る人間じゃないと考えていたのだ。むしろみのりの方が、一見ずっと強そうに見えるだろう。
そして花井さんの言葉が切っ掛けで、みのりは俺達の家を出て行ったのだ。……とは言っても、別れたこと自体は花井さんの所為では無くて、結局俺達自身の問題なのだけれど。
けれども、二人の仲をかなりかき回されたのは事実だ。
しかし遠藤課長とデートしていた、と言う話を聞いて途端に分からなくなった。
俺に愚痴っていたのは何だったんだ? 本当は、課長に付き纏われるのは嫌じゃ無かったのか? だとしたら何故俺に対して、課長の行為を迷惑だと訴え、更には俺に好意のある素振りを繰り返したのだろう?
思わず、と言った感じで俺に告白して来た時の花井さんは―――真剣な表情をしていたように思う。彼女の言葉に嘘は無いのだと、その時感じた。彼女は必死でとても可愛らしくて……正直内心グラついてしまった。
いや勿論、理性を総動員してちゃんと踏みとどまったんだ……! つい、男の本能をくすぐられそうになったが、それも一瞬のことだし。
ああ、あの時たまたま卯月さんがそこに現れて、声を掛けてくれて本当に助かった……! お陰で、花井さんの……あの魔性のような引力から逃げ出すことが出来て、今では本当にホッとしている。
けれどもひょっとして、花井さんは俺の事は何とも思っていなかったんじゃないだろうか。と言う考えが浮かんでいる。
遠藤課長が、実は彼女の本命だったのかもしれない。ただ相手が既婚者だから、当然上手く行かない。だから彼女と安定した関係を築いている(ように見える)俺を揶揄って、二人の仲に水を差して憂さ晴らしをしたかった……とか?……ちょっと考えにくいか?
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だけど狭い社内だ。偶然うっかり顔を合わせてしまうこともあるだろう。その時、どういう顔をして対応すべきなのか。処世術には割と自信があるし、実際バッタリ会っても何となくスルー出来るだろうとは思ってはいるけれど……やっぱり、気が重いよなぁ。
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