捕獲されました。

ねがえり太郎

文字の大きさ
上 下
301 / 375
新妻・卯月の仙台暮らし

17.慰めます。

しおりを挟む
 たけしさんが用意してくれた夕食を美味しくいただいて、更に洗い物までやって貰ってしまった。食洗機はビルトインの立派なものがあるんだけど、茶碗とかお皿とかモノによって置き場所が違うし汚れが落ちにくそうな物は予洗いしなきゃならない。私がここに来る前は丈さんも時々自炊していたから、使い方は説明しなくても大丈夫だった。と、言うか分かっていたことだけれど、やっぱり私より断然手際が良いよね……。

 うう……ただでさえニート状態なのに、唯一私が担当していた主婦業まで丈さんにやらせてしまうなんて、ひたすら申し訳ない。でもせっかく治りかけたものを拗らせてしまっては元の木阿弥だ。丈さんの休み中、今だけはしっかりお世話になって、平日にはちゃんと復活して働いて恩を返そう……!

 自分の至らなさをジリジリと持て余し、その鬱憤晴らすかのように、うータンを丁寧に撫でる……撫でる……撫でる……撫でまくる……



―――バタッ!



 すると突然、うータンが倒れた。リラックスする時も警戒心の強いうさぎはいつでも逃げ出せるような態勢を保つのが普通だ。けれどもたっぷりと撫でまくられトロトロに気分良くなった時、ばったりと足を投げ出すように体を倒すのだ。

 うふふふ……これだから、うさぎは止められないのですよ……!

 更にご奉仕すべく、ふさふさの足の裏まで投げ出して艶やかなセクシーポーズをとるうータンの体を一層念入りに撫で始める。この達成感……!警戒心の強いうさぎが突如心を許してくれた瞬間……!これがね、たまらんのですよ。ぐふふふ……。



「少し元気になったようだな」



 台所仕事を終えた丈さんが、いつの間にか私の顔を覗き込んでいた。

 私とうータンはソファの足元にある毛足の長いラグの上に、ペタンと座っている。丈さんはソファに腰掛けて、いかにもおかしそうにそう言ったのだ。指摘されて咄嗟に手が頬に伸びる。

 うっマズい……!
 にやけているだけじゃなく、涎まで落ちそうになってるっ……!

 丈さんは私の慌てっぷりを目にして声を出して少し笑った。けれども体を起こしてソファの背に沈み込むと、小さく溜息を吐く。その様子に私は一瞬ギクリとする。

 やっぱり私……甘えすぎかな……?!

 仕事で疲れている丈さんに家事させておいて、なのに呑気に涎垂らしてうさぎをでている女……「今日くらいゆっくり休んでろ」と彼は言ってくれたけど、やっぱりもうちょっと食い下がるべきだった……?ひょっとして呆れられちゃったかな……?!

 パッとうータンから手を放して、目の前にある丈さんの膝に縋りついた。

「丈さん……!」
「ん?」
「ゴメン、呆れちゃった?!」

 丈さんはキョトンと私を見下ろしている。

「……何のことだ?」

 んん?この『素』っぽい返しは―――どうやらまた私、早合点しちゃったのかな?

「ええと、丈さん……溜息吐いてたから」

 パチパチと瞬きを繰り返してから「ああ」と思い当たったように丈さんは頷いて首を振った。再び上半身を前に倒し、膝に肘を付いて大きな手で口元を覆った。暫く逡巡して―――意を決したように、しかしボソリと恥ずかしそうについ漏らしてしまった溜息の理由わけを話してくれた。

「卯月が寝ている間に『うさぎひろば』に牧草を受け取りに行ったんだが……」
「あ、うん。さっきうータンが食べてたね。新しいチモシー」

 バクバク食べてたから、新鮮なのが嬉しかったんだと思う。それとも新しい北海道産の味が余程気に入ったのかな。お試し用で貰った分も、結構食い付き良かったものね。

「その時な、会社の部下に偶然会った」
「え!『会社の』って……じゃあ、その人うさぎ飼ってるのかな」
「たぶんな。あの……『伊都いと』とか言う小柄な店員が、そのようなことを言っていたが」
「うわぁ、じゃあ『うさぎ仲間』だね!それにしてもお店で偶然会うなんてスゴイね。街には大きいペットショップだってあるのに」

 そう言えば私がうさぎを飼っていると知られたのも、本屋でばったり遭遇したのが切っ掛けだったと思う。

「最初は気付かなかったんだが、一度店を出てからパパイヤが切れている事を思い出して戻った時にバッタリ戸口で顔を合わせた。声を掛けようとしたんだが―――」

 そこで言葉を切った丈さんは、ふっと表情を強張らせた。

「―――目が合った途端逸らされた。そのまま逃げるように出て行ってしまったんだ」

 クッと俯く丈さんは、苦い顔だ。私はちょっと驚いた。

 これは―――もしかして、もしかしなくても、その部下の人の態度にショックを受けているのだろうか……?

