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苔
しおりを挟む『……ん?』
その日、自分たちの住処に何者かが入り込んできた気配を感じた。
『誰だ?』
『うさぎや熊ではないな…』
しばらくの間、穏やかな風が身体に吹きかかるのと似た感覚を群れの者たちと共有していると、
『どうやら“彼”が来たらしい』
『そうか、もうそんな時期か…』
少し離れた場所で、“来訪者”と遭遇した仲間の視覚を一種の情報として受け取ったワシらは“彼”を出迎える準備を始めた。
… … … … …
… … …
…
「お久しぶりですね、みなさん」
『黒衣殿も相変わらずのようで』
『こんな山奥にわざわざ…』
『漆黒さん、ゆっくりしてってね』
群れの者たちが次々と古くからの“友人”に声をかけていく。その“友人”は、無数の巨木や苔が鬱蒼と生い茂る暗い森の中では場違いにも程がある、黒い布マスクとスーツといった出立ちであった。名前は黒衣 漆黒。ふらっと現れては、人間や妖たちに不思議な薬を売り歩く風変わりな男。
『黒衣殿が来られたということは、あれですかな?』
「はい。今回も同じ薬を作って参りましたので、群れの方たちを呼んでいただけますか?」
『毎度、かたじけない。今、皆に知らせるんでな。少し待っておくれ』
他の者にお茶の用意を頼んだワシは、先程視覚を共有したのと同じ要領で群れ全体に集合の知らせを送った。
… … … … …
… … …
…
……さわさわ。 さわ、さわさわ…。 さわさわ……さわ…。
黒衣殿と茶を飲みながら談笑していると、辺り一面に拡がっている苔が一斉に隆起し、幾つものまるみを帯びた姿かたちを形成していく。
『長老、薬売りが来られたようですな』
ワシと黒衣殿の近くの苔から身体を形作った者が声をかけてきた。
『ああ、いつもの薬を持って来てくれたそうだ』
『有難い限りですな』
ワシらは動物や他の妖たちと比べると原始的な生き物と言っても過言ではない。樹齢数百年の巨木や森に棲む数多もの動植物から漏れ出る微弱な生命力が、風や水の流れに乗って日がささらないほど暗い森の底に蓄積していくことで、“自我”だけの存在が生まれる。やがてそれは、個別に馴染みやすい動物の死骸や植物、土を使って身体を形成していく。
はじめは1つの個体であっても、月日が経つにつれて数が増す記憶や経験、感情をもとに幾つもの自我が芽生える。そして種の数を増やすがごとく、一旦は己の身体を土に還し、地中にてそれらを別個体として分裂させ、生まれた頃と同様に馴染みやすい自然の素材を使って地中より這い出てくる。
ワシらはその中でも、苔との相性が良かった。ゆえに、身体はこの森の土と苔からできている。地上を移動する際はその姿かたちであるが、自我と身体を別のもとして生きることができる。外敵から身を守るため、地中で自我だけの存在となって移動し、離れたところで自生する苔を新たな依代とすることが可能だ。
加えて、もとは1つの存在であったことから、互いの意識や視覚、聴覚を共有することができる。これにより、力の弱いワシらでも長く生き長らえてこられた。
だが、それも限界を迎えた。
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