 本社に居た時だってバリバリガツガツ部下を叱ったりして、仕事の事しか頭になくって部下が自分の事をどう思おうが、どうでも良いって考えているのだと思っていた。だからそう言うの、全く気にしないタイプなのだと考えていたのだけど……。今もハッキリ『気にしている』なんて言っていないけど―――丈さんって地味に『気にしい』だったのかな。

 意外な丈さんの繊細さを目にして内心驚きつつも、慎重に言葉を選んだ。

「あの、その部下の人って……よく顔を合わせるの?」

 仙台支社の社員の配置とか、新しい職場の丈さんがどんな風に他の社員さんや部下の人達と接しているのか、私にはよく分からないのだ。丈さんって仕事の愚痴とかそう言うの、全く持ち出さないし。

「まぁ、たまにな。部下の部下だから、直接話す事はあまり無いが……」

 それでも本社から来た、突如抜擢された新部長の顔を知らない部下なんて、あまりいないだろう。急いでいて気付かなかったって可能性も無いことは無いけれど―――それは、やっぱり分かっていて無視されたんだよね?たぶん。

 何となく元部下だった私は感じるモノがある。仕事場の丈さんの迫力はすさまじい。特に部長ともなったら―――下っ端の部下からしたらゲームのラスボスみたいに感じてしまうのも無理からぬことだと思う。支社で丈さんがどんな風に振る舞っているか、実際目にしてないんだから、本当の所は分からないけど。

 でもそれでも職場でのキツイ言い方や恐ろしい視線に怯んでいても、相手を貶めて楽しむような意地悪で、とか機嫌が悪くて厳しく接しているんじゃなくて、丈さんが仕事に一途だってことは付き合う内に分かって来るはず。実際本社でも阿部さんや三好さん、目黒さんに辻さん、年上の樋口さんだって彼を信頼して慕っていたと思う。
 そう言えば最初に私の彼への印象が変わったのは、飲み会での唐突な笑顔だった。あれは本当にドキッとしたなぁ。素敵な三好さんにも好かれていたくらいだし……あ、もしかして……?

「その人……もしかして女の人?」

 『うさぎ飼い』と言ったら大抵は女性だろう。その部下の女性が、普段厳しいラスボスであり、コワモテ銀縁眼鏡である亀田部長の、素の優しい所とか飲み会でふと見せる笑顔とかに参ってしまって―――そしてとうとう『うさぎひろば』でバッタリ会ってしまい、目が合ってドキドキぢて恥ずかしくて逃げちゃった―――なんてことがあったりして?!

「いや、男だ」

 違った……!思わずホッと胸を撫で下ろす。

 どうもこの間伊都さんとの仲を邪推してからと言うもの、少々調子が狂ってしまっている!嫌だなぁ……家に閉じこもっているから嫉妬深くなっちゃったのかな。これは早々に働き口を探した方が良いのかも。

 再び物憂げに溜息を吐く丈さん。

 うん、男性だとしたら、これはやはり『部下に怖がられている』一択だね。だけどそれをハッキリ指摘しちゃって良いものか……



「やっぱり俺が……『コワモテ冷徹銀縁眼鏡』だからか……?」
「うっ……!」



 ああっ!丈さん、まだそれ……気にしているんだね!何だか胸が痛い……!

 これはあれだよね、私(=妻)に気を許してくれているって言うことだよね、うん。

 弱音を言ってくれるのは良い事だ。だって私ばっかり丈さんに頼りっぱなしだし!愚痴聞き役くらいやらせて貰わないと……!存在意義がない。

「丈さん!」

 何とかうまく……そう、フォローの言葉を考えて……元部下の立場から良いアドバイスをしてあげたい!



「ええと……眼鏡新しいのに変えたらどうかな?」
「……眼鏡?」
「例えば黒縁眼鏡に変えてみるとか!最近銀縁の人って少ないし」
「……」



 するとその瞬間、丈さんの目がスッと昏さを宿した。―――気がした。
 ヤバい、私は言葉の選択を間違ったようだ。慌てて更にフォローを入れる。

「あ!そうだ、ホラ!丈さん!う―タンでも撫でて元気出して、ねっ!」
「―――そうだな」

 『うータン』と言う気分上昇ワード一つで、その目に光が宿った。どうやら気を取り直してくれたらしい。ホッと胸を撫で下ろす。

 うん、うん。相変わらず『うさぎバカ』ですね、うちの旦那様は。丈さんの機嫌が僅かに上向いたのを確認して、私は笑顔で丈さんの手を取った。

 丈さんは腰を上げて、ラグに座る。
 そしてうータンに手を伸ばした所で―――

 スクッ

 うータンが何事も無かったように立ち上がり、スタッスタッとうさぎ小屋に戻って行った。まるで見計らったように、更には一瞥もせず。



 伸ばし掛けた手をクッと握った丈さん。



 そっと目を伏せる様子に、気の毒になってついその手を取ってヨシヨシと頭を撫でてしまった。後から考えるともっと良い慰め方があった気がするんだけど―――ちょっとそれ以上声を掛ける事が出来なかった。

 こんな私には祈る事しか出来ない。

 いつかその部下の人に、丈さんの人柄がちゃんと伝わると良いな。だって丈さんってとっても良い上司だと思うんだよね。……見た目は怖いかもしれないけど。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


見た目が怖いことは否定しない卯月です。
が、思い遣りでその言葉は飲み込んでいます。

なお、『うさぎひろば』で出会った部下視点は
別作『うさぎのきもち』9~10話で読めます。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子様には優秀な妹の方がお似合いですから、いつまでも私にこだわる必要なんてありませんよ?

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるラルリアは、優秀な妹に比べて平凡な人間であった。 これといって秀でた点がない彼女は、いつも妹と比較されて、時には罵倒されていたのである。 しかしそんなラルリアはある時、王太子の婚約者に選ばれた。 それに誰よりも驚いたのは、彼女自身である。仮に公爵家と王家の婚約がなされるとしても、その対象となるのは妹だと思っていたからだ。 事実として、社交界ではその婚約は非難されていた。 妹の方を王家に嫁がせる方が有益であると、有力者達は考えていたのだ。 故にラルリアも、婚約者である王太子アドルヴに婚約を変更するように進言した。しかし彼は、頑なにラルリアとの婚約を望んでいた。どうやらこの婚約自体、彼が提案したものであるようなのだ。

義娘が転生型ヒロインのようですが、立派な淑女に育ててみせます!~鍵を握るのが私の恋愛って本当ですか!?~

咲宮
恋愛
 没落貴族のクロエ・オルコットは、馬車の事故で両親を失ったルルメリアを義娘として引き取ることに。しかし、ルルメリアが突然「あたしひろいんなの‼」と言い出した。  ぎゃくはーれむだの、男をはべらせるだの、とんでもない言葉を並べるルルメリアに頭を抱えるクロエ。このままではまずいと思ったクロエは、ルルメリアを「立派な淑女」にすべく奔走し始める。  育児に励むクロエだが、ある日馬車の前に飛び込もうとした男性を助ける。実はその相手は若き伯爵のようで――?  これは若くして母となったクロエが、義娘と恋愛に翻弄されながらも奮闘する物語。 ※小説家になろう様、カクヨム様でも掲載しております。 ※毎日更新を予定しております。

宇宙航海士育成学校日誌

ジャン・幸田
キャラ文芸
 第四次世界大戦集結から40年、月周回軌道から出発し一年間の実習航海に出発した一隻の宇宙船があった。  その宇宙船は宇宙航海士を育成するもので、生徒たちは自主的に計画するものであった。  しかも、生徒の中に監視と採点を行うロボットが潜入していた。その事は知らされていたが生徒たちは気づく事は出来なかった。なぜなら生徒全員も宇宙服いやロボットの姿であったためだ。  誰が人間で誰がロボットなのか分からなくなったコミュニティーに起きる珍道中物語である。

【短編集】エア・ポケット・ゾーン!

ジャン・幸田
ホラー
 いままで小生が投稿した作品のうち、短編を連作にしたものです。  長編で書きたい構想による備忘録的なものです。  ホラーテイストの作品が多いですが、どちらかといえば小生の嗜好が反映されています。  どちらかといえば読者を選ぶかもしれません。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

悪役令嬢ですが婚約破棄されたこともあって異世界行くには妥協しません!

droit
恋愛
婚約破棄されて国を追放され失意の中、死んでしまった令嬢はそのあまりにみじめで不幸な前世から神により次の転生先と条件をある程度自由に決めてよいと言われる。前回さんざんな目にあっただけに今回の転生では絶対に失敗しない人生にするために必要なステータスを盛りまくりたいというところなのだが……。

【短編集】ゴム服に魅せられラバーフェチになったというの?

ジャン・幸田
大衆娯楽
ゴムで出来た衣服などに関係した人間たちの短編集。ラバーフェチなどの作品集です。フェチな作品ですので18禁とさせていただきます。 【ラバーファーマは幼馴染】 工員の「僕」は毎日仕事の行き帰りに田畑が広がるところを自転車を使っていた。ある日の事、雨が降るなかを農作業する人が異様な姿をしていた。 その人の形をしたなにかは、いわゆるゴム服を着ていた。なんでラバーフェティシズムな奴が、しかも女らしかった。「僕」がそいつと接触したことで・・・トンデモないことが始まった!彼女によって僕はゴムの世界へと引き込まれてしまうのか? それにしてもなんでそんな恰好をしているんだ? (なろうさんとカクヨムさんなど他のサイトでも掲載しています場合があります。単独の短編としてアップされています)

処理中です...